『21世紀の科学的社会主義を考える』より
第一講 「二一世紀の科学的社会主義を考える」
とは何か
一、本講座の目的
二〇世紀の社会主義の実験をふまえて科学的社会主義を考える
本講座は「二一世紀の科学的社会主義を考える」と題して開催されます。広島県労学協は「科学的社会主義の立場」(会則)にたって、その「基礎理論、内外の政治・経済情勢の特徴などを教育・普及することを目的」(同)としています。
では「科学的社会主義とは何か」といわれれば、それほど自明なものではありません。一般的には、マルクス、エンゲルスによって発見された史的唯物論と剰余価値学説の二大学説によって、未来社会としての社会主義を空想的なものから科学的な土台のうえにすえた社会発展の理論であり、その後一世紀半にわたる全世界の人民のたたかいによってより豊かにされた開かれた学説と運動であるということができます。
しかし一九世紀のマルクス、エンゲルスにとってたんに理論上の存在でしかなかった社会主義は、二〇世紀において実践的課題となってきました。一九一七年のロシア革命により、人類史上はじめて社会主義をめざしたソ連が誕生したのをかわきりに、二〇世紀全体をつうじて東欧、アジア、ラテン・アメリカなど一時は世界の人口の三分の一が社会主義をめざす諸国で生活しているという状況が生まれました。
ところが一九八九年東欧諸国、九一年ソ連の崩壊がおこり、一時は「社会主義崩壊論」と「資本主義勝利論」の大合唱が世界中を席巻しましたが、それからわずか十七年後の二〇〇八年世界経済危機により、逆に「資本主義限界論」がマスコミを騒がすことになりました。
こうして二一世紀は、二〇世紀の壮大な社会主義の実験をふまえ、あらためて科学的社会主義とは何かが問われる世紀となっているのです。
科学的社会主義は人類にロマンと希望をもたらす学説
マルクス・エンゲルスの創りあげた科学的社会主義の学説は、一九世紀をつうじて全世界の搾取され抑圧される人々の心をとらえる学説としての地位を確立し、その学説は二〇世紀のロマンと希望を代表する学説として発展してきました。
しかし二一世紀の科学的社会主義に対するイメージは、それとは大きく異なっていることを否定することはできませんし、そこにはプラス・イメージよりもマイナス・イメージの方が強く働いているといっても過言ではありません。ソ連や東欧における一党支配とか、自由と民主主義の抑圧などの現実は、科学的社会主義の学説ないし社会主義の体制についてのマイナス・イメージとして定着しているといってもいいでしょう。科学的社会主義の学説は、もともと労働者階級と被抑圧人民の解放の理論であるにもかかわらず、科学的社会主義を理論的基礎とする日本共産党に対する根強い党名変更の要求などにも、その一端があらわれています。
しかし本来の科学的社会主義は、自由や民主主義の問題も含めてけっしてマイナス・イメージをもって語られるべきものではなく、人類にロマンと希望をもたらす学説です。二一世紀に科学的社会主義がその本来の魅力と輝きを取り戻すためには、「ソ連や東欧は社会主義ではなかった」というだけでは足りないのであって、これらの諸国が社会主義をめざして出発しながら、なぜ社会主義とは無縁の人民抑圧国家に転化してしまったのかが、本来の科学的社会主義の学説に照らして検証されなければならないでしょう。
本講座が「二一世紀の科学的社会主義を考える」として「二一世紀の社会主義を考える」とされていないのもそこに理由があります。本来の「科学的社会主義とは何か」をまず明確にして、そのうえにたって二〇世紀の社会主義の実験を総括し、それが提起した問題に答える形で二一世紀の科学的社会主義の真にあるべき姿を日本共産党の綱領との関連も含めて考えてみたいと思います。
とても大きな課題であって筆者の力量を大きく超えるものであることは十分承知しながらも、問題提起をすることによって後日の議論の発展に多少なりとも寄与できればと考え、本講座開催に至ったものです。
二、科学的社会主義を二〇世紀の教訓に学び根本からつかみ直す
科学的社会主義は真理探究の「全一的な世界観」
科学的社会主義は、「全一的な世界観」(「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」レーニン全集⑲三ページ)といわれています。それは弁証法的唯物論という真理認識の武器をもつことによって、人間、社会、自然という世界の全体の真理を統一的、科学的に認識しうる世界観だとされています。もともと世界観とは世界全体を統一的にとらえるものの見方を意味しています。それにレーニンがあえて「全一的な」という形容詞をつけた理由は明らかにされていませんが、その世界観が真理に立脚する世界観であり、世界のすべての問題について統体的、有機的な連関と発展においてとらえる体系的な世界観の真理であることを強調したかったのではないかと思われます。それと同時に、筆者としては弁証法的唯物論が第四講、第八講で検討するように、事実と価値、存在と当為(まさになすべきこと、まさにあるべきこと)を絶対的な区別においてとらえる二元論を克服し、事実の真理と当為の真理を対立物の統一としてとらえる唯物論的一元論の真理観にたっているという意味においても「全一的な世界観」とよぶのが相当であると考えるものです。
しかしマルクス、エンゲルスは自らの手で科学的社会主義を体系化して示したことはなく、それを試みたのはレーニンでした。彼はこの論文において、科学的社会主義とは、ドイツ古典哲学、イギリス古典経済学、フランスの階級闘争と社会主義論という三つを源泉とする、弁証法的唯物論と史的唯物論、『資本論』の経済学、階級闘争の学説と社会主義という三つの構成部分から成る学説と説明しました。
レーニンのこの定式化は、エンゲルスが著した『反デューリング論』の「第一篇 哲学」「第二篇 経済学」「第三篇 社会主義」に由来したものとみることができます。エンゲルスは自ら「われわれの見解の百科辞典的な概観をあたえる試み」(全集㊱一二三ページ)と称していますので、その意味ではレーニンの見解にも十分な根拠があるといえます。
しかし『反デューリング論』は、オイゲン・デューリングの『哲学教程』『国民=社会経済学教程』『国民経済学および社会主義の批判的歴史』という三部作の批判の書として誕生したものです。エンゲルスは、デューリングの哲学、経済学、社会主義に関する三つの著作に自己の見解を対置したにすぎないのであって、これをもって直ちに科学的社会主義の学説を体系的に展開したものとしてみることはできないと思われます。エンゲルス自身も第二版への序文において、「マルクスと私とが主張する弁証法的方法と共産主義的世界観との、多少ともまとまりのある叙述となった」(全集⑳九ページ)と述べるにとどめています。
科学的社会主義は開かれた発展する学説
何よりもレーニンの体系化で問題なのは、レーニンが一方で科学的社会主義の学説を「全一的な世界観」としてとらえながら、他方で「三つの構成部分」には、人間、社会、自然のすべてが包摂されていないだけではなく、社会の問題にかぎってみても、経済はあっても政治、法律、国家論は存在せず、また人間論も正面から取り上げられていないことです。そこから、科学的社会主義の学説には、自由と民主主義が欠落しているとか、階級的観点はあっても個々の人間は人間として尊重されないなどのいわれのない批判を受けることにもなっています。
そもそもエンゲルスは『反デューリング論』において、世界を体系化してとらえることは「われわれの住む世界体系の正確な思想上の模写をつくりあげる」(同三六ページ)ことであって、それは「われわれにとっても、またいついかなる時代にとっても、不可能なことである」(同)としています。
そのうえで、「人間は、一方では、世界体系の総連関をあますところなく認識しようとするが、他方では、人間そのものの本性からしても、また世界体系の本性からしても、いつになってもこの課題を完全に解決することはできない、という矛盾に当面」(同)し、この矛盾こそが「いっさいの知的進歩の主要な」(同)となることを指摘しています。
エンゲルスの言いたかったことは、世界を体系化して認識しようとする努力は、「いっさいの知的進歩の主要な桿杆」となるものではあっても、人間の認識はつねに歴史的制約を伴っているから、「この課題を完全に解決することはできない」ことをわきまえなければならない、というものです。その意味ではレーニンの体系化の努力は評価しながらも、それを完成されたものとして受けとめることには問題があるということになるでしょう。
それと同時にレーニンの体系化の二つめの問題点として、科学的社会主義の学説は真理探究の学説ですが、客観的事実はそれ自体運動、変化、発展するものですから、その真理を認識しようとする科学的社会主義の学説も、客観的事実の変化、発展に対応して発展していく開かれた学説であるということからくる問題です。したがって二一世紀の科学的社会主義の学説は、二〇世紀の壮大な社会主義の実験の教訓に学び、レーニンの体系の再検討の問題も含め、マルクス、エンゲルスに立ち返りながら、より発展した、より真理に接近する学説とすることが求められているように思われます。
これから順次検討していきますが、科学的社会主義の学説は、弁証法的唯物論という真理認識の唯一の思考形式をもつことによって全世界を科学的・統一的にとらえうる「全一的な世界観」となっています。その対象は世界のすべてにわたりながら世界の発展および人類の認識の発展とともに無限に発展し、客観的真理に接近していく開かれた学説なのです。
科学的社会主義を二〇世紀の社会主義の総括のうえに根本からつかみ直す
その意味で二一世紀の科学的社会主義は、二一世紀にふさわしいより発展した学説として登場しなければなりません。言いかえると、二一世紀の科学的社会主義は、二〇世紀の社会主義の総括のうえに、その提起した問題に答えつつ、二〇世紀に果たしえなかった課題に挑戦するものとして開花しなければならないのです。
若きマルクスは革命家として旅立つにあたって、革命的理論を確立していくための基本的な視点を次のように定めています。
「理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる。理論が大衆をつかみうるようになるのは、それが人に訴えるように論証をおこなうときであり、理論が人に訴えるように論証するようになるのは、それがラディカルになるときである。ラディカルであるとは、ものごとを根本からつかむことである」(「ヘーゲル法哲学批判序説」全集①四二二ページ)。
マルクスに学んで、本講座では科学的社会主義の学説を二〇世紀の教訓のうえに二一世紀にふさわしい理論に発展させるべく、根本からつかみ直してみたいと考えています。具体的には、これまでの科学的社会主義の学説と運動によって提起された、二一世紀への宿題である「人間論」「弁証法的唯物論の定式化」「社会主義論」という三つの問題を検討し、そのうえにたって最後に二一世紀の科学的社会主義を考えてみたいと思います。
しかしそれは、レーニンの「三つの構成部分」にとってかわる科学的社会主義の学説の新たな体系化を試みようとするものではなく、二一世紀の科学的社会主義を根本からつかみ直すのであれば、この三つのテーマへの回答を含むものでなければならないだろうとの問題意識にもとづくものです。
では、なぜこの三つのテーマを二一世紀に提起された宿題と考えたのか、その理由を最初に簡単に説明しておきましょう。
三、本講座の三つのテーマ
人間論
まず第一のテーマとして「人間論」をとりあげたのは、ソ連、東欧が「人間抑圧型の社会」(日本共産党綱領)であったこととの関係において、科学的社会主義とは何かを考える必要があるからです。
ソ連、東欧が「人間抑圧型の社会」であったことは、後に考察するように否定しがたい事実でした。そこから、ソ連、東欧がこのような社会になったのは、社会主義をめざしたことに原因があり、ひいては科学的社会主義の学説そのものが、人間を階級という集団としてはとらえても、一人ひとりの個人の尊厳を認めない非人間的な学説であるとする見解が生まれてきています。
その論拠の一つとして『資本論』第一版序文の次の文章が引用されることがあります。
「経済的社会構成体の発展を一つの自然史過程ととらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個々人に諸関係の責任を負わせることはできない。個人は主観的には諸関係をどんなに超越しようとも、社会的には依然として諸関係の被造物なのである」(『資本論』①一二ページ/一六ページ)。
マルクス主義(科学的社会主義)に一定の共感を寄せていた岩崎武雄元東大教授は、この文章をも引用しつつ、「ここには極めて明瞭に唯物史観の立場に立つ限り歴史のうちにおける人間の実践の果す役割がほとんど認められ得ないということが示されていると思われる」(『弁証法――その批判と展開』一三一ページ、東大学術叢書)として、マルクス主義を「反人間中心主義」(同一二五ページ)と批判しています。
つまり史的唯物論は、歴史的現実のなかに「人間の力を絶対に超越する必然的な法則が存する」(同一二八ページ)ことを認めるものであるが、この見地にたてば「人間は自然法則に対して自由であるという余地」(同)を残さないことになり、「人間はただこの歴史的法則の流れの中にまき込まれて何等の積極的手段もなく押し流されてゆく外はない」(同)から「反人間中心主義」だというのです。
また今話題となっている内田樹×石川康宏著『若者よマルクスを読もう』のなかで、内田氏は「ヘーゲル法哲学批判序説」の「ある一つの身分がすぐれて解放する身分であるためには、逆にいま一つの身分が公然たる抑圧の身分でなければならない」(全集①四二五ページ)という階級闘争論に関する文章を引用しつつ、次のように述べています。
内田氏はまず「『階級闘争』という枠組みそのものに対する懐疑的な態度」(前掲書九九ページ)を表明し、「社会全体の歪みや不合理が、すべてある特定の集団の『罪』で説明できるということはないんじゃないかと思う」(同)として階級的観点を否定し、さらには階級闘争論から生まれる特定の集団の排除の思想が「スターリンのソ連も、毛沢東の中国も、ポル・ポトのカンボジア」(同一〇〇ページ)でも大量虐殺を生みだすことになったかのように描き出しています。
こうした批判に対しては、第一一講の「史的唯物論」で反論を予定していますが、より根本的にはそもそもマルクス、エンゲルスが人間というものをどう考えていたのかという科学的社会主義の人間論そのものに立ちかえって検討してみることが必要なのではないかと思われます。
マルクスは、科学的社会主義の立場を確立しはじめた最初の時期から「人間解放」と言い続けてきました。その前提として、そもそも人間とは何かという人間の類本質(人類という「類」としての本質)の考察にはじまり、人間の類本質の疎外を論じ、そのうえで人間疎外からの類本質の回復として人間解放を論じてきたのです。その意味では科学的社会主義の学説は、その出発点において人間を「人間にとっての最高の存在」(全集①四二二ページ)として実現する真のヒューマニズムの理論なのです。しかし二〇世紀の社会主義の実験では、そのことが必ずしも正面から語られなかったのであり、科学的社会主義の「人間論」は二一世紀に残された課題となっているということができます。
しかも「人間論」は、たんにヒューマニズムという以上の射程をもっています。一般的に自由と民主主義は人間にとって普遍的価値をもつといわれることがあります。問題はなぜ人間にとって自由と民主主義が普遍的価値をもつとされるのかが、問い返されなければなりません。そこに人間の類本質の問題が関係してくるのです。人間の類本質は人類の数百万年に及ぶ歴史のなかで形成されてきたものであり、人間の類本質の一つに人間は価値意識をもつ存在だということがあります。人間は他の動物と異なり、高度に発達した脳をもつことによって自然や社会、ひいては人間自身を変革することができます。そのため「世界はどうあるか」という存在を認識するのみならず、「世界はどうあるべきか」という当為を問題とし、この当為を価値あるものとみなすのです。ここに存在と当為、事実と価値とが対立するカテゴリーとしてとらえられることになります。
人間としてどう生きるべきかという生き方の当為が人間的価値とよばれるものであり、人間的価値は人間の類本質を全面的に開花させる生き方に求められること、それが自由と民主主義であり、したがって自由と民主主義は人間にとって普遍的かつ本質的意義をもつ価値であることを論じていきたいと思います。
科学的社会主義の学説は、人間の類本質の回復を求め、人間を「最高の存在」とする人間解放の理論だからこそ、自由と民主主義の全面開花をその学説の本質的構成要素としているのです。
こうして自由と民主主義を内包する人間論を論じていくことは、反面からするとソ連、東欧が社会主義をめざして出発しながら、なぜ一八〇度異なる「人間抑圧型の社会」に転落することになったのか、その原因を探求していくことにつながるものです。
弁証法的唯物論の定式化
第二のテーマは「弁証法的唯物論の定式化」です。先にみたように、科学的社会主義の哲学とは弁証法的唯物論であり、それを人間社会に適用したものが史的唯物論(唯物史観)です。
弁証法は、真理を認識する思考形式として古代ギリシアに始まり、ドイツ古典哲学で再びとりあげられ、ヘーゲル「論理学」において完成することになりました。マルクスは『資本論』第二版への「あと書き」において「弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識的な仕方で叙述した」(『資本論』①二八ページ/二七ページ)のが、ほかならぬヘーゲルだったと指摘しています。
しかし、マルクス、エンゲルスは、ヘーゲル弁証法を観念論的弁証法ととらえ、「神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくり返さなければならない」(同)と考えました。そこでマルクスは『資本論』を書き終えたら唯物論的な「弁証法」の本を書くつもりでいました。「弁証法の正しい諸法則はすでにヘーゲルにちゃんと出てはいます、ただし神秘的な形態で。肝心なのは、この形態をはぎ取ることなのです」(全集㉜四五〇ページ)として、ヘーゲル弁証法の「神秘的な形態」をはぎとり、「合理的な核心」を自分の手で著したいと思いながら、ついにその時間は与えられませんでした。エンゲルスやレーニンもヘーゲル弁証法の研究をつうじて、弁証法的唯物論を定式化しようとしながら、結局その意図を達成することはできませんでした。
ヘーゲル「論理学」は、あらゆる古典の中でも難解中の難解な古典であり、それを読み解くのは並大抵のことではありません。ましてやそこから「神秘的」な外観をとり除いて「合理的な核心」をとり出し、誰にでも理解しうるものとする作業は、二一世紀に残された課題となっているのです。
もっともマルクスのいうヘーゲルの神秘的な外観とは、主としてヘーゲル「論理学」の「概念論」を指しているのですが、この点は、マルクス、エンゲルスの「概念」の理解に問題があったとも思えるところであり、筆者としては、ヘーゲルは観念論者というよりも、「観念論の装いをもった唯物論」者として理解すべきものと考えます(詳しくは拙著『ヘーゲル「小論理学」を読む』第二版参照)。因みにレーニンもマルクス、エンゲルスの指摘するヘーゲル観の立場で「論理学」に取り組んだところ、読後感として「ヘーゲルのこのもっとも観念論的な著作のうちには、観念論がもっともすくなく、唯物論がもっとも多い。"矛盾している"、しかし事実だ!」(レーニン全集㊳二〇三ページ)と感嘆していることを紹介しておきたいと思います。
それはともかく、弁証法的唯物論の合理的核心を定式化して誰にでも理解しうるものとして叙述するという残された課題に、永年ヘーゲル弁証法の研究に取り組んできた一人として挑戦してみたいと考えています。
さらに先にも引用した岩崎氏は、「マルクス主義において弁証法論理というものが全く絶対視され、あらゆるものはみなこの論理の下に考えられねばならないという独断が生じて来ている」(岩崎前掲書一二一ページ)との批判を加えています。すなわち科学的探究を行う場合には、「あくまでも存在のあり方を具体的に把握しようと努めればよい」(同一二〇ページ)のであって、その結果「われわれはいたるところにおいて存在の弁証法的構造を見出す」(同)ことになるが、それは「単に科学的探究の結果」(同)にすぎないのであって、「弁証法という概念を与えることによって何一つ事態的に存在の構造が明かにされるのではない」(同)というのです。
つまり真理探究のためには「存在のあり方を具体的に把握」するための唯物論があれば十分であり、弁証法を必要としないとするこの見解を批判するには、真理認識のためには唯物論にとどまらず弁証法的唯物論を必要とする根拠が明らかにされなければなりません。岩崎氏が弁証法の諸法則に適合する「事実を多くの現象の中から探し出して来て、それによって弁証法論理はその真理性を証明された」(同一一八ページ)とするのは「本末顛倒」(同一二三ページ)だとしているのは、それなりに正しい論理です。この批判を免れるためには弁証法のもつ構造そのものが真理を認識しうるものであることを証明しなければならないのであり、それもまたわれわれに残された課題となっています。
なお弁証法的唯物論を人間社会に適用した史的唯物論については、ネオ・マルクス主義の立場からの「経済還元主義」とか「階級一元論」などの批判や、先にみた岩崎、内田氏らの批判が加えられていますので、これらへの反論も必要となってくるでしょう。
社会主義論
第三のテーマは「社会主義論」です。言うまでもなく社会主義論は「科学的社会主義」という名称の由来にもつながる科学的社会主義の学説の中心的テーマということができます。
マルクス、エンゲルスは、プロレタリアートの執権のもとでの生産手段の社会化と社会主義的な計画経済により、資本主義的な搾取と階級は消滅し、人間解放の社会主義・共産主義の社会を実現しうると考えていたとされています。この生産手段の社会化、社会主義的な計画経済、プロレタリアートの執権は、一般に社会主義の三つの基準として定式化されています。
レーニンのめざした「ソビエト社会主義共和国連邦」(ソ連)も、社会主義のこの三つの基準を実現することにより、マルクス、エンゲルスの展望した社会主義を実現すべく歩きはじめました。レーニンにとって社会主義ソ連を建設する指針にすることができたのは、マルクス、エンゲルスの社会主義論のみであり、それ以外の選択肢は存在しませんでした。レーニンは彼らの著作を熱心に学び、彼らの社会主義論の忠実な実践者であろうとしたにもかかわらず、なぜソ連が最後には人間解放ではなく、人民抑圧の社会に転化したのか、その問題の解明と反省なくして二一世紀の社会主義を語ることはできません。
日本共産党綱領は、「レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ」結果、「社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた」としています。
この指摘自体に異論はありませんが、問題はこうした現象を生みだした背景にはいかなる本質があったのかにあります。ここにいう「社会主義の原則」とは先にみた三つの基準ではないのか、そこに問題はなかったのか、レーニンの社会主義論はどうだったのか、スターリンの社会主義論とレーニンの社会主義論にはどんな違いがあったのか、またスターリン以降の歴代指導部はなぜその後のソ連の建設において軌道修正をなしえなかったのか、などの問題が検討されなければなりません。
またソ連と東欧とを全く同列にとらえることはできません。東欧の多くの国は、反ファシズムの統一戦線をつうじて社会主義への道をたどることになりました。これらの諸国は第二次大戦後「人民民主主義共和国」と称して、「ソ連型社会主義」とは異なる道を歩もうとしましたが、結局はスターリンによって「ソ連型社会主義」を押しつけられることになりました。しかし東欧のなかでもユーゴスラビアは、スターリンの言いなりにならなかったところから一九四八年コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)から破門され、「自主管理社会主義」という生産者が主役の独自の社会主義路線を歩みはじめます。ソ連やそれに追随した東欧諸国が崩壊したのは理解しうるとしても、日本共産党の「国民が主人公」という綱領路線に最も近いユーゴスラビアが、なぜソ連の崩壊とほぼ時を同じくして崩壊したのかについては、われわれとしてはソ連・東欧の崩壊以上に強い関心を抱かざるをえません。
また二〇世紀の社会主義の実験には、「社会主義市場経済」という前人未踏の道を歩んでいる中国、ベトナム、キューバがあり、「市場経済をつうじて社会主義へ」の道をかかげる日本共産党との共通性から、その教訓をしっかり学ばなければなりません。さらには、「社会主義のルネサンス」を唱えて「ソ連型社会主義」とも、また中国、ベトナムとも異なる国民参加型の社会主義を展望しているベネズエラ、エクアドル、ボリビアなどの諸国もあります。
こうした二〇世紀の社会主義の実験をふまえて、最後に日本共産党の社会主義論を検討してみたいと思います。ソ連、東欧が現存していた時代、ソ連、東欧はもとよりヨーロッパの主要な共産党からも、日本共産党の綱領路線はとかくの批判を受けてきました。「自主独立路線ではなくて自主孤立路線」だという批判はさておくとしても、「マルクス・レーニン主義からの逸脱」などと批判されたものでした。
詳しくは一九講で検討しますが、二〇世紀の社会主義の壮大な実験をふまえて日本共産党の綱領路線を省みるとき、これこそ科学的社会主義の真にあるべき姿を体現するものであることを実感せざるをえません。特に重要なのは、社会主義を自由と民主主義の全面開花の社会、「国民が主人公」の社会としてとらえている問題です。なぜ社会主義が自由と民主主義の全面開花の社会なのか、その必然性が証明されなければなりません。またこれまで科学的社会主義の社会主義にいたる権力論は、「プロレタリアートの執権」とされてきました。マルクス、エンゲルス、レーニンは「プロレタリアート執権」とはいっても、「国民が主人公」とはいいませんでした。それなのになぜ「国民が主人公」をもって科学的社会主義の本流ということができるのか、「プロレタリアート執権」と「国民が主人公」とはいかなる関係にあるのかの解明も、本講座の課題の一つとなっています。
こうした問題をふまえて、これまで社会主義の三つの基準として定式化されてきたものが果たしてそれでいいのかの問題も含め、社会主義とは何かの問題を根本からつかみ直してみたいと思います。
本講座の概要
以上三つのテーマを柱としつつ、本講座全二十講は、科学的社会主義を二一世紀にふさわしいものとして根本からつかみ直す見地にたって、およそ次のような内容をもって展開されることになります。
まず第二、第三講では「社会主義思想の誕生論」をとりあげます。社会主義思想は一九世紀の前半に誕生しますが、一体なぜその時期に、またどんな思想として登場してきたのか、その源泉となる思想とは何かを考察します。いわば源泉と原点にさかのぼって社会主義の真にあるべき姿をみていこうというものです。
第四講から七講ではマルクス、エンゲルスの「人間論」を考察します。人間の本質とは何か、階級社会においてなぜ人間の本質は疎外されているのか、人間疎外から回復した人間解放とは何か、などが論じられます。そのなかでもわれわれの生活する資本主義社会の人間疎外論は、他の階級社会と比べてどんな特徴をもっているのかの解明に力を注いでみたいと思います。またそこでは人間解放と社会主義・共産主義との関係が論じられなければなりません。
第八講から一一講は「科学的社会主義の哲学」です。ここでは弁証法的唯物論の定式化が課題となってきます。県労学協は、労働者を対象とした大衆的学習組織ですから、何よりも分かりやすい講義が求められています。かつて一時間で分かる『資本論』の講義をと頼まれ、『「資本論」を鳥瞰する』というブックレットをまとめた経験があります。同様にかねてより一時間で分かる弁証法の講義を、との要望がありますので、その要望にも応える弁証法的唯物論の定式化に挑戦してみたいと思います。また史的唯物論について様々な批判がありますのでそれへの反論も必要となるでしょう。
第一二講から一八講は二〇世紀の「社会主義論」の総括です。ソ連、東欧の、いわゆる「ソ連型社会主義」の解明は当然のこととして、ユーゴスラビアの「自主管理社会主義」に力点を置いて講義したいと思います。そして「ソ連型社会主義」とそのアンチテーゼとしての「自主管理社会主義」とは、どちらも一面的であって社会主義の真にあるべき姿は対立物の統一にあることを論じていく予定です。また第一八講で「社会主義をめざす諸国」である中国、ベトナム、キューバの社会主義も検討し、第一九講で「日本共産党の社会主義論」が、社会主義の理念を体現し、社会主義の思想の原点にたった自由と民主主義の全面開花する人間解放の社会としてとらえられていることを明らかにします。
最後の第二〇講は「二一世紀の科学的社会主義を考える」と題して、人間論、弁証法的唯物論の定式化、社会主義論という「三つのテーマ」を踏まえて、二一世紀の科学的社会主義の真にあるべき姿と課題を論じたいと考えています。
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