『エンゲルス「反デューリング論」に学ぶ』より
第一三講 経済学① 経済と政治
一、経済学の対象と方法
唯物史観
今回から、第二篇「経済学」に入っていきます。エンゲルスがここで展開している論議は、『資本論』の最良の解説になっているにとどまらず、より発展したものをも含んでいますので、注意して学んでいくことにしましょう。
なお、デューリングとの論争において、経済と政治との関係が問題となってきますので、もう一度史的唯物論の基本的観点を明らかにし、そのうえにたって経済学とは何かを考えていくことにしましょう。
「唯物史観は次の命題から出発する。すなわち、生産が、そして生産についではその生産物の交換が、あらゆる社会制度の基礎であり、歴史上に現われるどの社会においても、生産物の分配は、それとともにまた諸階級または諸身分への社会の区分は、なにを、どのようにして生産するか、そして生産されたものをどのようにして交換するかによってきまるという命題である。この見地からすれば、あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因は、人間の頭のなかに、永遠の真理や正義についての人間の洞察がますます深まってゆくということに、求めるべきではなく、生産および交換の様式の変化に求めなければならない。それは、その時代の哲学にではなく、経済に求めなければならない」(四八三ページ)。
第四講の史的唯物論で「これまでのすべての歴史は、原始状態を別にすれば、階級闘争の歴史であったこと」(二九四ページ)および「これらのあいたたかう社会階級は、いつでも、その時代の生産および交易の関係、一言でいえば経済関係の産物であること」(三四ページ)を学びました。「あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因」は「生産および交換の様式の変化に」、つまり経済に求めなければならないことになるのです。
したがって経済学の対象となるのは、生産・交換・分配であり、その相互の関係と諸法則を探究することが経済学の課題となってきます。
「経済学は、最も広い意味では、人間社会における物質的な生活資料の生産と交換とを支配する諸法則についての科学である」(二九七ページ)。
生産と交換とは相互に制約し、作用しあっていますが、交換は「生産がなければこれをおこなうことはできない」(同)ので、経済学の中心となるのは生産ということになります。人間が生きていくためには、まず何よりも衣・食・住などの物質的財貨を生産しなければなりません。
また、生産と交換の仕方は分配にも影響を及ぼします。「ある特定の歴史的社会の生産および交換の仕方とともに、またこの社会の歴史的先行諸条件とともに、生産物の分配の仕方も同時にきまってくる」(二九八ページ)のです。生産がなければ分配もおこりえませんから、生産物の分配の仕方が生産の仕方によって規定されるのは当然のことです。
マルクスは『資本論』において俗流経済学の「三位一体的定式」を批判しています。三位一体的定式とは、富の源泉には資本と土地と労働とがあり、資本は利潤を、土地は地代を、労働は労賃を生みだすとすることによって、資本主義的搾取をする理論です。
マルクスは、資本主義的生産から生まれる生産物の分配の問題を、生産から切りはなして論じることで搾取を覆い隠すものだと、これを批判しています。後にみるようにデューリングも生産と分配を切りはなしてとらえる同じ誤りを繰り返しているのです。
生産力と生産関係の対立と統一
こうして「ある特定の歴史的社会」を規定するものは、その社会における生産の仕方、つまり生産様式ということになります。
物質的財貨の生産には、二つの側面があります。一つは、人間と自然との物質代謝という関係であり、もう一つは、生産をめぐる人と人との関係です。前者は、「生産力」とよばれ、後者は「生産関係」とよばれています。したがって生産とは、生産力と生産関係という対立物の統一としてとらえられるのです。この生産力と生産関係の統一が、「生産様式」とよばれています。
財貨の生産には、人間の「労働」、「労働対象」(資源、材料)、「労働手段」の三つが必要です。労働対象と労働手段を合わせて「生産手段」とよびます。人間の労働が生産手段と結合することから生まれる物質代謝の力が「生産力」です。人間の力には限界がありますので、生産力を規定するのは労働手段です。労働手段の改善、発展により、生産力は発展していきます。
これに対して生産関係は、主な生産手段を誰が保有するのかという生産の仕方と、それに起因する分配の不平等によって規定されます。それは搾取者と被搾取者の関係となってあらわれます。
「分配上の差異が現われるとともに、階級の区別も現われてくる。社会は、特権的な階級と不遇な階級、搾取する階級と搾取される階級、支配する階級と支配される階級に分かれる」(二九九ページ)。
生産力の一定の発展段階は、それに照応する生産関係を生みだします。生産力は不断に変動するのに対し、生産関係は相対的に固定しているところから、生産力の発展がある段階に達すると、生産関係とのあいだに対立・矛盾が生じてくることになります。
「社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。そのときに社会革命の時期が始まる。経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、あるいは急激にくつがえる」(マルクス「経済学批判・序言」全集⑬六~七ページ)。
いわば社会発展の根本矛盾は、「生産力と生産関係の矛盾」であり、この矛盾が階級闘争となって現れるのです。
テキストでは、この生産力と生産関係の矛盾は生産と分配の矛盾として説明されています。
「分配は生産と交換とのたんなる受動的な産物ではない。それは、同様にこの両者にも反作用を及ぼす。……ある生産および交換の様式が動的であればあるほど、それが完成し発展する能力をより多くもっていればいるほど、分配もそれだけ急速に、自分の生みの親をこえて成長する段階、それがこれまでの生産および交換の仕方と衝突する段階に到達する」(三〇〇ページ)。
このように、生産力と生産関係の矛盾は社会発展を生みだします。これまでの社会の歴史も、生産力と生産関係を統一した生産様式の変化の歴史としてとらえることができるのです。
経済学は「一つの歴史的科学」
「だから、経済学は、本質上一つの歴史的科学である。それは、歴史的な素材、すなわち、たえず変化してゆく素材を取り扱う」(二九八ページ)。
人類の歴史的発展を画する基本的生産様式は、原始共同体的、奴隷制的、封建制的、資本主義的、社会主義的生産様式として区分することができます。
原始共同体的生産様式では、狩猟と採集を中心とする生産であり、そこでは生産力も低く生産も分配も共同でおこなわれ、階級はまだ存在しません。
奴隷制的生産様式では、農業・手工業を中心とする生産であり、主な生産手段は、奴隷と土地です。奴隷は役畜と同じ労働手段なのです。奴隷主がこれらの生産手段を所有することにより、奴隷主と奴隷という生産関係が生じます。
封建制的生産様式も農業・手工業を中心とする生産です。封建領主が主な生産手段である土地を所有することにより、封建領主と農奴という生産関係が生まれます。
資本主義的生産様式は、機械制大工業を中心とする生産であり、資本家が機械、工場という生産手段を所有することにより、資本家と労働者という生産関係が生まれます。
社会主義的生産様式も、機械制大工業を中心とする生産です。しかし、機械、工場を社会が所有することにより、階級のない平等な生産関係が実現できるのです。
こうして、人類史全体に通底する「広義の経済学」とそれぞれの時代区分に応じた「狭義の経済学」に分けることができます。
広義の経済学とは、「さまざまな人間社会が生産し交換し、またそれにおうじてそのときどきに生産物を分配してきた、その諸条件と諸形態とについての科学としての経済学」(三〇二ページ)です。
これに対して当面する狭義の経済学とは、「資本主義的生産様式の発生と発展」(同)に関する経済学となります。
経済学の方法
このように経済学は広義の経済学も狭義の経済学も「本質上一つの歴史的科学」として、それぞれの生産様式の生成・発展・消滅の必然性を探究することが求められることになります。
経済学を探究する「方法」とは、事物を「本質的にそれらの連関、連鎖、運動、生成と消滅においてとらえる」(二九~三〇ページ)弁証法的唯物論であるということになります。
「経済科学の任務は、むしろ、新たに現われつつある社会的弊害が現存の生産様式の必然的な結果であると同時に、またこの生産様式の分解がせまっている印でもあることを立証し、そして、この分解しつつある経済的運動形態の内部に、そういう弊害をとりのぞくべき将来の新しい生産および交換の組織の諸要素を見つけだすことである」(三〇一ページ)。
したがって狭義の経済学の課題は次のようになります。資本主義的生産様式が封建的生産様式に「とって代わる必然性を論証」(三〇二ページ)することに始まり、その発展の「諸法則を、肯定的な側面から」(同)展開し、最後に「この生産様式はそれ自身の発展によってみずからを不可能とする点に向かってつきすすんでいるということの証明で、終わる」(同)のです。
これこそ経済学の「方法」としての弁証法であり、「この弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、その必然的没落の理解を含」(『資本論』①二九ページ/二八ページ」)んでいるのです。
それは、一言でいうと、資本主義的生産様式は時代の制約から生まれた特殊歴史的な一つの生産様式にすぎないことを証明することです。エンゲルスは、資本主義的生産様式をその否定的側面から叙述するとは、次のことを証明することにあるといっています。
一つは、「資本主義的な生産および交換の諸形態は生産そのものにとってますます耐えがたい桎梏になりつつあるということ」(三〇二ページ)です。これを言いかえると、資本主義的生産様式のもとで、生産力と生産関係という対立物の統一が、対立物の相互排斥、矛盾に転化しつつあることを証明することです。
二つは、「これらの諸形態から必然的に生じる分配様式は、日ごとにいよいよ耐えがたくなる階級状況を、すなわち、ますますその数を減じながら、ますます富んでゆく資本家と、ますますその数を増すとともに、全体としてみてますますその状態がわるくなってゆく無産の賃金労働者との、日ごとに激しくなってゆく対立を、生みだしたということ」(同)です。生産力と生産関係の矛盾は、貧富の対立をより深刻なものとし、階級闘争を激化させていくことを証明するのです。
三つは、「資本主義的生産様式の内部で生みだされた大量の生産力は、この生産様式の手ではもはや制御できないようになっているが、計画的な協働をおこなうように組織された社会がこれを掌握しさえすれば、社会のすべての成員に生活手段と彼らの能力を自由に発展させるための手段とを保障できるし、しかもたえずますます大量にそれを保障できるということ」(三〇二~三〇三ページ)です。つまり、資本主義的生産様式における生産力と生産関係の矛盾を解決することで、どんな未来社会への展望が生まれるのか、の証明で終わることになるのです。
狭義の経済学とマルクスの方法
資本主義的生産様式の最初の理論的研究は、一六世紀から一八世紀前半にかけての重商主義でした。彼らは「世界商業と世界商業に直接つながる国民的労働の特殊諸部門とを富または貨幣の唯一の真の源泉」(全集⑬一三四ページ)ととらえました。いわば富の源泉を流通過程に求めようとしたのです。
これに対し古典派経済学は、富の源泉を本来の生産過程に求めました。それは「重農学派やアダム・スミスが明確に定式化したかたちでは、やはり本質的に一八世紀の子ども」(三〇三ページ)だったのです。
重農学派は、生産の一形態にすぎない農業部門のみを富の源泉と考えました。これに対し、スミス、リカードはこれを生産一般に拡大し、富の源泉は労働であるという労働価値説を打ち出しました。しかし彼らは、当時の啓蒙思想家たちと同様に、経済学を「一つの歴史的科学」としてとらえるのではなく、「永遠の理性の表現」、「永遠の自然法則」として理解したために、資本主義的生産様式を絶対的なものとして美化するブルジョア経済学にとどまってしまいました。
これに対してマルクスは、弁証法の観点にたって資本主義的生産様式をとらえ、『資本論』の最終目的が資本主義社会の「経済的運動法則を暴露すること」(『資本論』①一二ページ/一六ページ)、つまり資本主義的生産様式の生成・発展のみならず、その消滅までをも含むことを明らかにしたのです。
第一二講でもみたように、マルクスは「あと書き〔第二版への〕」のなかで、わざわざ『資本論』の研究および叙述のために用いた方法が弁証法であったことを指摘しています。弁証法を駆使したことによって、資本主義的生産様式の「経済的運動法則」の真理を認識することができたとの思いが強かったのでしょう。エンゲルスもこれを受けて、「カール・マルクス『経済学批判』」(全集⑬)のなかで、「マルクスの経済学批判の基礎をなしている方法」(同四七七ページ)は弁証法的唯物論であったと語っています。
『資本論』は、弁証法の観点から資本主義的生産様式をとらえることによって、それが歴史的な生産様式の一形態にすぎないことを明らかにし、同時により高度の未来社会への必然的な発展をも証明してみせたのです。
二、「デューリング経済学」批判
「デューリング経済学の方法論」批判
デューリングは、経済学を「一つの歴史的科学」としてとらえるのではなく、相変わらずの「永遠の自然法則」(三〇四ページ)に帰着させようとすることにより、早くも「まったくうつろで無内容な同語反復的公理」(同)に帰着させることを予想させるものとなっています。
彼は自分の経済学を「より高い研究分野ですでに解決ずみの上級の真理を拠りどころとしている」(三〇五ページ)といっています。
この「上級の真理」とは、社会は二人の人間からなりたっており、「二つの人間意志は、それ自体としてはたがいに完全に平等」(一四九ページ)だというものです。したがって「経済の最も一般的な自然諸法則」(三〇五ページ)は平等な分配であるにもかかわらず、「永遠の経済的自然法則とその作用とが国家、暴力の干渉のために変造されてしまう」(三〇六ページ)というのです。彼は資本主義のもとでの賃金奴隷制と不平等な分配とは、暴力から生じたものだととらえています。
これに対するエンゲルスの批判は次のとおりです。
第一に、彼は「分配を、生産とはまったくかかわりのない、まったく外部的な第二の過程」(三〇七ページ)としてとらえることによって、「分配理論全体を経済の分野から道徳と法の分野」(三一一ページ)に移してしまっています。しかし先にも述べたように、分配の仕方は、生産の仕方によって規定されるのであって、両者を切りはなしてとらえることはできません。
第二に、資本主義的生産様式における分配の不平等は、資本家が生産手段を所有することによる剰余労働の搾取に起因するものであって、暴力とは何の関係もありません。
「資本が剰余労働を発明したのではない。社会の一部の者が生産手段を独占している場合にはいつでも、労働者は、自由であろうと不自由であろうと、自分を維持するのに必要な労働時間に余分な労働時間をつけくわえて、生産手段の所有者のために生活手段を生産しなければならない」(三一〇ページ)。
したがって、分配の不平等は、けっして暴力から生じるものではなく、純経済的な生産の仕方に依存しているのです。
第三に、賃金奴隷制も、暴力から生じたものではありません。
「暴力は搾取を保護するだけで、搾取の原因ではないということ、資本と賃労働との関係が労働者の搾取の基礎だということ、そして、この関係は純経済的な仕方で生じたものであって、けっして暴力的な方法で生じたものではないということ」(三〇六ページ)は、「どんな社会主義的労働者でも、みなまったくよく知っていることである」(同)。
社会主義的労働者が「階級対立と階級の区別の廃止」(三一三ページ)を求めていて、けっして暴力と強奪による分配の不平等の是正を求めていないのは、彼らがデューリングのいう「経済の最も一般的な自然諸法則」(三〇五ページ)なるものには、一片の真理も存在しないことを、よく知っているからにほかなりません。
「言いかえれば、その原因は、近代の資本主義的生産様式によって生みだされた生産力と、さらにこの生産様式によってつくりだされた財貨分配制度とが、この生産様式そのものとの激しい矛盾におちいったことにある」(三一三~三一四ページ)。
この矛盾が「搾取されているプロレタリアの頭脳にせまってくる」(三一四ページ)ところにこそ「近代社会主義の勝利の確信の基礎があるのであって、あれこれの書斎学者の法および不法の観念にあるのではない」(同)のです。
経済と政治
第二章から第四章までの「暴力論」(正確には「強力論」と訳されるべきものですので、以下引用文をのぞいて「強力」という訳を使用します)とは、国家権力による政治的強力を意味しており、政治と経済との関係をどうみるべきかの問題を論じています。
第九講で、国家とは、その全構成員の共同利益を実現する仮象をもちつつ、搾取する階級の階級支配を本質としてもつ組織であることをお話ししました。
国家は、その階級支配の機関という本質を実現するために、被支配階級を力によって支配し、抑圧するための「一つの公的強力」をうちたてます。公的強力の内容をなすものが、警察、軍隊、裁判所、監獄などです。こうした力による支配のための組織を一括して、政治的強力とよんでいます。
デューリングは、ロビンソン・クルーソーが、剣によってフライデーを奴隷化させたとして、「人間による人間の隷属化」(三一七ページ)の原因は政治であって経済ではないこと、つまり政治が第一次的であり、経済は第二次的であることを主張します。
この立場から不平等な生産物の分配を、「暴力的所有」(三一九ページ)と名づけているのです。
これに対してエンゲルスは、フライデーを隷属させるためには、フライデーが二人分の生産手段を生みだすほどの生産力の発展が前提となるとしたうえで、「私的所有は、強奪や暴力の結果として歴史に登場してくるものではけっしてない」(三二〇ページ)のであって、「生産の増大と交易の促進」(三二一ページ)という「経済的原因から、起こる」(同)ことを明らかにします。なぜなら「強奪者が他人の財貨をわがものにすることができるためには、そのまえにすでに私的所有の制度が存在していなければならないということ、したがって、暴力は所有状態を変えることはできても、私的所有そのものを生み出すことはできない」(同)からです。
人間の隷属化の最も近代的な形態である賃労働についても全く同様です。マルクスの剰余価値学説は、資本家のもつ貨幣と労働者のもつ労働力との等価交換から剰余価値が生産され、資本家がそれを搾取することを解明したものであり、等価交換の法則が「この法則自身の内的、不可避的な弁証法によって、その反対物に転化する」(三二二ページ)ことを証明してみせたのです。
等価交換を前提にしても、「生産と交換の進展につれてわれわれが必然的にゆきつくのは、……一方の少数者の階級の手に生産手段と生活手段とが独占され、他方の膨大な多数者をなす階級が無産のプロレタリアに押しさげられることであり」(三二三ページ)、「強奪や、暴力や、国家や、なんらかの政治的干渉を、ただの一度も必要としなかった」(同)のです。
近代のブルジョアジーは、封建的な政治権力とのたたかいをつうじて発展してきました。ブルジョアジーは、手工業からマニュファクチュアへの移行、商業の拡大によって経済力を発展させ、封建的な政治制度である「ツンフト的特権や地方および州の関税障壁」(三二五ページ)を自由な生産と交換のための桎梏と感じ、封建的政治強力を打ち倒して、「まずイギリスで、ついでフランスで、市民階級の革命を呼びおこし」(三二四ページ)ました。いわば、ここでも経済が第一次的であり、政治は第二次的に経済によって規定されることが明らかにされたのです。
さらにエンゲルスは、ロビンソンが剣によりフライデーを隷属化するのだとすれば、フライデーがピストルを手にすれば立場は逆転するとして、「暴力の勝利は武器の生産にもとづいており、そして武器の生産はさらに生産一般に」(三二八ページ)、つまり経済力に依存していることを軍事力を例に説明しています。
詳細はテキストを読んで頂くことにして、エンゲルスは、その豊富な軍事的知識を土台に、「軍隊の編成や戦闘法の全体、したがってまた勝敗は、物質的な、つまり経済的な諸条件に、すなわち、人的材料と兵器材料に、したがって住民の質および量と技術とに、依存していること」(三三四ページ)を証明しています。
「こうして、ここでもまた、『本源的なものは直接的な政治的暴力に求める』べきであって、『間接的な経済力に求め』てはならないということが、だんじて真実でないことは、まったく明らかである。その反対である。暴力そのものにおいて『本源的なもの』であることがわかったのは、まさになんであったか? 経済力である」(三三八ページ)。
支配=隷属関係はいかにして生じたか
続いてデューリングは、政治を第一次的とする考えのうえにたち、「自然にたいする支配は、一般に人間にたいする支配をつうじてはじめて起こった」(三四〇ページ)ことを証明しようとします。
大土地所有の経営は、地主の「奴隷、隷農または間接的な不自由民」(同)に対する支配なしにおこなわれたことはない、というのがその根拠となっています。
しかし、デューリングの主張は、封建的土地所有についてのみ成り立つものであり、古代社会では、「部族共同体や村落共同体」(三四二ページ)が土地を共同で利用していたものであり、ギリシア、ローマの奴隷制社会においてすらも、「土地はおもに独立農民によって経営されていた」(三四三ページ)のであって、そこには、地主も奴隷、隷農も存在しませんでした。「ローマ共和国の末期に、大きな兼併領地すなわちラティフンディウムが分割地農民を駆逐して奴隷と置きかえ」(同)たとき、「イタリアを滅亡させてしまった」のでした。
それでは、人間の人間に対する支配=隷属関係は、いかにして発生したのでしょうか。
エンゲルスは、これを国家の誕生と、私的財産の発生という「二とおりの道すじ」(三四六ページ)による階級形成という、社会的・経済的観点から説明しています。
まず国家の誕生をみてみましょう。
「国家というものは、同一部族に属するもろもろの共同体の自然生的な諸群が、はじめはただその共同の利益(たとえば東洋における潅漑)をはかり、外敵を防御することだけを目的としてつくりあげたものなのだが、このとき以後、国家は、それらの目的とならんで、支配する階級の生活および支配の諸条件を、支配される階級に対抗して暴力によって維持することをも、同様に目的とするようになる」(二九九~三〇〇ページ)。
自然生的な共同体において、潅漑のほかにも「争訟の裁決、個々人の越権行為の抑制、水利の監視」(三四七ページ)などの共同の利益が存在しており、それは「個々人に委託」(同)されていました。
共同体がより大きくなってくると、「一つの新しい分業が生まれ、共同の利益を保護し、相反する利益を撃退するための機関」(同)がつくり出されます。これが「国家権力の端緒」(同)となるのです。この共同利益処理機関は、「職務の世襲化」(同)などにより「いっそう独自化して」(同)いき、その職務を独占することにより支配階級が形成されていくことになるのです。
「肝心なことは、どこでも政治的支配の基礎には社会的な職務活動があったということ、また政治的支配は、それが自己のこういう社会的な職務活動を果たした場合にだけ長くつづいたということを、確認することだけである」(三四八ページ)。
この後にみるように、このような社会的な職務活動を独占するに至ったのは、経済的支配者としての搾取階級であり、ここに国家は搾取階級が支配階級となることによる階級支配の機関となっていくのです。
もう一つの階級形成の道が、生産力の発展による私有財産制の誕生です。
約一万年前に、狩猟、採集から農耕、牧畜へと移行することにより、生産力を飛躍的に発展させ、「人間の労働力は、自分の生計を維持するだけのために必要であるよりも多くのものを生産できるように」(同)なります。そうなると「労働力はある価値をもつように」(三四九ページ)なるのです。
それまでは共同体間における戦争の捕虜は穀つぶしとして打ち殺されていましたが、いまや「捕虜はある価値をもつように」(同)なり、「これを生かしておいてその労働を利用する」(同)ことになります。こうして「奴隷制が発明された」(同)のです。
奴隷制による「農業と工業とのあいだのかなり大規模な分業」(同)により、ギリシア文化が可能となり、ローマ帝国が誕生したのです。
こうして剰余生産物の生産と私有財産制のもとで、奴隷主と奴隷という「搾取する階級と搾取される階級」(三五一ページ)との歴史的対立が誕生することになります。搾取する階級は、「実際の労働から解放されて」(同)社会の共同事務に従う特別の一階級となり、国家機関を担う支配階級になっていくのです。
したがって階級の対立は、「人間の労働の生産性が比較的に未発達だった」(同)ことの反映でしかありません。生産力の巨大な発達によって「各人の労働時間をいちじるしく短縮して、社会の全般的な事務――理論的な、また実践的な――にたずさわる十分な余暇がすべての人々に残されるようにすることが可能になる」(同)状況のもとで、「いまこそはじめて、支配し搾取する階級はすべてよけいなものに、それどころか社会発展の障害物になった」(同)のです。
以上からして、人間の人間に対する支配=従属関係は政治によってではなく、社会的・経済的原因から生まれた階級対立によって生じたものであり、「搾取する階級と搾取される階級、支配する階級と抑圧される階級」(同)との階級対立を廃止するには、一つに階級支配の機関としての国家を廃止すること、二つに生産手段を社会化することによる搾取の廃止という社会的・経済的な二重の取り組みが必要となってくるのです。
強力の経済的発展に果たす役割
デューリングにいわせると、暴力は賃金奴隷と不平等な分配を生み出すものとして、「絶対の悪」(三五四ページ)であり、「あらゆる自然法則および社会法則が恥ずべき変造」(同)をこうむる堕罪でしかないということになります。
しかし、これまでにみてきたように、政治的強力=国家的強力は、社会が階級社会に分裂し、階級対立の非和解性の産物としての国家の誕生に起因するものであって、経済的諸関係から生み出されたものであり、善・悪という道徳の問題ではないのです。
国家的強力は、一般的には国家の階級的本質を形づくる中核をなすものであり、したがって搾取する階級の搾取される階級に対する搾取と抑圧を強化する反動的役割を果たすものです。
しかし、これは強力の一面でしかありません。「暴力は、歴史上でもう一つの別の役割、革命的な役割を演じるということ、暴力は、マルクスのことばを借りれば、新しい社会をはらんでいるあらゆる古い社会の助産婦であるということ、暴力は、社会的運動が自己を貫徹し、そして硬直し麻痺した政治的諸形態を打ち砕くための道具」(同)でもあるのです。
エンゲルスは、政治的強力が「経済的発展にさからって作用する」(三五二ページ)場合であっても、「わずかな例外を除けば、通例は経済的発展に屈服してしまう」(三五三ページ)といっています。
しかし普通選挙制と議会制民主主義が時代の常識になっている今日、中南米でみられるように選挙で社会の多数派を獲得し、民主連合政府を実現しうる可能性が生じています。マルクスも「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」(『資本論』②四六四ページ/二八五~二八六ページ)として、政治的強力による強制によって「ルールある資本主義」の可能性に含みをもたせています。
民主連合政府は、その国家権力を利用して大企業に対する民主的規制を実施し、資本主義的生産様式の経済法則に「さからって作用」します。これにより、国民の生活とくらしを守り、国民の購買力を高めて経済的発展に寄与することになるのです。
これも、政治的強力の「革命的な役割」の一つということができるでしょう。
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