『ものの見方・考え方』より
第二・三講 哲学とは何か
〈第二講〉
知の「生命の樹」
第一講では、何のために学ぶのか、について考えてきました。この講座は哲学講座ですので、続いて哲学とは何か、を検討してみることにしましょう。
ダーウィンの『種の起源の最後は、次の文章で結ばれています。』(岩波文庫)
「生命はそのあまたの力とともに、最初わずかのものあるいはただ一個のものに、吹きこまれたとするこの見かた、……かくも単純な発端からきわめて美しくきわめて驚嘆すべき無限の形態が生じ、いまも生じつつあるというこの見かたのなかには、壮大なものがある」。
地球上に、たった一種の生命が誕生してから四十億年、いまではそこから分岐した一千万種もの多種多様な生物が満ちあふれています。すべての生物は、一本「生命の樹を形づくっており、細胞」(生物界全体の系統樹)やDNAなど「生命の生化学的統一性の原理」によって貫かれています。生物間のDNAの配列の違いが、時間にほぼ比例して増加するという現象を利用して、現在では、ヒトが類人猿から分岐したのは、約七百万年前であったことが明らかとなり「生命の樹」の全貌が解明されるのも時間の問題となっています。
約七百万年の人類の歴史のなかでも、文字に残された歴史はたかだか数千年にすぎません。その文字に残された人類の「知」の歴史が、哲学の歴史となるのです。
哲学の誕生は紀元前五世紀、今から二千五百年前の古代ギリシアでした。当時のギリシアは奴隷制社会であり、奴隷によって労働から解放された都市国家の自由市民には、思索にふける自由な時間が保障され、そこから「知を愛する」哲学が誕生したのです。
アリストテレス(前三八四~三二二)の有名な「形而上学」は「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」というズシリと重い言葉から始まっています。
人類は、知ることを求めて、二千五百年に及ぶ哲学の歴史を歩み続けていくことになります。それは先人の哲学者の知見を、後発の哲学者が次々と否定していった歴史として積み重ねられています。
ということになると、哲学の歴史は「阿呆の画廊」(ヘーゲル)ということになるのでしょうか。そうであるとすれば、哲学の歴史を学ぶことは、誤謬の知見を学ぶ全く無用な、退屈な学問となってしまいます。
しかし、それは正しくありません。すべての哲学には、多かれ少なかれ真理の粒が含まれています。それが哲学の歴史をつうじて、次第により輝きをます、より大きな真理の粒となり、やがて真理の大樹へと発展していくのです。
「したがって哲学の歴史は、その本質的な内容からみれば、過ぎ去ったものをではなく、永遠で絶対に現存的なものを取扱うのであり、その成果は人間の精神が犯したさまざまの過ちの陳列場ではなく、神々の姿のまつられてあるパンテオンに比すべきものである。そしてこれらの神々の姿は、弁証法的発展をなして次々とあらわれる理念の諸段階である」( 『小論理学』八六節補遺二)。
ここに「弁証法」という言葉がでてきました。これからも度々登場してきますので、ここで一言だけ紹介しておきますと、もともとはギリシア語のディアレクティケー(対話)に由来しています。対話を考えてみますと、Aの言ったことをBが「いやそうではない、こうだ」と言い、さらにCが「いやそれもちがう」と言うように、対話による批判を積み重ねることによって、対象となったものの真の姿が明らかになっていきます。こういう「否定の否定」の積み重ねをつうじて真理を認識する方法が、弁証法とよばれているのです。
哲学の歴史も、同様な批判の積み重ねのなかで「理念」(とりあえず真理として理解しておいてください)が、その低い段階からより高い段階へと弁証法的に発展していく諸段階をなしているとみることができます。
生物の歴史が一本の「生命の樹」にたとえられ、そのすべてを貫くものがDNAであるとするならば、哲学の歴史は一本の「知の生命の樹」であり、そのすべてを貫くものが真理であるということができるのです。
ソクラテスの弁明
ギリシア哲学を代表する人物の一人がソクラテス(前四六九~三九九)です。
プラトン(前四二七~三四七)著「ソクラテスの弁明」「クリトン」は、岩波文庫におさめられています。
ソクラテスは、人間の魂についての探求を生涯の課題としていました。そのため仕事もせず広場をぶらついては、青年と対話をかわしていました。頼りない亭主として、妻クサンティッペからはクソミソに言われていたようです。
ソクラテスは「新奇な神々を創作して、古来の神々を礼拝せず、くだらない議論で青年を堕落させる者である」として告訴されます。それをめぐってのやりとりが、プラトンの先の著作になっているのです。
ソクラテスは弁明します。
「つまりわたしが、歩きまわって行なっていることはといえば、ただ次のことだけなのです。諸君のうちの若い人にも年寄りの人にも、誰にでも、たましいができるだけすぐれたよいものになるよう、ずいぶん気をつかわなければならないのであって、それよりも先に、もしくは同程度にでも、身体や金銭のことを気にしてはならないと説くわけなのです」(プラトン全集1、八四~八五ページ、岩波書店)。
ソクラテスは、自分のやったことといえば「たましいができるだけすぐれたよいものになるよう」にしただけ、つまり真理を探究しようとしただけだというのです。
しかし、もしそれを理由として殺されるのであれば、それは止むをえないことであり、自分は殺されても哲学することをやめないだろうと言い放ちます。
「さあ、アテナイ人諸君、……わたしを放免するにしても、またしないにしても、わたしは、たとえ何度殺されねばならないようなことになっても、これ以外のことはしないだろうということを、ご承知ねがいたいのです」(同八五ページ)。
結局、弁明は受けいれられず、ソクラテスは死刑の判決を受けます。友人のクリトンはお金を使ってでもソクラテスを救い出そうとして、獄中に訪ね、その話をもちかけますが、ソクラテスは不正をしてまで出獄したくないとして断固として拒否します。
その時の台詞が「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだというものでした」(同一三三ページ)。
「真理のために生命をささげる」
長めの引用になりましたのも、哲学とは何かを知るうえでの原点を理解していただきたかったからです。
ソクラテスは、真理のために、また「よく生きる」ために文字どおり生命をかけたのです。よく生きるために生命を奪われるというのは、一見すると矛盾するようにみえますが、真理を守るためには生命をも捧げることが「ただ生きるということではなくて、よく生きること」になるのです。
人類の真理を探究する歴史は、決して平坦な道のりではありませんでした。
ジョルダーノ・ブルーノ(一五四八~一六〇〇)は、中世の天動説および恒星天が宇宙の限界だとする閉じた宇宙論を否定し、異端審問所による長期の投獄、拷問にも屈せず、最後はローマの花の広場で生きながら火に焼かれました。
ジャン・ジャック・ルソー(一七一二~一七七八)は、当時のフランスにおける絶対君主制の暴政を徹底的に批判し、自由・平等の社会の建設を訴えて、激しい弾圧を受けました。ルソーの座右の銘は「真理のために生命をささげる」というものでした。
マルクス、エンゲルスによって創始された科学的社会主義の学説も、資本主義の歴史的制約性と社会主義・共産主義への移行の必然性を訴えた「危険思想」として、同様の運命を辿りました。
とくに日本においては、一八二五年普通選挙法と抱き合わせで制定された治安維持法によって、数十万人の人々が弾圧され、逮捕された翌日拷問により虐殺された『蟹工船』の小林多喜二をはじめ、岩田義道、野呂栄太郎、国領五一郎、市川正一など多数の共産党員がその生命を奪われました。
このような無数の生命を賭したたたかいをつうじて、真理は、真理としての輝きを増しつづけてきたのです。
真理は必ず勝利する
真理は、まず一人の認識から始まります。その真理が、ときの権力者、為政者によって都合の悪い内容を含んでいれば、その真理を否定しようとして激しい弾圧を受けることになります。
では、弾圧によって、真理を葬り去ることができるのかといえば、それは決してできないのです。なぜなら、人間は自由な意志をもつ存在であり、より自由になって、より人間らしく生きようとするところから、客観世界をより正確に脳のうちに反映し、必然的自由、概念的自由を獲得することに「快」を覚える存在だからです。
つまり人間は、真理を認識するに至ったとき、脳はそれを「快」として受けとめてそれを自己の情報処理機構のなかに取り込み、自己と一体化した確信にかえてしまうからです。脳は、直観的に真理かも知れないととらえたものを実践をつうじて検証していきます。この検証の結果が最初の直観と整合していると判断されると、それは真理への確信となり、その実践・検証の反覆により、真理への確信はゆらぎのないものとして自己と一体化することになります。
真理は、真理のもつ力によって、このような実践・検証にたえて確信となるため、いかなる弾圧にもたえることができるのです。
ガリレオ・ガリレイは、コペルニクスの地動説を是認したため宗教裁判にかけられ、地動説の放棄を命じられました。ガリレイは「それでも地球は動いている」と言って、真理のもつ力は誰にも否定できないことを示したのです。
このように、真理は最初は一人の認識から始まり、その一個人の確信から出発しながら、真理それ自身のもつ力によって、一人から少数へ、少数から多数へとその認識が広がり、やがて誰もが否定しえなくなって、歴史的、社会的に真理として定着することになっていくのです。
その過程を論理的に整理して表現すると「真理は必ず勝利する」ということになるのです。
私たちが、哲学をつうじて学びとるべきものは、人類の「知の生命の樹」として獲得された、真理の束にほかなりません。
〈第三講〉
誰でも哲学している
これまでの二講をつうじて「何だか哲学というのは難しそうだな」とか「面倒くさそうだな」と思われた方もおられるでしょう。
しかし、哲学するとは、みなさんが考えておられる以上に、身近な問題なのです。例えば、この講座は「中小業者のものの見方・考え方」と題されています。この表題を見て「何で中小業者のものの見方・考え方なのか」と疑問を感じた人は、すでに哲学を始めているのです。
というのも、この表題には「ものの見方・考え方は、人によって様々なのに、中小業者をひとまとめにして、その見方・考え方を問題にしうるのか」とか「人間一般のものの見方・考え方はあっても、中小業者に特有のものの見方・考え方が果たして存在するのか」とか「中小業者に特有のものの見方・考え方があるのなら、労働者や農・漁民に特有のものの見方・考え方もあるのか」とか「そんなに多様なものの見方・考え方があるのなら、それを議論すること自体あまり意味はないのではないか」などの様々な疑問が含まれているからです。
一見すると何でもないように見えることに対して疑問をもつところから、真理の探究は始まります。その疑問を持続させ、とことん追求することによって、不動の真理に到達することができるのです。
ですから、どんなことに対しても疑問をもったときから、誰でもすでに哲学を始めているということができるでしょう。もちろん、それはまだ哲学のほんの入り口にすぎませんが……。
この講座も、最終的には「なぜ中小業者のものの見方・考え方なのか」という質問にお答えするものにしていきたいものだと考えています。
ゼノンの逆説
哲学の歴史をひもといてみますと、よくそんなことを考えたなと驚かされると同時に、こうやって人類の認識は前進したのだなと感心させられることがしばしばあります。そうした経験を積み重ねることで哲学の面白さが実感できるようになってきます。
一つ例を紹介しておきましょう。紀元前五世紀の哲学者ゼノンの考えた「ゼノンの逆説」といわれる命題です。彼は、運動そのものを、次のような例をあげて否定しました。
A点からB点にまで移動することを考えてみましょう。AからBに行こうとすると、その中間点のCを通らなければなりません。Cまで到達すれば、次にCとBの中間点を通らなければならないことになります。このようなことを無限にくり返すことによって、Bに限りなく近づくことはできるけれども、けっしてBに到達することはできない、だから運動などというものはありえないのだ、というのです。
もちろん実際には運動は存在するわけで、AからBに移動することは可能です。ゼノンが提起した問題は、論理的に運動はありえないことを証明してみせたのだから、これが間違いだというのなら、論理的に反論してみろというものです。
みなさんも、どこが間違っているのか挑戦してみてください。なかなかの難問ですよ。この問題を解くには、弁証法が必要になってきます。ヘーゲルは「ゼノンの特性は弁証法にある。弁証法は、実にゼノンに始まる」といっています。
回答は、弁証法についてお話しするときのお楽しみ、ということにしておきましょう。
哲学的世界観
哲学は「ゼノンの逆説」にみられるような特殊な一分野の真理の探究から始まって、やがて世界全体をトータルに認識しようとする普遍的な真理の探究に向かうことになります。いわゆる世界観の探究です。
一口に世界全体といいますが、大きく分けると、人間(精神)と自然と社会の三つに分けることができるでしょう。さらに自然と社会とは物質世界として一括りにすることができますので、世界は、精神と物質の二大要素からなっているということができます。
この二大要素のうち、精神を根源的と考える立場を観念論、物質を根源的と考える立場を唯物論とよんでいます。自然科学の発展により、人間が存在する以前から地球や宇宙は存在していたことが明らかになり、次第に唯物論が支配的な世界観となってきました。
しかし唯物論の世界観に立った場合でも精神と物質との関係を別個独立のものと考えるのか、それとも両者を分離しえない一体のものと考えるのかによって、二元論と一元論に分かれます。それは言いかえると、人間がどのように生きるのかの問題と、自然や社会がどのようにあるのかの問題を、切りはなして考えるのかどうかの問題です。精神は、価値ある生き方とは何か、人間がどう生きるべきかという「価値「当為」(あるべきこと)」を問題とするのに対し、物質は、どのようにあるのかという「事実」「存在」を問題とします。そこから、二元論、一元論の問題は「事実と価値「存在と当為」の関係をどうとらえるのか、という問題として提起されてくるのです。
現代社会を圧倒的に支配しているのは、唯物論的な二元論です。というのも、二元論は、資本主義社会の直接の産物だからです。資本主義の本質は、利潤第一主義にあります。資本は儲けのためにひたすら生産力の発展を競い合い、それが自然科学の発展を促進します。
資本主義の発展は、拝金主義と物質万能主義を生みだし、人間がいかに生きるかの問題を物質世界から切りはなしてしまいます。しかもこの二元論は、事実と価値、存在と当為の問題を単に切りはなしてしまうだけにとどまらず、いかに生きるべきかを論じること自体を軽視ないし棚上げしてしまうのです。自然科学の発展のなかで、自然科学の「没価値性」が強調され、科学は、あくまで事実を問題にするのだから、そこに価値観を持ち込んではならないとされます。それは他方で人間の生き方にかかわる社会科学、とりわけ政治学、経済学の科学性に疑問を抱かせることにもなってきます。ましてや人間の生き方に直接かかわる価値、道徳、倫理の問題は、厳密な知識の対象にもなりえないという、価値・倫理の「非知識性」が主張され、これらの問題は、すべて「価値観の多様性」の名のもとに議論の対象外とされてしまうのです。
そこから科学や技術の発展が、価値・倫理と切りはなされて独走するところとなり、人類の破滅につながる核兵器、劣化ウラン弾の生産、地球環境の破壊などをもたらしています。こうした物質万能の唯物論的二元論の批判から生まれてくるのが、観念論的二元論です。すなわち、物質偏重の物質万能主義は人間を幸せにするものではないとしてこれを否定し、もっぱら物質世界から切りはなされた精神主義の高揚によるより善い生き方を唱える二元論です。いわばすべては心の持ち方だとする新興宗教によくみられる二元論です。
しかし、自然や社会がどうあるかの問題と、そのなかで私たち人間がどのように行動し生きるかの問題とは、本来一体として切りはなしえないはずです。そして、人間が人間らしくより善く生きることこそ世界の根本に位置づけられるべきものであり、生産力の発展や自然科学一般もそれに貢献しうるかぎりで必要なものとされているということができるでしょう。
第二講でお話ししたように、ソクラテスの哲学は「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」と、はじめから哲学を人間の生き方と結びつけていました。
このように、事実と価値、存在と当為を結びつけ、物質世界の発展と人間がより善く生きることとを結びつけて考える世界観が一元論的世界観といわれるものです。
一元論では、自然や社会が単にどうあるかを知ろうとするにとどまらず、人間がより善く生きるためにどうあるべきかという当為の立場に立ちます。これを解釈の立場から変革の立場への移行といいます。
一元論に立って、人間の生き方を正面からとらえ、変革の立場に立ったのがヘーゲルであり、科学的社会主義の学説もその立場を継承しているのです。マルクスは「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」といっており、この命題は、ロンドン郊外にあるマルクスの墓の墓碑銘となっています。
哲学は時代を思想のうちにとらえる
ヘーゲルの生きた時代は、フランス革命が全世界をゆるがした時代でした。フランス革命は、ルソーの唱えた自由の精神を求めてたたかわれ、結局それを実現しないまま絶対主義体制への復帰をめざすウィーン体制で決着をみたのでした。
この革命の全経過を隣国のプロイセンで見届けたヘーゲルは「哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」(『 法の哲学』一七一ページ)と述べています。
「時代を思想のうちにとらえる」とは何を意味しているのでしょうか。
それはけっして、第三者的立場、評論家の立場から時代をとらえるのではなくて、その時代の生み出した先進的思想を取り出し、その思想にもとづく社会の変革を意味していたのです。
『法の哲学』序文から私の大好きな文章を引用しておきます。
「熱きにもあらず、冷やかにもあらず、それゆえに吐き出されるようなしろものたる、真理にだんだん近づく哲学などでもっては理性は満足しない。他方また、この現世ではたしかに万事がひどいか、せいぜい中くらいの状態だということは認めるが、そこではどうせましなものは得られないものとし、それゆえただ現実との平和が保たれさえすればいいとするような、冷たい絶望でもっても理性は満足しない。認識が得させるものは、もっと熱い、現実との平和である」(同一七三~一七四ページ)。
哲学は、客観世界がどのようにあるかという真理を認識して、何だこの程度のものかといって唇をゆがめる「冷たい絶望」では満足しないのです。もっと「ましなもの」が得られるはずだという変革の立場に立って、「もっと熱い、現実との平和」を求めているのです。
ヘーゲルは、先の序文で、フランス革命の一段落した今こそ、時代の哲学が登場しなければならないとの意味を込めて「ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる」(同一七四ページ)と述べています。
ギリシア神話におけるミネルヴァとは知恵の女神であり、ふくろうは、その使いです。時代の精神をとらえる哲学は、時代が成熟した「たそがれ」において「はじめて飛びはじめる」のです。
二十一世紀は、全世界を資本主義が支配した時代から大きく様変わりし、資本主義の「たそがれ」の時代になろうとしています。
今こそ、新しい時代の精神を体現した哲学が飛び出していくときなのです。
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