『ものの見方・考え方』より
第一七講 現在日本の理念
理念は現実的である
第一六講で、理念とは、客観的事物の「真にあるべき姿」をとらえるものであって、空想とは全く異なるものであることを学びました。
しかし、理念と空想との違いはそれだけにとどまるものではありません。空想は現実となる必然性をもたないのに対し、理念は現実に転化する必然性をもっているのです。
なぜなら、理念は、第三段階の真理として当為(まさにかくあるべし)の真理、未来の真理をとらえているからです。真理は真理としての一つの力をもっています。人間は真理を一度とらえると、それから離れることはできません。真理のもつ力によって、それはその人の確信となり、その人の世界観を形成するものとして、その人の人格と一体化するからです。
それと同時に真理は伝播します。真理は人から人へと伝えられることによって、はじめは一人または少数の認識にとどまっていたところから、次第に人類の共通の認識にまで発展していくのです。
第一講で「真理は必ず勝利する」とお話ししました。その場合の真理は、必然的真理と概念的真理を意味しています。必然的真理としては、ガリレイの地動説や、ダーウィンの進化論のような自然科学上の発見をあげることができます。概念的真理としては、人間の生産力発展のための様々な発明・発見をあげることができます。
問題は、社会発展のための概念的真理ですが、原始状態をのぞいた人類史全体に通底するものとして、疎外された人間の本質を回復しようとする自由と民主主義をあげることができます。階級闘争の歴史は、まさに理念としての自由と民主主義を少しづつ拡大していく歴史でした。
奴隷制社会における奴隷の反乱は、奴隷をモノとしてではなく人間として認めろ、という人格的自由を求めるものでした。
近代民主主義革命といわれるアメリカの独立宣言やフランスの人権宣言をつうじて、国民主権原理、自由と民主主義はもはや単なる理念にとどまらず、基本的人権という権利として定式化されるにいたりました。
その後の階級闘争をつうじて近代民主主義は現代民主主義へと発展し、社会権、生存権の保障、紛争の平和的解決などの現代的自由と民主主義が誕生することになります。
憲法学者・宮沢俊義氏は「権利宣言は、何より歴史的所産であり、その内容も、したがって、歴史的にのみ、理解されなくてはならない。……それらは、一般に知られるように、何よりもまず従来行われた制限の否定である」(『人権宣言集』二八ページ、岩波文庫) といっています。
人類の歴史は、制限された自由と民主主義を階級闘争によって否定し、一歩ずつ拡大し、前進させて現在にいたる歴史です。
こうして、社会発展における概念的真理は、人間解放を求める人類史的たたかいをつうじて現実性に転化する必然性をもっていることを証明しているのです。
ヘーゲルは「理念や理想は幻想にすぎず、哲学とはそうした幻想の体系にすぎない」(『小論理学』六節) とか「理念や理想は現実性を手に入れるにはあまりに無力である」(同)とする見解を一蹴し、次のように述べています。
「哲学はただ理念をのみ取扱うものであるが、しかもこの理念は、単にゾレン(当為── 高村)にとどまって現実的ではないほど無力なものではない」(同)。
現代日本の二つの特徴
私たちは、現代日本の社会に生活する一人として、社会発展一般を問題とするのではなく、日本の社会発展という具体的な問題を考えていかなければなりません。そのためには、人間解放の課題としての自由と民主主義がどんな制限をもっているのかを具体的に検討し、その土台の上に立って、日本の社会変革の理念を検討しなければなりません。
第一三講で「現代日本はどんな社会か」を論じ、それが「新自由主義」型国家独占資本主義であることを学びました。
この「新自由主義」のもとでの搾取と収奪により、一億総下流化ともいうべき状況が生まれており、カネのない国民は医療難民、介護難民、ネットカフェ難民など、国家から切りすてられる棄民政策となっていることを学びました。いわば生存の自由という最低限の自由すら保障されない状況になっているのです。
他方で、日本の「戦後レジーム」は、日本がアメリカへの事実上の従属国になっていることも指摘しておきました。第一三講ではこの点について十分触れることができなかったので、ここで少し補充しておきましょう。
日本は、日米安保条約を軸にして、軍事、外交、政治、経済のすべての面でアメリカに従属し、日本の総理大臣は、就任すると国会で所信表明するよりも先にアメリカ大統領に会って、その指示を受けることを常態化しています。
日本の異常な対米従属を象徴的に示すのが、毎年秋にアメリカから届く「年次改革要望書」です。一九九三年、クリントン・宮沢首脳会談で、①日本の政治経済のあり方についてアメリカ政府が文書で注文をつける②それに沿って日本政府が検討し、実行に移す③その実行状況をアメリカ政府が総括し、アメリカ議会に報告することが合意され、それ以来ずっと要望書にもとづくアメリカの点検がおこなわれているのです。
「新自由主義」そのものもアメリカの押しつけによるものであり、大型店舗の自由化、金融、労働のビッグバンもまた同様です。
しかし特に問題なのは、アメリカの強い後押しによる憲法九条の改悪問題です。戦後一時期軍隊の存在しない国家だった日本が、アメリカの一言で再軍備し、アメリカの要請で軍事力を強化し、アメリカの「ショウ・ザ・フラッグ」で自衛隊を海外に派兵し「ブーツ・ザ・グラウンド」で重装備した自衛隊をイラクへ派遣しました。
しかし憲法上の制約があるため、イラクの自衛隊は、表向きは後方で給水するぐらいの仕事しかできませんでした。
アメリカからすれば、いったい何のために鉄砲を持っているのか、アメリカ兵の前面に出てたたかえ、と九条改悪をせまってきているのです。
もともと日米安保条約は、日本の独立をおかし、二〇世紀に実現された民族の自由という自由権をおかすものにほかなりません。いま私たちに必要なのは、九条という理念と、安保条約廃棄による民族の自由という理念なのです。
それはけっして実現困難な課題ではありません。安保条約第一〇条には、日本国がその廃棄通告を行えば、その後一年で終了することが明記されています。問題は安保条約の廃棄通告をするような政府が求められているだけなのです。
現代日本の理念
現代日本の理念も、当面の理念、中間的理念、最終段階の理念と三つの段階に分けることができます。社会発展にも様々の段階があり、その段階ごとに、特殊な理念から普遍的理念へ、普遍的理念からより抽象度の高い普遍へと発展し、社会変革はその理念にしたがって一歩ずつ前進していくことになります。
第一段階の当面の理念は、憲法改悪に反対して九条を守るというものです。
安倍内閣は、二〇〇七年の参議院選挙で歴代自民党内閣として初めて憲法改悪をその基本政策にかかげました。
ポツダム宣言を受諾して、平和で民主的な国家に生まれかわることを全世界に約束した戦後日本は、世界で最もすぐれた平和の理念を掲げた憲法をもつことになりました。
それは戦前の侵略戦争がアジアの二千万人、国内三百万人という国内外に大きな被害を与えたことの反省のうえに、国民主権原理を第一の理念にかかげ、主権者たる国民の自由と民主主義を現代的到達点において確認すると同時に、国民の基本的人権を擁護するためには、二度と戦争をしてはならないとの決意を込めて軍隊をもたないことを誓ったのです。カントは、平和とは「あらゆる敵意の終末」であるととらえましたが、それに学び「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(憲法前文)のです。
前文と九条に見られる平和原則は、平和をめぐる人類史的到達点にたった平和の理念を示すものであり、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言と並ぶ現代民主主義を代表する最高の理念です。
安倍内閣は選挙に惨敗し、九条改憲のもくろみは大きく後退します。二〇〇八年、名古屋高裁のイラク自衛隊派遣違憲判決はさらにこれに追い打ちをかけるものとなりました。しかし自民党は、今度は民主党も巻き込んで、超党派で改憲しようと新たな巻き返しを図ろうとしています。しかし、いまや全国で七千を超える「九条の会」が結成され、世論は改憲勢力を追い込むところまで成長してきました。
第二段階の理念は、現代日本を規定する二つの要因、アメリカへの従属と「新自由主義」型国家独占資本主義を否定し「真にあるべき日本」を展望する理念です。それは一つには日米安保条約を廃棄して、真の独立を勝ちとり、民族の自由を実現することであり、もう一つは日本独占資本の横暴をおさえて経済民主主義と生存の自由を確保することです。それはけっして独占資本の存在そのものを否定することではなくて、単価切り下げ強要による下請いじめや、大型店舗の無制限の進出、雇用と賃金の破壊などに対して、民主的な規制を加え「大企業栄えて民滅ぶ」状況から、国民のくらしを守ることに経済の軸足を移し、経済的な民主主義を実現することです。
しかし、この第二段階の理念が実現したとしても、資本主義的搾取と国家による収奪がなくなるわけではありません。
そこで第三段階の理念としての社会主義への移行が最終的理念となってあらわれるのです。
労働者をはじめとする被抑圧人民は、統一戦線に結集し、選挙で多数を獲得して政治権力を獲得します。これにより「国民が主人公」の政治の幕開けが始まります。
その政治権力を利用して生産手段を社会化し、搾取をなくします。それと同時に、生産・分配を社会的にコントロールし、儲けのための生産を、人民が必要とするものの生産と分配に切りかえます。
他方で、その政治権力を利用して、人民のくらしと生命、健康を守る国家機構や、国民の教育を受ける権利を保障する国家機構を充実させる反面「公的強力」である軍隊は解体し、警察も人民弾圧の警備・公安部門は廃止し、人民の生命・財産を守る部門のみとします。
以上は社会主義日本の基本理念となるものであり、それ以上の具体的な政策は、未来社会の主人公となった未来の日本人民が自らの手で決めていくことになるでしょう。
人間は、理念をもつことによって未来への希望とロマンをもち、生き甲斐をもった人生を送ることができるのです。
なぜなら、理念は概念的真理として、現実性に転化する必然性をもっているからです。
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