『ヘーゲル「小論理学」を読む』(二版)より

 

 

第三講 「第二版への序文」
    「第三版への序文」

 

一、『エンチクロペディー』「第二版への序文」

第二版の改訂の意図

 「第一版への序文」でヘーゲルが弁証法によって、内容・形式ともに「哲学を革新しようとする」(二〇ページ)ものであることをみてきました。
 第一版から十年を経過した一八二七年五月「第二版への序文」が書かれています。この間プロイセン国家はウィーン体制のもとで反動化が進み、シュタイン=ハルデンベルクの改革時代に活躍した自由主義者はいずれも追放、迫害、冷遇されます。第二版では「かなりの部分が改訂され」(二四ページ)、注解も増やされました。
 大幅改訂の理由について、表向きヘーゲルはより分かりやすくするためであると述べていますが、実際の理由は、革命の哲学を一層慎重に覆い隠すためではなかったかと思われます。というのも「第二版への序文」では「ヘーゲルの挨拶」にみられたような熱い息吹はすっかり姿を消してしまい、また一八二一年には国家・社会の真にあるべき姿を意欲的に論じた晩年の主著『法の哲学』を著しているにもかかわらず、それについては一言も触れていないのも不思議というほかはありません。「第一版への序文」では、まだ「政治の領域における……新しい時代の血気」(二二ページ)を論じていますが、今回の序文では「政治」の"せ"の字も登場せず、もっぱら哲学と宗教との関係を論じるにとどまっています。こうした真意を読みとられないようにする工夫は、それだけ「第二版への序文」とヘーゲル哲学全体を難解なものにしてしまいました。
 当時の検閲状況を物語るものとして、ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』(第二版)を紹介しておきましょう。この著作はドイツ哲学の本質が革命性にあること、それがドイツの政治革命を準備するものであることを指摘した革命の書です。ハイネは一八三四年の同書第一版について、「政治的に危険なところは一さい念入りにけずり」(前掲書一二ページ)とられ、「著者の意向そのものも時にはさっぱり分らなくなっていた」(同)と語っています。
 同様の検閲の厳しさは第二版(一八二七)、第三版(一八三〇)を著したヘーゲルにも襲いかかっていたとみるべきでしょう。こうした条件下での改定によりヘーゲルの真意は分かりにくくなったものの、反面ではその分だけ弁証法の記述は増え、哲学的内容は深くなってきています。
 それはともかく、ヘーゲルのいう第一版改訂の意図をみていきましょう。
 ヘーゲルはまず形式の面からいうと「叙述の固苦しい点を和らげかつ減らすとともに、一般にわかりやすいような註釈を増」(二四ページ)やしたが、「萌芽からの発展」という弁証法的発展の形式にはこだわったために、「材料を外面的に並べる」(同)のではなく、「事柄の本性上必然的に、論理的連関」(同)を根本にしたと述べています。
 次に内容面からすると、「現代行われているようなさまざまな知的活動」(同) ── 哲学のみならず諸科学、宗教、芸術などの知的活動も含め ── に対して、ヘーゲルがどう考えているのかという「対外的態度を明かに」(同)するという観点からの改訂です。それを一言でいうと哲学を革新する弁証法とは何かを明らかにすることにあります。
 ヘーゲル哲学とは、形而上学に対する弁証法であり、悟性に対する理性ということができます。
 人間の認識能力を問題にするとき、感性、悟性、理性の三つに区別されることがあります。感性とは感覚的能力です。これに対して悟性、理性はより高度の知的能力であり、哲学者によりさまざまな意味で用いられています。ヘーゲルは悟性を事物の固定性を一面的にとらえる知的能力、理性を悟性の一面性を否定して事物を全面的に統体としてとらえる無制約の知的能力として理解し、そのうえで悟性を形而上学に、理性を弁証法に結びつけています。ヘーゲルは悟性から理性へと前進する弁証法こそ、真理認識の方法であると考えたのです。
 第一講で、弁証法の基本構造は三分法(肯定 ── 否定 ── 肯定と否定の統一。即自 ── 対自 ── 即かつ対自)にあることを学びました。
 ヘーゲルは「論理学のより立入った概念」(二四〇ページ)について次のように述べています。
 「論理的なものは形式上三つの側面を持っている。 (イ) 抽象的側面あるいは悟性的側面、 (ロ) 弁証法的側面あるいは否定的理性の側面、 (ハ) 思弁的側面あるいは肯定的理性の側面がそれである」(同)。
 論理学=弁証法とは、肯定的な「悟性的側面」、それを否定した「否定的理性の側面」、肯定と否定の統一としての(あるいは否定の否定としての)「肯定的理性の側面」をその基本構造としているのです。

対立物の統一による「真理の学的認識」

 ヘーゲルは、哲学のめざすものは「真理の学的認識」(二五ページ)であり、「この一すじの道のみが関心事であり価値あるものである」(同)と述べています。
 ではどうやって真理を認識するのかといえば、弁証法という思惟方法によってであり、「方法のみが思想を制御し、真理へ導き、真理のうちに保ちうることを見出す」(同)のです。
 ヘーゲルは、かつて哲学は自然科学、社会科学などの諸科学や宗教とも「安らかに調和して」(同)いたが、近ごろでは対立関係となっているという事実を指摘しています。
 しかし「哲学が聰明な経験的認識や法の合理的な現実や純朴な宗教および信仰心やと対立しているように考えるのは、誤った先入見の一つ」(二六ページ)にすぎないのであって、哲学は本来「それらから学び、それらによって自己を力づける」(同)ものなのです。
 諸科学や宗教も、哲学と同様に真理を認識しようとします。しかし諸科学や宗教は、「広い学問的教養を持った悟性」(同)であり、悟性的に真理をとらえようとします。
 この悟性の立場は、「有限なカテゴリーをもってしては真理に到達できない」(同)との正しい結論に立ちながらも、カントのように「客観的な認識が不可能である」(同)と考えたり、ヤコービの直接知のように「感情や主観的な意見によって口をきいたり判断をくだしたり」(同)して、そこから理性的真理へ前進しようとしないのです。
 それだけではなく、彼らは逆に悟性的真理の一面性を克服し、弁証法によって理性的真理をとらえようとするヘーゲル哲学を批判し、排除しようとします。
 すなわち彼らは弁証法的論理学とは、例えば善と悪、主観と客観、有限なものと無限なものという対立を否定して、すべてを同一とみなす「同一性の体系、同一性の哲学」(二九ページ)だと決めつけています。
 「しかし、具体的な精神的統一は内的に無規定なものではなく、それ自身区別を内に含んでいる」(二九~三〇ページ)統一なのであって、「あらゆるものが一つ」(二九ページ)とするものではありません。対立物の統一とは、対立という区別を内に含む統一であり、その統一において、「対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する」(二五二ページ)のです。
 実際には、区別を含まない同一も、同一を含まない区別も存在しないのに、同一は同一、区別は区別という「無法な両断」(二九ページ)を行うのが「悟性」であり、それを否定するのが「理性」であり、弁証法なのです。

「同一性の哲学」への批判

 ヘーゲル哲学を「同一性の哲学」として批判する人々は、ヘーゲル哲学の先駆者ともいうべきスピノザについて、「スピノザの哲学のうちには本来善悪の差別がない」(三一ページ)との批判を加えています。
 スピノザは、実体 ── 属性 ── 様態というカテゴリーを使って、世界の統一性を説明しようとしました。すなわち神(自然)を唯一実体と考え、拡がり(物質)と思考(精神)を神(自然)の二属性と考えました。「人間および一般に有限なもの」(同)、つまり客観的事物は「様態」(同)とよばれ、様態は属性のあらわれであり、したがって間接的に神が原因とされます。様態である人間は実体である神(自然)の必然性によって規定されているので、意志の自由は認められず、自由とは神(自然)の必然的関係の認識のもとに行動することにあるとされました。
 それまで、人間の意志は自由かそれとも神(自然)によって規定される必然かの論争がありました。スピノザは、この自由と必然の対立を統一してとらえようとすることにより、ヘーゲルの自由論に大きな影響を与えました。ところが悟性的思惟しか知らない人々は、スピノザは意志の自由を否定するものだと一面的にとらえ、自由と必然について「無法な両断」を行って、スピノザは自由な意志を否定するから善悪も区別できず「善悪の差別を単なる仮象にしてしまう」(三〇ページ)と批判したのです。
 これに対するヘーゲルの批判は二つあります。一つは、スピノザは神と人間とを区別し、神は「善そのもの」(三一ページ)だが、神から区別された人間のうちには「本質的に善悪の区別」(同)も存在するとして区別を認めているというものです。もう一つは、スピノザは必然を前提とした自由の見地から、「悪や、感情や……人間の自由」(三二ページ)を論じているのであって、決して自由を否定しているものではないということです。スピノザがこれらについて「述べている部分をよく読んでからでなければ、この体系の道徳的帰結について語る資格はない」(三二ページ)とヘーゲルは批判しています。

トルックの「自由と必然の統一」批判

 続いてヘーゲルは、トルックの「自由と必然の統一」を「深い感受性を持った」(同)ものとして一定評価しながらも、「統一」の理解に問題があるとして、これを批判しています。
 トルックは人間の意志にかんしては、「次の二つしかありえない」(三三ページ)として、まず一つに、決定論(必然論)をあげています。これは、神のみが「一つの根本原因」(同)であって、私の「自由な行為とかいうものは迷妄にすぎない」(同)のであるから、「人間の道徳的基準もまた決して絶対に真実ではなく」(同)、したがって「善と悪とは等しい」(同)とする考えです。
 もう一つは自由論であり、人間の意志は絶対に自由なものであるとして、「個人の絶対的独立」(同)を認める考えです。
 このように必然と自由との対立を指摘したうえで、トルックは、この対立は「あらゆる二者択一的な対立が滲透しあっている無差別の根本存在によって否定」(三四ページ)されるとして、この対立の止揚を主張しました。
 ヘーゲルは、トルックが自由と必然とを対立物の統一としてとらえようとしたこと自体は評価しながらも、「無差別の根本存在」とは結局は神のことにすぎないから、トルックの止揚は「全く同じ一面的なもの(神 ── 高村)のうちでの一面的なものの否定」(同)であって、結局は神のもとに独立した個人を吸収してしまう一面性にすぎないと批判したのです。
 「思うに、悟性の一面性に深くとらわれて、個人の存在と自由とを単なる迷妄とするような根本原因(神=自然のこと ── 高村)と、個人の絶対的独立との二者択一しか知らず、……二つの一面性のいずれも正しくないのだということは考えてもみないような人は、どんなに深い感情を持っているにせよ、哲学については何も言わない方がいいのである」(三三ページ)。
 ヘーゲルは、さらにトルックが「悟性神学とは全く別な側」(三四ページ)、つまり弁証法的神学に近づいてはいるが、まだ叡智ではないと批判しています。叡智の根本思想は(Versöhnung)にあり、贖罪は自然状態(肯定) ── 原罪(否定) ── 贖罪(否定の否定)という「思弁的理念と同一」(同)の思想を表現しています。しかしトルックは、贖罪の意義をこのような弁証法の見地からとらえきれず、「罪の自然的な罰」(四一ページ)ととらえるにとどまっていたのです。テキストでは Versöhnung を「宥和」と訳していますが、これでは意味が伝わらないので、「贖罪」と訳しておきたいと思います。

トルックの三位一体説批判

 ヘーゲルは、第二講でもみたように「三位一体説」(四〇ページ)をキリスト教の「最も聖なる教義」(同)であり、「信仰箇条として信仰そのものの主要内容」(同)となるものと理解しています。
 キリスト教はユダヤ教を土台に発展したものです。ユダヤ教では、唯一絶対で万物の創造主である神ヤハウェ(エホバ)と人間との契約を、予言者モーゼがイスラエル諸部族に説いたとされるもの(モーゼの十戒)を教義の中心にしています。イスラエル人(ユダヤ人)は、紀元前十一世紀に奴隷制統一国家を誕生させます。しかしやがてローマによって完全に征服され、亡国の民となったユダヤ人は終末思想と救世主(メシア)の登場による神の国の実現を予言することになります。以上が旧約聖書の内容です。
 こうした状況のなかで、紀元後一世紀にユダヤ民族のなかでも最も抑圧され差別されていた人々の指導者としてイエス・キリストが登場します。キリストは自らを「神の子」であり、ヤハウェの予言したメシアであると唱え、ローマ帝政下の支配階級を攻撃し、メシア運動を広げていきます。この反ローマ的運動をおそれ、ローマ=ユダヤの支配層は、キリストを十字架刑に処し、武力によってキリストの運動を鎮圧します。キリストは三日後に復活して聖霊になったとされています。このキリストの生涯と運動とを、その弟子たちが語り伝えたものが新約聖書です。
 ユダヤ教はキリストがメシアであることを認めず、いまだメシアは出現していないと主張して新約聖書を認めないのに対し、キリスト教は旧約・新約聖書の両方が一体として教義をなすものだと考えています。
 したがってキリスト教では、神である父なるヤハウェ、神の子キリスト、キリストの復活による聖霊の「三位一体説」が「最も聖なる教義」となっているのです。
 ヘーゲルは、この三位一体説こそ、弁証法の根本原理である肯定 ── 否定 ── 肯定と否定の統一(または否定の否定)という真理を示したものと理解しています。肯定としての天なる神、否定としての地なる「神の子」キリスト、肯定と否定の統一としてのキリストの復活と天なる聖霊への回帰としてとらえられるからです。「神はこのイエスを甦へらせ給へり、……イエスは神の右に挙げられ、約束の聖霊を父より受け」(使徒行伝二・三二~三三)たのです。
 ところがトルックは、三位一体説を「決して、信仰を基礎づけうる土台ではない」(四〇ページ)としてその意義を正当に評価せず、「キリストが復活して父なる神の右に高められることにも、聖霊の降臨にも言及」(四一ページ)していません。これは事実上三位一体説を認めないに等しいものだとヘーゲルは批判しているのです。

哲学と宗教

 ヘーゲルは、宗教と哲学との関係一般を次のように述べています。
 「宗教は、すべての人が、すなわちあらゆる程度の教養の人が真理を意識しうるような、意識の仕方であるが、真理の学的認識は真理を意識する特殊な仕方」(三七ページ)だというのです。「あらゆる程度の教養の人が真理を意識しうるような、意識の仕方」とは、悟性的に真理を認識しようとする仕方です。他方「真理の学的認識」とは、真理の哲学的認識の意味であり、それは弁証法という「特殊な仕方」を必要とするのです。
 第二講で、宗教は真理認識の表象の形式であるのに対し、哲学は表象を思想にまで高めた思想の形式であることを学びました。したがって「哲学は宗教を自分のうちに含んでいる」(三八ページ)のです。
 つまり、宗教の信仰箇条は「客観的真理」(三九ページ)を信仰においてとらえようとするものですが、それは「有限は無限とはちがう」(同)とか、哲学は多神論か汎神論のいずれかでなければならないというような、「一面的な悟性」(同)の制約をもっています。
 これに対し、哲学は弁証法の形式によって「精神のうちに脈打つ理念(対立物の統一 ── 高村)の生命」(三七ページ)をとらえます。したがって哲学は「深い思弁的な精神をもってそれらの内容に明確な学問的栄誉を与える」(四三~四四ページ)のです。
 「ドイツの哲学者」(四四ページ)ヤコブ・ベーメ(一五七五~一六二四)は、この三位一体説の哲学的意義を読み解き、「理性の最高の諸問題を考察」(同)したのでした。
 ベーメのように哲学は、宗教のなかの「真理の諸形態」(四七ページ)のなかに、「理念を発見し、哲学的真理」(同)を見いだすのです。

現代哲学の課題

 現代哲学の役割は、諸科学や宗教のなかに含まれる悟性的真理の萌芽をとり出し、より発展した明確な理性的真理に発展させることにあります。
 「現代の哲学にふさわしい唯一の事柄は、かつては秘儀として啓示されていたもの、そしてその啓示の混濁したものは勿論、その比較的澄明なものさえ形式的な思想にとってはあくまで秘密であったものが、思惟そのものにたいして啓示されるということである」(四八ページ)。
 ヘーゲルは、グノーシス派にかんし、「真理の諸形態を十分に、否あり余るほど持っている」(四七ページ)といっています。例えば彼らは、神を始元 ── 啓示 ── 霊の浄化による始元への還帰という思弁的構造でとらえました。このなかから対立物の統一という弁証法の根本原理を思惟によって取り出すのが哲学の課題となっているのですが、グノーシス派は「これらの諸形態のうちに理念」(同)を発見することができなかったのです。
 哲学が諸科学や宗教の歴史から学ぶべきものがあるとするならば、それ以上に哲学の歴史から学ぶべきものが多いのは当然のことです。
 「例えばプラトンが、そしてはるかに深い形でアリストテレスが与えているような理念の形態は、以上述べたようなものとは比較にならないほど想い起す価値を持っている」(四九ページ)。
 ヘーゲル哲学にとって「理念」(イデア)というカテゴリーは、「概念」と並んで、最も重要なカテゴリーの一つです。この理念はプラトンのイデア論に由来しつつ、アリストテレスの「エネルゲイアとしてのイデア」として発展し、ヘーゲルに受けつがれています。追々にお話ししていくことになりますが、ヘーゲルが自分の哲学を「絶対的イデアリスムス」(一七九ページ)、絶対的理念論と呼んでいるところにも、「理念」の重要さが示されています。

 

二、『エンチクロペディー』「第三版への序文」

ヘーゲル哲学批判への批判

 第三版への序文は、一八三〇年九月に書かれています。ヘーゲルは、翌一八三一年に死亡していますので、死の直前まで『エンチクロペディー』の改訂に努めていたことが分かります。
 第三版も第二版と同様の政治状況のもとで著されているため、第二版と同様革命の哲学というヘーゲル哲学の本質は押し隠されたものとなっています。この第三版が現在私たちの学んでいる『小論理学』のテキストなのです。
 冒頭にヘーゲルは、『エンチクロペディー』が「多年考えぬかれ、研究対象および学問的要求にたいする最も真面目な態度をもって仕上げられた著作」(五〇ページ)であると、その自信のほどを語っています。
 第二版以来ヘーゲル哲学への批判が「沢山あらわれ」(同)たようですが、その大部分が「悪意と無知」(五一ページ)にもとづくものであり、批判する資格すらないものだと一蹴しています。
 その理由がなかなか面白い。哲学以外の諸学問は、ある与えられた前提をもっていますから、「それらについて口をさしはさむためには、少しでもそれらにかんする知識を持つことが必要であることを人々も感じて」(同)います。しかし哲学の場合は、何らの前提をももたず、もっぱら思考の産物としての思惟形式を問題としているために、「何も知らない連中が図々しく哲学に、否、かれらが勝手に哲学と思いこんでいるでたらめの空想に反対する」(同)ところとなり、その結果「全く不確かと空虚のなかを、したがって無意味のなかをうろつきまわ」(同)ることになってしまっているというものです。
 こうした「悪意と無知とからなる」(同)哲学批判の例として、当時の宗教論争と哲学との関係を論じています。

宗教論争と哲学

 まずヘーゲルは、当時「神や神的な事物や理性にかんするより真面目な研究」(同)が開始されたかのような宗教論争がおこなわれたが、「そのような希望は空しいものであった」(同)と結論づけています。
 なぜならこの宗教論争は、「信心を自惚れて攻撃する方の側」(同)と「自由な理性を自惚れる攻撃される方の側」(同)に分かれて行われましたが、どちらの側も「そうした問題を論じるためには、哲学の地盤に足をふみ入れねばならないということにはまるで気がつかなかったから」(同)です。
 「信心を自惚れて攻撃する方の側」の代表として、『神曲』を書いたダンテ(一二六五~一三二一)があげられています。『神曲』は、地獄篇、煉獄篇、天国篇の計百歌からなる壮大な詩作品であり、ダンテがベアトリーチェに導かれて一週間でこの三つの国を旅するという構成になっています。『資本論』「序言(初版への)」の有名な「なんじの道を進め、そして人々をして語るにまかせよ!」との文は、煉獄篇第五歌のなかの歌が言いかえられたものです。天国への鍵は聖ピエトロ(ペテロ)が預かっていたとされており、ダンテは天国にまで旅するところから、「ダンテはその神曲の霊感によって敢えてペテロの鍵をつかさどり」(五二ページ)とされているのです。
 ダンテは、神曲のなかの至るところで聖書の言葉を引用してその博識ぶりを示し、また、自己の信仰心にもとづいて同時代の法王七人のうち、五人までを聖職売買などにより地獄へ堕ちたか、そのうち堕ちるかのいずれかだとし、「世界の審判者としてふるまい」(同)ました。
 ヘーゲルは、それを「許すべからざる僭越」(同)だと批判しています。というのもダンテのような「博識はまだ学問ではない」(五三ページ)し、「信仰そのものはまだ真理そのものではない」(五三~五四ページ)からです。
 必要なのは、「信仰の土台をなしている教義を(哲学的に ── 高村)発展させ完成する」(五三ページ)ことによって真理に到達することであるにもかかわらず、彼は信仰を確信するにとどまっているのです。
 ヨハネ福音書(七・三八)でキリストは、「われを信ずる者は、その腹より活ける水、川となりて流れ出ずべし」(五三ページ)と言ったとされていますが、洗礼者ヨハネは「活ける水」とは「彼を信ずる者の受けんとするをさして言い給いしなり」(五四ページ)と理解しました。
 ヘーゲルは「御霊」、つまり神の霊を「真理そのもの」(同)としてとらえ、キリストを信ずる者は、「活ける水」である「真理」に到達しなければならないことをヨハネは示したものと解釈し、これが教義の哲学的発展であることを示したのです。
 これに対し、「自由な理性を自惚れる」側というのは、「啓蒙神学」(五五ページ)を意味しています。フランスの啓蒙思想は、宗教の批判から始まりました。彼らは、宗教をもって専制君主が民衆を支配するための道具だとして批判し、教義に反する異端や異教への迫害(例えばジョルダーノ・ブルーノ)は許されず信仰の自由が保障されなければならないと主張し、理性に矛盾する教義は迷信にすぎないとして理性宗教を唱えました。ヘーゲルは、そのこと自体は肯定しながらも、啓蒙神学が宗教のもつ積極的な内容を哲学的に解明しようとしないで、もっぱら思想・良心の自由を主張するのみの「消極的な形式主義」(同)にとどまっていることを批判しています。彼らは「真実で自由な良心というものがどんな理性的な諸規定や法則を含んでいるか、自由な信仰と思惟がどんな内容を持ちかつ教えるか」(同)という教義の真理に迫ることを全くさけて通っているのです。
 結局啓蒙神学の立場も、「『活ける水』を持たぬ合理主義的悟性」(五六ページ)にとどまっています。
 こうしてみてくると、一見宗教論争は、キリスト教の「真面目な研究」(五一ページ)であるかのようにみえても、どちらも、「活ける水」を求めようとしない点において「どちらが優っているとも言えないのであって、こうした両者が論争したところで、そこには両者を接触させ、共通の地盤を持たせ、研究からさらに認識と真理へ到達する可能性を与えうる材料は全くない」(五五ページ)のです。
 宗教論争の当事者の双方が哲学的真理の探究に無関心だったということは、宗教は「哲学なしにでも満足できる」(五六ページ)ものとなるにとどまらず、かえって「哲学はこの新しく作り出された偏狭な満足を妨げるものとさえ考えられ」(同)ることにされてしまいました。

「認識は最善のもの」

 ヘーゲルは、このような宗教の哲学への無関心あるいは排除は、むしろ哲学にとって喜ぶべきことであるといっています。
 というのも、「宗教的権威をも含めた、いかなる権威にも促されず」(五七ページ)、むしろ「哲学の研究はそれだけ一層自由に事柄そのものおよび真理にたいする関心の上に立」(同)つことができるからです。
 続いてアリストテレスの「認識が至福のものであり、善のうちでも最善のものである」(同)との含蓄ある言葉を紹介していますが、これはヘーゲルの実感でもあったのでしょう。
 ここにいう「認識」とは、「真理の認識」を指しており、「善」とは「人間の真にあるべき姿」を意味しています。
 ヘーゲル哲学はその難解さからとかく敬遠されがちです。しかしヘーゲルは、「哲学こそ真理を研究するもの」(二七ページ)として自己の哲学体系を確立していったのであり、彼の生涯にわたる哲学研究の旅は「至福のもの」であり、さぞかし最も人間らしい生き方として自己肯定感、満足感に満ちたものだったことでしょう。私たちがヘーゲルを学ぶ旅も、茨に満ちた長い苦難の道のりのようにみえるかもしれませんが、ヘーゲルの味わった「至福のもの」「最善のもの」を私たちが追体験する道のりであることを信じて歩いていきたいものです。
 「この喜びにあずかっている者は、自分がそこで持っているもの、すなわち自己の精神的本性の要求の満足を知っているのであって、あえてそれを他の人々に要求せずにいられるし、他の人々が何を求め、それにたいしてどんな満足を見出そうとかまわないでいることができる」(五七ページ)。
 真理の認識が至福のものであることを知った喜びにあずかっている者は、他の人々が何と言おうと満足感にひたることができます。しかし私たちは、ヘーゲル哲学を学ぶことは「至福のもの」「最善のもの」であることを知っているからこそ、「あえてそれを他の人々に要求」し、こうして県労学協の哲学講座として共に学習しているのです。
 革命の哲学を掲げるヘーゲルが、なぜ真理を学ぶ喜びを知ることを「他の人々に要求」しようとしなかったのか疑問に思われるところです。しかしこの箇所はヘーゲルの真意を覚られないためにひとり静かに哲学に沈潜しているように装ったものと理解すれば納得がいきます。私たちはヘーゲルの真意を汲みとり、ヘーゲル哲学の革命性をあえて他の人々に訴え、広めていく学習運動をもっともっと発展させていかなければなりません。「真理は必ず勝利する」のです。
 「その研究が深く根本的であるほど、それは自己を友として孤独であり、外に向っては言葉少いものである。皮相軽薄な人間は早急に仕上げて何にでもすぐに口をさしはさむが、真面目な人間は、ながい困難な研究によってのみ展開されうる大きな内容のためには、静かな研究を続けながらながい間そのうちへ沈潜するのである」(同)。 
 哲学について「静かな研究を続けながらながい間そのうちへ沈潜する」ことは大切です。「継続は力なり」という言葉は、哲学の研究にこそふさわしいものです。「自己を友」とするとは、真理を探究するうえで、自分自身が自分への最大の批判者にならなければならないとの趣旨でしょう。しかし「その研究が深く根本的」になるためには、「自己を友」とするのみならず、学習における友を友とし、学習の成果を外に向かって発し、討論をつうじてお互いの認識を発展させていかなければなりません。
 真理探究の道のりは、けっして孤独な道のりではなく、みんなで手をつなぎながら歩む歴史の大道です。そういう心構えで、この四十回という長い講座も、ともに手を携えながら最後まで歩みきっていきたいものです。