『科学的社会主義の哲学史』より

 

 

第四講 古代哲学③
    アテナイ期の哲学(その二)

(五)アリストテレス(BC三八四~三二二)

 アリストテレスはマケドニアで生まれ、プラトンの死までの二十年間プラトンに師事しました。彼はプラトンのもっとも優れた弟子としてプラトンのイデア論を継承発展させると同時に、独自の哲学を世界観として提起しました。
 また彼は、紀元前三四二年マケドニアの王子であったアレクサンドロスの家庭教師となります。アレクサンドロスは、後にマケドニア、ギリシア、エジプト、インドの一部にわたる大帝国を建設して、東西文化を融合したヘレニズム文化を築いた人物であり、アリストテレスはこのアレクサンドロス大王と長く親交を結びました。
 紀元前三三五年、アレクサンドロスが東征したため、アリストテレスはアテネに行き、「リュケイオン」とよばれる学校を建設します。リュケイオンには散歩道(ペリパトス)があり、彼が散歩しながら講義したところから、アリストテレス学派は「ペリパトス学派」とか「逍遙学派」と称されることになります。
 アリストテレスはプラトンと並び古代哲学の双璧をなす人物であり、中世全体をつうじて唯一の哲学的代表者とみなされてきました。彼の著作は、アレクサンドロスがエジプトに築いたローマに次ぐ大都市アレクサンドリアに渡り、プトレマイオス王朝のもとで世界最古の図書館「プトレマイオス文庫」の基礎となりますが、ローマ帝国のカエサル(シーザー)の占領により焼失してしまいます。
 そのため現存する著作のうち、どれがアリストテレスの直接の著作であり、どれが口述された講義を弟子たちが編集したものであるのかについては、議論のあるところです。特に中世のスコラ哲学はアリストテレス哲学を自己流に解釈したため、ヘーゲルは「因習的俗説のために彼ほど不当な取扱いを受けてきた哲学者は他にその例を見ない」(『哲学史』中の二、二ページ)と嘆いています。
 宗教改革以降、はじめてアリストテレス哲学は本来の姿でヨーロッパに普及することになります。そのなかで、プラトンの理想主義あるいは観念論に対し、アリストテレスの現実主義あるいは唯物論といわれることもありますが、ヘーゲルは後にみるように、そのとらえ方に異議を述べています。

①アリストテレス哲学の一般的特徴とその功績

経験的事実の徹底的観察と分析

 プラトンは、その哲学全体をイデア論によって貫くという体系を重視しました。これに対し、アリストテレスはイデア論にも関心を示しながらも、世界のすべての事物の観察と分析においてその力量を発揮しました。
 彼の学問的業績は論理学、自然学、天体論、気象論、動物誌、心理学、政治・経済学、倫理学、芸術論と世界の森羅万象に及んでおり、哲学史上もっとも博学の人物としてその業績は『アリストテレス全集』(岩波書店)全十七巻に納められ、今日まで読み継がれてきています。まさに百科全書ともいうべきものですが、記述的ではあっても全体として諸著作間に脈絡がなく、一つひとつが独立していて、必ずしも体系的ではないのをその特徴としています。
 そのなかにあって、哲学的著作といわれるものは『オルガノン』と『形而上学』です。これらは、いわゆる思惟の諸法則を取り扱った形式論理学に相当するものです。言語の諸法則を取り扱う学問が文法であるのに対し、思惟の諸法則を取り扱う学問が論理学であり、その意味で論理学はその他の経験諸科学の予備学というべきものとなっています。
 「オルガノン」とは「道具」の意味であり、正しく思惟するための道具としての思惟法則を論じています。もっとも「オルガノン」という標題の著作があるわけではなくて、「カテゴリー論」「命題論」「分析論前書」「分析論後書」「トピカ」「詭弁論駁論」という六つの著作の総称なのです。これに対して『形而上学』は一つの著作であり、「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する」(アリストテレス全集⑫三ページ)という有名な命題から始まっています。もともとは「自然学(フィジカ、フュシカ)」の後にあった全十四巻を一冊にとりまとめ、「自然学の後の書」(タ・メタ・タ・フィジカ)の意味で「メタ・フィジカ」とよばれていたものを、明治の哲学者・が「形而上学」と訳したものです。
 「形而上学」という用語は哲学史上さまざまな意味で用いられています。アリストテレスの「形而上学」は、論理学とほぼ同じ意味をもっており、「オルガノン」と区別する意味はほとんどありません。これに対してカントは、形而上学を経験を超越する神、世界、魂などを対象とする学問の意味で用いています。他方ヘーゲルは、「形而上学」を弁証法に対立する形式論理学と同様の意味に理解しており、エンゲルスもヘーゲルの理解を引きつぎ、個々の事物をバラバラな、固定し静止したものとしてとらえる見方を「形而上学」とよんでいます。このように形而上学という用語は多義的に使用されていますので、そのときどきの意味を間違えないように使用しなければなりません。
 それはともかく、ではアリストテレスはその形式論理学を駆使して経験諸科学に挑んでいるのかというとそうではなく、実際には経験的諸事実の分析をつうじて、諸事物を弁証法的にとらえているところに、アリストテレスの偉大さがあるのです。ヘーゲルが「アリストテレスは古代の哲学者のうち、もっとも学ぶ値打のある人である」(宮本十蔵他訳『哲学史』中の二、一四九ページ)と高く評価し、マルクスが「僕は古代の哲学者のうち彼(ヘラクレイトス――高村)よりも好きなのはアリストテレスだけだ」(「ラサールへの手紙」全集㉙四二七ページ)と語っているのも、後にみるようにアリストテレスの弁証法的思考を評価したものということができるでしょう。

アリストテレスの一般的功績

 このような巨大な山脈ともいうべきアリストテレスの業績から、何を学ぶべきかについて議論のあるところでしょうが、まず大方の異論のないところを概括的に検討してみることにしましょう。
 まず最初はイデア論です。アリストテレスはプラトンの最良の弟子として、プラトン哲学の核心となるイデア論を批判的に継承し、それを独自なものに発展させました。ヘーゲルは「古いもの……が復活されねばならないとすれば、例えばプラトンが、そしてはるかに深い形でアリストテレスが与えているような理念の形態は、……比較にならないほど想い起す価値を持っている。というのは、それをわれわれの思想のうちに取り入れて明かにするという仕事は、……哲学そのものの進歩をも意味するからである」(『小論理学」上四九ページ)と語っています。
 ここにいう「理念」の原語は、ドイツ語の「イデー」、つまりイデアです。アリストテレスがプラトンのイデア論をいかに「はるかに深い形」に発展させ、「哲学そのものの進歩」をもたらすことになったのかを明らかにすることは、本講座の最大の課題の一つといってもよいでしょう。
 二つめは、形式論理学とカテゴリー論です。先に論理学は思惟の諸法則を扱う学問であると述べましたが、もう少し詳しくお話ししておきましょう。人間は、労働とコミュニケーションをつうじて言語を発明することによって人間となりました。言語の中心をなすのは普通名詞です。普通名詞とは、人間、犬、机など一つの個物のすべてが属する共通の類をあらわす「概念」です。言語は、普通名詞つまり概念から構成されています。人間は思惟するとき、言語をつうじてのみ、言いかえると概念をつうじてのみ思惟することができます。したがって、思惟の諸法則は何よりも概念を基本として成り立っています。概念には上位概念と下位概念とがあります。上位概念は下位概念を包摂するより広い外延をもつ概念であり、上位概念と下位概念とは、類と種の関係、例えば人類と人種という関係にあります。カテゴリーとは「最高類概念」であり、最高の、最も広い外延をもつ、けっして種になることのない概念です。
 人間は、概念と概念とを主語と述語の形で結合して、例えば「人間は動物である」という「判断」をします。さらにこの判断と判断を結合して、「人間は動物である。動物はすべて死亡する。よって人間は死亡する」というような「推理」をすることになります。
 論理学は、一般に思惟の対象となる事物の内容を問題とすることなく、カテゴリーを含む概念、判断、推理という思惟の諸形式における諸法則を探究する学問であるところから、「形式論理学」とよばれているのです。アリストテレスは、カテゴリー論をはじめ、概念、判断、推理の諸形式を包括的に分析し、研究することにより、形式論理学の始祖となりました。しかもそれを訂正の余地がないほど徹底して分析・研究しました。
 したがって、一八世紀の哲学者カントは、アリストテレス以来形式論理学は「今日に至るまでいささかも進歩を遂げ得ず、従って打ち見たところそれ自体としてすでに自足完了している観がある」(『純粋理性批判』上二五~二六ページ、岩波文庫)と述懐しているほどです。またエンゲルスも「思考形式(概念、判断、推理――高村)、思考の諸規定(カテゴリー――高村)を研究することはきわめてやりがいもあり必要なことである。そしてこういうことを系統的にくわだてたのは、アリストテレス以後はヘーゲルだけであった」(『自然の弁証法』全集⑳五四八ページ)と述べています。本講座でも、アリストテレスのカテゴリー論と形式論理学の一端を学んでいきたいと思います。それは形式論理学との対比で用いられる弁証法的論理学を学ぶうえでも必要となってくるからです。
 三つめは弁証法です。アリストテレスは形式論理学の始祖でありながら同時に弁証法的論理学への道をひらいた希有の人です。その秘密は、彼が経験的事実をじつに注意深く観察して、すべての事物の同一性のうちに区別を見いだし、しかもその区別のうちに対立としての区別であることを見いだしたところにあります。いわばすべての事物を同一と区別の統一として弁証法的にとらえようとし、しかもその区別のうちに「対立」を見いだすことで、対立物の統一という弁証法的論理学にも貢献することになったのです。
 エンゲルスは「古代ギリシアの哲学者たちはみな、生まれながらの、天性の弁証家であって、じっさい、彼らのうちで最も広い学識の持主であるアリストテレスは、すでに弁証法的思考の最も根本的な諸形式を研究したのであった」(『反デューリング論』全集⑳一九ページ)と語っていますが、「弁証法的思考の最も根本的な諸形式」が、対立物の統一を意味することはいうまでもありません。レーニンもまた『哲学ノート』(レーニン全集㊳)のなかで、アリストテレスの『形而上学』に関して「総じてきわめて特徴的なのは、いたるところにある、弁証法の生きいきとした萌芽および弁証法にたいする関心」(同三三三ページ)であると述べています。
 本講座では、アリストテレスがいかに卓越した観察力と分析能力をもち、同一のうちに区別(対立)を見いだしたのかを、マルクスの『資本論』と「経済学批判」を中心にみていきたいと思います。 
 四つめは倫理学です。人間としてより善く生きることの真理を探究した倫理学はソクラテスをもって始祖としますが、それを哲学史上最初に体系的に展開したのが、アリストテレスの倫理学です。ソクラテスの倫理学は、内心のうちに徳を求める観念論的倫理学でしたが、アリストテレスの場合は、人間の本質との関連においていかにより善く生きるべきかを考えようとする唯物論的な倫理学への接近をその特徴としており、科学的社会主義の倫理観にも影響を与えるものとなっています。以下にこれらの功績を順次みていくことにしましょう。

②カテゴリー論

 アリストテレスは「カテゴリー論」(アリストテレス全集①)で包括的にカテゴリーを論じようとしました。彼は、「存在としての存在」、つまり世界のすべての存在のうちにおける根源的存在をとらえ、「それは何であるか」を規定するものをカテゴリーとしてとらえようとしました。その意味では自然哲学における「アルケー」と、そのアルケーを「何であるか」と規定する述語をカテゴリーとしてとらえようとしたということができるでしょう。アリストテレスが名付け親となっている「カテゴリー」という概念は、「カテゴリア(述語形式)」に由来するものです。
 「アリストテレスは人間である」と規定することは、「判断」とよばれる思惟形式であり、判断は主語の概念である「アリストテレス」と述語の概念である「人間」との結合により成り立っています。したがって最高類概念としてのカテゴリーはこの主語の概念と述語の概念のうちに含まれていると考え、アリストテレスは、主語のカテゴリーとして一つ、述語のカテゴリーとして九つ、計十個のカテゴリーを指摘しました。
 まず彼は、主語となる根源的存在を「実体」というカテゴリーでとらえ、実体には個物である第一実体と、類をとらえる第二実体があると考えました。実体は第一次的には個物のなかに存在するイデア(形相)であると考えると同時に、第二次的には個物を越える普遍的存在としての類としてとらえるべきだと考えたのでしょう。
 他方、述語となるカテゴリーは、主語となる実体が何であるかを規定する、「いつ」「どこで」「どのようにして」「どんな状態で」存在するのかを規定する普遍的概念をもってカテゴリーと考えました。そこで述語のカテゴリーとして「量」「性質」「関係」「場所」「時」「位置」「様態(状態、性状)」「能動」「受動」の九つをあげたのです。
 この計十個のカテゴリーを使用すれば、例えば「アリストテレスは人間である」(第一実体としての個物と第二実体としての類)、「彼は一・五メートルの背丈がある」(量)、「彼は正しい者である」(性質)、「彼はパイドンより小さい」(関係)、「彼はリュケイオンにいる」(場所)、「彼は昨日もいた」(時間)、「彼は座っている」(位置)、「彼はサンダルを履いている」(様態)、「彼は問いかける」(能動)、「彼は質問される」(受動)(同一五七ページ参照)などのカテゴリーをつうじて、「そのものが何であるか」の真理をとらえることができると考えたのです。
 つまり主語と述語から成るあらゆる判断、命題のなかには、不明瞭な形としてではあっても普遍的、根源的存在としてのカテゴリーが含まれているのであって、そのなかから純粋なカテゴリーを取り出すことによって、それらのカテゴリーの結合により事物の真理を認識することができると考えたのです。したがってカテゴリーは、真理認識の「道具」として論理学の重要な構成部分となっています。アリストテレスのカテゴリー論は、はじめて包括的なカテゴリー論を展開しようとしたものとして積極的意義をもっています。しかしそれはまだカテゴリーの萌芽的形態にすぎないのであって、その後の哲学史上の認識の発展によって更に展開され、より正確で豊富なカテゴリーへと発展していきます。
 まず「実体」のカテゴリーは、中世から近代に至るまで最も重要なカテゴリーとして論議の対象となってきました。マルクスも『資本論』において「価値を形成する実体」(『資本論』①六六ページ)は「一商品の生産に平均的に必要な、または社会的に必要な、労働時間」(同)であるとして、「実体」のカテゴリーを使用していますし、現在でも「実体経済」という概念が使用されています。しかし認識の発展にともなって「実体」のカテゴリーはかつてのような意義を失って、個物のなかにおける根源的存在は「本質」または「必然性」「法則性」のカテゴリーに、個物のなかにおける普遍的存在は「物質」のカテゴリーに分割され、個物を越える根源的かつ普遍的存在は「類」のカテゴリーに分解されるに至っています。また述語のカテゴリーは確かに主語を特定するものではあっても、主語が「何であるか」という主語の真の姿、真にあるべき姿をとらえるものにはなっていません。さらに問題なのは、アリストテレスのカテゴリーはいずれも悟性的概念としてとらえられていて、弁証法的な対立する一対のカテゴリーとしてとらえられていないことです。それはアリストテレスの弁証法的思考との関係においても問題といわざるをえないのです。
 こうして彼のカテゴリー論は、その後カント、ヘーゲルをつうじて発展することになり、ヘーゲルにおいてはじめてすべてのカテゴリーは対立する一対のものとしてとらえられ、しかも最も低次の単純なカテゴリーから、最も高次の複雑なカテゴリーへと、「萌芽からの発展」の形態をとることになります。マルクスは『資本論』第二版へのあと書きのなかで、ヘーゲルが「弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識的な仕方で叙述した」(『資本論』①二八ページ)と述べていますが、これはヘーゲル論理学のカテゴリーを念頭においたものということができるでしょう。カントやヘーゲルのカテゴリー論については、またそれぞれの該当箇所でお話しすることにしましょう。
 論理学の重要な構成部分であるカテゴリー論について、科学的社会主義の陣営ではこれまでまとまった形では論じられてきませんでした。それをどうとらえるのかは、現代に生きる私たちに残された課題の一つとなっています。

③形式論理学

形式論理学の公理

 思惟・思考の文法ともいうべき、思惟・思考の諸法則をとらえる論理学には、大きくいって形式論理学と弁証法的論理学とがあります。形式論理学を確立したのがアリストテレスであるのに対し、弁証法的論理学を確立したのがヘーゲルであり、科学的社会主義の哲学は弁証法的論理学を基礎にしています。
 形式論理学とは、定義から出発し、定義にもとづいて定理を確立し、これらを前提に、思惟の諸形式である概念、判断、推理を内容から切り離してその形式のみの真理性を研究する学問です。
 定義とは対象となるものの概念を規定することであり、公理とは定義から導き出される証明を要しないほど自明な真理を意味します。形式論理学と弁証法的論理学とは、この公理をめぐって対立することになるのです。
 アリストテレスは形式論理学の公理として三つの原理をあげました。一つは同一律であり、「AはAである」というものです。二つは矛盾律であり、「Aは非Aではない」というものです。三つは排中律であり、「AはAであるか、非Aであるかのいずれかである」というものです。この三つの公理は、結局同一律に帰着することになります。こういう定義や公理にもとづいて真理として証明された一定の理論的命題が定理とよばれます。「ピュタゴラスの定理」はその一例となるものです。そのうえで「命題論」で概念、判断の諸形式を論じ、「分析論前書」「分析論後書」で推理の諸形式を論じています。
 判断とは、主語の概念と述語の概念を繋辞(コプラ)で結んだものであり、例えば「人間は動物である」というような形式を意味します。「人間」が主語、「動物」が述語、「である」が繋辞となります。判断のうち真偽が問題となる判断を命題といいます。アリストテレスは、命題には必然的命題、蓋然的命題、実然的命題があることを明らかにしました。
 推理とは、一つあるいは二つ以上の既知の判断から新しい一つの判断(結論)を導き出すことを意味しています。アリストテレスは三段論法(大前提、小前提、結論)による推理を確立しました。彼は可能な推理の諸形式(約三百)を網羅的に検討し、それが完全な推理か、妥当な推理か、推理として成立しないかを検討しています。また推理には、個別――特殊―― 普遍、普遍――個別――特殊、特殊――普遍――個別の三つの格があることも明らかにしました。ヘーゲルは「推理の諸形式およびいわゆる格をはじめて主観的な意味において考察し記述したのは、アリストテレスである。しかもかれは、根本的な点では何も付加するものがないほど正確にそれをなしとげている」(『小論理学』下一六三ページ)と語っています。

形式論理学と弁証法的論理学との関係

 ここで形式論理学と弁証法的論理学の関係をみておきましょう。
 形式論理学は、同一律、つまり同一性の原理に基づいて対象となる事物をそれ以外の事物と区別することによって、その事物を確固としてとらえる論理であり、理論においても実践においても欠くことのできない真理認識の思惟形式です。エンゲルスはこの形式論理学を「いわゆる常識の考え方」(全集⑳二一ページ)と述べ、ヘーゲルは「一般に教養の本質的モメント」(『小論理学』上二四三ページ)としています。
 このように形式論理学は真理を認識するうえで必要な論理形式であり、国会論戦や裁判ではすべてこの論理が基準となっています。しかし、或るものを他のものから区別して確固としてとらえる形式論理学は、言いかえるとすべてのものを静止し、固定しているものとしてとらえるものであって、この論理学では運動、変化、発展をとらえることはできません。
 したがって形式論理学は、低位の、かつ一面的な真理をとらえうるのみであり、そこに弁証法的論理学が登場せざるをえない必然性があるのです。形式論理学の公理は「AはAである」という同一性の原理であったのに対し、弁証法的論理学は「AはAであると同時に非Aである」という対立物の統一の原理です。すべての事物はその内部に対立する二つの側面をもち、その対立物の相互媒介による対立物の統一により、運動、変化、発展が生じるとするのです。
 根本的に対立する公理から出発するのですから、形式論理学と弁証法的論理学とは対立する論理学ではありますが、両者は並置されているのではありません。弁証法的論理学の公理は、形式論理学をふまえながらもそれを止揚するものとして、より高次の、より全面的な真理をとらえる論理学として、形式論理学を内に包摂しているのです。弁証法的論理学を学ぶ者は、形式論理学を無視するのではなくて、それにも精通したうえで、なおかつそれを乗り越える力量が求められているのです。

④弁証法

ヘーゲルはなぜアリストテレスを高く評価したのか

 ヘーゲルは、アリストテレスについて「彼こそはかつてこの世に現われた限りでのもっとも豊かな、もっとも包括的な(もっとも奥深い)学問的天才のひとりであり、――いかなる時代にも彼に比肩できるほどの人はいない」(『哲学史』中の二、一ページ)と最高の評価を与えています。実はアリストテレスは形式論理学の創始者でありながらも、経験的事実の研究にあたっては事実そのものをよく観察し、事実そのものに含まれる対立する二つの側面に注目したところから、ヘーゲルにより最高の評価を受けるに至ったのです。先にアリストテレスはその「カテゴリー論」において、カテゴリーを悟性概念、つまり同一性を貫く概念としてとらえているとお話ししましたが、実際の経験的事実の研究においては、研究対象をよく観察し、抜群の分析能力をもとに、同一のもとに区別・対立を見いだし、一対のカテゴリーのもとに考察するという態度を貫いているのです。
 こうしてアリストテレスは、特殊(個)と普遍、質料と形相、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)などの一対のカテゴリーを使用したのです。ヘーゲルは、アリストテレスが「思弁的な深さにおいてはプラトンに優り、しかもこの徹底した思弁にありながら、極めて広汎な経験界をつねに問題にしている」(同三ページ)と語っていますが、「広汎な経験界」の研究にあたっては、「弁証法の創始者」(『小論理学』上二四七ページ)であるプラトンよりも、はるかに深く弁証法的考え方をとっていたのです。
 以下にその例を二つほどみていくことにしましょう。一つは、マルクスに大きな影響を与えた経済学の基本となる商品をめぐる対立するカテゴリーであり、もう一つは、中世以降の哲学史に大きな影響を与えた、質料と形相、可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)という対立する一対のカテゴリーです。

アリストテレスの経済学における弁証法

 意外にもアリストテレス哲学は、マルクスの「経済学批判」や『資本論』にも大きな影響を与えています。マルクスが古代の哲学者でもっとも好きなのはアリストテレスだと述べた理由もこの辺りにありそうです。それはアリストテレスが経済学の基本となるカテゴリーについて弁証法的分析をおこない、同一と区別の統一の見地にたっていたからにほかなりません。
 マルクスは『資本論』第一篇「商品と貨幣」において、すべての商品は交換価値と使用価値とをもっていること、つまり、同一の商品のうちに交換価値と使用価値の区別があることを明らかにしました。実はこの点を最初に指摘したのがアリストテレスだったのです。
 「われわれが所用している物のいずれにも二つの用がある。……一方の用は物に固有のものだが、他方の用は固有でないから、例えば、靴には靴としてはくという用と交換品としての用とがある」(「政治学」アリストテレス全集⑮二三ページ)。
 「靴としてはく用」というのが靴の使用価値、「交換品としての用」というのが交換価値であることは言うまでもありません。マルクスがこの文章にヒントを得て商品のもつ二つの価値を明らかにしたことは、「経済学批判」(全集⑬一三ページ)にそのままこの文章が引用されていることでも知ることができます。
 商品交換が一般化するもとで、どんな商品とも交換しうる特別の商品である貨幣が誕生します。貨幣商品は、最初米や塩、家畜などがその役割を果たしますが、やがて少量で価値が高くしかも分割可能な、鉄、銀、金などの金属貨幣として定着することになります。いわば同一の商品のうちに、商品一般と貨幣商品という区別が生じ、しかも貨幣商品は市場において商品一般に対立することになってくるのです。アリストテレスは貨幣も商品の一種であり、しかも他の商品一般と対立する特別の商品であることをすでに知っていました。
 「貨幣は、いわば、一つの規準として、物品を同じ規準で測られたものとし、平等なものにする。……家屋に代えて五個の寝台を得ることと、五個の寝台の価格だけの貨幣を得ることは何ら変わるところがないからである」(「ニコマコス倫理学」アリストテレス全集⑬一六一ページ)。マルクスはこの文章を受けて、次のように述べています。
 「アリストテレスは、まず第一に、商品の貨幣形態は、簡単な価値形態の、すなわち、なにか任意の他の一商品による一商品の価値の表現の、いっそう発展した姿態にすぎないことを、はっきりと述べている。というのは、彼はこう言っているからである。『五台の寝台=一軒の家』ということは、『五台の寝台=これこれの額の貨幣』というのと『区別されない』と」(『資本論』①一〇一ページ)。
 次に、金や銀などの金属貨幣は、最初はその重さで秤られて使用されていましたが、不便なため一定の重さを一まとめにして、その価値量を刻印で表示する鋳貨となります。これによって鋳貨は価値の担い手であると同時に、一定の価値量を示す価値章標となります。いわば同一の鋳貨のうちには、価値の担い手(価値尺度)としての側面と、価値のシンボル(価値章標)としての側面という区別が存在するのです。
 鋳貨も最初は、そこに含まれる価値量と刻印によって表示される価値章標とは一致しているのですが、鋳貨のもつ価値章標の機能からすると、必ずしも表示される価値量に等しい価値量がそこに含まれる必要はなくなってきます。例えば一両という鋳貨は、当初金四匁(一匁は三・七五グラム)の重さを示すものでしたが、それが金三匁に減量され、他の金属一匁が混ぜ込まれて四匁にされても、一両の刻印という価値章標をもっていれば、一両として社会的に通用することになります。こうして価値章標としての鋳貨においては、そこに含まれる価値量と、表示される価値の章標とは対立することになり、やがては何らの価値もない紙幣が誕生することになるのです。つまり同一の鋳貨のうちには、価値の担い手と価値の章標との区別が存在し、その区別はやがて対立にまで転化することになるのです。
 アリストテレスは、価値の担い手としての貨幣と価値章標としての鋳貨の区別をすでに知っていました。商品流通がふえてくると「それ自ら有用なものの一つであって、生活のために取り扱い易いという効用を持っているようなもの、例えば鉄とか銀とか……を相互の間に取りきめた。こうしたものの価値は初めのうちは単に大きさと重さによって秤られたが、しかし遂には秤る面倒を省くために、また刻印がその上に押されるに至った。何故なら刻印は『どれだけか』の印として押されたから」(「政治学」アリストテレス全集⑮二四~二五ページ)。
 マルクスは、アリストテレスが鋳貨における価値と価値章標との同一と区別を論じているこの文章を引用しつつ、「アリストテレスは、プラトンよりもはるかに多面的に、またふかく貨幣を把握していた」(「経済学批判」全集⑬九七ページ)と述べています。
 さらにアリストテレスの分析能力のすごさを示すのが、商品の流通と資本の流通の質的違いを指摘していることです。商品の流通も資本の流通も、その流通場面において商品から貨幣へ、貨幣から商品へとその形態を変えながら流通するという点では同一です。しかしアリストテレスは、一見同一にみえる商品の流通と資本の流通の間に決定的ともいえる区別を見いだし、両者の流通には質的な違いがあることを発見しました。しかも商品の流通は「ほんとうの富」(アリストテレス全集⑮二二ページ)を手にするための流通であるのに対し、資本の流通は「間違った種類の富」(同二六ページ)を手にするための流通であるとして、資本の流通の批判までおこなっているのです。
 すなわち一般の商品流通は、自分のもっている商品(W)を売却して貨幣(G)を手に入れ、その貨幣を使って欲しい商品(W)を入手するというW―G―Wという形態をとります。これに対して資本の流通は、手持ちの貨幣(G)を使ってある商品(W)を購入し、それをより高い値段()で売却して利潤を手にするという、G―W―の形態をとります。つまり一般の商品流通は使用価値の取得を目的とするのに対し、資本の流通では流通の最初と最後とは同じ貨幣であり、その量のみが異なることによる交換価値の取得を目的としているのです。
 アリストテレスは、この違いを「家政術」と「取財術」として区別し、前者は使用価値の取得を目的とする「ほんとうの富」であるのに対し、交換価値の取得を目的とする取財術には「限りがない」(同二三ページ)から、「間違った種類の富」だといっています。
 取財術においては「貨幣は交換の出発点であり、目的点でもあるからである。そしてさらに、この種の取財術から生じる富には限りがないのである。……そしてその目的というのは間違った種類の富であり、財の獲得である。しかるに他方の家政術に属する取財術には限りがある。何故なら、この種の財を獲得することは家政術の仕事ではないからである」(同二六ページ)。
 マルクスは、この「取財術」(貨殖術)に資本の本質をみたのです。彼は「アリストテレスは『政治学』第一巻、第九章で、流通の二つの運動W―G―WとG―W―Gとを『オイコノミケー』(経済術、家政術)と『クレーマティスティケー』(貨殖術)という名で対立させて説いている」(全集⑬一一六ページ)としたうえで、次のように述べています。
 「循環W―G―Wは、……消費、欲求の充足、一言で言えば使用価値が、この循環の究極目的である。これに反して、循環G―W―Gは、貨幣の極から出発して、最後に同じ極に帰ってくる。それゆえ、この循環を推進する動機とそれを規定する目的とは、交換価値そのものである」(『資本論』②二五五ページ)。
 資本の運動の「推進的動機」と「規定的目的」は剰余価値の生産にあるという、『資本論』全体を貫く資本の本質規定は、アリストテレスの分析に学んだものだったのです。

形相と質料、可能態と現実態の弁証法

 もう一つアリストテレス哲学の根幹に関わる問題についての弁証法を紹介しておきましょう。それは、形相(イデア)と質料という一対のカテゴリーとそれに関連する可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)という一対のカテゴリーであり、いずれもアリストテレス哲学において重要な位置づけをもつものであると同時に後世の哲学に大きな影響を与えたカテゴリーとなっています。
 存在する事物を知るということは、その事物が「何故そうあるのか」という存在するに至る「原因」を知ることであるとして、原因の探求が始まります。アリストテレスは、これまでの哲学者の原因論を分析してみると四つの原因があり、それ以外には存在しないとします。それは一つには形相因(イデア因)であり、二つには質料因であり、三つには動力因(始動因)であり、四つには目的因であり、この四つの原因を知ることが存在する事物についての科学的な知識をもつことになる、というのです。例えば家を建築する場合、形相因は家の設計図であり、質量因は石材や木材、動力因は建築屋であり、目的因とは家を完成させること、となります。マルクスは『資本論』で、この四原因説を利用して、「労働過程の単純な諸契機は、目的的な活動または労働そのもの、労働の対象、および労働の手段である」(同三〇五ページ)と述べています。「労働過程」を形相因、「労働そのもの」を目的因、「労働対象」を質料因、「労働手段」を動力因ととらえたのです。
 第二講でお話ししたように、アリストテレスは、アナクサゴラスの「ヌース」論を高く評価し、自然に存在する事物はすべてそのうちに目的因をもち、目的によって規定され、支配されていると考えました。この考えは、神がその目的にしたがって自然と人間を創造し、そのために自然や人間は目的因をもつに至ったとするスコラ哲学(神学)のなかに取り入れられ、中世の自然哲学全体を支配することになります。
 それはともかく、このようにアリストテレスは四原因説をとりながらも、動力因、目的因は結局のところ形相因に帰着するとして、実体としてのすべての個物は、形相と質料の二つから成ると考えました。質料とはその実体を形づくっている材料であり、形相とは質料に作用して実体をまさに現にあるところのものとするイデアと考えたのです。実体としての個物のなかにこそイデアが存在するというアリストテレスのイデア論は形相というカテゴリーとして生かされているのです。
 彼は、実体を低次のもの、通常のもの、高次のものの三段階に区別し、低次の実体は質料のみからなり、通常の実体は質料と形相の統一として存在し、最高の実体、絶対的実体(神)は形相のみで質料をもたないと考えました。この絶対的実体が目的因と結びついて、スコラ哲学の神を頂点とするヒエラルヒー的自然観となっていくのです。またこの絶対的実体は次講でお話しするように、主観と客観の統一という実践的真理観につながることになるので、記憶しておいてください。
 この質料と形相のカテゴリーは、近代に至るまで使用され続けましたが、現在では自然科学の発展にともない、真理をとらえるカテゴリーではないとして使用されなくなっています。
 さらにアリストテレスは、質料と形相のカテゴリーに可能態(デュナミス)と現実態(エネルゲイア)のカテゴリーを重ねあわせています。質料がデュナミスに、形相がエネルゲイアに対応するのです。いわば質料と形相のカテゴリーを運動・生成の観点からとらえるとき、無規定の質料はたんなる可能態にすぎず、質料は形相によって規定されて現実態に転化すると考えたのです。つまり、アリストテレスは可能的なものが現実的なものになるところに運動・生成をみたのであり、そこから彼の哲学は「生成の体系」(シュヴェーグラー『西洋哲学史』上二二〇ページ)とよばれています。
 アリストテレスが作りだした可能性と現実性のカテゴリーは現在でもよく使われるカテゴリーとなっています。このデュナミスとエネルゲイアのカテゴリーに最も注目したのがヘーゲルでした。彼はこのカテゴリーのうちにプラトンのイデア論とアリストテレスのイデア論の違いを見いだしたのです。ヘーゲル哲学のうちで最も有名な命題は、『法の哲学』の序文にある「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」というものです。この命題のなかにアリストテレスのイデア論、つまりエネルゲイアとしてのイデアに学んだヘーゲル哲学の真髄が示されているのです。 

⑤イデア論

 アリストテレスは二十年間プラトンに師事して、そのイデア論を学びつくしました。そのうえで『形而上学』において、実に二十三項目にわたってプラトンのイデア論を徹底的に批判しています。そのためプラトンは「ただイデアをのみ真実なものと考えるに反して、アリストテレスはイデアを排して現実的なものを固守し、したがって経験論の創始者および旗頭」(『小論理学』下八三ページ)と解されるようになりました。
 この考えを批判したのがヘーゲルでした。彼はプラトンもアリストテレスもイデアのみを真実なものと考えたという点では共通だったのであり、両者の違いは、プラトンのイデアはたんなるデュナミスにとどまっているのに対し、アリストテレスのイデアは「本質的にエネルゲイアであること、言いかえれば、端的に外にあらわれている内的なもの」(同八四ページ)、つまり運動・生成のイデアだというのです。
 ヘーゲルは、プラトンのいうイデアとは理想であるととらえたうえで、プラトンのイデアには理想を現実性に転化する主体的運動が存在しない、つまり「生き生きとした活動の原理、主体性の原理が欠けている」(『哲学史』中の二、二八ページ)のに対し、アリストテレスのイデアにはそれがあるとみたのです。イデアすなわち理想は、いつまでも理想のままにとどまってはならないのであって、人間主体の理想をかかげた実践により、現に在るものを否定し、理想を現実性に転化しなければならないし、また唯物論的な理想は、当為の真理をとらえたものであるがゆえに、実践により必然的に現実性に転化すると考えました。それがアリストテレスのイデア論であるとヘーゲルは考えたのです。
 プラトンのイデア論には主体による「否定的な原理はそれほど直接的には表明されていない」(同三一ページ)ことにより「現実性の契機が欠けている」(同)のに対し、アリストテレスの「現実性あるいはエネルゲイアといわれているものはまさしくこの否定性であり、活動であり、活動的な能力」(同)と理解したのです。
 先にヘーゲルが、プラトンのイデア論よりも「はるかに深い形でアリストテレスが与えているようなの形態」(『小論理学』上四九ページ)を「われわれの思想のうちに取り入れて明かにするという仕事」(同)は、「哲学そのものの進歩をも意味する」(同)と述べていることを紹介しましたが、その真意はここにあったというべきでしょう。
 そしてこのヘーゲルの理想を掲げた社会変革の理論は、アリストテレス哲学で最も有名な「思惟の思惟」の解明のなかで更に深められていますが、それは次回の課題にしておきます。