『科学的社会主義の哲学史』より
第一二講 近代哲学⑥
マルクス主義(その二)
(三) 社会にかんする哲学(つづき)
・史的唯物論批判への反論
前講に続いて史的唯物論についてお話ししますが、今回は、史的唯物論への批判のいくつかを紹介し、その反論をしておきたいと思います。
一つは、東大の岩崎武雄元教授の史的唯物論は人間の実践を否定するとの批判です。すなわち、史的唯物論が「人間の力を絶対に超越する必然的な法則が存するとするならば、その法則はもはや人間自身をも全く決定してゆくもの」(『弁証法』一二八ページ、東大学術叢書)となり、「人間はただこの歴史的法則の流れの中にまき込まれて何等の積極的手段もなく押し流されてゆく外はない」(同)ことになる、したがって「ほとんど歴史のうちにおける個人の実践というものの意義」(同一三〇ページ)が認められないことになってしまう、というものです。
岩崎見解の最大の問題は、歴史の法則性を承認することは、偶然性を否定することであるという機械的決定論にたっての批判だというところにあります。第九講で学んだように、自然も社会も、すべて偶然と必然の統一として存在しているからこそ、人間の実践にもとづく自然や社会の合法則的な発展が求められるのです。
マルクスも『資本論』の最終目的が「近代社会の経済的運動法則を暴露する」(『資本論』①一二ページ)ことにあるとしているのに続けて、その法則を知ったとしても「その社会は、自然的な発展諸段階を跳び越えることも、それらを法令で取りのぞくことも、できない。しかし、その社会は、生みの苦しみを短くし、やわらげることができる」(同)と述べ、岩崎見解を予見したかのように、法則性、必然性を認めながら実践の意義を肯定し、必然性と実践の統一について述べています。
必然性と実践の関係をもう少し詳しくみておきましょう。必然性とは、事物の真の姿である本質あるいは事物の真のあるべき姿である概念が外にあらわれ出たものであり、偶然性とは、非本質的なもの、あるいは非概念的なものが外にあらわれたもので、すべての事物は偶然と必然の統一として存在しています。偶然性の外見のうちに潜んでいる必然性を認識することが諸科学の任務であり、こうして認識のうちにとらえられた事物の必然性が法則とよばれるものなのです。
機械的決定論はその事実をみようとせず、すべての事物は必然であって、あらかじめそれ以外ではありえないように決定されていると考え、偶然性を否定するのです。したがってこの見地にたてば、すべてはあらかじめ決定されているのですから、人間の実践の果たすべき役割は何も存在しないことになってしまいます。しかし実際にはすべての事物は必然と偶然の統一として存在しているのですから、必然のうちに偶然が作用しており、必然性は長期的には一貫して貫かれながらも、個々の局面においてはジグザグの運動をすることになります。
人間の実践の前提となる意志決定は、自由と必然の統一のうちにあります。偶然と必然の統一という諸現象のうちにある必然性を認識することによって人間は自由になり、自由な意志決定をすることができるのです。人間は偶然性の外見に盲目的に支配されたままで意志決定するという全くの不自由な「形式的自由」の段階から、必然性を認識したうえで意志決定することで一歩自由へと前進します。いわゆる「自由とは必然性の洞察」(『反デューリング論』全集⑳一一八ページ)であり、この段階が「必然的自由」とよばれています。
しかし必然性を認識しただけでは、まだ必然性の支配のもとにおかれ、せいぜいその必然性を利用しうるにすぎないのであって、真に自由な意志決定ということはできませんし、また実践もせいぜい必然性に沿って行動するという限られたものにとどまっています。これがいわゆる「事実の真理」といわれる段階です。人間は自然や社会を主体的に変革する存在として、この「必然的自由」の段階にとどまることはできません。さらに人間はその必然性のうちにある対立・矛盾を認識したうえで、その対立・矛盾を揚棄して事物の真にあるべき姿としての概念を認識するに至ります。これが「当為の真理」の認識となります。この「当為の真理」をかかげた実践により、自然や社会をその必然性をふまえながら、必然性を揚棄してより高い段階に発展させる「合法則的な発展」に導くことができるのです。こうして人間は客観世界の必然性の支配から抜け出し、「概念的自由」とよばれる真の自由に到達することができるのです。マルクスが、社会の必然性を取りのぞくことはできないが、「生みの苦しみを短くし、やわらげることができる」といったのも、この合法則的発展のことを意味しています。
偶然性と必然性の統一としての社会は、その社会のもつ矛盾を揚棄すべき必然性をもちながらも、偶然性に作用され「生みの苦しみ」にもだえるのですが、人間は概念的自由をかかげた実践により、その苦しみを短くし、やわらげ、社会を合法則的に発展させるのです。すべての事物は、必然と偶然の統一のうちにあり、人間の実践をつうじてその必然性を揚棄して発展させるとする考えを、機械的決定論に対して、「弁証法的決定論」とよんでいます。
もう一つの史的唯物論への批判は、階級的観点に関するものです。『マルクス・エンゲルス全集』の訳者の一人でもある平田清明氏は、史的唯物論は「個体概念なき階級概念の集積所」(『市民社会と社会主義』二五二~二五三ページ、岩波書店)であり、「単純粗野な階級一元論的社会認識が、これまでの社会主義建設の実践過程に多くの災禍をうみだした」(同)としており、その例としてスターリンの大量「粛清」をあげています。
確かにスターリンの誤りは重大ですが、その誤りの根源は社会主義が人間解放の真のヒューマニズムの社会にあるという社会主義の根本原理に背を向けたところにあるのであって、階級概念に求めることには無理があります。個人と階級とはけっして媒介のない対立ではなく、個々人は人間疎外の現実を認識し、疎外からの回復を求めて、階級的に結集し、階級闘争に参加していくのです。いわば一人ひとりの人間は個(個人)と普遍(階級の一員)との統一として存在しているのです。階級闘争も、闘争という言葉がもつ響きとは異なり、人間性の回復を求める真のヒューマニズムの運動です。ですからマルクスも史的唯物論を定式化した「経済学批判 序言」(全集⑬)において、「ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の最後の敵対的形態である」(同七ページ)としながらも「敵対的というのは、個人的敵対という意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味である」(同)とわざわざ断っています。
したがって、階級闘争の手段も、団結した力を示すことにあり、敵対する階級を暴力的に打ち倒すことではありません。『共産党宣言』が「万国のプロレタリア団結せよ!」(全集④五〇八ページ)としめくくっているところにもそれがあらわれています。その目的も生産手段の社会化を中心とするものであることを忘れてはなりません。何よりも史的唯物論で解明した階級的観点によって、はじめて社会を科学することが可能となったのであって、それを批判する勢力も、社会を科学するうえで、階級的観点にとってかわる観点を提起できるのかといえば、それはけっしてできないのです。
・ヒトと社会の起原論
エンゲルスは、進化論を人間の起原にまで拡張したダーウィンの『人間の由来』が発表されたわずか五年後の一八七六年に、史的唯物論を使って「猿が人間化するにあたっての労働の役割」(『自然の弁証法』全集⑳)という論文を完成し、ヒトと社会の誕生を解明しました。すなわちヒトがサルから分岐したきっかけは樹上での生活から平原での生活に移行し、直立二足歩行することに始まります。それによって手は自由になり、自由になった手が労働を生みだし、また労働が手と脳とを発達させます。その意味では「労働が人間そのものをも創造した」(同四八二ページ)のです。
さらに人間は本来的に「集団的な動物」(同四八四ページ)であり、「労働の発達は必然的に社会の諸成員をたがいにいっそう緊密に結びつけ」(同四八四~四八五ページ)、「相互の援助、共同でおこなう協働の機会はより頻繁」(同四八五ページ)となり、言語を生みだしたとされています。このエンゲルスの見解は、労働による人間関係の濃密化が言語を生みだしたとするものであって、けっして労働一元論ではないのですが、そう解される余地も残していました。これに対して尾関周二氏は、『言語と人間』(大月書店)において、労働は対自然の関係であるのに対し、言語的コミュニケーションは対人間の関係としてまず区別すべきものであり、労働は自己を労働生産物に対象化することによって働くよろこびを与えるのに対し、言語的コミュニケーションは自己を共同化することによって語り合うよろこびを与えるものであり、両者は区別されながら相互媒介により統一されているとの見解を示しています。これはエンゲルスの見解をより正確にしたものとして評価したいと思います。
労働による人間関係の濃密化と言語的コミュニケーションによって、生産と生活の場として生まれたのが、人間の社会なのです。その意味では「社会そのものが人間を人間として生みだすように、社会もまた人間によって生み出されている」(「経済学・哲学手稿」全集㊵四五八ページ)のです。したがって「猿の群れと人間社会とを分かつきわだった」(全集⑳四八六ページ)ものは、またもや「労働である」(同)ことになります。このエンゲルスのヒトと社会の起原説は当時としては画期的なものであり、真理認識の思惟形式としての史的唯物論の威力を遺憾なく発揮するものとなっています。またその結論も基本部分において今日でも正しいものということができます。
・国家論
中世から近代初期にかけて、権力分散の封建制国家に対して中央集権的統一国家が誕生します。そこでは、国王が封建的土地所有と身分制のうえに何ものにも拘束されない絶対的権力をもっていたところから、絶対主義的国家とよばれています。ルイ一四世の「朕は国家なり」の言葉にそれが示されています。
絶対主義国家では、国王の絶対的権力と人民の無権利状態を肯定する理論として、「王権神授説」がとられました。キリスト教を利用して、国王の絶対的な権力は神の特別なにより、神から与えられたものとして合理化しようとしたのです。イギリス、フランスの唯物論から生まれた啓蒙思想は、台頭するブルジョアジーの利益を代表して、この王権神授説への攻撃を開始します。それが国家の誕生を人民の合意による社会契約に求め、それによって人民の権利を承認させようとする「社会契約論」でした。
この社会契約論によって、はじめて国家の起原が人民の権利と重ね合わせて問題とされることになります。それは一言でいうと、「身分から契約へ」といわれる中世から近代への移行を象徴する理論であり、近代民主主義の幕開けとなる進歩的役割を果たしたのです。「身分から契約へ」とは、社会関係の根本を構成するものは、封建的な身分制ではなくて、自由な商品交換の法的形態としての契約であることを意味しています。
社会契約論は、自然法を根拠に契約は守られなければならないとして、人民間の社会契約を理由に国王の権力を規制しようとするものですが、そもそも契約が一切の社会関係を構成する基本的要素となったのは、資本主義が台頭して自由な商品交換が支配的になった近代以降の出来事にすぎません。自由な意志にもとづいていったん合意した以上その合意は拘束力をもつという契約の基本は、資本主義的商品交換から生まれたものです。したがって、すでに古代ギリシアの時代から存在した国家を社会契約論で説明することはどだい無理な話であって、その背景となった自然法思想と同様、社会契約論も歴史的事実ではなく、たんなるフィクションであり、観念論の所産にすぎません。
マルクス主義の唯物論的国家論を生みだすうえで大きな役割を果たしたのが、先に紹介したモーガンの『古代社会』でした。それは「まだ国家というものを知らない一つの社会」(『家族、私有財産および国家の起原』全集㉑九八ページ)、すなわち原始共同体の社会を研究したものであり、国家はなくても立派に共同社会を維持発展させていたのです。そこでは男女を問わず共同体の構成員全員が参加し、全員の投票ですべての重要な課題を決定していました。投票でサケマ(首長)と軍事指揮者とを選出し、またいつでも解任できました。サケマの権力は「純粋に道徳的な性質のもの」(同八九ページ)であり、「強制手段をもっていなかった」(同)のです。
「共同事務を処理するための部族評議会。これを構成していた者は、各氏族のサケマと軍事指揮者の全員であった。彼らはいつでも解任できたからこそ、諸氏族の真の代表たちであった。この評議会は、残りの部族員たちがまわりをとりかこむなかで、公開で協議した。部族員たちは口をはさみ、自分の意見を聞いてもらえる権利をもっていた。決定するのは評議会であった」(同九五ページ)。
では人類はその歴史の九九パーセント以上にわたって何ら国家を必要としなかったにもかかわらず、なぜ国家を誕生させることになったのでしょうか。その秘密は「階級」の分化にあったのです。社会には、例えば治山治水とか共同体の防衛とか紛争の解決などの共同体全体で処理すべき共同の事務があります。原始共同体ではこの共同事務は共同体を代表する個々人が交替で勤めていました。
しかし生産力が発展してきて搾取する者と搾取される者とに階級分化してくると、この共同事務は搾取する階級が独占することになり、搾取する階級はそれによって支配階級になると同時に、共同事務は次第に一つの独自の機関の任務となって社会から分離していくことになります。これが「国家権力の端緒」(『反デューリング論』全集⑳一八五ページ)となるのです。
「社会は、内外からの攻撃にたいしてその共同の利益を守るために、自分のために一つの機関をつくりだす。この機関が国家権力である。この機関は、発生するやいなや、社会にたいして自立するようになる。しかも、一定の階級の機関となり、この階級の支配権を直接に行使するようになればなるほど、いよいよそうなる」(『フォイエルバッハ論』全集㉑三〇七ページ)。
先に史的唯物論は社会を土台と上部構造の関係として構造的にとらえることをお話ししましたが、国家が誕生すると政治と法は国家が独占することになり、国家は土台における搾取階級の利益を反映して、搾取階級の支配の機関となるのです。この国家=階級支配の機関としての本質は、原始共同体には存在しなかった「公的強力」(『家族、私有財産および国家の起原』同一六九ページ)――警察、軍隊、裁判所、監獄――という強制手段をもち、いざとなれば支配階級に抵抗する人民を抑圧し、弾圧するところに象徴的に示されています。
国家の本質規定により、歴代の階級社会は次のようにとらえられることになります。
「古代国家は、なによりもまず奴隷を抑圧するための奴隷所有者の国家であった。同じように、封建国家は農奴的農民と隷農を抑圧するための貴族の機関であったし、近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取するための道具である」(同一七一ページ)。マルクス主義ではこのように国家の本質を規定することによって、どんな支配階級と被支配階級の対立かを区別することで、人類の歴史を科学的にとらえることを可能にしたのです。
しかし国家の本質をとらえるだけでは十分でありません。本質と現象とは一対のカテゴリーであり、「本質は現象しなければならない」(『小論理学』下五五ページ)のであって、現象を伴わない本質は存在しないからです。国家の現象を考えるには、国家の起原が共同事務の処理にあったことをみておかなければなりません。国家は共同事務の処理から出発して階級支配の機関に転化したのですから、国家は階級支配の本質をもちながらも、共同の利益実現という現象をもたないと国家としては存立しえないのです。こうして階級社会における国家は、本質と現象との対立が生じることになります。例えば、資本主義国家は「資本が賃労働を搾取する」ための機関でありながら、福祉、医療、教育などの全人民の利益を実現する仮象をもち、「公的強力」も治安の維持、国家の防衛、紛争の解決という共同の利益を守る仮象をともなっています。しかし、利潤第一主義の資本主義のもとで、仮象としての福祉、医療、教育はつねに切り捨ての対象とされ、警察、軍隊等も人民を敵視し、いざとなれば人民に牙をむくことになるのです。
したがって国家を定義するとすれば、「国家とは、その全構成員の共同利益を実現する仮象をもちながらも、少数の支配階級の利益を擁護する階級支配の本質をもつ機関として、本質と現象の対立する機関である」ということができるでしょう。この国家のもつ本質と現象の対立・矛盾を解決し、国家を、共同の利益実現の本質をもつだけでなく、共同の利益実現の現象となってもあらわれる国家とするのが社会主義国家であり、マルクス主義でいう「国家の死滅」なのです。言いかえると「国家の死滅」論とは、国家を、その本質と現象との対立・矛盾のうちにとらえることを前提とし、その対立・矛盾を解決する理論ととらえることによって、はじめてその意義が明確になります。
「国家がついにほんとうに全社会の代表者となるとき、それは自分自身をよけいなものにしてしまう。……人にたいする統治に代わって、物の管理と生産過程の指揮とが現われる。国家は『廃止される』のではない。それは死滅するのである」(『反デューリング論』全集⑳二八九~二九〇ページ)。国家の死滅とはいっても、国家機構全体が消滅するわけではありません。ネイティヴ・アメリカンの氏族社会であれば共同事務を処理する独自の機関はなくてもすむでしょうが、現代国家のように数千万から十数億という人口を抱える国民国家においては、共同事務を処理する独自の機関は不可欠です。とりわけ国家が「ほんとうに全社会の代表者」となった社会主義社会においては、生産手段の社会化によって搾取と階級をなくそうというものですから、経済にかんする国家の関与を避けて通ることはできません。エンゲルスが「物の管理と生産過程の指揮」を指摘しているのは、このことを念頭においたものでしょう。それ以外にも共同事務として、福祉、医療、教育、外交、防衛などをあげることができます。
したがって国家の死滅とは、階級支配のための公的強力を廃止して、共同事務処理の機関にかえることによって、国家の本質を階級支配の機関から人民の共同事務処理の機関に転換し、本質と現象の対立・矛盾を解決することにあると理解すべきものでしょう。いずれにしても国家の死滅に至るまでは、被支配階級は搾取による人間疎外に加え、国家による人間疎外という二重の人間疎外を受けることになり、人間解放のためにはこの二重の疎外から解放され、国家の死滅を実現しなければなりません。
・『資本論』における資本主義の運動法則の解明
『資本論』は、資本主義社会の「経済的運動法則を暴露すること」(『資本論』①一二ページ)を最終目的とする著作であり、資本主義の生成・発展・消滅の必然性を解明した経済学の金字塔であり、それだけに社会的・経済的に新たなカテゴリーを数多く生みだしました(以下のカッコ内が新しいカテゴリー)。しかしマルクスは自ら『資本論』で用いられた方法は弁証法であると語っており、レーニンも「マルクスは"論理学"をのこさなかったとはいえ、"資本論"の論理学をのこした」(『哲学ノート』レーニン全集㊳二八八ページ)と述べているので、哲学書といえなくもないのです。何よりも資本主義的搾取の秘密を解明すると同時に、資本主義がもつ矛盾によって社会主義への発展の必然性を明らかにすることによって「思考と存在の同一性」の問題を具体的に論じたものとして紹介しておきたいと思います。
資本主義社会の特徴の一つは、奴隷制社会や封建制社会と違って「搾取」が「生産過程」でおこなわれ、目に見えないところにあります。奴隷制社会では奴隷の生産したものはすべて奴隷主の所有になり、封建制社会では農奴の生産物の半分かそれ以上を封建領主が取得するのですから、搾取は「流通過程」において目に見える形で存在しています。これに対して資本主義社会の場合、資本家は労働市場において「労働力」を手に入れます。市場ではすべて商品はその価値どおりに販売されますので、商品所有者はすべて平等であり、しかも商品所有者には自己の商品を売るか売らないかの自由があるのですから、市場では自由・平等の原則が支配しています。
資本家と労働者とは労働市場で出合い、資本家と労働者は労働者がもっている労働力という商品を、この自由・平等の原則にもとづいて価値どおりに売買するのですから、流通過程をみるかぎりなぜ搾取が生じるのかは目にみえません。市場での等価交換をつうじて搾取を実現しうる秘密は労働力という商品にあり、その秘密は生産過程に隠されています。すべての商品は人間の「労働」の産物という共通点をもっていますから、商品の「価値」はその商品を生産するのに必要な社会的・平均的労働時間によってきまります。労働力という商品は、人間に備わった労働する力ですから、その力を発揮した労働によって新たな価値を生みだすという特別の商品なのです。つまり労働力は、労働力という商品としての価値をもつと同時に、それを使えば新たな価値を生みだす商品という性格の異なる二つの価値に関係しているのであり、この二つの価値のちがいを利用して搾取がおこなわれるのです。
「労働力はまる一日作用し労働することができるにもかかわらず、労働力の日々の維持(労働力の価値――高村)は半労働日しか要しないという事情、それゆえ、労働力の一日のあいだの使用が創造する価値がそれ自身の日価値の二倍の大きさであるという事情は、買い手にとっての特殊な幸運ではあるが、決して売り手にたいする不当行為ではないのである」(『資本論』②三三一ページ)。資本家は、労働者に長時間の過密労働を押しつけるなどして労働力自身の価値の何倍もの新たな価値を生産させ、それを独り占めすることによって搾取を実現するのです。
次にマルクスは、第四講で学んだようにアリストテレスのいう家政術と貨殖術の区別に注目し、資本の本質が「剰余価値」の生産、言いかえると利潤第一主義にあることを解明していきます。すなわち通常の商品流通では、ある一つの商品を手に入れるために自分のもっている商品を売り、売って手にした貨幣で欲しい商品を手に入れます。つまり「買うために売る」(W―G―W)のに対し、資本の流通の場合は、手持ちの貨幣で原材料と労働力という商品を買い、それを結合して新しい商品を生産し、それを販売して再び貨幣を手に入れる、「売るために買う」(G―W―G)のです。
前者の場合は、手に入れたい商品を購入すればそれで商品流通は終わります。しかし資本の流通の場合は、売るために買うのであって、流通の両極がともに貨幣ですからもっぱら両極の量的な差だけが問題になります。「この過程の完全な形態は、G―W―」(『資本論』②二五六ページ)であり、は最初のGプラスアルファでなければ資本流通の意味がないのです。このプラスアルファが「剰余価値」とよばれます。いわば資本の運動を「推進する動機とそれを規定する目的」(同二五五ページ)は剰余価値の取得そのものにあります。しかも一回目の資本の循環で取得したは、二回目の循環では再びGに戻り、G―W―の運動をくり返すことになり、剰余価値の取得には限界がありません。
「運動の終わりには、貨幣がふたたび運動の始まりとして出てくる。それゆえ、販売のための購買が行なわれる各個の循環の終わりは、おのずから新たな循環の始まりをなす。……資本としての貨幣の流通は自己目的である。……それゆえ、資本の運動には際限がない」(同二五九ページ)。
マルクスは、剰余価値を求める資本の無制限な衝動を「人狼的渇望」(同四五五ページ)とよんでいます。ルソーが「富める者のほうでも、支配することの快楽を知るようになると、……隣人たちを征服し、隷属させることしか考えなかった。それはあたかも、ひとびとが人肉の味を知ると、他の一切の食物をすてて、以後は人間を貪り食うことしか望まないあの餓えた狼のようなものである」(『人間不平等起原論』一〇二~一〇三ページ)と述べていることにヒントを得たものでしょう。
資本の剰余価値への「人狼的渇望」とは、言いかえると搾取強化への無制限の衝動であり、それは一方で資本は富を無制限に蓄積し続けると同時に、他方で文字どおり労働者を貪り食うことを意味しています。それをマルクスは「資本主義的蓄積の絶対的・一般的な法則」として位置づけ、次のように述べています。
「この法則は、資本の蓄積に照応する貧困の蓄積を条件づける。したがって、一方の極における富の蓄積は、同時に、その対極における、すなわち自分自身の生産物を資本として生産する階級の側における、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化および道徳的堕落の蓄積である」(『資本論』④一一〇八ページ)。富と貧困の対立、貧富の格差の拡大の問題は資本主義のもとでは必然的な法則になっているのです。
では資本家はどうやって剰余価値を増大させるのでしょうか。それには大きく二つの方法があります。一つは労働時間を延長させる方法であり、この方法によって生産される剰余価値は「絶対的剰余価値」とよばれます。もう一つは生産力を発展させてることによって労働力の価値を低下させることで剰余価値をふやす方法であり、この方法は「相対的剰余価値」とよばれます。生活必需品を生産する諸部門全体の生産力が発展すれば生活必需品は安くなり、したがって労働者の生活費、言いかえると労働力の価値も低下するのです。
しかしそれ以上に個々の資本にとって相対的剰余価値を高める直接的動機となるのは、「特別剰余価値」の生産です。「一商品の現実の価値は、その商品が個々の場合に生産者に実際に費やさせる労働時間によってはかられるのではなく、その生産に社会的に必要な労働時間によってはかられる」(『資本論』③五五四ページ)のです。したがってもしある個別資本が新しい生産性の高い機械を導入して、ある商品の生産に必要な労働時間を社会的に必要な労働時間の半分で生産し、それを社会的価値で販売すれば、二倍の剰余価値を取得することができます。これが特別剰余価値とよばれるものあり、「個々の資本家にとっては、労働の生産力を高めることによって商品を安くしようとする動機が実存する」(同)のです。絶対的剰余価値の生産については、労働基準法などの制約もあって無制限に高めることはできませんので、資本は資本全体としても、また個々の資本としても生産力の発展による相対的剰余価値の生産に向かうことになります。
こうして生産力の発展は「競争の強制法則として貫徹」(同五五二ページ)することになり、資本主義のもとで生産力は爆発的に発展していくことになると同時に、不断に過剰生産の契機をはらんでいるのです。この生産力の発展は、さらに新しい問題を生みだします。生産は大きくいって、「生産手段」と労働力の結合によっておこなわれます。生産手段はさらに、道具、機械、工場建物などの「労働手段」と原材料などの「労働対象」に分かれます。生産力の発展は、機械によって大量に原材料を消費することを意味していますから、全体として投下される資本が増大し、蓄積されていくなかで、資本のうち生産手段に投下する部分の比率が増大していくのに対し、労働力に投下される比率が低下していくことになります。このことを資本の「有機的構成」が高まるといいます。
社会的な資本が増大し蓄積されていくなかで、労働者はどんどん労働市場に吸引され、絶対数では増加しながら、他方で個々の資本は有機的構成が高まるにつれて相対的に過剰となった労働者をどんどん労働市場に吐き出していきます。日本を例にとると戦後の高度成長期に、農村から大量の労働者が都会に吸収され、いったん労働者になるともはや農地を失って農村に戻ることはできませんから、そのまま都会の労働市場に過剰な労働力としてとどまらざるをえなくなったのです。
「資本主義的蓄積が、しかもこの蓄積の活力と大きさに比例して、相対的な、すなわち資本の中位の増殖欲求にとって余分な、それゆえ過剰または余剰な労働者人口を絶えず生産するのである」(『資本論』④一〇八三ページ)。この労働者の相対的過剰人口は「産業予備軍」とよばれています。産業予備軍の存在は、資本にとって現役の労働者に絶対的な服従をせまり、「いやならやめろ、代わりはいくらでもいる」として労働力を価値以下に低下させることを可能にし、資本蓄積の絶対的条件となっていきます。
マルクスは『資本論』において、労働力の価値を労働者とその家族を養うに足る生活費プラス教育費としてとらえています。しかし現代日本においては、一人の男子労働者が働いても、その家族の生活費や子どもの教育費どころか、自分自身の生活費すら賄えない「ワーキング・プア」が生まれています。大量の産業予備軍の存在により、労働力がその本来の価値よりいかに低い価値で取引されているかを示すものであり、他方で日本の財界は二六〇兆円という途方もない内部留保、つまり資本蓄積をおこなっているのです。
この資本主義に特有な生産力の爆発的な発展は、一方で無制限な資本の蓄積と、他方で労働者の貧困と産業予備軍を蓄積し、貧富の対立を極限にまで押しすすめるだけではありません。それは「生産と消費の矛盾」という、もう一つの大きな矛盾を生みだします。一国の経済を考えてみると、生産と消費のバランスがとれてこそ経済を循環させていくことができることは誰の目にも明らかです。このことを「社会的総資本の再生産」といいます。
資本主義のもとでは、個々の資本は自分が儲かりそうだと判断した商品を勝手に生産するという「生産の無政府性」が支配しています。そのもとでも市場のもつ需要と供給の調節機能により、一定程度生産と消費のバランスを保つことができるのです。それぞれの商品には「市場価値」と「市場価格」とがあります。その商品について需要と供給とのバランスがとれているときは、市場価値と市場価格とは一致します。というのも価格とは商品の価値を貨幣で表したものだからです。では需給のバランスが崩れるとどうなるでしょうか。
「生産物総量がこの欲求を超えれば、諸商品はその市場価値以下で売られなければならないであろう。逆に、生産物総量が十分な大きさでない場合……には、諸商品はその市場価値以上で売られなければならないであろう」(『資本論』⑨三一〇ページ)。この価値と価格の同一と区別をつうじて、資本は需要の低い方から高い方に移動することにより、需要は調節され、生産と消費のバランスが保たれることになります。マルクスも生産の無政府性のもとで拡大再生産が可能となる生産と消費の均衡条件を検討し、これを「拡大再生産表式」(『資本論』⑦八二七ページ)としてまとめています。
しかしこういう市場原理のもとにあっても、生産力の無制限な増大は、商人資本の介在による架空の消費という要因も加わり、生産と消費の矛盾を生みだします。というのも社会の消費力は「敵対的な分配関係――社会の大衆の消費を、多かれ少なかれ狭い限界内でのみ変化しうる最低限に引き下げる敵対的な分配諸関係――を基盤とする消費力によって規定されている」(『資本論』⑨四一六ページ)からです。
つまり生産の無制限な膨張と労働力の価値以下の販売により「最低限に引き下げ」られた消費力は、市場の需給調節機能を超えて過剰生産と限定された消費の矛盾を蓄積していくのです。この生産と消費の矛盾の「一時的な暴力的解決」(同四二五ページ)が資本主義に固有な病であり、一八二五年以来ほぼ十年ごとに定期的にくり返される「恐慌」です。最近では「リーマン・ショック」といわれる二〇〇八年の世界恐慌が記憶に新しいところです。恐慌により産業資本は全体として生産を縮小し、再び生産と消費のバランスをとり戻して景気回復に向かうことになりますが、資本主義のもとで生産と消費の矛盾がなくなることはありませんので、恐慌は何度でも周期的にくり返されることになります。
しかし資本主義の矛盾は、このような周期的に訪れる矛盾にとどまるものではなく、もっと「恒常的な矛盾」(同四二七ページ)を抱えています。それは資本の本質が利潤第一主義にあるところからくる矛盾です。先にみたように、個別資本は特別剰余価値を求めて、生産力の発展を競い合う「競争の強制法則」のもとにおかれており、生産力の発展競争は、資本の有機的構成の比率が高まることを意味しています。
剰余価値(利潤)を生みだすのは、機械や原材料ではなくて労働力ですから、全社会的に資本の有機的構成部分が高まれば高まるほど、資本総量に占める利潤の割合が次第に低下していくことになります。これを「一般的利潤率の傾向的低下の法則」といいます。一般的利潤率とは社会全体の総資本にたいする総利潤の割合であり、いわば社会の平均的利潤率です。
この利潤率低下の法則は、利潤第一主義の個別資本にとって死活にかかわる問題であり、利潤率の低下を資本の総量を拡大することによって利潤総量でまかなおうとしますが、それにも限界があります。すなわち一般的利潤率がある水準まで低下してくると、それ以上資本を増大させても利潤総量は増大しない段階に達します。そうなると利潤の獲得を規定的目的とする資本はもはやそれ以上に新たな資本投下をしようとしなくなるのです。これを「資本の過多」(同四二七ページ)とよびます。資本がその投下先を見失って、それ以上生産を拡大しようとせず、そのため資本の使い道がなくなり、資本がダブついてくるのです。
「増大した資本が、増大するまえと同じかまたはそれより少ない剰余価値総量しか生産しなくなるときには、資本の絶対的過剰生産が生じている」(同四二九ページ)。これがいわゆるゼロ成長といわれる状態です。現在発達した資本主義諸国の大半がこの状態におちいっており、日本もまた例外ではありません。日銀の白川元総裁は、衆議院の財務金融委員会(二〇一〇年九月八日)において「経営者から『手許金は潤沢だが問題は使う場所がないことだ』と聞く」と証言しましたが、これこそ見事に資本の側から「資本の過多」を証明する証言だったのです。
資本主義とは、一方の側に資本があり、他方の側に労働力をもつ労働者が存在し、両者が結合して富(剰余価値)を生産するという生産様式の社会です。しかし資本主義の現段階は、一方において「資本の過多」があり、他方に過剰な労働力としての「産業予備軍」が存在するにもかかわらず、利潤第一主義という資本主義の本質からして両者はともに過剰でありながら結合することができないのです。
「資本主義生産の真の制限は、資本そのものである。というのは、資本とその自己増殖とが、生産の出発点および終結点として、生産の動機および目的として、現われる、ということである」(同四二六ページ)。利潤第一主義の本質をもつ資本主義のもとでは、利潤の獲得が「生産の出発点」になると同時に、新たな資本の投下が新たな資本の利潤を生みださなくなったとき、それは「生産の終結点」となるのです。ここに資本主義的な生産関係が生産力の発展にとって桎梏となっていることがはっきりと示されているのであり、マルクスはそれを資本主義の「恒常的矛盾」とよんでいます。
資本は利潤の生産を唯一の目的として生産するのであって、国民大衆のより豊かな生活の享受を目的として生産するわけではありません。だからどんなに国民がその生活上必要としていようが、新たな利潤を生みださなくなったときが生産の「終結点」となるのであり、ここに資本主義の歴史的制約性がはっきりと示されているのです。
しかし資本主義的な生産力と生産関係の矛盾は、資本の過多による生産のストップで終わるわけではありません。資本はさらに新たな利潤の獲得をめざして策動し、「資本そのもの」が真の制限であることを立証していくことになります。それが「カジノ資本主義」とよばれるものです。「カジノ」とは公認の賭博場を意味しており、カジノ資本主義とは、資本主義がモノづくりによって利潤を生産する段階から、賭博によって利潤を再分配する段階に入ったことを示す概念なのです。
賭博というのはプラスとマイナスを合計するとゼロになる「ゼロサムゲーム」であって、持ち主が変わるだけで富の総額は増加しません。生産による新たな利潤の生産に期待できなくなった資本は、あり余る資本を金融投機(マネー・ゲーム)というギャンブルに回して利潤を手に入れようとするのです。しかも現代のマネー・ゲームは、あらゆる金融商品の動きを全世界的規模で見つめながら、一瞬をねらって千分の一秒の高速で決済するというIT革命の申し子のようなものですから、勝者は常に豊かな情報量と膨大な資金力を持つ金融大資本であり、敗者は常に国民大衆というインチキ賭博、詐欺賭博なのです。
小泉内閣が二〇〇五年に郵政民営化を最大の争点にして総選挙をたたかったとき、多くの国民はなぜそれが国政の最大の争点になるのか疑問をもちながらも、「自民党をぶっ壊す」という威勢のいい言葉に踊らされて自民党に票を投じました。しかし郵政民営化の本当のねらいは、アメリカの金融大資本が日本政府に圧力をかけ、金融自由化のもとで郵便局の三四〇兆円という庶民の貯蓄をマネー・ゲームに取り込み、食い物にしようとするところにあったのです。いまや日本の銀行の主たる任務は、本来のお金の貸し借りの業務よりも金融市場でのマネー・ゲームに比重がおかれています。それに必要な巨大なマネーを動かすために金融再編がおこなわれ、日本の金融資本は、三菱東京UFJ、三井住友、みずほという三つの巨大銀行に集中してしまいました。
マルクスは銀行を中心とする「信用制度」(マネーの運動する場)について、「他人の労働の搾取による致富を、もっとも純粋かつ巨大な賭博とぺてんの制度にまで発展させ、社会的富を搾取する少数者の数をますます制限するという性格」(『資本論』⑩七六五ページ)をもっているという鋭い指摘をしています。銀行を中心とするマネー・ゲームは搾取を「賭博とぺてん」にまで発展させ、ますます少数の資本家に富を集中させるといっているのです。さらにマルクスは信用制度の発展は「金融市場」の発展をもたらし、「銀行業者たちは、これらの商人(証券取引業者)連中に公衆の貨幣資本を大量に用立てるのであり、こうして賭博師一味が増大する」(同⑪八八五ページ)と述べています。現代のマネーは、貨幣もたんなる紙券(ペーパー・マネー)にすぎませんし、国債も国の借金であって何ら資本ではなく、したがってマネー市場で取引されるマネーの大半は「架空資本」であり、いまやこの架空資本は「実体資本」の三倍以上にふくれあがっています。本来「実体経済」を円滑に動かすためのマネーが架空資本となり、しかもその架空資本が実体経済を動かすという逆転現象が起きているのです。
二〇〇七年末のサブプライムローンの破綻が示したものは、それがいかに破綻を免れない詐欺とぺてんの金融商品であったかということと同時に、金融バブルの破綻がどれだけ実体経済をも左右する存在となっているかを明らかにしたことでした。資本主義は、その利潤第一主義という本質から、いまやモノづくりによる富の生産よりも、詐欺とペテンによる恥も外聞もない利潤の獲得にまで転落するという「資本主義の腐朽性」を示すところにまで達しているのです。
マルクスの偉大さは、マルクスの生きた時代が産業資本を中心とする資本主義の時代であったにもかかわらず、金融資本が中心の資本主義の時代における資本主義の根本矛盾までをも視野に入れて論じているところにあります。資本主義の歴史をふりかえってみると、まず商人資本中心から始まり、産業資本中心となり、現代は金融資本中心ということができるでしょう。一五世紀後半に始まった資本主義は、「アメリカにおける金銀産地の発見、原住民の絶滅と奴隷化と鉱山への埋没、東インドの征服と略奪の開始、アフリカの商業的黒人狩猟場への転化」(『資本論』④一二八五ページ)により商人資本の台頭としてあらわれます。一八世紀後半のイギリスに始まった産業革命は一九世紀をつうじて全世界に広がり、産業資本を中心とする資本主義という本来の資本主義を確立していきます。マルクスはこの時代に生きた人です。さらに二〇世紀に入ると、資本主義も自由競争の時代から独占資本主義の時代に入り、金融資本が産業資本を支配する時代となり、二〇世紀後半のIT革命と金融工学の発展は、金融資本の支配をさらに新たな段階にまで押しすすめました。現代資本主義のもとでの「生産力と生産関係の矛盾」は、いまや「生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変」(「経済学批判 序言」全集⑬六ページ)し、「社会革命の時期が始まる」(同)ところまで達しているのです。
マルクスが、産業資本の台頭してきた時代に生きたにもかかわらず、資本主義の運動法則という真理を解明することにより、百五十年も先の金融資本中心の資本主義の姿までを予見することができたのは、もっぱら弁証法的唯物論という理論の力を示したものにほかならなかったのです。
・社会主義論
マルクス主義哲学は、真理探究の哲学として資本主義の運動法則を解明すると同時に、革命の哲学として資本主義の矛盾を解決する社会主義をその重要な構成部分としています。それはマルクス自身が自らの学説を「科学的社会主義」とよび、社会主義を柱とする哲学であることを宣言したことにも示されています。その意味でマルクス主義哲学は、『資本論』における資本主義の分析をつうじて「事実の真理」から「当為の真理」を探究した革命の哲学であり、「思考と存在との同一性」に回答を与えるものとなっています。もっともマルクスは『資本論』を全三巻のうち、第一巻を完成させたのみでしたから、そのなかで社会主義論を全面的に展開しているわけではなく、その課題はエンゲルスの『反デューリング論』(全集⑳)に委ねられることになりました。
「事実の真理」から「当為の真理」へと前進するためには、まず資本主義の基本矛盾が明らかにされなければなりません。マルクスは史的唯物論を定式化するなかで、生産力と生産関係の矛盾を社会発展の基本矛盾としてとらえました。エンゲルスも同様に「生産力と生産様式とのこの衝突」(全集⑳二七七ページ)という表現で生産力と生産関係の矛盾を論じています。そのうえで資本主義のもとでの「この衝突はどういうものか」(同二七八ページ)との問いを自ら発し、「社会的生産と資本主義的取得」(同二八〇ページ)との「矛盾のうちに現代の衝突の全体がすでに萌芽としてふくまれている」(同)と述べています。『反デューリング論』の序文においてエンゲルスは「この書物で展開されている考え方は、大部分マルクスによって基礎づけられ発展させられたもの」(同九ページ)と述べているのに加え、「社会的生産と資本主義的取得」の前後に展開している文章は、『資本論』第一部第二四章第七節「資本主義的蓄積の歴史的傾向」で述べられているものとほぼ同様なものとなっています。
したがって、資本主義の基本矛盾を「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾としてとらえることは、マルクス、エンゲルスの共通の見解だったとみるべきものでしょう。彼らは、人類史全体を通底する「本質的」矛盾として「生産力と生産関係」の矛盾をとらえ、その資本主義における「現象的」矛盾として「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾をあげたものということができます。
資本主義の独自性は、機械制大工業のもとで生産力が爆発的な発展をとげ、「個々人の仕事場に代わって、幾百人、幾千人もの協働を必要とする工場が現われてきた」(同二七八ページ)ことにあります。そこで「生産力」を「社会的生産」におきかえ、他方生産された前代未聞の巨大な富を資本家が独占するかたわら、労働者の人間疎外は極限にまで達しているところから、「生産関係」を「資本主義的取得」とおきかえたものでしょう。
さらにいえば、「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾という「事実の真理」をとらえることで、その矛盾を解決する「当為の真理」を「社会的生産と社会的取得」としてとらえることが可能となり、「事実の真理」から「当為の真理」への発展の問題が理論的に整理されて提起されるというメリットがあることもその理由の一つになっているということができます。マルクス主義は、「事実の真理」を対立・矛盾としてとらえることで、そこから生まれる「当為の真理」が事実の真理のもつ矛盾を揚棄した対立物の統一であることを明確にすることによって、事実の真理と当為の真理との関係を理論的に明確にするという功績を残したのです。いずれにしても「生産力と生産関係」の矛盾と「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾との関係は、本質と現象の関係として理解すべきものと思われます。
以上からして、マルクス主義の社会主義を一言で定義するならば、「社会的生産と資本主義的取得」の矛盾を解決する「社会的生産と社会的取得」の社会ということになるでしょう。では「社会的生産と社会的取得」の社会主義を建設するためには何がその必要条件になるのでしょうか。一般的には、これまで社会主義の三つの基準として①プロレタリアートの執権、②生産手段の社会化、③社会主義的な計画経済があげられてきました。これは『空想から科学へ』の末尾に「プロレタリア革命、諸矛盾の解決」(全集⑲二二五ページ)の項に掲げられた次の文章に由来するものとされています。
「プロレタリアートは公権力を掌握し、この権力をつかって、ブルジョワジーの手からすべりおちてゆく社会的生産手段を、公共の財産に転化する。この行為によってプロレタリアートは、生産手段をそれの従来の資本としての性質から解放し、生産手段の社会的性格に、自己を貫徹する完全な自由をあたえる。あらかじめきめられた計画にもとづく社会的生産がこのときから可能になる。生産の発展によって、いろいろな社会階級がこれ以上存続することは時代錯誤になる」(同二二五ページ)。いわば、プロレタリアートの執権によって生産手段を社会化し、社会主義的計画経済によって「社会的生産と社会的取得」という搾取も階級もない社会を実現する、それが社会主義だというのです。「生産手段の社会的性格に、自己を貫徹する完全な自由を与える」というのが、生産物を社会的に分配し、社会的に取得することを意味していることはいうまでもありません。
これだけをみれば、社会主義とは三つの基準をもつ社会ととらえることもできるでしょう。しかしエンゲルスはそれに続けて、「人間は、ついに自分自身の社会的結合の主人になり、それによって、同時に自然の主人に、自分自身の主人になる――すなわち、自由になる」(同)と述べ、「これは、必然の国から自由の国への人類の飛躍である」(同二二四ページ)という有名な命題でしめくくっているのです。最後の命題は明らかにヘーゲルから学んだものということができます。ヘーゲルのいう「必然の真理は自由」(『小論理学』下一一五ページ)とか、「自由は必然を前提し、それを揚棄されたものとして自己のうちに含んでいる」(同一一六ページ)とか、「必然から自由への、あるいは現実から概念への移りゆきは、最も困難なものである」(同一一八ページ)とかの文意は、すべて必然性の支配する客観世界をのりこえて、必然性から解放されたイデアの(真にあるべき)世界に移行することにより、人間は真の自由である概念的自由に到達することを意味しています。
エンゲルスは、資本主義の絶対的蓄積法則という必然性から生じた人間疎外から解放され、人間の概念的自由、つまり人間の類本質を全面的に実現した人間解放の社会としての社会主義への移行を「必然の国から自由の国への人類の飛躍」と表現したのです。それは言いかえると、「人民の、人民による、人民のための社会」であり、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つのアソシエーション」(『共産党宣言』全集④四九六ページ)なのです。エンゲルスのいう「人間は、ついに自分自身の社会的結合の主人」になるとの表現には、このアソシエーションへの思いが込められています。
もともとマルクス主義の原点が人間解放にあったことは第一一講で学んだところです。人間解放による真に自由で平等な人民が主人公となるアソシエーションこそ社会主義の根本理念であり、いわゆる社会主義の三つの基準といわれるものも、その根本理念を実現するための手段にすぎないのであって、それ自体を目的とするものと理解してはならないでしょう。
その点でプロレタリアート執権論(「プロ執権」論)について一言しておきたいと思います。というのも第九講で学んだように、この概念はマルクス主義の独自の産物なのですが、この「プロ執権」論こそ、真のヒューマニズムに背を向け、スターリンの専制支配を生みだすことにつながる「ソ連型社会主義」の鍵となった概念だからです。マルクスは「ゴータ綱領批判」のなかで、「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。……この時期の国家は、プロレタリアートの革命的執権以外のなにものでもありえない」(全集⑲二八~二九ページ)としています。またマルクスは自らの功績として、「階級闘争は必然的にプロレタリアート執権に導」(マルクス「ヴァイデマイアーへの手紙」全集㉘四〇七ページ)き、「この執権そのものは、一切の階級の廃止への、階級のない社会への過渡期にすぎない、ということを証明したこと」(同)にあると述べています。
いわば「プロ執権」とは、労働者階級を先頭とする階級闘争に勝利することで実現する権力であり、その任務は搾取と階級を廃止することによって社会主義を実現することにあるということができます。しかし、では「プロ執権」とはいかなる内容をもっているのかについては、十分な説明がなされていません。エンゲルスが「あれがプロレタリアートの執権だったのだ」(エンゲルス「マルクス『フランスにおける内乱』〔一八九一年版〕の序文」全集⑰五九六ページ)と宣言したパリ・コミューンについて、マルクスは「労働者階級の政府」(マルクス「フランスにおける内乱」同三一九ページ)とよんだり、「人民による人民の政府」(同三二三ページ)とよんだりしており、労働者階級の政府と人民の政府とがどのような関係にあるのかを明確にはしていないのです。そこから「プロ執権」に関するレーニンの一面的な解釈も生まれたということができるでしょう。
この問題を解明するには、パリ・コミューンにいたる一九世紀の社会主義思想は、ルソーの「一般意志」を実現する社会として誕生したことを知らなければなりません。ルソーは、人民が一般意志を形成するには、神のような天才的な個人が導き手として必要だとしています。これに対しヘーゲルは、ジャコバン独裁の経験もふまえ、一般意志は「定形のない塊り」としての人民のなかから生まれることはできないから、優秀な官僚の手によってのみ生みだされると考えました。
マルクス主義は、パリ・コミューンを目撃するなかで、労働者階級こそが一般意志形成の導き手になりうるのであり、労働者階級(より正確には労働者階級の利益を代表する政党)が導き手となって、人民のまえに一般意志を提示し、それが万人の意志になることにより「人民の、人民による、人民のための政治」が実現されるのであって、それを「プロ執権」とよんだのです。だからこそマルクスは「プロ執権」を「労働者階級の政府」であると同時に「人民による人民の政府」としてとらえたのです。
一一、マルクス主義哲学は真理認識の最高の哲学
以上二回にわたってマルクス主義哲学を学んできましたが、それをつうじてマルクス主義哲学は「人類が生みだしたすべての価値ある知識の発展的継承者」であり、真理探究の哲学の頂点にたつ哲学として真理認識の最高の哲学であることを証明することができたのではないかと考えるものです。
一つには近代哲学のみならず、古代哲学、中世哲学のすべての「価値ある知識」の発展的継承者ということができます。前講で学んだように、マルクス主義は、古代、中世、近代哲学のすべてにわたる各時代を代表する哲学の真髄を発展的に継承するものとして誕生したのです。
二つには、マルクス主義哲学は、弁証法的唯物論と史的唯物論という真理探究のための最高の思惟形式を手にすることによって、世界のすべての事物――自然、社会、人間――を対象にし、すべての事物にかんする「すべての価値ある知識」の発展的な継承者として真理認識の最高の「全一的な世界観」となりました。それを一言で表現するならば、人間解放という真のヒューマニズムの立場にたった革命の哲学であり、不断に真理を探究し続けることで人民とともに歩む人民の哲学ということができるでしょう。そこにマルクス主義の永遠の生命力があるのです。エンゲルスがいうように「いまさしあたって必要なことは、この科学をそのあらゆる細目と連関とにわたってさらに仕上げてゆくこと」(全集⑳二六ページ)であって、マルクス主義哲学と別の道を歩むことではありません。
こうして、マルクス主義以降の現代哲学は、その細目の仕上げという真理探究の道を歩むのか、それともマルクス主義に対決して非真理の道を歩むのかのいずれかの道を選択せざるをえないことになるのです。
現代哲学の挑戦を受けても、なおマルクス主義哲学は「最後の哲学」であり続けることができたのかの問いに答えるのが、今後に検討すべき課題となっています。
|