2009年1月21日 講義
第13講 予備概念 ⑧
カント批判 ⑷
1.『純粋理性批判』の批判(3)
51節 ── 神の概念から存在を導き出せるか
● 古い形而上学の神の存在証明
・「神はもっとも完全な存在である。よって存在という属性を持つ。故に神
は存在する」(アンセルムス)
● カントの神の存在証明批判
・「神」という普遍的なもののうちには、「存在」という限定されたものは
含まない
・概念としての百ターレルから現実の百ターレルを導き出すことはできない
● ヘーゲルのカント批判
・百ターレルと神とを同列におくのは誤り
・概念は媒介を揚棄した「直接的な、自己関係」(197ページ)として「存
在」を内に含む
・概念(真にあるべき姿)と存在の統一こそ、神の概念を構成するもの
・神は「精神の最も内奥のものである概念」(同)──「神のみが概念と実
在との真の一致」(124ページ)
52節 ── カントの「理性」への総括的批判
● カントの「理性」批判
・カントの理性は無制約者を規定しえない「抽象的な思惟」(198ページ)
・理性は「諸経験を単純化し組織するための形式的統一を与える」(同)こ
とを認識しうるのみ
・カントの理性は真理認識のカノン(基準)ではあっても、オルガノン(
手段)ではない
・「せいぜい無限なものの認識を批判するのみ ── 思惟は「無規定な統一
の作用にすぎない」(同)
52節補遺 ── カントの理性は空虚な悟性
● カントは、理性を無制約者の能力としながら、無制約者の認識を断念
・理性は「単に抽象的な同一性」に還元する能力
・その実有限な能力である悟性を一歩も超えない「空虚な悟性」にすぎない
● 理性が無制約的であるには「自己自身のもと」(同)にあって精神の自由
を享受するものでなくてはならない
・しかしカントの理性は「知覚が与える素材」(同)に外面的秩序を与える
のみ
2.『実践理性批判』の批判
● 純粋理性は認識論、実践理性は道徳論
・カントは理論理性では無限の真理を認識しえないとしながら、実践理性で
は道徳に無限の真理を認めるという矛盾
・実践理性では、人間の自由な意志を認める
53節 ── 実践的理性は何が行われるべきかを告げる
● 実践的意志とは、自己自身を普遍的人間として規定する意志
・自分自身に何をすべきかを命じ、自由な意志でこの命令にしたがうよう求
める理性
・「何が行われるべきかを告げる法則を与える」(199ページ)
● カントは、実践的理性の根拠を「実践上の……経験」(同)に求める
・自由な自己意識は、何をすべきかを教えてきたという「現象のうちに」
(同)、実践的理性は「証示されうる」(同)
● ヘーゲルの批判
・経験の示すものは、自由な意志は何をなすべきかを一義的には決めない
・道徳的な権利、義務は「種々様々」であり、理性が命じたとは思えないも
のも含まれている(ヒュームの懐疑論)
54節 ── 実践的理性は空虚な形式主義
● カントの道徳律の基準は、矛盾があってはならないというもの
・「汝の意志の格率がつねに同時に一つの普遍的な立法の原理として通用し
うるように行為せよ」── 各人の行為と万人の行為の矛盾を否定するもの
・理論的理性と同じ抽象的同一性(矛盾の否定)、形式主義
● ヘーゲルの批判
・実践理性は、普遍的な善(真にあるべき姿)が「単に主観的でなく」(
200ページ)「外的な客観性を持つこと」(同)にある
・ヘーゲルは『法の哲学』で、客観的善を求めて、道徳から倫理(家族、市
民社会、国家)へ向かう
54節補遺 ── 実践理性は無限な真理を認める
● カントは実践理性に「積極的な無限性を認め」(200~201ページ)る
・当時の「幸福主義の学説」(200ページ)への批判として登場
・幸福主義では「偶然で特殊的なものが意志および意志の行為の原理」(同
)に
・カントは、「幸福主義に実践理性を対立させ」(同)た
● ヘーゲルのカント批判
・幸福主義に反対するだけでは「実践理性の内容が何であるかという答えは
与えられていない」(201ページ)
・「意志の単なる自己一致の原理や、義務は義務のためになされなければな
らないという要求では、問題は少しも片づかない」(同)
3.『判断力批判』の批判
● 判断力批判の主題は、理念論にある
・イデア界と現実界とを結ぶきずなは存在するのかを論じる
55節 ── カントは理念の現実性を認めない
● カントの反省的判断力
・反省的判断力とは、具体的普遍をとらえる能力
・それは「芸術および有機的自然の産物のうちにみられる」
● 反省的判断力は、「理念の思想」(同)をはっきりと述べている
・「理念の思想」 ── 理想と現実の統一の思想
・芸術 ── 美の理想とその現実化 生命体
── 内的目的性の理念とその肉体化
● 芸術と生命体においてカントは「包括的な理念」(202ページ)を呈出
・必然と自由、自然と目的との「要請された調和」(同)
・「実現された……世界の究極目的」(同)
● ヘーゲルのカント批判
・カントは「最高の理念」(同)を論じながら、あくまで「概念と実在との
分離を主張」(同)するにとどまっている
・「哲学はただ理念をのみ取扱うものであるが、しかもこの理念は、単にゾ
レンにとどまって現実的ではないほど無力なものではない」(71ページ)
── カント批判
・しかし、カントが生命体や芸術美について考察していることは、「人々を
具体的な理念の把握……に導き入れるに特に適している」(202ページ)
56節 ── カントは普遍と特殊の統一が
「真理そのもの」であることを認めない
● カントの判断力批判における普遍と特殊の関係は、理論的理性、実践的理
性と異なる
・理論理性 ── 特殊としての「現象」は認識しうるが、普遍としての「物
自体」は認識しえない
・実践理性 ── 普遍である「善」をかかげながらも、それを客観的な善と
して特殊化することを認めない
・判断力 ── 普遍と特殊の統一としての具体的普遍を論じながらも、それ
こそが「真理そのもの」(203ページ)であることを認識せず
● ヘーゲルのカント批判
・カントは、普遍と特殊の統一を「有限な諸現象のうちに」認めるのみ
・経験 ── 芸術家の天才と趣味判断
57節 ── 具体的普遍としての内的目的性
● カントは、生命体のうちに「内的目的性」という具体的普遍をみる
・生命体の内的目的は、肉体を手段とし、目的と手段を一体化する
・内的目的性とその肉体化は、理想と現実の統一としての理念
58節 ── カントの「目的性」の批判
● カントは、理念における目的と手段の統一、主観と客観の統一を正しくみ
ない
・目的を単に主観的な「活動する原因」とのみとらえる悟性的評価
・もしカントが内的目的性の原理を、現象界とイデア界をつなぐ理念にまで
発展させていたら、弁証法的論理学にまで到達していたかもしれない
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