2009年4月1日 講義
第18講 予備概念 ⑬
「論理学のより立入った概念と区分」⑵
1.弁証法的側面あるいは否定的理性の側面
81節 ── 第2の側面は有限なものの自己揚棄
● 弁証法的モメントは「有限な諸規定の自己揚棄」(245ページ)
・有限なものは有限であるがゆえに、そのままとどまりえない
・有限な自己を否定し、自己を揚棄して「反対の諸規定へ移行」(同)
● 弁証法的モメントとは第2の側面のこと
・第2の側面は、悟性を否定して無限なもの(理性)に向かうものとして「
否定的理性の側面」
(1)弁証法と懐疑論
● 弁証法的なものが悟性的モメントから切りはなされると懐疑論
・懐疑論は「単なる否定」
・これに対し、弁証法的なものは悟性のもつ「固定した規定性」(240ペー
ジ)の否定
(2)弁証法への誤解
● 弁証法は「外面的な技術」(245ページ)ではない
・弁証法は、真実なものである「悟性的なもの」(同)について「混乱と外
見上の矛盾をひきおこす外面的な技術」(同)と考えられている
・しかし、悟性的なもの(有限なもの)は「空しい」のであり、有限なもの
は内面的必然性により「自己揚棄」(同)する ── これをとらえるのが
弁証法
● 弁証法は「思惟の主観的動揺」ではない
・弁証法は、「ああも考えられこうも考えられる」(同)とする無定見なも
のであって「一種の炯眼」(同)によって「その弱点がおおいかくされて
いるにすぎない」(同)と考えられている
・しかし弁証法的なものは主観的なものではなく、有限なもののもつ制限を
示す客観的なもの
●「弁証法はむしろあらゆる悟性的規定、事物、および有限なもの自身の本
性」
(同)
・弁証法は、あらゆる有限な思惟(精神)、あらゆる有限な事物(物質)の
本性をとらえるものとして、真理認識の唯一の形式
・本質論で問題にする「反省」(同)も「孤立的な規定」(同)の「関係づ
け」(同)を定立するが、孤立的な規定をそのままに放置する
・弁証法は、有限なものの「内在的な超出」(246ページ)
・「有限で一面的な悟性的規定」(同)の真の姿は「その否定として示され
る」(同)
・弁証法的なものは、有限なものを「内から動かす魂」(同)
・「すべて有限なものは自分自身を揚棄する」(同)
・論理学の諸カテゴリーは「萌芽からの発展」として、有限なカテゴリーの
否定により哲学体系をつくりあげている「内在的な連関と必然性」(同)
・ ヘーゲル哲学のうちに有限なものの「真の超出」(同)という原理が含ま
れている
81節補遺1 ── 弁証法はあらゆる運動の原理
● 弁証法は「世界のあらゆる運動」(同)の原理であると同時に「あらゆる
真の学的認識の魂」(同)
・弁証法は、精神、物質の「あらゆる運動の原理」(同)であり、この運動
を運動としてとらえるのが弁証法的論理学
・したがって弁証法的論理学は、真理認識の唯一の形式
● 有限なものは「自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって
反対のものへ移っていく」(同)
・人間は死すべきもの ──「生命そのものがそのうちに死の萌芽を担って
いる」(247ページ)
・有限なものは、自己のうちに自己を否定するものをもつという矛盾によっ
て「自己を揚棄する」(同)
● 弁証法と詭弁
・詭弁の本質は、弁証法と同様肯定的なものを否定するが、自己に都合のい
いように「一面的で抽象的な規定」(同)を主張する
・例えば、生存権とか幸福追求権を理由に他人の物を盗む(他人の財産を否
定する)
・弁証法の目的は、「事物を即自かつ対自的に考察し、一面的な悟性規定の
有限性を明らかにすることにある」(同)
● 弁証法の歴史
・ソクラテスの弁証法は「エイロネイア」(同)の形態
・プラトンは「弁証法の創始者」(同) ── 弁証法が「自由な学問的な形」
(同)をとり「弁証法を用いてあらゆる固定した悟性規定の有限性を示」
(248ページ)す
・カント ──「弁証法を復活し、それに相応しい地位を新しく与えた」
(同)──「どんな悟性規定でも、それをその真の姿において考察しさえ
すれば、直接にその反対物に転化することを示す」(同)
● 「有限なものの弁証法」(249ページ)
・すべてのものは弁証法の実例
・あらゆる有限なものは「究極のものではなくて、変化し消滅する」(同)
・弁証法は「神の威力」(同)
・弁証法は「自然および精神の世界のあらゆる特殊の領域および形態のうち
にも見出される」(同) ── 天体の運動、自然の諸元素、気象学的過程、
法、政治、倫理
81節補遺2 ── 弁証法と懐疑論
● 懐疑論
・あらゆる有限なものの「空しさ」(250ページ)の絶対的確信
・これに対しヒュームの懐疑論は、「超感覚的なものの真理および確実性を
否定する」(251ページ)のみ
・ヘーゲル弁証法は、有限なものの「空しさ」という「単に消極的なものの
成果」(同)に立ち止まるものではない
● 弁証法
・弁証法の否定的なものは単なる否定的なものではなく、有限なものを揚棄
する否定的なものとして、有限なものを揚棄して内に含む肯定的なもの
・この肯定的なものが、第3の側面をなす
2.思弁的側面あるいは肯定的理性の側面
82節 ── 第3の側面は対立物の統一
● 第3の側面は、第1の側面と第2の側面の統一
・対立する規定の相互「移行」(252ページ)による統一、または対立の揚
棄による対立の「解消」(同)
・どちらの場合も対立をとおして「肯定的なものを把握する」
(1)弁証法は「肯定的な成果」(同)をもつ
● 対立物の統一は「空虚な抽象的な無」(同)ではなくて、運動、変化、発
展という「特定の内容を持」(同)つ=「肯定的な成果」
● 対立物の統一には、対立物の相互浸透(対立物の相互移行、対立物の同一
)と対立物の相互排斥(対立物の闘争、対立物の矛盾)がある
・対立物の相互浸透は、生成、消滅、変化などの運動をあらわす
・対立物の相互排斥による矛盾の解決(止揚、揚棄)は、発展という運動を
あらわす
● 弁証法の基本形式は、肯定 ── 否定 ── 肯定と否定の統一(または否定
の否定)……要約すれば対立物の統一
(2)対立物の統一は、具体的なもの
● ヘーゲル哲学は「単なる抽象あるいは形式的な思想」(同)は問題にしな
い
● 第3の側面は「肯定的理性の側面」(240ページ)
・理性は統体性、無限性、運動性
・対立物の統一は運動するもの・ 限界をもたない無限なものを対立する2つ
の規定の「肯定的な成果」としてとらえるから
● 第3の側面は「思弁的側面」(同)
・思弁的なものとは「悟性がそこに立ちどまっているような諸対立を
……揚棄されたものとして自己のうちに含んでいるもの」(254ページ)
・対立物の統一はその意味で「思弁的側面」
(3)思弁的な論理学は「単なる悟性の論理学を含んでいる」(252ページ)
● 弁証法的論理学から、第2、第3の側面を「取去りさえすれば」(同)普
通の論理学になる
82節補遺 ── 理性的なものと思弁的なもの
● 理性的なものとは「無制約であり、したがって自己の規定性を自分のうち
に含んでいるということ」(253ページ)
・自己の特殊性の制約にとらわれることなく、普遍的なものによってのみ自
己を規定する
・人間は「理性的存在」(同)
・神を知ることは「最も理性的なもの」(同)を知ること
● 思弁的なもの
・「思惟された理性的なもの」「肯定的に理性的なもの」(同) ── 対立
物をその統一として思惟のうちにとらえること
・シュペクラチオーンに2つの意味
1)現存するものは「越えられなければならない」(同)
2)主観的なものが「実現され客観的なもの」(同)となること
・ヘーゲルはこの2つの意味を統一し、「思弁的なもの」を対立を揚棄した
統一としてとらえた ── 「思弁的なもの」は「具体的で全体的なもの」
(254ページ)
・したがって思弁的なものは「一面的な命題」(同)では言いあらわしえ
ない ── 区別をうちに含んだ統一
・理性的なものは、悟性にとってのみ「神秘的」(シュペクラーティーフ)
3.論理学の3区分
83節 ── 論理学の3つの部門
● 論理学の概念のもとづく「区分」
有 論 ──「直接性における思想、あるいは即自的概念にかんする理論」(
256ページ)
本質論 ──「反省と媒介とにおける思想、あるいは概念の対自有と仮象にか
んする理論」(同)
概念論 ──「自己自らへ復帰し全く自己のもとにある思想、あるいは即自か
つ対自的概念にかんする理論」(同)
● 思想にかんする理論 ── 直接性と媒介性の統一
有 論 ── 直接性
本質論 ── 媒介性
概念論 ── 直接性と媒介性の統一
● 概念(真の姿・真にあるべき姿)にかんする理論
有 論 ── まだ真の姿ではない即自的概念にかんする理論
本質論 ── 真の姿が顕在化した対自的概念にかんする理論
概念論 ── 真にあるべき姿という絶対的概念にかんする理論
83節補遺 ── 真理は概念にある
● 概念は「有および本質の真理」
・哲学の最高の究極目的である理想と現実の統一を論じるのが概念論
・有論、本質論のうえに概念論
・有論、本質論は概念の現実化としてのみ真理であり、概念は「真に直接的
な」真理
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