『エンゲルス「反デューリング論」に学ぶ』より

 

 

第一五講 経済学③ 資本と剰余価値

 

一、資本と剰余価値

資本とは何か

 今日は、第二篇第七章から九章までを学んでいきます。ここでもデューリングの混迷する議論に入る前に、問題整理のため『資本論』における資本と剰余価値をみていくことにしましょう。
 資本とは、自己増殖する貨幣(価値)です。もう少し詳しくいうと、一定の貨幣額がその運動のなかで剰余価値という形態で剰余生産物を生み出すことを意味しています。人間の労働力が、「自分の生計を維持するだけのために必要であるよりも多くのものを生産できるように」(三四八ページ)なったときから「労働力はある価値を持つように」(三四九ページ)なります。このときから生産手段を独占する者は、それに労働力を結合し、剰余生産物を搾取しうるようになってきます。その剰余生産物の搾取が、剰余価値の形態でおこなわれるときに、はじめて資本が成立するのです。資本家が労働者を雇って剰余価値を生産するという生産関係のもとにおいてのみ、はじめて一定の貨幣額は資本主義的生産様式のもとでの資本となるのです。
 資本主義的生産様式のもとで、剰余価値を生みだす資本を産業資本とよびます。資本主義は、一五世紀末になってマニュファクチュアと世界貿易、世界市場の発展にともない、産業資本が登場することによって始まりました。
 産業資本の生みだした剰余価値の一部は、商人資本の商業利潤、利子生み資本(銀行資本)の利子、土地所有者の地代として分配されることになります。マルクスは、古典派経済学者と違って、「剰余価値を利潤や利子や地代などというその特殊な諸形態から独立に取り扱っている」(全集㉛二七三ページ)ところに、自分の功績があるといっています。
 こうして、資本主義的生産様式のもとでの資本には、剰余価値を生産する産業資本と、剰余価値の分配を受ける商人資本、利子生み資本という三種の形態があることになります。土地は、労働の産物ではありませんから、価値をもつこともなく、資本でもありません。
 産業資本がようやく一五世紀末に登場したのに対して、商人資本と高利資本とは、ギリシア、ローマ時代からすでに存在していました。商人資本と高利資本とが、なぜ産業資本に先行したのかといえば、もっぱら単純な商品と貨幣の流通とを必要条件とするのみであって、その生産様式が奴隷制であろうと、封建制であろうと、資本主義であろうと無関係だからです。

実体資本と架空資本

 マルクスは、『資本論』の原稿第三部第五篇の「信用論」全体の見出しを「信用、架空資本」(『資本論』⑩六八〇ページ/四一三ページ)と記していました。エンゲルスがマルクスの原稿をもとに第三部を出版したのは一八九四年ですから、『反デューリング論』を執筆した当時、エンゲルスは、まだ第三部の内容の検討を十分にしていませんでした。そのためデューリングの資本の定義批判でも、実体資本と架空資本の観点からの批判はおこなわれていませんので、ここで補足しておきたいと思います。
 最初にお話ししたように、資本とは、流通のなかで自己増殖する貨幣(価値)です。ここから資本の本質は、第一にそれ自体が一つの価値であること、第二にそれはそれ自身の運動のなかで自己増殖すること、の二点にあります。この二つの本質を備えた資本が実体資本です。産業資本、商人資本は、この意味の実体資本であり、これらの資本の運動、つまり商品の生産と交換が実体経済をなしています。
 これに対し、架空資本とは、それ自身は価値をもたないのに自己増殖する擬制された資本です。利子生み資本の大半は、銀行信用から生まれる架空資本です。銀行信用とは、商品取引という実体を伴わない貨幣の貸し借りです。中央銀行である日本銀行は日銀券を発行し、信用創造をします。日銀券は、日銀の信用を背景に発行される価値をもたないペーパー・マネーにすぎません。政府は大企業の利益のための公共事業や軍事費を捻出するために、国債を発行し、それを日銀に引き取らせて、かわりに日銀券を受け取ります。地方自治体も同様に地方債を発行し、これを地方銀行に買い取らせます。こうした裏付けのない日銀券の発行による信用創造により、現代日本では国と地方自治体はあわせて約一〇〇〇兆円もの負債をかかえるに至っています。
 問題は、国債や地方債です。これらは国や地方自治体の負債であって、価値ではありませんから、資本ではありません。しかし、これらには利子が付いているところから、「利子生み資本」が成立しているもとでは、国債や地方債もまた資本と擬制されるのです。例えば、年五%の平均利子率のもとで五万円の利子がつく国債は、五万円を五%で除してえられた一〇〇万円の価値ある擬制された資本として売り出されるのです。これを「資本還元」といいます。
 こうして国債や地方債、さらには株式会社の発行する社債は、単なる負債であるにもかかわらず、すべて資本還元されて、擬制資本、つまり架空資本となるのです。
 こうした資本還元は、土地についてもおこなわれます。土地は自然的存在であって労働の生産物ではありませんから、なんらの価値ももちません。しかし、土地を賃貸すれば、毎月一定の地代を手にしうることから、地代が資本還元され、土地の価格が生まれるのです。例えば年間二〇万円の地代を支払う土地は、平均利子率が五%の場合、資本還元されて四〇〇万円の地価であるとみなされるのです。こうして土地もまた、なんら価値をもたないにもかかわらず、擬制資本となります。
 株式もまた擬制資本であり、配当額を平均利子率で割った額が株式の価格として証券市場で取引されます。
 日銀を頂点とする銀行には、日銀券、株式、社債、国債、地方債などの有価証券、担保に提供された土地などの、利子を生む資本(マニイド・キャピタル)が集中することになりますが、こうしたマニイド・キャピタルの大半は、信用制度が生みだした架空資本にすぎないのです。
 「すべての資本主義的生産諸国には、膨大な量のいわゆる利子生み資本またはマニイド・キャピタルが、こうした形態で実存する。そしてマニイド・キャピタルの蓄積とは、その大部分が、生産にたいするこれらの請求権の蓄積、これらの請求権の市場価格、すなわち幻想的資本価値の蓄積、以外のなにものでもないと解されなければならない」(『資本論』⑪八一〇ページ/四八六ページ)。
 さらに問題なのは、これらの株式、社債、国債、地方債などの有価証券は、それら自体架空資本であるというだけではなく、金融市場において売買されることにより投機マネーとなり、さらに架空性を高めていきます。
 こうして、現代資本主義の信用制度のもとで架空資本は実体資本とは無関係に一人歩きするようになり、過剰投機による架空資本のインフレ、いわゆるバブル経済を生みだし、それはいずれ恐慌によってバブルの崩壊を生みだし、そのつけは、すべて国民に回されてくることになるのです。
 いまサブプライムローン(低所得者向け高金利の住宅ローン)に端を発するアメリカの金融危機が問題となっています。低所得者向けの住宅ローンでは、銀行自身がその延滞によるリスクを負担することになるため、それを証券化して売却し、そのリスクから逃れようとします。こうして銀行は将来のリスクを考慮することなく低所得者に貸しまくり、証券化されたローンを売りまくる金融ブローカーに変質します。銀行から住宅ローン証券を買い受けた証券会社は、それを自動車ローン証券など他のローン証券とも組合せながら、一枚の毛皮から何枚もの皮を剥ぐように、二重、三重に証券化し、何倍もの証券資産に拡大するのです。この証券を投機マネーが買いあさり住宅価格が上がり続けたために、ローンが支払えなくなっても、ローンを組みかえたり、住宅を売却してローンを完済することができました。ところが住宅価格の値下がりによってローンの焦げつきが続出するもとで、一挙にサブプライムローンは破綻します。投機マネーは住宅ローン証券の売買から手を引いて、証券価格は一気に下落し、アメリカのみならず全世界で一〇〇兆円ともいわれる損失を生みだしました。サブプライムローン問題は、信用制度のもとでのローンの証券化による架空資本の増大を基礎に、投機マネーによる住宅証券バブルとそのバブルの崩壊とを象徴する事件ということができるでしょう。いまや投機マネーは住宅ローンから原油、食糧に向かい、これらの価格騰貴を引き起こしています。
 信用制度と架空なマニイド・キャピタルの膨張は、一方では資本主義的生産を駆り立てると同時に、他方で資本主義の矛盾を激化させるものとなっています。
 マルクスの資本の定義のみが実体資本と架空資本の区別を可能にするのです。

剰余価値はどこから生じるのか

では、資本はどのようにして剰余価値を生みだし自己増殖するのでしょうか。
 それは「買い手が商品を価値以下に買ったことから生じるものでも、また売り手が商品を価値以上に売ったことから生じるものでもありえない」(三八六ページ)し、「詐欺から生じるものでもありえ」(同)ません。なぜなら、このような方法では、一方の富は他方の犠牲のうえに成り立つことになり、「したがってまた、全体としての流通している価値の総額をふやすことはできない」(同)からです。
 ここでは、「等しい価値がつねに等しい価値と交換されることを前提してさえ、つねに買い入れたよりも高く売るということが、どうして可能」(同)なのかという問題が、「詐欺やなんらかの暴力の介入をいっさい排除して、純経済的な仕方で解決されなければならない」(同)のです。
 この問題を解決したところに、マルクスの「最も画期的な功績」(同)があり、「科学的社会主義は、この解決とともに始まり、この解決を中心として成立している」(三八七ページ)のです。
 資本の価値増殖は、等価交換を前提にしていますから、商品の買い入れや販売から生じるものではありません。したがって、この変化は購入される商品の「使用価値そのもの」(同)から起こるものでなければなりません。資本家は「それの使用価値が価値の源泉であるという独特な性質をもっているような一商品」(同)を市場で見つけださなければならないのです。それが労働力という特別の一商品なのです。
 労働力という商品の価値は、労働者とその家族のために必要な「生活手段の生産に要する労働時間によって、規定」(三八八ページ)されます。それが六時間だと仮定しましょう。
 資本家は、この労働者を雇い入れ、六時間労働させると、「支払われた労働力の一日分の価値」(同)を新たに生産させたことになります。しかしそれでは「なんの剰余価値も生みだしたことにはならない」(同)ので、資本家は、彼を一二時間労働させ、六時間分の剰余価値を手に入れるのです。
 「労働力の一日間の使用によってつくりだされる価値が、労働力自体の一日分の価値の二倍の大きさであるということは、買い手にとって特別の好運ではあるが、商品交換の法則からすれば、けっして売り手にたいして不法ではない。……手品は仕上がった。剰余価値はつくりだされ、貨幣は資本に転化したのである」(三八八~三八九ページ)。
 しかしこのような産業資本が成立するためには、単に資本家の側に一定量の貨幣額が蓄積されるにとどまらず、他方の側に、二重の意味で自由な労働者(自由な人格をもち、生産手段から自由な労働者)が蓄積されていなければなりません。
 それをもたらしたのが、「本源的蓄積」とよばれる、農民からの土地取り上げです。
 一五世紀末から一八世紀にかけて羊毛マニュファクチュアの発展は、羊毛価格の騰貴をもたらしました。そのため、「耕地の牧羊地への転化」が暴力的におこなわれ、土地を追われた農民は浮浪罪にたいする流血の立法で労働者への転化を強制されたのです。マルクスはこの過程を総括して、「資本は、頭から爪先まで、あらゆる毛穴から、血と汚物とをしたたらせながらこの世に生まれてくる」(『資本論』④一三〇一ページ/七八八ページ)と書き記しています。

 

二、「デューリングの資本と剰余価値」批判

「デューリングの資本」批判

 デューリングは、資本を「総体的労働力の果実にたいする取り分を形成するための、経済的権力手段の元本である」(三九〇ページ)と規定しています。
 デューリングの資本に関する定義が何らかの意味をもつとすれば、それは「剰余価値またはすくなくとも剰余生産物を形成しないかぎり、資本にはならない」(三九一ページ)というマルクスの「拙劣な剽窃」(同)でしかありません。
 「拙劣な剽窃」だというのは、二つの点で問題があるからです。
 一つは、彼のいう「総体的労働力の果実にたいする取り分」がどこから生じるのかというと、「二人の男のおなじみの冒険を媒介」(三九二ページ)とし、「歴史のはじめにその一方のものが他方のものに強圧をくわえて、自分の生産手段を資本に転化させた」(同)という説明にとどまっていることです。
 もう一つは、デューリングの定義からするならば、「なんらかの形態の剰余労働をもたらすものなら」(三九四ページ)すべて資本になってしまい、資本の歴史的性格を明らかにしえないことはもちろん、実体資本と架空資本の区別もできないことになります。「帝政時代のローマの大土地所有者の富も、また同様に中世の封建領主の富も、なんらかの仕方で生産に役だったかぎり、いっさい無差別に資本である」(同)ということになってしまいます。
 しかしいやしくも資本主義的生産様式のもとにおいて資本を論じようとするのであれば、剰余生産物を生みだす価値のすべてを資本とするのではなく、「剰余労働の生産物が剰余価値の形態をとるときにはじめて」(三九三ページ)資本というべきなのです。つまり、「生産手段の所有者が、搾取の対象としての自由な労働者……が自分に対立しているのを見いだし、そして商品を生産する目的でこれを搾取するときにはじめて、生産手段は資本という特殊な性格をおびる」(三九三~三九四ページ)のであり、「これが大規模に起こったのは、ようやく一五世紀末と一六世紀のはじめ以来のこと」(三九四ページ)なのです。
 結局デューリングの経済上の知識は、「第一条 労働は生産する。第二条 暴力は分配する」(三九七ページ)という以上のものではないのです。

「デューリングの剰余価値」批判

 デューリングは、剰余価値のことを「普通に通用している用語でいえば資本利得」(三九八ページ)であり、「資本主義的企業家の取り分」(同)だといっています。
 しかし、剰余価値を生産する資本家は、「その剰余価値の最初の取得者ではあるが、けっしてその最後の所得者ではない。彼は、あとでそれを、社会的生産全体のなかで他の諸機能を果たす資本家や、地主などと分けあわなければならない」(三九九ページ)のです。
 というのも、その資本家が銀行から貨幣を借りて生産していれば、剰余価値のなかから銀行に利子を支払わなければならないし、できあがった商品を商人資本に買いとってもらえば、彼に商業利得を分け与えなければなりません。もし借地によって生産したのなら剰余価値の一部を地代として土地所有者に分配しなければならないのであり、生産した剰余価値からこれらの分配分を控除した残りの部分がやっと産業利潤、つまりデューリングのいう「資本利得」となるのです。
 「剰余価値はさまざまな部分に分かれる。剰余価値の断片はさまざまな部類の人々の手にはいって、利潤や利子や商業利得や地代などという、種々の、たがいに独立した形態を受け取る」(同)。
 さらにデューリングは、マルクスの剰余価値説によらないでも、「賃労働にもとづく経済形態の搾取的性格をもっと完全に承認することも可能」(四〇〇ページ)だと大見得を切ってみせます。
 ではどこから剰余価値が生まれるというのでしょうか。
 「資本の所有は、人的材料にたいする間接の暴力をあわせふくんでいないかぎり、なんの実際的意味もなく、実現もされない。この暴力の産物が資本利得である。したがって、資本利得の大きさは、この支配行使の規模と強度とにかかっている」(四〇四ページ)。
 結局、彼は「資本利得は暴力の産物である」と主張して、それ以上になんの説明もしないのです。資本家と労働者間の労働力の売買に関して、どこに暴力が作用しているのか、その場合の暴力の「規模と強度」とは何を意味しているのか、その場合なぜ「二重の意味」で自由な労働者は、資本家のもとから逃げださずに奴隷のように働かされるのか、こうした疑問に何一つ答えてはくれないのです。
 さらにエンゲルスは、根本的な疑問を提出します。
 「暴力は分配する――なにを? とにかく、分配すべきなにかがそこになければならない。……暴力はこれを取りこむことはできるが、つくりだすことはできない」(四〇五~四〇六ページ)。
 先にみたように、「このように暴力を引合いにだすことは、やくざな逃げ口上であり、問題を経済の分野から政治の分野に追いやるだけであって、そうしてもただ一つの経済的事実も説明できない」(四〇六~四〇七ページ)のです。
 結局デューリングの剰余価値説は、暴力論以外に何らかの意味ある箇所があるとすれば、マルクスの剰余価値説をまたしてもこっそり引きずり込んでいるだけなのです。

デューリングの強制法則

 デューリングの剰余価値説が多少とも意義をもつのは、競争する企業家たちがどうして剰余価値を実現することができるのかという問題提起をしたことにあります。競争を強制される資本家たちが、どうして「自然的生産費をはるかに上まわる価格」(四〇二ページ)で商品を販売しうるのか、との問いに対し、デューリングが暴力以外に回答をもたなかったとしても、彼がその問題を提起したことの意義そのものがなくなるわけではありません。
 資本主義的生産様式は、奴隷制や封建制の生産様式と決定的に異なるところをもっています。というのも奴隷制や封建制の場合には、その生産力が基本的に人力に依拠しているために搾取も自ずから一定の限度をもっているのに対し、資本主義的生産の独自の様式は、人力の制限を打ち破る機械に依拠した生産力となっていて、生産力の発展と搾取率のアップに限界がないということです。
 マルクスは、「相対的剰余価値の生産」の箇所において「ある特定の法則、すなわち価値法則が、どのようにしてある特定の場合に競争のなかに現われて、自己の推進力を発揮するかを示して」(同)います。
 すなわち、資本の本質は剰余価値への「人狼的渇望」(『資本論』)にあります。いわゆる資本の利潤第一主義といわれるものです。資本家は一日の労働時間を延長させることによって、より多くの剰余価値を取得しようとします。これが絶対的剰余価値の生産といわれるものです。しかし労働者のたたかいによって標準労働日が法定されますと、労働日の延長には大きな制約が生まれます。そこで資本家たちは、この制限を打破するために、生産力を発展させることで剰余価値をふやそうとします。
 ある個別資本が、新しい機械を導入するなどして、他の個別資本よりも生産力を発展させるとします。その場合商品の一個あたりのコストは平均的な商品コストよりも安くなるにもかかわらず、それを市場価格で販売することによって、他の個別資本よりも多くの剰余価値(特別剰余価値)を手にすることができます。
 したがって「マルクスによれば、資本主義的生産の内在的諸法則は、諸資本の外的な運動においては競争の強制法則として現われ」(同)るのです。
 個々の資本は、特別剰余価値を手にするために生産力発展の競争を強制されることになり、その競争の強制法則によって労働者の生活手段の価値が全体として低下し、その結果労働力の価値が下がります。こうして労働力の価値が低下すると、同じ労働時間であっても一日の労働時間のうち、労働力の価値に相当する価値を生みだすのに必要な労働時間は短縮し、その分剰余価値を生みだす労働時間が増加し、搾取率は高まるのです。
 この労働力の価値の低下による剰余価値の生産を「相対的剰余価値の生産」といいます。こうして、資本は生産力の発展を競い合いながら、より多くの相対的剰余価値を生産していきます。このように、生産力の無制限な発展を競って追い求めるところに、資本主義的生産様式の独自性があるのです。
 また競争の強制法則は、信用制度を発展させ、信用利用などによる貨幣資本の節約となってあらわれます。産業資本家は、貨幣資本が手もとになくても銀行資本から貨幣を借りて設備投資をし、拡大再生産することができます。また産業資本家は商品を商人資本に買いとらせて回転を速め、土地所有者から土地を借りて貨幣を節約します。その代償として産業資本家は手にした剰余のうちから利子や商業利得、地代を支払うのです。したがって、デューリングの提起した問題は「剰余価値は、どのようにしてその下位形態である利潤、利子、商業利得、地代等々に転化するのか」(四〇一ページ)という問題への回答にもなるのです。

 

三、「デューリングの地代論」批判

絶対地代と差額地代

 最初にマルクスの地代論をみておくことにしましょう。マルクスが『資本論』で研究するのは、当時のイギリスで支配的だった資本主義的農業生産です。ここでは借地農業資本家が地主から農地を借り、賃労働者を雇って農業を営むという、近代的土地所有の形態が前提とされています。
 さて、農地にはその使用目的にてらし条件の良い土地、悪い土地とさまざまですが、どんなに条件の悪い土地でも地代がタダということはありません。こういう最劣等地の地代を「絶対地代」といい、これに対して、そのうえに上積みされる土地の条件に応じた地代を「差額地代」といいます。どちらの地代も農地の独占から生じるという共通点をもっています。
 絶対地代の源泉は農業部門で生み出される超過利潤です。産業資本相互の間では資本の移動は自由におこなわれることによって、どんな産業部門であっても平均的な利潤率が成立し、それによって社会的分業が成立することになります。つまり利潤率の高い部門には資本が流れ込み、低い利潤率の部門からは資本が引きあげられることをつうじて利潤率は平均化され、どの生産部門でも平均利潤が保障されることにより、社会的分業が成り立っているのです。
 しかし農業の場合は、資本の有機的構成(機械を必要とする割合)が他の産業に比べると低く、その分可変資本の割合が高いので、より高い超過利潤をあげることができます。しかし、土地の独占が障壁となって、他部門から資本が自由に流入しえないため、利潤率が平均化されずに超過利潤として農業部門に残ります。この超過利潤が絶対地代に転化するのです。
 これに対して、差額地代の源泉は、有利な農地で栽培された生産物の価格が最劣等地の生産物の価格を越える超過分であり、それが地代に転化するのです。自由競争のおこなわれる農業以外の産業部門では、生産物の市場価格は、生産価格の平均となりますが、農産物の場合は、最劣等地の、もっともコストの高い農地での生産価格が市場価格となるため、それを上回る優良地の生産価格と市場価格との差額が地代に転化するのです。

「デューリングの地代論」批判

 デューリングは、地代を「所有者が所有者として土地から引きだす所得」(四一七ページ)だと定義していますが、それは地代を「無造作に法学語に翻訳しているだけなので、そう聞いても、われわれは少しも利口にはならない」(同)のです。
 さすがにこれだけの説明ではまずいと思ったのか、例の「自然にたいする支配は、一般に人間にたいする支配をつうじてはじめて起こった」(三四〇ページ)との独断に立ち返り、「土地がなんらかの形態の隷属労働によって耕されると、すぐさま地主のためのある剰余が生まれるが、この剰余こそが地代」(四二一ページ)であると主張します。したがって、「地代と資本利得との区別は、前者が農業で得られ、後者が工業または商業で得られるということだけ」(同)ということになります。
 では、借地農業資本家の利得はどこから生まれるのかといえば、それは、「本来なら土地所有者のポケットに流れこむはずの『全賃料』から、その分だけ『けずりとられる』のだという」(四二〇ページ)のです。
 デューリングは、マルクスの労働価値説と剰余価値学説を剽窃しながらも、なんらその真髄をつかみとっていません。労働価値説と剰余価値学説にたつならば、地代も借地農業資本家のもとで働く労働者の労働にもとづく剰余価値の分配として説明するしかないのであり、なぜその剰余価値が、土地所有者に分配されることになるのかが説明されなければなりません。それは土地所有者が自ら農業資本家となる場合でも、農業資本家に借地する場合でも異なるものではありません。前者の場合には、「彼は地代のほかになお資本利得をポケットに取り込む」のに対し、後者の場合は、農業資本家が取得した剰余価値のなかから、資本利得を残して、一部が地代として土地所有者のポケットに取り込まれるという違いがあるにすぎません。
 したがって、借地農業資本家の場合、「農業の剰余生産物を借地農業者利潤と地代とに分ける考え方」(四二二ページ)は、「古典派経済学全体をつうじておこなわれている」(四二一~四二二ページ)「地代の純粋な、正確な把握」(同)であって、デューリングのように土地所有者が剰余価値をすべて取得し、その一部を農業資本家に「けずりとられる」と考える者は誰一人いないのです。
 マルクスは、『資本論』第三部の最後の方で、資本――利潤、土地――地代、労働――労賃という俗流経済学の「三位一体的定式」の批判を展開しています。この理論は資本、土地、労働というものを三つの異なる富の源泉としてとらえるものであって、労働による価値の生産こそ唯一の富の源泉であり、労働から生まれた剰余価値が利潤と地代とに分配されるとする科学的見解を否定すると同時に、資本、土地という物自体が富を生産するという物神崇拝の完成態であると批判しています。
 「この経済学的三位一体においては、資本主義的生産様式の神秘化が、社会的諸関係の物化が、素材的な生産諸関係とその歴史的・社会的規定性との直接的な癒着が完成されている」(『資本論』⑬一四五二ページ/八三八ページ)。
 物神崇拝の完成態であるデューリングの地代論は、こうして俗流経済学の領域にとどまっているのです。