2009年3月18日 講義

 

 

第17講 予備概念 ⑫
     「論理学のより立入った概念と区分」 ⑴

 

1.予備概念のまとめ

① 第三区分の位置づけと意義

● 第3区分は予備概念の結論に相当

● 「論理学のより立入った概念」とは何か

 ・諸カテゴリーは、事物の「概念(真の姿、真にあるべき姿)」をとらえた
  思惟形式

 ・概念をより立ち入って考察し、なぜ弁証法が真の姿・真にあるべき姿をと
  らえうるのかを明らかにしようとする

 ・概念は悟性と理性によってとらえうる

 ・弁証法の基本構造を、悟性と理性を使って解明しようというもの

② ヘーゲル論理学とは何か(第1区分の概括)

● 論理学は「純粋な理念の学」(90ページ)

 ・経験から出発し、思惟の力で客観的事物の「真の姿」(本質、法則、類)
  をとらえる

 ・さらに自由な思惟によって客観的事物を揚棄し、事物の「真にあるべき
  姿」(概念論の概念)をとらえる

● 主観的な「真にあるべき姿」は実践を媒介に客観を変革し、概念と存在の
 一致(理想と現実の統一)としての「理念」を実現する ── これが哲学
 の「最高の究極目的」(69ページ)

● ヘーゲル論理学の3つの特徴

 1)経験論から出発し、理念に到達する ── 客観的観念論ではない

 2)変革の立場にたつ唯物論

 3)理想と現実の統一の革命の哲学

③ 客観的思想に対する態度(第2区分の概括)

●「客観的思想」を認めるのかどうか、それを認識しうると考えるのかどう
 かに関する諸哲学の紹介とそれへのヘーゲルの批判

 ・ヘーゲルは論争をつうじて弁証法が唯一の真理認識の形式であることを論
  証

(1)「客観にたいする思想の第1の態度」── 形而上学批判

● 形而上学はあれか、これかの悟性的思惟 ──「理性的対象の単に悟性的な
 考察」(135ページ)

 ・真理は有限な悟性ではなく、無限な(弁証法的な)理性にある

 ・魂、世界、神という無限なものを悟性でとらえようとしたため、「客観的
  思想」に達せず

(2)「客観にたいする思想の第2の態度」── 経験論、カント批判

● 経験論

 ・真理を経験に求めようとするもの

 ・普遍性、必然性を客観的事物の「真の姿」として認めない

 ・経験を越える魂、世界、神を認識不能としてしまう

● カント

 ・普遍性、必然性を単に主観的なものとする ── 普遍性、必然性の「特定
  の様式」(170ページ)がカテゴリーだとする

 ・カテゴリーは、現象にのみ適用しうるのであって、物自体(無限なもの、
  真にあるべき姿)は認識しえないとする

 ・悟性と理性を区別しながら、理性に無限の認識の力を認めず

(3)「客観にたいする思想の第3の態度」── 直接知批判

● ヤコービは魂、世界、神などの無限なものは、媒介知を排除した直接知に
 より認識しうるとし、これが理性だとする

● しかしすべての認識は、直接性と媒介性の統一にある。直接性とは、媒介
 性を揚棄した直接性、理性は悟性を揚棄したもの

(4)ヘーゲル哲学

● 弁証法を使って「客観的思想」はとらえうる

 ・無限の真理をとらえるには、カテゴリーを弁証法的につくりかえねばなら
  ない

 ・概念、理念という新たなカテゴリーを創造

●「予備概念」をつうじて弁証法とは何かを解明

 1)ヘーゲルの弁証法的論理学は、「最も発展した、最も豊富な、最も具体
   的な哲学」(83ページ)であることを証明

 2)ヘーゲル哲学の革命性は「概念」「理念」(概念と存在との一致)のカ
   テゴリーにあることを証明

 3)主観と客観の統一、理想と現実の統一、自由と必然の統一、直接性と媒
   介性の統一、悟性と理性の統一などの弁証法的カテゴリーをつうじて、
   弁証法が真理探究の武器となっていることの証明

● あとは、弁証法の基本形式とは何かを残すのみ
 →「論理学のより立入った概念と区分」で解明

 

2.「論理学のより立入った概念と区分」(1)

79節 ── 論理的なものの3つの側面

●「論理的なものは、形式上3つの側面」(240ページ)

 ・「論理的なもの」=世界の根本原理をなすもの=「弁証法的なもの」

 ・あらゆる対象のうちに弁証法的モメントを認識することは「哲学的考察の
  本質に属する」(186ページ)

 ・すべての弁証法の根本形式を悟性と理性を使って説明しようというもの

 ・有限な悟性を無限な理性に前進させるものが弁証法の3つの基本形式 ─
  ─ 悟性的側面、否定的理性の側面、肯定的理性の側面

● 弁証法の3つの側面は「あらゆる概念あるいは真理のモメント」(同)

 ・以上の3つの側面によってすべてのカテゴリーの「概念」(真の姿)がと
  らえられるのであり、3つの側面1つひとつは「真理のモメント」をなす
  もの

 ・3つのモメントであって3つの部分ではない

 ・ヘーゲルの三分法は「論理的なもの」の3つの側面をあらわしたもの

● 悟性的なものは第1のモメント

 ・対象の「真の姿」はまず悟性的側面から出発しなければならない
  ── 形式論理学の重要性

 ・しかし悟性的側面にとどまっていたのでは「真の姿」をとらえることはで
  きない

● 弁証法の3つの側面は論理学全体の構成と区分の意義を「先廻り的、記述
 的」(同)に述べたもの


80節 ── 論理的なものの抽象的側面あるいは悟性的側面

● 弁証法の第1の側面は「抽象的側面あるいは悟性的側面」

● 悟性的思惟は「固定した規定性」(同)と「区別」(同)に立ち止まる

 ・悟性は規定し、他のものと区別する

 ・悟性は無制約なものを制限されたものとし、具体的なもの(運動、変化、
  発展するもの)を抽象的なものに変える


80節補遺 ── 認識は悟性的思惟から出発する

● 悟性的思惟は最初の思惟

 ・対象を認識しようとする端緒的思惟

 ・いきなり無制約、無限なものを認識することはできない

● 「概念」(真の姿)は「単なる悟性的規定ではない」(241ページ)

 ・悟性的思惟は対象の一面性をとらえるのみ

 ・概念は一面的なものではない

● 悟性のとらえる普遍は抽象的普遍

 ・悟性は規定することによって対象に「普遍性の形式」(同)を与えるが、
  それは特殊から切りはなされた抽象的普遍(具体的普遍ではない)

 ・「直接的な知覚や感情とは正反対のもの」

●「思惟は頑固で一面的」(同)との批判は、悟性的思惟にのみ妥当する

 ・悟性は、分離的、抽象的なため徹底させると「有害で危険」(同)

 ・この批判は「理性的思惟にはあたらない」(同)

● 悟性的思惟にも「権利と功績」(同)

 ・悟性がなければ「確固とした規定はえられない」(同)

 ・認識するとは「対象を特定の区別において把握することからはじまる」
  (同)

 ・悟性の原理は「同一性、単なる自己関係」(242ページ)

 ・実践の領域にも悟性は欠かせない ── 自己を限定しないと何もできない

 ・悟性は教養の本質的モメント ── 教養とは対象を確固としたものとして
  とらえること

● 悟性は「神の慈悲」(243ページ)

 ・悟性による区別は、事物の多様性と豊かさを承認する
  ── これは「神の慈悲」

 ・芸術、宗教、哲学も多様性のもとで完全となる
  ── 悟性はなくてはならない

●「悟性は行きすぎてはいけない」(244ページ)

 ・悟性はなくてはならないが、絶対化してはならない

 ・悟性は有限であり、限界を越えると反対物に転化