『ものの見方・考え方』より
あとがきにかえて
このたび高村さんから突然本書のあとがきを依頼され、正直戸惑いました。私が、二〇〇五年四月から広島県労働者学習協議会の高村通信講座である『資本論の弁証法、ヘーゲル『小論理学』『反デューリング論』、再度のヘーゲル『小論理学』を四年連続して受講していたこと、長崎商連・島原民商の事務局長であったことからのご指名だったのでしょう。講座を学ぶなかで科学的社会主義の学説に確信をもつことができましたし、自分を知るうえでも僭越でしたが挑戦してみようと思い、引き受けることにしました。
本書のもとになった『月刊民商』の哲学ゼミは、二〇〇七年一月から始まり、二〇〇八年の一二月という二年間に及ぶ長丁場の講座でした。広島県労学協の高村講座と時間的に重なるところがあり、通信受講生としても大いにありがたいものでした。また『月刊民商』二〇〇七年一二月号では「座談会」もおこなわれ、この講座に深みを与えたと思います。
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本書は、資本主義の限界論がマスコミでも公然と論じられ『蟹工船』がベストセラーになり、マルクスや、『資本論』も話題となる情勢にふさわしい時宜にかなった出版だと思います。私は民商事務局員として約二十年になりますが、この間の講演、学習の多くは、情勢論や運動論だったように思います。これに対し、本書のもとになった『月刊民商』の高村ゼミは「中小業者のものの見方・考え方」というタイトルにみられるように、哲学を基本にした講義でした。「価値観の相違」を口実に、国民が不安と苦しみのうちにばらばらにされている状況の中で、真に国民の幸福を追求するうえで最も求められている分野だと思いながら、毎回楽しみに読ませてもらいました。現実世界を弁証法的にとらえ、人間として理想社会を実現していくうえで、中小業者の存在意義とそのなかでの民商に求められている役割を哲学的に解説したものとして、意義深い講座だったと思います。
本書の特徴の一つは、唯物論と弁証法とを使って、人間がより人間らしく、より善く生きるにはどうすべきなのかという問題が、人間の自由の意識と共同社会性という人間の本質にさかのぼって探究されていることにあります。ギリシャ哲学に始まり、マルクスの『資本論、エンゲルスの『反デューリング論、レーニンの『哲学ノート』などの古典文献から縦横に引用されたうえに、高村さんの「人間論」「生き方論」が創造的に、また統体として展開されていたと思います。
もうひとつの特徴は、民商運動の哲学的解明がなされていることです。中小業者の目線に立ち「会員主人公」を貫くうえで、民商の会員と役員、事務局員との関係と役割が分かりやすく明らかにされ、組織者として「人を変える」作業とはなにかが、具体的な言葉で語られています。とりわけ、業者の意識を一国一城の主とし
ての自己責任論から政治責任論に転換させるところに民商の果たすべき役割があること、どうすれば「会議力」を発揮する「哲学的会議」になるのかの方法論、民商運動が「生きがい論」でも「価値論」でも最高の生き方であることなどの内容は、人間として誰もが納得がいくのではないかと思いました。本書は、これからの民商運動のバイブルにもなりうるものではないかと考えています。
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民商運動は、自分でゴールするマラソンではなく、バトンをつないでいく駅伝であることが強調され、だからこそ、ヘーゲルのいう「大人の立場」がもとめられていると語られています。本書を力に、運動が進まないときや、役員・会員と事務局員との相互理解に困難があるときでも、学習をつうじて社会変革は必然的であることを確信しつつ運動を進めていきたいと思います。
最後に「人間は学習することによって自由になり、学習することによってより人間らしくなっていくのです」(第一講)。皆さんも、時間をつくってでも広島県労学協の高村講座(通信講座もあります)を受けてみては いかがでしょうか。生きるうえで真の確信を与えてくれることこの上なしだと思います。
二〇〇八年 十二月 二〇日
編集委員会を代表して
塚 崎 信 隆
● 編集委員(アイウエオ順)
権藤郁男・佐田雅美・竹森鈴子・塚崎信隆・平野光子・平野百合子・山根岩男・吉崎明夫
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