2008年10月1日 講義

 

 

第6講 予備概念 ①
    論理学とは何か

 

1.予備概念の主題と構成

● 全体として、哲学をいかに革新しようとするのか、ヘーゲル哲学とは何か
 を論じている

● 予備概念は大きく3つに区分される


① 論理学とは何か(19~25節)

● 論理学の課題は真理の認識にある

● 弁証法は真理認識の方法

● 真理とは主観と客観の一致(概念と事実との一致を含む)


② 「客観にたいする思想の態度」(26~78節)

●「客観的思想」とは、思惟のうちにとらえられた「事物そのもの」(主観と
 客観の一致)

●「客観にたいする思想の態度」とは、思惟が事物そのもを認識しうるかに関
 する態度

● 古い形而上学、経験論、カント哲学、直接知とその批判


③ 「論理学のより立ち入った概念と区分」(79~83節)

● 弁証法はなぜ真理認識の方法たりうるのかを論じ、弁証法の基本構造を解明

 

2.論理学とは何か

19節 ── 論理学は純粋な理念にかんする学

● 論理学は純粋な理念にかんする学

 ・理念とは主観と客観の統一としての絶対的真理

 ・論理学の定義は「全体の概観から導き出された定義」(95ページ)

● 論理学は「思惟の諸規定と諸法則の学」(同)

 ・論理学は「思惟の諸規定」であるカテゴリーを対立物の統一という弁証法
  の「諸法則」においてとらえる
 ・「思惟の諸規定と諸法則」の「発展する全体」として理念が明らかにされ
  る

● 論理学は「純粋な抽象物を取扱う」(同)

 ・「純粋な思想のうちで動く力と熟練とを要する」(96ページ)

 ・「最もやさしい」と同時に「最もむつかしい」学問

 ・最もやさしい、よく識られたカテゴリーを弁証法的に考察するところにむ
  つかしさがある

● 論理学の効用

 ・それを研究する人の「思惟の訓練」(同)の程度により効用は異なる

 ・論理学は「最も自由で最も自立的」(同)だから、思惟の訓練さえあれば
  「最も有益なもの」(同)


19節補遺1 ── 論理学の対象は真理

● 論理学の対象は真理

● 真理を認識しえないとする「卑下はくだらぬもの」(97ページ)

● 学習、研究することなく真理を所有しているというのは「自惚と妄想」(
 同)にすぎない

 ・青年は真理を所有し、古い世代は「虚偽のうちに硬化している」として、
  青老の対立を主張する誤り

● 青年に希望がかけられるのは、「精神の労苦を引受けるかぎりにおいて」
 (98ページ)のみ

● 真理への「上品な無関心」

 ・ピラトはキリストに対して「真理とは何か」(17ページ)

 ・すべては空しいとする「主観的自惚」

● 真理の認識を妨げているのは「怠惰な精神」(98ページ)

 ・真理は勤勉な精神にのみ宿る

 ・自己の怠惰を肯定する「無駄骨折」(同)の言い逃れ

 ・「さまざまの技能や知識を身につけ」(同)ることと、哲学を学び、真理
  を認識することは別問題


19節補遺2 ── 弁証法的論理学は絶対的真理をとらえる
         唯一の形式

● 思惟の評価のちがいは、思惟をどうとらえるのかのちがい

 ・思惟を「単に主観的なもの、恣意的なもの、偶然的なもの」(99ページ)
  ととらえれば、低い評価に
 ・思惟を「事柄そのもの、真なるもの、現実的なもの」(同)、つまり思想
  ととらえれば、高い評価 ──「精神の最奥のものは思想」(同)

● 思惟は「永遠に絶対的なもの」(100ページ)絶対的真理をとらえる「唯
 一の形式」(同)

 ・絶対的真理をとらえたのが論理学

 ・論理学は最高類概念としてのカテゴリーを扱う

 ・しかもカテゴリーを「単なる形式的な思惟」(同)としてではなく、形式
  と内容の統一としての弁証法的論理学として扱う

 ・弁証法的論理学は「超感覚的な世界」(101ページ)の真理をも対象とす
  る


19節補遺3 ── 論理学は国家、社会のためにも必要

● 論理学は形式論理学以上のもの ── 一つは弁証法の形式により、もう一
 つは形式と内容の統一により

 ・主観と客観の統一の立場から、客観の「真の姿または真にあるべき姿」を
  も問題に

 ・感覚的世界にも超感覚的世界にも真理を認める一元論的世界観

●「宗教、国家、法律および道徳」の「真にあるべき姿」という内容をも問
 題にする

● 近代になって国家や宗教は、思惟によって破壊された

 ・「思惟は現実の世界のうちで有力となり、恐るべき力をふるった」(102
  ページ)

 ・思惟は「真理を認識しないで」(同)、「国家と宗教を破壊したにすぎな
  い」(同)── フランス革命

● 思惟の「弁明」(同)が必要となった

 ・思惟は真理することによって「真にあるべき」国家や宗教を実現するもの

 ・近代の哲学の関心は「思惟の本性の研究と思惟の弁明」

 

3.思惟とは何か

20節 ── 思惟は普遍性をとらえる能力

● 思惟の働きの1つは普遍性をとらえることにある

 ・思惟する主体は自我

 ・自我の思惟によって「生みだされるものは、まさに普遍者」(102ページ
  )

 ・言語は普遍性であり、言語によって思惟することで普遍性をとらえる

● 感覚、表象、思想の区別

 ・感覚的なものの「本質的特徴をなしているのは個別性」(103ページ)
  ── 個別的なものの連関は「並存および継起」(同)

 ・表象とは或るものの内容が「私のうちにあって私のものという規定のうち
  に定立」(104ページ)されていること ── 普遍性の形式は与えるが、そ
  の連関は「もまた」によって結合し、並列させておくのみ

 ・思想は事物の普遍性をとらえると同時に連関の必然性をとらえる
  →「哲学の仕事は表象を思想に変え」(105ページ)、「単なる思想を概
  念に変え」(同)る

● 思想における普遍的なものは「他者におおいかぶさ」り、「何ものもそれ
 をのがれることはできない」(105ページ)

 ・私が「私」「ここ」「今」というとき、それはすでに「今」ではなくて、
  普遍的な「私」「ここ」「今」を意味している

 ・「私」は、「主体としての思惟」(106ページ)であり、あらゆるものに
  おおいかぶさり、あらゆるものを貫く


20節補遺 ── ヘーゲル論理学と形式論理学の区別

● 論理学の対象は思惟であり、思惟の働きとしての普遍性、必然性、法則性
 を論じる

 ・「単なる主観的活動としての思惟」(107ページ)を研究し、思惟法則を
  創始したのがアリストテレス

 ・すべての思惟活動を結合する「精神的な紐」(107ページ)が思惟法則で
  あり、これを論じたのが「形式論理学」(108ページ)

● 形式論理学の果たす役割

 ・「頭脳の整理」(同)をしうる ──「精神を訓練する手段」(同)となる

 ・形式論理学は「道具的論理学」(同)

● ヘーゲル論理学は、形式論理学を越える弁証法的論理学

 ・「すぐれたものはまた最も有益なもの」(同)

 ・ヘーゲル論理学は、「実体的なもの」(同)であって「特殊的な諸目的」
  である形式論理学を支えている

 ・「特殊な諸目的は、絶対的なものに到達することによってのみ達成される
  」(109ページ)


21節 ── 普遍的なものは事物そのもの(事物の真の姿)を
      含む

● 反省から生まれる普遍的なものは、「心髄という価値」(109ページ)を
 含んでいる

 ・「心髄」はSache(事物そのもの)と訳されるべき

 ・普遍的なものは、事物そのもの、つまりその事物の「本質的なもの、内面
  的なもの、真なるもの」(同)を含んでいる

●「反省によってはじめて対象の真の姿は知られる」(同)

 ・事物そのもの、つまり事物の真の姿を知るには、反省(事物の二重化)が
  必要


21節補遺 ── ナーハデンケン(反省)は事物を二重化して
        とらえる

● 普遍と特殊の統一が個別

 ・個別のなかの普遍が真理

 ・事物を二重化してとらえることが真理への道

● 単なる感覚的現象(特殊)から、その奥の普遍性をさぐる

 ・内と外、力と発現、原因と結果 ── 前者はいずれも、普遍的で永続的な
  ものであり、後者は個別的、一時的なもの

 ・普遍の階段を昇りつめた最高の普遍がカテゴリー

● 真理の要求は「すべての個につうじる普遍的なものを認識しようとつとめ
 る」(111ページ)

 ・個から類へ

 ・個々の星の動き(天動説)から、天体運行の法則(地動説)に

 ・「精神は、秩序にたいする信仰、単純な、不変な、普遍的な規定にたいす
  る信念を持っている」(同)

● 普遍的なものは感覚によってはとらえられず、思惟によってのみとらえら
 れる

 ・普遍的なものに対立するのは「単に直接的なもの、外面的なもの、個別的
  なもの」(112ページ)

 ・普遍的なものは「ただ精神にたいしてのみ存在する」(同)

 ・神という「一切を自己のうちに包括する普遍者」は「ただ精神と思想にた
  いしてのみ存在する」

● ヘーゲルの神

 ・革命の哲学の隠れ蓑として利用

 ・精神とほぼ同義に理解すればよい