『科学的社会主義の哲学史』より

 

 

第一〇講 講近代哲学④
     一八、一九世紀のドイツ観念論(その二)

(一)カント(つづき)

・カントの道徳論

 前講で学んだ『純粋理性批判』は、全体として理論理性と称する認識論を論じたものでした。それに続く『実践理性批判』(一七八八年)では、実践理性と称する道徳論を論じています。カントはその認識論において経験を超える当為の真理は認識しえないとしましたので、その論理からすれば、そもそもいかに生きるべきかという人間の生き方の当為を問題とする道徳論は論じえないことになってしまいそうです。
 そこでカントは自然を対象とする認識論と人間の精神を対象とする道徳論とは、その根本的原理において全く異なる別の世界であるとする「二元論」を展開します。すなわち、有限な自然を対象とする認識論では、自然の必然性に制約されて認識もまた有限なものとなり、当為の真理は認識しえないのに対し、無限な精神を対象とする道徳論においては、何物にも制約されない自由な精神の働きによって、生き方という当為の真理を認識しうるとするのです。
 カントは、道徳論の根本原理をルソーに学んで「一般意志」ととらえます。「道徳的存在として人間は自由であり、一切の自然法則一切の現象を越えた高み」(『哲学史』下の三、一〇七ページ)にあるのであって、実践理性は経験の制約を受けることなく、真にあるべき生き方としての「善」をとらえ、その善に向かって生きる義務を負うことが道徳というものだというのです。いわば、真にあるべき生き方と現にある生き方とを対立のうちにとらえ、道徳とはその同一性を義務として追求する「当為」にあるとするのです。
 こうしてカントは「汝の意志の格率が同時に一つの普遍的な立法の原理として通用しうるように行為せよ」という道徳律を打ち出します。「普遍的な立法の原理」とは、ルソーの一般意志を意味しています。道徳律は万人の意志によって定められるのではなく、人間として生きるうえでの「真にあるべき意志」によって定められるというのです。この「真にあるべき」一般意志を「善」として掲げ、それに向かって生きる義務を負い、義務を履行することが道徳的生き方だというのです。
 このカントの道徳律を批判したのがヘーゲルでした。その一つは、個人の特殊な意志を一般意志に一致させるべきだとしても、その一般意志が一義的に決まるわけではないというものです。ヘーゲルは『法の哲学』では真にあるべき国家とは人民の一般意志を統治原理とする治者と被治者の同一の国家であるととらえています。政治の舞台では、国家権力と人民との矛盾の具体的形態により、人民の一般意志は一義的に規定されるけれども、道徳の領域ではそうはいかないと考えたのでしょう。なぜ政治と道徳とで一般意志を区別して取り扱っているのか、その理由をヘーゲルは明らかにしていませんが、道徳的意志を問題とするのであれば、まず人間の類的本質が明らかにされることが必要であり、その本質にてらしていかなる生き方に価値があるのかという人間的価値の問題が論じられなければならないのであって、それを問題とすることなく一般意志から特殊の内容をもつ道徳律を引き出すことはできないと考えたのでしょう。
 「人は善を意志の内容としなければならないと言えば、この内容は一体どういうものかという問題、すなわちこの内容の規定は何であるかという問題がすぐに起こってくる」(『小論理学』上二〇一ページ)。
 二つには、一般意志を善とするとしても、それはあくまで「善を単に自己のうちにのみ定立」(同二〇〇ページ)するものでしかありません。いやしくも人間の「実践理性」を問題にし、いかに生きるべきかを問題にするのであれば、それは単に内面的な生き方の問題にとどまらず、国家・社会がどうあるべきかの問題にかかわる外面的な生き方をも問題としなければならないのであって、むしろその方こそが重要だといえます。
 善は「世界のうちに存在し外的な客観性を持つこと、言いかえれば、思想が単に主観的でなく、客観であることを要求してはじめて本当に実践的なものである」(同二〇〇ページ)。更にいえば、カントが実践理性をもっぱら人間の内面的な生き方のうちに求めた根本的理由は、理論理性と実践理性、言いかえると認識と実践とを全く別個のものとして切りはなしてとらえていることに由来しているといわなければなりません。
 人間は自然や社会を変革する能力をもつことによって動物界から区別されています。変革するとは実践することであり、人間は実践のために認識するのであって、認識と実践とは、認識しつつ実践し、実践しつつ認識するという相互媒介の関係にあります。ところがカントは、認識と実践の間に人為的な壁をつくりだし、認識のうちには当然国家や社会の認識が含まれるにもかかわらず、実践を単に人間の内面的な生き方にかかわる問題に限定してとらえ、人間本来の実践の対象となる外面的世界、とりわけ国家・社会を「真にあるべき姿」に変革することから目をそむけてしまったのです。 

・カントにおける二元論の克服

 批判哲学の最後は『判断力批判』(一七九〇年)です。カントは『純粋理性批判』において自然界を論じ、『実践理性批判』において精神界を論じてきました。カントにおいて、この自然と精神とは全く異なる世界として異なる論理の支配する世界とされているのですが、果たしてそれでいいのか、二元論は克服されなければならないのではないかとの問題意識が『判断力批判』を生みだしたのです。
 確かに『実践理性批判』では、現にある生き方と善との関係が論じられてはいますが、その関係はあくまで、両者の対立は揚棄されて統一されるべきであるという「当為」の関係にとどまり、両者の統一までは論じられませんでした。
 「たんに道徳的な、関係の立場は、永遠につづく当為の、もっとさきのもろもろの二律相反と形態化のなかをただうろつきまわるだけで、それらを解決して当為以上にでることはできない」(『法の哲学』三三九ページ)のです。いわば道徳論においてカントは「思考と存在」との関係を論じながら、その同一性を認めるのではなく、「同一であるべきだ」という「当為以上にでる」ことはできなかったのです。
 そこでカントは、精神と自然、思考と存在との統一を『判断力批判』で論じることになります。カントは「判断力」とは特殊をつうじて普遍をとらえる能力であると理解し、精神と自然、思考と存在という二つの特殊を統一する、より普遍的な原理を世界のうちに求めようとするのであり、それを「内的目的性」という普遍性だとします。つまり世界のうちには「内的目的性」が存在すると考えれば、精神と自然、思考と存在を統一的にとらえることができるのであり、現に自然界にも精神界にも「内的目的性」の具体的なあらわれとみなしうるものが現に存在するというのです。その例としてカントがあげるのは、精神界における芸術と自然界における生命体です。芸術も生命体もいずれも「内的目的性」をもつことによって、普遍的な「思考」を自ら特殊化して「存在」に転化し、思考と存在との同一性を実現しうると考えたのです。
 芸術の場合、人間は美のイデアという普遍的な「思考」を内的目的とし、それを芸術的実践をつうじて特殊化し、芸術作品という「存在」に転化することで「思考と存在との同一性」が実現されます。また生命体の場合、生命体の体内にもつ内的目的という普遍(思考)によって、自らの肉体を特殊化し、その生命体にふさわしく無駄のない有機的連関のもとに活動する統一体(存在)に組織することで「思考と存在との同一性」を実現するというのです。ここにはダーウィンの進化論に七十年も先だって、その思想の真髄を直感的に把握しているカントの先見性をみることができます。
 ヘーゲルは「内的目的性という概念によって、カントは、理念一般、特に生命という理念を再びよびさました」(『小論理学』下一九八ページ)として、「思考と存在との同一性」、言いかえると理想と現実の統一としての「理念一般」を問題としているところに『判断力批判』の功績を認めています。「判断力批判のすぐれた点は、そのうちでカントが理念の表象、否、理念の思想をさえ、はっきり述べている点にある」(同上二〇一ページ)。ヘーゲルのいう理念とは、主観的概念と存在との統一であり、思考としての真にあるべき姿が実践をつうじて現実に転化する(存在となる)ことを意味しています。
 しかし他方でヘーゲルは、カントが『判断力批判』において「理念の思想」を述べているにもかかわらず、問題を芸術美と生命体に限定して、理念一般を問題としていないこと、つまり理想と現実の統一という「哲学の最高の究極目的」(同六九ページ)を正面から取りあげていないことを不満に感じているのです。そこでヘーゲルは「生命ある有機体や、芸術美が現に存在しているということは、……理想(イデアと実在との統一)の現実性を示している。だからここで取扱われているような対象にかんするカントの考察は、人々を具体的な理念の把握および思索に導き入れるに特に適しているものであろう」(同二〇二ページ)として、「理想と現実の統一」という一般的問題にまで対象を広げなければならないことに注意を喚起しています。
 こうした制約はあるものの、カントが「思考と存在との同一性」という、もう一つの近代哲学の根本問題に理論的に踏みこんだことは評価されなければなりません。このカントの問題提起があったからこそ、ドイツ古典哲学は、フランス革命の経験をつうじてフィヒテ、シェリング、ヘーゲルへと、いずれも「理想と現実の統一」という問題を探究し続けることになるのです。
 マルクスは、カント哲学を「フランス革命のドイツ的理論」(「歴史法学派の哲学的宣言」全集①九三ページ)とよんでいます。その理由は明確にしていませんが、前後の文脈からして、フランス啓蒙思想は、理性的なものを現実的なものにしようとしたのであり、カントはその啓蒙思想を引きついで「フランス革命のドイツ的理論」をうち立てたと述べているように思われます。

・カント哲学の総括

 以上、カントの『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という三つの批判哲学を概観してきましたが、最後にカント哲学の功績とその限界を整理しておきましょう。
 一つは、何といってもカントが「思考の最高の形式としての弁証法をふたたびとりあげたこと」(全集⑳一九ページ)はその功績の第一にあげられなければなりません。それは『純粋理性批判』におけるアンチノミーをつうじて、弁証法の契機としての「対立」の問題をもっとも理論的に深く探究すると同時に、三つの批判哲学をつうじて精神と自然、理想と現実の弁証法を探究し、カントの継承者としてのフィヒテ、シェリング、ヘーゲルに「理想と現実の同一性」、理想と現実の統一という近代哲学の提起した最高の問題を考えさせる契機をつくりだしたのです。
 しかしカントの弁証法の限界は、せっかくアンチノミーや、理想と現実の弁証法をつうじて「対立」を論じながらも、対立する「悟性の諸規定が有限であって、その範囲内を動いている認識が真理に達しないという確信を主張」(『小論理学』上二一〇ページ)するにとどまり、対立物の統一に真理があるとするところまで前進しえなかったところにあります。
 二つには、それに関連して、精神と自然、思考と存在という世界の最も根本的な対立の問題についても、結局は二元論から完全に抜け出すことができなかったことを指摘しなければなりません。ヘーゲルは、「特にカントの二元論的体系の根本欠陥は、それが独立的なもの、したがって結合されえないものと説いたものを、すぐあとで結合するという不整合のうちにあらわれている」(同二〇六ページ)としたうえで、次のように述べています。
 「このような哲学的思惟には、こうした動揺そのものが(対立する――高村)二つの規定の各々が不十分であることを証明しているのだ、というような簡単なことさえわからないのであって、その欠陥は(対立する――高村)二つの思想……を結合する能力が全くない点にあるのである」(同二〇六ページ)。
 カントは、「対立」の意義は明確にしたものの、「対立」する「二つの規定の各々が不十分」であり、真理は対立物の統一にあることまで理解しえなかったところから、フランス革命の理想には共鳴しながらも、世界の最も根本的な対立である理想と現実の統一に真理があるというところまで踏み込めなかったのです。

(二)フィヒテ(一七六二~一八一四)

 フィヒテは創立されて間もない国立ベルリン大学の総長となり、フランス革命を熱烈に支持したことで知られています。自らカント哲学の後継者をもって任じましたが、二つの点でカントを乗り越えようとするものでした。
 一つは、カントがその認識論において「現象」と「物自体」という二元論におちいったのは、経験から出発するという唯物論に引きずられたためであって、この二元論から抜け出すためには、自我を絶対的原理とし、「行為する自我」こそ外界の主人であるという主観的観念論を貫かなければならないとしたことです。つまりフィヒテは、近代的自我という主体こそ根源的なものであって、主体の行為(実践)によって客観的世界は産出されるという観点から、「思考と存在との同一性」を論じたのです。このフィヒテの立場がカント以上に徹底した観念論であることはいうまでもありませんが、同時に彼はそれによってフランス革命の掲げた理想を現実化しようとする革命的実践、すなわち「理想と現実の統一」をめざす実践こそ、人間の本質的な行為というべきものであることを主張したのです。
 ハイネは『ドイツ古典哲学の本質』(岩波文庫)において、「フィヒテは『思想と自然とは同一物である』という原理から出発して、知的な操作によって現象界に到達した。つまり思想から自然を、理想から現実をつくり出したのだ」(前掲書二二三ページ)として、フィヒテが観念論の立場ではあっても革命の哲学を論じようとしたことを評価しています。
 二つにはカントがアンチノミーに消極的意義しか見いださなかったのに対して、フィヒテは絶対的自我から出発しながら、自我(主体)と非我(客体)の対立のうちに積極的意義を見いだし、主体と客体の弁証法によって、弁証法を大きく前進させ、ヘーゲル弁証法に道をひらきました。すなわち彼は「行為する自我」を根本命題とし、この自我に対して非我が対立するものとして定立され、さらに自我と非我の統一により、「理想と現実の統一」が実現されるとして、弁証法の基本形式である対立物の統一を打ち出したのです。この弁証法の基本形式はヘーゲルに大きな影響を与え、ヘーゲル弁証法を完成させる契機となるのです。
 さらにフィヒテは、この自我と非我の対立から多様なカテゴリーを弁証法的に展開して彼の世界図式論をつくりあげていきます。ヘーゲルは、カテゴリーは「その必然性において示されなければならないということ、すなわちそれらは本質的に導出されなければならないということ、このことを注意したのは、フィヒテの哲学の没することのできない高い功績である」(『小論理学』上一七〇ページ)として、フィヒテのカテゴリー論を高く評価しています。
 フィヒテへの敬意をこめて、ヘーゲルの墓はフィヒテの墓に隣接して設置されています。

(三)シェリング(一七七五~一八五四)

 シェリングは、フィヒテの絶対的自我の哲学から出発しながら、その観念論的側面を批判し、自我と非我、主観と客観、精神と自然、理想と現実の「絶対的同一性」という「同一哲学」をうち立てます。すなわち、フィヒテの主観的観念論では自我のみが根源的存在であり、非我は自我の対立物として以上の意味を与えられないものになってしまいます。シェリングはそれを批判し、自我と非我、主観と客観とは対等にして同一のものとみなければならないとして、その観念論を批判したのです。
 しかし、シェリングのフィヒテ批判は、フィヒテの観念論を批判したものではあっても、唯物論の立場からの批判ではなく、主観と客観とはどちらも根源的であるとする二元論的立場からの批判にとどまることによって、観念論の陣営から完全に脱却することはできなかったのです。しかし彼の同一哲学の根底には、理想は現実から生まれると同時に、その理想が現実を変革するという理想と現実の相互媒介の関係が念頭にあったことを指摘しておかなければなりません。
 ハイネによると、フィヒテの同一哲学はスピノザの思考と延長の二属性論と同じだとの意見に対して、シェリングは「おれの哲学はスピノザ哲学とはちがう。おれの哲学ではむしろ『理想と現実とが生き生きと浸透しあっている』」(ハイネ前掲書一一二ページ)と反論するだろうと述べています。いわば、フィヒテが理想から現実へという一方向からのみ「思考と存在の同一性」を主張したのに対し、シェリングは現実から理想へ、理想から現実へという二方向から全面的に「思考と存在の同一性」を論じたということができるでしょう。
 カント、フィヒテ、シェリングをつうじて理論的に展開された「思考と存在との同一性」の問題は、フランス革命の総括をつうじて存在から思考へという認識論の問題があると同時に、思考から存在へという実践論という二つの問題があることを明らかにしたのです。
 フィヒテの問題提起は、ヘーゲルの革命の哲学において終結し、「理想と現実の統一」こそ「哲学の最高の究極目的」であることが明らかにされることになります。

(四)ヘーゲル(一七七〇~一八三一)

・ヘーゲル哲学の本質

 ヘーゲルは、マルクス主義哲学の源泉の一つとなっている人物であり、マルクスが「あの偉大な思想家の弟子であることを公然と認め」(『資本論』第二版へのあと書き)ているように、ヘーゲルなくしてマルクス主義も存在しえなかったということができます。
 ヘーゲルはドイツ観念論としてのドイツ古典哲学を完結させた人物です。しかしそれはドイツ観念論を観念論として完結させたという意味ではなく、ドイツ古典哲学がふたたびとりあげた弁証法を完結させると同時に、ドイツの哲学革命、理想と現実の統一という二つの側面において「革命の大きな循環を終結させ」(ハイネ前掲書二三五ページ)たのです。
 エンゲルスは『フォイエルバッハ論』において、いかにしてマルクス、エンゲルスがヘーゲル哲学から出発し、フォイエルバッハという中間項を経て、マルクス主義に到達したのかを概観しています。要約すると、ヘーゲル哲学には弁証法という革命的側面と、観念論的な体系という保守的な側面をもつという矛盾がある、フォイエルバッハは、唯物論の立場から「この矛盾を一撃の下に粉砕した」(『フォイエルバッハ論』全集㉑二七六ページ)が、人間社会までを唯物論的にとらえることはできなかった、ヘーゲルの観念論を徹底的に批判し、唯物論を歴史観にまで徹底させたのがマルクス、エンゲルスの弁証法的唯物論と史的唯物論である、ということができるでしょう。
 すなわちヘーゲル弁証法は観念論的に逆立ちしており、それは「自然および歴史のなかに現われる弁証法的発展」(同二九七ページ)を「概念の自己発展」(同)としてとらえていること、すなわち「この絶対的概念は、転化して自然になることによって、自己を『外化』する。この自然のなかでは、絶対的概念は、……最後に人間においてふたたび自己意識に達する」(同)としていることにあらわれているとしています。
 同様な表現は『空想から科学へ』でもみられます。ヘーゲルにとって「彼の頭脳のなかの思想は現実の事物や過程の多かれ少なかれ抽象的な模写とは考えられないで、逆に、事物やその発展がすでに世界よりもまえになんらかの仕方で存在していた『』の現実化された模写でしかないと考えられたのである」(『空想から科学へ』全集⑲二〇三ページ)とされています。
 要約するとヘーゲルは「絶対的概念」(因みにヘーゲルには「絶対的理念」というカテゴリーはありますが、「絶対的概念」というカテゴリーはありません)や「理念」のカテゴリーによって観念論的な世界図式論を描いているというものです。問題はヘーゲルがなぜ「概念」「理念」というヘーゲル独自のカテゴリーを使用し、それをいかなる意味で使用しているかにあります。
 これまで学んできたように、ドイツ古典哲学が追究した最大の課題は、フランス革命から哲学的に何を学ぶべきかの問題であり、それはつまり「思考と存在との同一性」、言いかえると理想と現実の統一の問題でした。ヘーゲルはその論議をつうじて、理想とは自然や社会の現実に立脚し、そのなかの基本矛盾をとらえた「事実の真理」をつうじてその矛盾を揚棄する「当為の真理」でなければならないことを確信し、それを「概念」というカテゴリーでとらえたのです。そのうえで「概念」を目的に掲げた実践によってそれを現実性に転化させ、概念と存在との統一を「理念」のカテゴリーとしたのです。
 その意味では「概念」「理念」のカテゴリーは、けっしてヘーゲルの頭のなかでつくり出された観念の所産ではなく、ドイツ古典哲学全体が探究した「思考と存在との同一性」という哲学の最高の問題に回答を示すものであると同時に、ヘーゲル哲学の革命的性格を象徴するカテゴリーというべきものと考えます。またヘーゲル哲学の立場は「観念論的装いをもった唯物論」にあり、その本質は革命の哲学にあると考えます。
 そのように考える根拠について、これまでにも拙著『ヘーゲル「小論理学」を読む』(一粒の麦社)をはじめとし、いろいろな機会に述べてきましたが、以下の論述全体をつうじて明らかにしていきたいと思います。「概念」「理念」は、その革命の哲学の中心的カテゴリーとなっているところから、ヘーゲルは弾圧を免れるため、その真意を覚られないよう偽装工作を施し、「観念論的装い」をまとわせたのです。
 生前ヘーゲルは「プロイセン王国の国定哲学の位」(全集㉑二六九ページ)にまで昇りつめますが、死の間際までヘーゲル哲学の本質を理解してもらえないことを嘆いていたとされています。
 「ヘーゲルは臨終のベッドでいった。『わしの意見がわかってくれたのは、ただ一人いただけだ』。けれども、すぐそのあとで腹だたしげに、こうつけくわえた。『いや、あの男もほんとうに分かってはくれなかった』」(ハイネ前掲書一八九ページ)。ヘーゲルがなぜ死の床でこのように嘆くことになったのか、その理由が解明されなければならないのです。

・ヘーゲルの弁証法的論理学

 ドイツ古典哲学の「最大の功績は、思考の最高の形式としての弁証法をふたたびとりあげたこと」(全集⑳一九ページ)にありましたが、この弁証法の基本形式が対立物の統一にあることを解明すると同時に、その「一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識的な仕方で叙述した」(『資本論』①第二版へのあと書き)のがヘーゲルでした。
 なぜ弁証法が「思考の最高の形式」かといえば、すべての事物は自然であると精神であるとを問わず、静止と運動の統一として存在していますが、弁証法的論理学はその静止と運動を思惟形式においてとらえ、静止の思惟形式としての形式論理学の一面性を指摘し、それを止揚したからです。
 弁証法の基本形式は対立物の統一であり、肯定と否定の統一と言いかえることもできます。ヘーゲルはカントのアンチノミーに学んで、「すべてのものは対立している」(『小論理学』下三三ページ)と述べています。その理由をヘーゲルは詳しく説明していませんが、ヘーゲルの言わんとすることは以下のように整理しうるでしょう。 地球上のすべての物体を含む私たちの宇宙は、百三十七億年前のビック・バンに始まりましたので、宇宙全体、自然のすべての存在は連関し、相互に関係しあっています。最も基礎的な関係は、「或るもの」と「他のもの」という二つのものの間の関係です。二つのものの関係には、大きく「同一」と「区別」とがあります。さらに区別という連関には、「差異」と「対立」とがあります。差異とは、或るものと、それに無関係な「他者一般」との偶然的な関係であるのに対し、対立とは、右と左、上と下というように或るものとその「固有の他者」との関係であり、その固有の他者があってこそ或るものも存在するという必然的な関係を意味しています。
 哲学とは真理認識の学問であり、真理を認識するとは偶然性と必然性の統一として存在するすべての事物のうちにおける必然性、法則性を認識することを意味しています。すべての事物の最も基礎的かつ根本的な必然性が「対立」にほかなりません。
 いずれにしてもヘーゲルは哲学の目的を「無関係を排して諸事物の必然性を認識することにあり、他者をそれに固有の他者に対立するものとみることにある」(同三二ページ)として、「すべてのものは対立している」との認識こそ、真理探究を目的とする哲学の根本目的になるととらえたことは、何物にもまして高く評価されなければなりません。
 ヘーゲルの偉大なところは、このように対立を最も基礎的かつ基本的な必然性ととらえたにとどまらず、対立する二つのものは、必然的な関係のうちにあるところから、「その一方は、それが他方を自分から排除し、しかもまさにそのことによって他方に関係するかぎりにおいてのみ、存在する」(同)という「本質的な相互関係」(同)としてとらえたところにあります。すなわち対立する二つの極は、相互に排斥しつつ関係するという矛盾する「本質的な相互関係」のうちにあるところから、この関係をつうじて静止と運動が生じることになります。或るものの内における二つの極が、対立はしているものの相互に自立しているとき、或るものは「自立的統一」として相対的に静止している状態にあります。しかしこの二つの極が相互に自立している状態から媒介しあう関係に移行するとき静止から運動に移行するのです。相互に排斥しあう関係からは対立物の闘争による発展(矛盾の揚棄としての発展)という運動が生まれ、相互に引き合う関係からは対立物の相互浸透(対立物の同一、対立物の相互移行)という運動が生じるのです。
 それがいわゆる「対立物の統一」といわれるものです。対立物の統一にはさまざまな形態があり、例えば位置の移動という「運動」は、ある瞬間に「ここにあると同時にここにない」という「有と無の同一」という「対立物の同一」としてとらえられます。また加熱による水から水蒸気への物質の状態「変化」は「量から質への移行」という「対立物の相互移行」としてとらえられ、「生産と消費の矛盾」は「対立物の闘争」としてとらえられ、それは恐慌という「発展」(矛盾の解決)をもたらすことになるのです。
 この運動、変化、発展のうちでもっとも重要なのは発展です。すべての事物は同一と区別の統一のうちにあり、一見同じことを繰り返しているように見えても、けっして同一のままにとどまることなく発展しているのです。したがって、この発展をとらえる「矛盾の揚棄」こそもっとも重要な運動ということができます。ヘーゲルは、すべての事物は「対立のうちに静かにとどまっているものではなく」(同三三ページ)、「自分自身によって自己を揚棄する」(同)のであって、「一般に、世界を動かすものは矛盾である」(同)といっています。矛盾は揚棄されることによって、「対立したものを観念的なモメントとして自己のうちに含む」(同上二五五ページ)新しい統一体が生まれるのであり、これが「発展」とよばれるものです。先ほどの例によると、矛盾の揚棄による恐慌により、再び生産と消費の均衡が回復し、景気は上昇期に向かうことになるのです。
 以上のように、ヘーゲルは「対立」という二つの極の関係こそ、必然性をとらえる最も根本的な形式であり、対立する二つの極の本質的関係を論じる対立物の統一という弁証法の基本形式を明らかにしました。
 哲学とは真理を認識する思惟形式を論じる学問ですが、真理を認識するとは、偶然と必然の統一のうちにある必然性を認識することですから、弁証法はエンゲルスのいうように「思考の最高の形式」(『反デューリング論』全集⑳一九ページ)、つまり真理認識の最高の思惟形式ということができるのです。

・ヘーゲルの認識論とカテゴリー論

 前講でヘーゲルによるカントのカテゴリー批判を学びましたが、ヘーゲルはその観点から「論理学」において、認識が感性、悟性、理性へと発展していくにつれて、一対のカテゴリーが「萌芽からの発展」として、単純なものからより高度のものへと必然的に弁証法的発展をとげていく過程を明らかにしています。
 そこからレーニンは、「論理学、弁証法および認識論」(『哲学ノート』レーニン全集㊳二八八ページ)は同一のものだととらえています。ヘーゲル論理学は認識論であり、認識の発展をカテゴリーの弁証法的発展としてとらえているという意味で、そう述べたのでしょう。ヘーゲルの認識論は、経験から出発して感性、悟性、理性へと発展していくという唯物論の立場にたっています。カントが経験論と合理論とを観念論的に統一したのに対し、ヘーゲルは感性、悟性、理性を唯物論的に統一し、人間の認識は客観的真理に向かって無限に前進することを肯定しています。
 ヘーゲルは、まずカントが感性、悟性、理性を区別し、感性、「悟性の対象は有限で制約されたものであり、理性のそれは無限で制約されぬもの」(『小論理学』上一七八ページ)としていることを評価します。そのうえで「単に経験にのみ依存する悟性の認識の有限性を主張」(同)したことは「カント哲学の非常に重要な成果」(同)の一つではあるが、他方カントのいう理性は「真理のカノンであってオルガノンではないのであり、無限なものにかんする学説をもたらすことはできないで、認識の批判を与えうるにすぎない」(同一九八ページ)と批判しています。「カノン」とは準則であり、「オルガノン」とは手段、道具を意味しています。カントは理性を一方では「無限で制約されぬもの」と規定しながら、他方ではそれを無限の真理を認識しうる「オルガノン」とするのではなく、たんに悟性の有限性に「批判を与え」る「カノン」にすぎないとして、「物自体」は認識しえないとする不可知論にとどまってしまったです。
 これに対してヘーゲルは、カントの悟性と理性の区別は踏襲しながらも、悟性は、経験により客観的事実を反映した認識として、客観的事実に制限される有限性をもつのに対し、理性は、客観的事実に制約されない自由な精神の活動としての無限な認識だというのです。言いかえると、客観的事実を認識の対象とする感性、悟性は「事実の真理」を認識するのに対し、自由な精神の活動としての理性は、「事実の真理」を揚棄することをつうじて「当為の真理」を認識するというのです。
 こうして、ヘーゲルの認識論であると同時にカテゴリー論でもある「論理学」は、「有論」「本質論」「概念論」という構成をもつことになります。有論、本質論は客観的論理学として「事実の真理」を問題とし、概念論は主観的論理学として「当為の真理」を論じています。有論は、客観的事実の外面的真理をとらえる感性的認識とそれにかんするカテゴリー、本質論は客観的事実の内面的真理(本質、普遍性、必然性、類)をとらえる悟性的認識とそれに関するカテゴリーから成っています。これに対して概念論は、客観的事実を揚棄した「当為の真理」をとらえる理性的認識と実践およびそれにかんするカテゴリー、つまり理想と現実の統一という実践的真理に関するカテゴリーを中心にしながら、あわせて真理を認識するための主観的な思惟形式(概念、判断、推理)に関するカテゴリーを論じています。
 有論、本質論、概念論のすべてについて、カテゴリーは一対の対立するカテゴリーとしてその相互関係が論じられ、そのカテゴリーのもつ制限性から次のより高度のカテゴリーに発展するという形式をくり返し、低次のカテゴリーから高次のカテゴリーへと弁証法的に発展していくことになります。
 有論では、有と無の統一という最も単純な認識とカテゴリーから出発します。このカテゴリーはヘラクレイトスの「成(運動)」に結びつくものであると同時に、「或るもの」のモメントとしてもとらえられます。つまり「或るもの」は「或るものである」(有)と同時に「他のものではない」(無)として有と無の統一なのです。ここにスピノザの「すべての規定は否定である」との命題が生かされています。或るものと他のものとは限界で接していると同時に限界で区別されています。したがって「限界」とは或るものと他のものとの同一と区別の統一なのです。限界を越えると或るものは他のものに移行することになります。
 限界とは空間的にみた同一と区別の統一であるのに対し、時間的にみた同一と区別の統一のカテゴリーが「向自有」とよばれる生命体です。生命体は生命体としての自己同一性を保ちつつ、不断に成長・発展する(否定の否定)ことで区別されているのです。
 或るものは、すべて一定の「質」と同時に一定の「量」をもつ質と量との統一としての「限度」をもっています。質と量とは対立する関係にありますが、或るもののもつ固有の量がその限度を越えると、量の変化が質の変化をもたらす「量から質へ」の移行をもたらします。量は、「連続性」と「非連続性」の統一です。カントの空間、時間、物質にかんするアンチノミーは、対立する一方を連続性として、他方を非連続性としてとらえるものにすぎないことが明らかにされています。
 本質論では、「同一と区別」の統一というカテゴリーから出発します。有論では客観世界の外面的な真理認識が論じられましたが、本質論では客観世界の内面的な真理の認識、内面と外面の同一と区別の統一として論じられます。したがって本質論全体を貫くカテゴリーは同一と区別の統一です。
 まず「本質」とは、或るものの内にあって、変わることのない或るものの真の姿です。しかし本質はいつまでも内にとどまるものではなくて、外にあらわれ出ます。本質が外にあらわれ出たものは、本質と同一であると同時に区別される同一と区別の統一です。この同一と区別の統一の一般的な形態が「根拠」とよばれるものであり、「根拠と根拠づけられるもの」の統一が「現存在(現実存在、実在)」とよばれるものです。したがって現存在とは、根拠によって相互に媒介し媒介される無限の連関からなる客観世界の諸物体を意味しています。
 本質が根拠として外にあらわれ出て現存在となったものが「現象」であり、現象は本質そのままの姿として現れ出ていることもあれば、本質がゆがんだ姿としてあらわれ出ていることもあり、その意味でそれは単なる「現象にすぎない」のです。現象の世界は、本質が根拠となって諸物体を相互に関係づける「本質的相関」の世界であり、その本質的相関は「全体と部分」「力とその発現」「内的なものと外的なもの」との相関としてとらえられます。
 本質が外にあらわれ出た本質と現象との統一が「現実性」であり、ヘーゲル哲学において「現実性」のカテゴリーは必然性とほぼ同義で用いられています。『法の哲学』の有名な命題である「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」の「現実性」もこの「必然的現実性」の意味において理解しなければなりません。
 すなわちこの命題は、「当為の真理をとらえた理性的なものは、いつまでも主観のうちにとどまることなく、必然的に現実性に転化するのであり、逆に偶然的にではなく必然的なものとして現存している現実性のうちには、当為の真理(真にあるべき姿)としての理性的なものが潜んでいる」という理想と現実の統一を象徴する命題なのです。
 この必然性としての現実性をとらえるうえで、「可能性と現実性」「偶然性と可能性」という関連する一対のカテゴリーが検討されています。現実性における「必然的相関(絶対的な相関)」は、「実体と偶有」「原因と結果」「作用と反作用」のカテゴリーとしてとらえられます。必然性に関連して人間の意志に関する「自由と必然」のカテゴリーが問題となります。ヘーゲルは『法の哲学』で、意志とは自由に「決定する」思惟であるとして、意志決定の自由を必然性との関連において区別しています。
 第一段階は必然性から逃れて自由に決定する「否定的自由」であり、第二段階は必然性を無視して形式的にのみ自由に決定する「形式的自由」であり、第三段階は必然性を認識し、それにもとづいて決定する「必然的自由」であり、第四段階は必然性を乗り越え、真にあるべき姿にもとづいて決定する「概念的自由」です。必然的自由とは、事実の真理を認識し、それにもとづいて決定する自由であり、概念的自由とは、当為の真理を認識し、それにもとづいて決定する自由ということができます。このヘーゲルの自由論は科学的社会主義の自由論に大きな影響を与えています。
 ヘーゲルは「必然から自由への、あるいは現実から概念への移りゆきは、最も困難なものである」(『小論理学』下一一八ページ)と述べており、ここに概念論を理解する鍵が潜んでいるのです。概念論は、「主観(的概念)」と「客観(的概念)」との統一は「理念」であるという構成になっています。いわば、近代哲学の最高の問題である「思考と存在との同一性」の問題がここで議論されることになるのです。
 エンゲルスは『フォイエルバッハ論』において「思考と存在との同一性」の問題を、もっぱら「思考は存在と同一になりうるのか」の側面から論じており、なりえないと考えたヒューム、カントの不可知論の批判をしています。しかし前講でも明らかにしたように、「思考と存在との同一性」には二つの側面があり、自然や社会を変革する力をもつ人間にとっては、認識論上の同一性の問題と同様に実践論上の同一性の問題、すなわち理想と現実の統一の問題が重要であるといわなければなりません。ヘーゲル論理学は、「思考と存在との同一性」の二つの側面を統一しているところにも大きな特徴があるということができます。
 ヘーゲルは「哲学の最高の窮極目的」(同上六九ページ)は「自覚的理性と存在する理性すなわち現実との調和を作り出すこと」(同)にあると述べていますが、「自覚的理性」とは「主観的概念」を、「存在する理性」とは「客観的概念」をそれぞれ意味しており、この概念論において主観と客観、理想と現実の統一としての「理念」という哲学の最高かつ究極の目的が論じられることになります。
 ヘーゲルのいう「概念」には、具体的普遍という意味と、事物の真にあるべき姿という意味の二つがあり、常にこの二つの意味で用いられているので注意する必要があります。
 概念論はまず「主観的概念」から始まります。主観のうちにとらえられた概念とは、普遍、特殊、個の一体化した「具体的普遍」と規定されます。この概念が分割されると、例えば「個は普遍である」という「判断」となります。この判断と判断を結合することによって、例えば「カエサルは人間である、カエサルは死ぬ、よって人間は死ぬ」というような、個から特殊を媒介にして普遍を推理するという、個――特――普の推理が生まれてきます。判断で分割されていた概念は、推理で再び統一されるのです。
 主観的概念は、また真にあるべき姿として、必然的に客観に移行します。「理性的なものは現実的」なのです。したがって客観はすべてそのうちに概念を含んでいますが、その概念が潜在的なものにすぎないのか、それとも顕在化しているかによって、「機械的関係」「化学的関係」「目的的関係」の三つに分けられます。エンゲルスは、客観をこの三つに区分することは「その時代にとっては完全だった」(『自然の弁証法』全集⑳五五七ページ)と述べています。
 最後の「理念」は「概念と客観性の統一」です。真にあるべき姿としての主観的概念が実践により必然的に現実性に転化し、客観となったもの、真にあるべき客観が理念とよばれるものです。

・ヘーゲルの概念論は理想と現実の統一を論じたもの

 先に、フィヒテは理想から現実をつくり出し、シェリングは現実から理想をつくり出し、両者は「たがいにおぎないあう」関係にあると、ハイネが指摘していることを紹介しました。この両者を統一して実践を媒介に理想と現実の統一という革命の哲学を確立したのが、ヘーゲル論理学でした。
 ヘーゲルがベルリン大学で活躍した一八二〇年代は、ヨーロッパ全体がフランス革命に対する反動勢力のまき返しによって厳しい言論弾圧の時代を迎えており、ドイツもまた同様でした。こういう反動期に、フランス革命の精神に学んで革命の哲学を語ることは、ある意味で自殺行為にも等しいものであり、ましてや国家の官僚養成機関としてのベルリン大学で教鞭をとることはおよそ考えられないことでした。そこでヘーゲルは、良心を貫きながらも弾圧を逃れて教鞭をとり続けるために、革命の哲学であることを押し隠し、真意を覚られないように「観念論的装い」の偽装工作を施します。
 そのため、マルクス、エンゲルスも、ヘーゲルを観念論者と誤解したのです。その偽装工作をここでまとめてお話ししておきましょう。まず客観的論理学としての、有論、本質論では、経験から生まれる感性的認識から出発し、「経験的な諸科学のうちに見出される普遍的なもの、法則、類、等々を承認して、それらを自己の内容のために役立て」(『小論理学』上七六ページ)るという、イギリス経験論以来の唯物論的認識論の立場を貫いています。
 したがって彼の客観的論理学は、客観のうちに存在する普遍性、必然性を意味する「現実性」で終わっています。普遍性、必然性を主観的なものとするカントとは明確に異なっているのです。それに続く主観的論理学である「概念論」の中心的カテゴリーは、「概念」ですから、本来なら概念とは客観的事物の「真にあるべき姿」であり、客観的事物の普遍性、必然性の揚棄から生まれる「当為の真理」であることが明確にされなければならないにもかかわらず、ヘーゲルは概念のもう一つの意味である「具体的普遍」についてのみ語り、「真にあるべき姿」であることを正面から語ろうとしないのです。そして僅かに本質論の最後の方で「概念が有および本質の真理である」(同下一一七ページ)とか、「必然から自由への、あるいは現実から概念への移りゆきは、最も困難なものである」(同一一八ページ)という一見意味不明の文言を述べるにとどめています。「最も困難なもの」であれば、分かりやすく解説すればいいのに、それをしないのです。
 「必然から自由への」移りゆきの意味するところは、有および本質は、必然性をもつ客観的事物を反映した「事実の真理」であるのに対し、概念は精神の自由な働きから生まれた客観的事物を揚棄するより高度の「当為の真理」である、すなわち概念は客観的事物における必然的現実性を認識したうえで、その必然性を揚棄した自由な精神の産物としての真にあるべき姿である、というものでしょう。しかし「最も困難なもの」といいながら、あえてその説明は省略してしまっているのです。また「現実から概念への移りゆき」とは、現実性のうちにある対立を認識する「事実の真理」をつうじて、その対立・矛盾を揚棄する「当為の真理」としての概念をとらえることであり、したがって概念は現実性のもつ矛盾の揚棄としてとらえられるがゆえに、現実性を反映した唯物論的な理想であり、したがって「当為の真理」となるというものでしょう。しかしヘーゲルは「事実の真理」から「当為の真理」の移行という、もっとも重要な問題についてもまた何も語らないのです。
 ヘーゲルが一方で弁証法とは「対立した二つの規定の解消と移行とのうちに含まれている肯定的なものを把握する」(同上二五二ページ)とか、矛盾は「自分自身によって自己を揚棄する」(同下三三ページ)のであり、「一般に、世界を動かすものは矛盾である」(同)として矛盾の揚棄としての発展を強調しながら、他方で客観的事物のもつ矛盾の揚棄として「概念」が生まれることについて一言も説明しないのは、概念が客観的事物の「真にあるべき姿」であることを故意に隠蔽しようとしたものとしか考えられないのです。
 それだけではありません。「真にあるべき姿」としての概念は、唯物論的な理想であり、それを目的にかかげた実践によって現実性に転化し、ここに理想と現実との統一が実現することになります。したがって、まず概念とは何かを明確にしたうえで、次に概念を目的にかかげた実践の意義が強調されなければなりませんが、ヘーゲルは「主観的理念が自己を実現しようとする衝動は、……見出された世界を自己の目的にしたがって規定することに向っている」(同二三五ページ)という婉曲的な表現にとどめています。
 ここは『大論理学』でいうと概念論第三篇「理念」のうちの「B 善の理念」に該当しますが、そこでは「概念は自分を実現しようとする衝動である。或いは、概念は客観的世界の中で自分自身によって自分に客観性を与えようとし、自分を実現しようとする目的である」(『大論理学』下三四七ページ、岩波書店)と同様の表現になっています。
 この箇所を『大論理学』で読んだレーニンは、「疑いもなく、ヘーゲルでは実践が、一つの環として、しかも客観的(ヘーゲルによると、"絶対的")真理への移行として、認識過程の分析のうちにその位置を占めている。したがってマルクスは、直接にヘーゲルに結びついて、実践という基準を認識論に導入しているのである」(レーニン全集㊳一八一ページ)と述べています。レーニンがさも大発見のようにヘーゲルにおける実践の意義を強調しているところにも、ヘーゲルがいかに概念の実践を誰にでも理解できるように論じていないかが示されています。
 では主観的な概念が実践をつうじて客観に移行し、概念と存在との統一が実現されることをヘーゲルがどう評価しているかといえば、それは「より深い意味における真理」(『小論理学』下二一〇ページ)としての「絶対的理念」(同二三八ページ)であり、「それは、アリストテレスがすでに理念の最高の形態と呼んでいる『思惟の思惟』」(同)だというのです。アリストテレスの「思惟の思惟」とは、第五講で学んだように理想と現実の統一を意味しています。
 最後に、ヘーゲルが理想と現実の統一の哲学的意義をどのように考えているかを紹介しておきましょう。ヘーゲルは、「自覚的な理性と存在する理性すなわち現実との調和を作り出すことが、哲学の最高の窮極目的と見られなければならない」(同上六九ページ)として、それに続けて『法の哲学』から「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」(同)という有名な命題を引用しています。ヘーゲルがいわんとしていることは理想と現実の統一は「哲学の最高の窮極目的」だというものであり、ここに最も明確にヘーゲル哲学が革命の哲学であることが語られています。しかしそれを極めて分かりにくい表現でその真意を覚られないようにしているのです。
 先にもお話ししたように「主観的理性と存在する理性……との調和」が意味するものも、『法の哲学』の命題が意味するものも、いずれも理想と現実の統一であり、概念を目的にかかげた実践により、国家、社会を「真にあるべき姿」に変革することが「哲学の最高の窮極目的」とされているのです。
 こうしてヘーゲル哲学では、概念とは何か、それはいかにしてとらえうるのか、概念はいかにして現実性に転化しうるのか、理想と現実の統一とはいかなる意義を有するのかという、すべての問題が明確に語られず、「論理学」のあちこちに、一見無関係風にバラバラに述べられており、その観念論的偽装工作によって革命の哲学であることが巧妙に隠蔽されているのです。なおマルクス、エンゲルスがヘーゲルの観念論を指摘したのに対し、ヘーゲル「論理学」を詳細に研究したレーニンは、第一三講で詳述するように「概念」の意義をほぼ正確に理解し、「論理学」が唯物論的著作であると指摘していることを、一言紹介しておきます。
 私たちは、ヘーゲルが厳しい言論弾圧のもとで奴隷の言葉で語った革命の哲学から、その観念論的装いを取り除き、本来の唯物論的土台のうえに据え直すべき責務を負っているのではないでしょうか。そうしてこそ、反動的プロイセン国家の御用学者との評価に対して、臨終のベッドで「誰一人わしの哲学を理解してくれなかった」と嘆いたヘーゲルの無念を晴らすことができるものと考えます。ヘーゲルは「観念論者」ではなく、「観念論的装いをもたざるをえなかった唯物論者」であり、革命の哲学をその本質としているのです。その意味ではヘーゲルを「ドイツ観念論」に含めるのが相当かどうかは問題といわざるをえません。
 
・ヘーゲルの『法の哲学』

 ヘーゲル哲学の体系は「論理学」「自然哲学」「精神哲学」の三部構成となっています。そのうちの「精神哲学」のうちの「客観的精神」にかんする部分を晩年に独立した著作としてまとめたのが、『法の哲学』です。『法の哲学』はヘーゲルの代表作の一つであり、時代を席巻する著作となりました。マルクスもこの著作と格闘しながらマルクス主義を生みだしていったのです。
 「法の哲学」という標題にもかかわらず、その対象となっているのは、法のみならず道徳、社会、国家の真にあるべき姿であり、いわばフランス革命をその光と影をふまえて「自由の原理」を中心にすえて総括をした著作ということができます。ヨハヒム・リッターは『ヘーゲルとフランス革命』(出口純夫訳、理想社)のなかで、「ヘーゲル哲学のように、ひたすら革命の哲学であり、フランス革命の問題を中心的な核としている哲学は、他には一つもない」(前掲書一九ページ)としたうえで、「ヘーゲルのフランス革命との対決は『法の哲学』で終わる」(同四七ページ)と述べています。
 したがって、この著作のなかにヘーゲル哲学の革命的性格が最も明確な形で示されていると同時に、また「観念論的装い」も深くたちこめており、それがこの著作の評価を二分することになるのです。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』において、『法の哲学』によってヘーゲルが「プロイセン王国の国定哲学の位にまでまつりあげられ」(全集㉑二六九ページ)たとしながらも、ヘーゲルの「重苦しい退屈な文章のうちに、革命がかくれている」(同)という評価をしているところにもそれが現れています。いずれにしても『法の哲学』には「今日でもなお完全に値うちのある無数の宝がある」(同二七四ページ)のであって、ヘーゲルは単にその弁証法において科学的社会主義の源泉になっているだけではなくて、『法の哲学』における人間論、道徳・倫理論、国家論もまたその源泉になっているものということができます。以下その「無数の宝」のうちのいくつかを紹介しておきましょう(詳細は拙著『ヘーゲル「法の哲学」を読む』一粒の麦社参照)。
 まず第一は人間論です。『法の哲学』は「客観的精神」、つまり人間の精神が客観化されたものを対象としていますので、その出発点となるのはそもそも人間とは何かという人間論であり、それを土台として法、権利、社会、国家などが論じられています。
 人間は感性を経て、悟性、理性へとその認識を発展させていくなかで、自らの「意志」をもつに至ります。「認識」が理論的精神であるのに対し、「意志」は実践的精神であり、何かをしょうと「決定する」精神です。
 意志の根本規定は自由であり、「意志は自由なしには空語であり、自由もまた、意志として、主観ないし主体としてはじめて現実的」(『法の哲学』一九〇ページ)なのです。自由な意志は、先にもみたように必然性との関係において四段階に区分されます。したがって人間はルソーのいうように生まれながらに自由なのではなくて、学習をつうじて人格を陶冶し、次第にあらゆる面で自由になっていく、自由な主体、人格なのです。ヘーゲルは、人間とは自由な意志によって有限な存在でありながら無限に発展する人格であり、したがってすべての人間は平等に権利の主体となり、一人ひとりの人間として尊重されなければならない存在だととらえています。
 「人格性は総じて権利能力をふくむ。……それゆえ権利ないし法の命令はこうである――一個の人格であれ、そして他のひとびとをもろもろの人格として尊敬せよ」(同二三二ページ)。人間は、自由な意志をもつ存在として、すべて平等であり、人間の尊厳をもつとするヘーゲルの人間論は、近代的自我を根拠づけるものとして重要な意義をもっているのです。
 第二は、そこから人間疎外論を展開しているのも、マルクスに引き継がれる重要な観点です。人間は意志をもつのに対し、自然は意志をもちません。人間は眼前に見いだされる自然に対して内心における自由な意志を投入し、働きかけることによって、意志のない自然を自己の意志の入ったものに作りかえ、自己と同化することによって自己のもの(所有)にします。こうして人間にとっての本源的な権利が労働にもとづく所有権であるとされるのです。「人格は、どの物件のなかへも自分の意志を置き入れる――このことによってその物件は私のものである――という権利を、自分の実体的な目的としている。……これが人間の、いっさいの物件にたいする絶対的な自分のものにする権利である」(同二三九ページ)。
 ここには、労働にもとづく労働生産物の所有の絶対的権利性が明示されているわけではありませんが、「自分の意志を置き入れる」という表現のなかに、労働を媒介とする所有権の取得という文意を読み取ることができます。ヘーゲルは、自由な意志にもとづく所有権の絶対を主張することにより、「所有の占有不能、所有の不自由」(同二六六ページ)を「人格性の放棄の例」(同)、つまり人間疎外としてとらえているのです。このヘーゲルの人間疎外論は、マルクスの「経済学・哲学手稿」(全集㊵)のなかで、より明確な形をとってあらわれることになります。
 「労働の対象は人間の類生活の対象化である。というのは、彼は己れを……活動的、現実的にも二重化し、そうすることによって己れ自身を己れの創り出した世界のうちに観るのだからである。したがって、疎外された労働は人間から彼の生産の対象をもぎ離すことによって、彼から彼の類生活、彼の現実的な類的対象性をもぎ離(す)」(同四三七~四三八ページ)。マルクスは、ヘーゲルの『精神現象学』とあわせて『法の哲学』からも人間疎外論を学んだものということができるでしょう。
 第三は、人間論、人間疎外論とも関連して、人間としてどう生きるべきかという道徳論、倫理論の問題です。一般に道徳と倫理とは、いずれも人の生き方を意味するものと考えられていますが、ヘーゲルは先にみたカントの道徳論批判にもみられるように、道徳と倫理を同一と区別の統一としてとらえます。道徳も倫理もより善く生きるために、真にあるべき生き方(善)と現にある生き方との区別を定立したうえで、この区別を揚棄しようとする「当為」の立場にたつということでは同一ということができます。しかしヘーゲルは、道徳は自己の内面に真にあるべき生き方を求めるものですが、より善く生きるためにはそれだけでは足りないというのです。そのためには内面と同時に外面である国家・社会のあり方との関わりのなかで真にあるべき生き方が求められるべきであって、それが倫理だというのです。こうした見地からヘーゲルは真にあるべき国家の探究に向かうことになります。ヘーゲルの人間疎外論からすれば、真にあるべき国家とは、人間疎外を揚棄した人間解放の国家ということになるべきでしょうが、ヘーゲルはそこまで踏み込むことなく、倫理とは治者と被治者の同一性を実現する人民主権国家のもとで自由な主体として生きることであるととらえています。
 科学的社会主義の道徳・倫理も、ヘーゲルの道徳・倫理論を踏まえつつ、それを発展させた、人間解放の社会のもとにおける人間の本質を全面的に開花させた生き方としてとらえる必要があるでしょう。
 第四は、ルソーの人民主権論にかかわる問題です。第九講でも学んだように、ルソーの人民主権論をかかげたジャコバン独裁は、一方で第一共和制を実現し、「九三年憲法」を制定しますが、他方で大量の人びとを断頭台に送る恐怖政治をおこない、一時は隣国でフランス革命を熱狂的に歓迎したドイツ人のなかに、人民主権論への大きな反発を生みだしました。
 ヘーゲルは、真にあるべき国家は、ルソーのいう一般意志を統治の原理とする治者と被治者の同一性の国家であるべきとしながらも、恐怖政治の教訓から一般意志は人民の手によっては実現しえないと考えました。
 「人民という言葉は往々にして個々人としての多くの人々の意味に解されるが、個々人としての多くの人々はなるほど一つの集まりではあるが、しかし多数の衆としての集まりにすぎない。――これは定形のない塊りであって、その動きとふるまいは、まさにそれゆえに自然力のように暴力的で、無茶苦茶で荒々しく、恐るべきものであるであろう」(『法の哲学』五六二ページ)。
 ヘーゲルは、ここでルソーと同様の大きな矛盾にぶつかったのです。人民の一般意志は、人民のなかから生まれなければならないと同時に、人民のなかからは生まれることはできないという矛盾です。その解決を、ルソーは神にも等しい「立法者」に見いだしたのに対し、ヘーゲルは優秀な官僚群に求め、一般意志の形成を彼らに委ねるとしたのです。ここには、ルソーのいう人民の一般意志と多数意志との対立と統一をヘーゲルなりに解決しようとした努力がみられますが、同時に全体としてみると官僚群を支配階級の利益の担い手であることをみない階級的観点の欠如というヘーゲルの限界があらわれています。
 この矛盾を真の意味で解決したのが、マルクス主義の「プロレタリアート執権」論でした。資本主義社会という階級社会においては、少数の支配者はあたかも多数のための政治を行うかのごときポーズのもとに少数者の利益のための政治を行います。したがってプロレタリアートの利益を代表する政党が人民の導き手となることによってはじめて人民の多数の意志が一般意志となりうることを明らかにしたのです。人民は「定形のない塊り」とのヘーゲルの問題提起が、プロレタリアートの執権論を生みだす契機となったことは否定できないでしょう。
 第五は、人民主権国家に関連して、ヘーゲルは治者と被治者の同一性の国家では、人民の権利は同時に義務でもあるととらえたことです。二〇世紀の社会主義の実験が提起した最大の問題は、ソ連・東欧はもとより、中国、ベトナムでも国有企業のもとでは生産力は発展しないのではないか、競争原理がないと労働者は働かないのではないか、という問題でした。
 ヘーゲルはこの問題を予見していたかのように、一般意志による統治の意義について、ルソーが人民の側から国家権力の手をしばるところに求めているのに対し、ヘーゲルは人民が国家の主人公として自ら国家を統治することが権利であると同時に義務であるところに求めたのです。すなわち、治者と被治者の同一性の国家においては、「権利と義務とは一つに帰する」(同三八四ページ)のであって、人民は「義務においてむしろおのれの解放を手に入れる」(同三七七ページ)というのです。つまり、人民が主人公であるということは、人民が国家の統治に参加することは人民の権利であると同時に義務であることを意味するのであって、その義務を履行しないかぎり、自らの権利でもある人間解放を実現することもできないのです。この権利=義務論は人民が主人公の社会主義国家における極めて重要な示唆となっています。
 第六に、政治革命の積極的意義の問題です。
 ヘーゲルは『法の哲学』の「市民社会」において、資本主義が「欲求のかたまり」(同四一三ページ)の社会であり、「対立的諸関係とその縺れ合いにおいて、放埒な享楽と悲惨な貧困との光景を示すとともに、このいずれにも共通の肉体的かつ倫理的な頽廃の光景を示す」(同四一六ページ)と、その矛盾を鋭く指摘し、『資本論』にも大きな影響を与えています。そのうえで、人民主権国家をつくる政治革命によって、「市民社会」を規制し、その矛盾を解決して、治者と被治者の同一を実現しようとします。
 マルクスは、このヘーゲルの見方を「国家が規定的な要素で、市民社会は国家に規定される要素と見られていた」(全集㉑三〇五ページ)との観点にたって、フランス革命を例にひきながら批判しています。すなわちフランス革命は政治革命だったが、その結果としての政治的生活は「空中楼閣であり、市民社会の霊気圏」(「ヘーゲル国法論の批判」全集①三一九ページ)にすぎず、「個々の国民が彼らの政治的世界の天国にあっては平等で、社会の地上的生活にあっては不平等となるようにしたのは、歴史の一進歩である」(同)と皮肉たっぷりに批判しています。
 マルクスが土台を社会の究極的規定要因ととらえる史的唯物論を確立する過程で、上部構造の革命である政治革命に対して厳しい態度をとったのもやむをえなかったといえるでしょうし、またフランス大革命の政治革命は「テルミドールの反動」で挫折しているのですから、経済的不平等が解決されなかった責任を政治革命に帰するのも可哀想な気もします。いずれにしても、土台と上部構造の関係を「歪曲して、経済的要因が唯一の規定的なものであるとするならば、さきの命題を中味のない、抽象的な、ばかげた空文句にかえ」(エンゲルス「ブロッホへの手紙」全集㊲四〇一~四〇二ページ)るとのエンゲルスの指摘もあることですし、ヘーゲルの政治革命の提起は、現在の民主連合政府樹立による民主主義革命の先駆的役割を果たしているものとして積極的に評価すべきもののように思われます。