『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』より

 

 

第一講 『精神現象学』とは何か、「序論」 ①

一、『現象学』をどういう観点で学ぶか

 今日から全十五回でヘーゲルの『精神現象学』を樫山欽四郎訳(河出書房新社)をテキストに学んでいきたいと思います。比較的安価で手に入りやすいのが、テキストに選んだ理由です。しかし全部で四百八十四ページもある著作ですから、逐条的に学んでいくには時間が足りませんし、またヘーゲルの最初の哲学的著作である『現象学』が「まとまった構想のもとに生まれたものではないこと、綿密な計画も長い思索もなく突然書き始められたこと、……その他の事情が手伝って、想像もできないほどの短期間に書かれた」(四五六ページ)ことからしても、あまり細かく学ぶ必要もないように思われます。
 それだけに、ヘーゲル『現象学』を学ぶ基本的観点だけは最初に明確にしておくべきでしょう。それは大きく以下の三つに分かれます。
 まず一つには、科学的社会主義の立場から学んでいくことです。『現象学』はヘーゲルの最初のまとまった哲学的著作として有名な古典ですから、金子武蔵訳『精神の現象学』(上下、岩波書店)をはじめとして、多数の翻訳書や解説書が存在しています。難解な古典であるだけに、その解説や解釈の内容も論者によって多岐にわたっています。これまで科学的社会主義の立場にたった邦文による『現象学』の解説書として、ルカーチの『若きヘーゲル』があるものの、これは全文の解説書ではなく、しかも疎外論を軸に読み解こうとするという限界をもつものでした。その意味では科学的社会主義の立場にたって『現象学』が全体として何を言わんとしているかを解明した全文の解説書は存在しなかったといえるでしょう。
 広島県労働者学習協議会は科学的社会主義の基礎理論を普及することを目的としている大衆的学習組織ですから、『現象学』を科学的社会主義の立場からいかに解釈すべきかを問題にするというだけではなく、科学的社会主義の学説をより豊かなものに発展させる見地からも学んでいきたいと思います。
 特にマルクスの『経済学・哲学草稿』(城塚登他訳、岩波文庫)は、『現象学』について詳細な論評をおこない、『現象学』を「ヘーゲル哲学の真の誕生地でありその秘密である」(同一九三ページ)と規定していることからも、重要な参考文献ということができます。しかしそれ以外にもマルクス、エンゲルスはあちこちで『現象学』について論じていますので、それらを参考にしながらも、それらに限定されることなく、科学的社会主義の立場から学んでいきたいと思います。
 二つには、『現象学』をヘーゲル哲学の到達点としてではなく、出発点として学んでいきたいと思います。『現象学』はヘーゲルが三十七歳であった一八〇七年に出版されました。『現象学』の出版からヘーゲルが死亡した一八三一年までの二十四年間、ヘーゲル哲学がどのように内容・形式ともに変化・発展していったのかを探究することも、本講座の主たる課題の一つということができます。
 ヘーゲルは『現象学』出版に際して「学の体系第一部 精神現象学」(一三ページ)との表題をつけています。なぜ「体系第一部」なのかについて『大論理学』「第一版の序文」では、「現象論をその内容とする哲学体系の第一部に対して、論理学と哲学の二つの実在的な学、即ち自然哲学と精神哲学とをその内容とするはずで、それによって哲学体系が完結されることになる第二部が続く予定であった」(『大論理学』㊤の一、六ページ、岩波書店)と述べています。
 つまり『現象学』執筆当時には、『現象学』を哲学体系の第一部とし、第二部を論理学、自然哲学、精神哲学とする哲学体系を予定していたのです。しかしヘーゲルは途中でこの計画を変更し、一八一七年『哲学的エンチクロペディーの綱要』(通称『エンチクロペディー』)を出版します。この『エンチクロペディー』は論理学(いわゆる『小論理学』)、自然哲学、精神哲学から構成され、これは「哲学の全範囲にわたる概観」(『小論理学』㊤二〇ページ、岩波文庫)を取り扱った新しい哲学体系を示したものであるとして、これまでの『現象学』を第一部とする構想を投げすててしまったのです。
 その体系転換の理由について、ヘーゲルは「一見形式にのみ限られているようにみえる意識の発展には、同時に、哲学の特殊な諸部門の対象である内容の発展も含まれて」(同一三三ページ)しまって、『現象学』の「叙述は一層複雑」(同)になったことをあげています。「意識の発展」という形式論(認識論)を扱う予定が、意識の内容にまで踏み込むことになり、「複雑」になってしまったというのです。
 しかしそれだけの理由であれば、『現象学』に含まれている「哲学の特殊な諸部門」の対象とされている「道徳、人倫、芸術、宗教」(同)などを『現象学』から切りはなして、第二部に予定している「精神哲学」の内容とするだけで足りるように思えます。いずれにしてもヘーゲル哲学が『現象学』以後どのように変化・発展していったのかを考察することをつうじて、私たちなりに体系変更の理由を検討してみたいと思います。
 三つには、今から二百年以上前の『現象学』を、現代の自然科学や社会科学の到達点を踏まえながら学ぶという視点を貫くことです。『現象学』は「序論」「緒論」を除くと大きく三部門に分かれ、第一部は「意識の経験の学」という個人の意識の弁証法的発展の過程、いわゆる認識論が論じられ、第二部は「精神の現象学」として、近代史を中心とする人類史、世界史が取りあげられ、最後に両者に共通する結論部分として第三部の「絶対知」が論じられています。
 そこで科学的社会主義の立場から学ぶこととの関連において、ヘーゲルの提起した問題を積極面、消極面の両面から検討し、第一部では唯物論の立場にたってヘーゲルの認識論を現代の脳科学の到達点をふまえて考え、第二部ではヘーゲルの古代ギリシアから資本主義に至るまでの歴史観を、史的唯物論の観点にたって学んでいきたいと思います。
 『現象学』の第一部では個人の意識が経験をつうじてどのように真理に接近していくのかを論じており、ヘーゲルは意識の発展を感覚、知覚、悟性、理性としてとらえています。近年顕微鏡の性能向上、遺伝子操作技術の発展、脳の内部の画像化技術の発展などにより、脳科学の研究は飛躍的に進んでいますが、現代の脳科学の到達点からみて、ヘーゲルのいう感覚、知覚、悟性、理性という区分がどういう意味をもつのかを考えていきたいと思います。
 第二部の歴史観について、エンゲルスは、ヘーゲルによって「人類の歴史は、もはや無意味な暴力行為……の乱雑なもつれあいとは見えなくなって、人類そのものの発展過程として現われてきた」(全集⑳二三ページ)ととらえられたことを偉大な功績としながらも、彼の功績は「この過程の内的な法則性」(同)の存在を指摘するにとどまったと指摘しています。
 いうまでもなく、人類の歴史の「内的な法則性」をはじめて解明したのはマルクス、エンゲルスによる史的唯物論でした。第二部におけるヘーゲルの歴史観には、ヘーゲルらしい鋭い問題提起はおおいに評価しうるものの、史的唯物論からすれば問題といわざるをえない箇所も多々あります。それは特に資本主義を論じる箇所でより鮮明になってくるということができます。そうした問題意識をもって第二部を学んでいきたいと思います。
 しかし反面からすると、第二部で展開されるヘーゲルの道徳、宗教論は、これまで科学的社会主義では正面から論じられなかった課題であり、科学的社会主義の学説に反省をせまり、より豊かなものに発展させる必要性を感じさせるものになっていることも否定できません。
 第三部の絶対知については、ヘーゲルが何を言いたいのか、いろいろ議論のあるところですが、ここも弁証法的唯物論の見地にたって変革の立場から学んでいくことが、最もヘーゲルの意に沿った解釈につながると考えるものです。


二、ヘーゲル哲学は時代の精神をとらえる

 『現象学』を含むヘーゲル哲学の特徴の一つは、常に時代とともにあり、意識して時代の精神を哲学的に把握しようとしたところにあります。その考えは彼の後年の代表作『法の哲学』において、「個人にかんしていえば、だれでももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである」(『世界の名著』一七一ページ、中央公論社)と述べていることにも現れています。
 そこに注目したのが、エンゲルスでした。彼は「カール・マルクス『経済学批判』(書評)」(全集⑬)において、次のように語っています。
 「ヘーゲルの思考方法がほかのすべての哲学者たちのそれにぬきんでていた点は、その基礎にある巨大な歴史的意識であった。その形式はひどく抽象的で観念論的だが、彼の思考の展開はつねに世界史の発展と平行して進んで」(同四七六ページ)いる、としています。
 それだけにヘーゲルの生きた時代は、「政治的」かつ「哲学的」にみてどんな時代だったのかを理解しておくことが『現象学』の理解にとっても不可欠だということになるでしょう。ヘーゲル自身も『現象学』のなかで「現代が誕生の時代であり、新しい時期に至る移行の時代であるのを見ることは、別にむずかしくはない。精神は、これまでの自分の生存と考えの世界に別れをつげて、それを過去のなかに沈め去ろうとしており、自分を作り直そうと努めている」(一九~二〇ページ)として、その時代の哲学として『現象学』を著したことを明記しています。
 ヘーゲルは近代哲学の完成者だといわれていますが、とりわけ近代全体を見通し、その時代の精神を変革の立場からとらえようとしました。そのため『現象学』も封建制から資本主義へ移行する近代を切りひらいた一六世紀のドイツ宗教改革、一八世紀後半からのイギリス産業革命、一八世紀後半のフランス革命という三大革命をその対象としています。
 まず政治的にみると、ヘーゲルの生きた時代は、フランス大革命とピッタリ重なり合っていることが注目されなければなりません。ヘーゲルは隣国の大激動を重大な関心をもって終生注目し続けたのです。
 「ヘーゲルは一七七〇年に生まれ、一八三一年に死んだ。だから彼は生涯一度も、この革命を、完結した出来事として、対岸の火事を見るようにこの革命の動乱とは関係ない安定した世界から、回顧することなどはできなかった。一七八九年から一八三〇年にいたる時期を満たしているもののすべてが、 ── 希望と恐怖となって ── 彼自身の運命ともなる」(リッター『ヘーゲルとフランス革命』一九ページ、理想社)。
 一七八九年とはバスティーユの襲撃によりフランス大革命が始まった年であり、一八三〇年とは七月革命の起きた年です。この間王制廃止、第一共和制の誕生、ジャコバン独裁と恐怖政治、テルミドールの反動と総裁政府の成立、ナポレオンのクーデターとナポレオン帝政、ナポレオン戦争を経て反動的ウィーン体制の確立、七月革命によるウィーン体制の破綻と、フランス大革命はめまぐるしく展開していき、他方でその影響のもとに一九世紀前半にはヨーロッパ全域に社会主義諸思想が拡がっていきます。
 他方、ヘーゲルの住んでいた神聖ローマ帝国のプロイセンに関連していえば、フランス革命政権とそれに続くナポレオンの対外進出に対抗するため、一七九三年イギリスを主導者とする第一回対仏大同盟が結ばれます。しかしナポレオンは一八〇六年プロイセンをイェーナ会戦で打ち破り、ここに神聖ローマ帝国は崩壊します。
 イェーナで『現象学』を執筆中だったヘーゲルは、「皇帝 ── この世界精神 ── が町を通り、馬に乗って偵察に出てゆくのを私は見た」とナポレオンに対して畏敬の念を表明しています。占領者であるナポレオンをフランス革命の自由な精神の体現者とみて「世界精神」と表現し、『歴史哲学』(下、岩波書店)では「彼はその偉大な個性の力をもって国外に向い、全ヨーロッパを席捲し、到る処に自由の制度を布いた」(前掲書三一七ページ)と述べています。
 このフランス軍の占領下で一八〇七年から二二年にかけて、プロイセンでは「シュタイン=ハルデンベルクの改革」と呼ばれる上からの民主的改革が行われます。そのなかで一八一八年、ヘーゲルはアルテンシュタイン文部大臣の招きによりベルリン大学哲学教授に就任し、ここにヘーゲル哲学は全盛期を迎えることになります。
 他方ナポレオンは一八一三年のロシアでの敗退を機に後退に転じ、一八一五年のワーテルローの戦いに敗れて没落します。それを受けて一八一四年から一五年にかけて反動的な「ウィーン体制」が確立し、オーストリア宰相メッテルニヒの主導下に開かれた一八一九年の「カールスバート決議」により学生運動や民主的大学教授は大弾圧を受け、ヘーゲルも危なかったのですが、アルテンシュタインの助力によってかろうじて弾圧を免れることができます。しかしこの経験は当時執筆中の『法の哲学』や一八二七年の『小論理学』第二版にも影を落とすことになります。
 こうしてフランス革命とその影響下のプロシアの運命が、そのまま当時のヘーゲル哲学に反映していきます。その意味でヘーゲル哲学は「ひたすら革命の哲学であり、フランス革命の問題を中心的な核としている哲学」(リッター前掲書一九ページ)として、時には希望を、時には恐怖を語ることになるのです。
 『現象学』が誕生した一八〇七年という時代は、フランス革命が最も高揚したジャコバン独裁が「テルミドールの反動」と呼ばれるクーデターで転覆し、革命が一挙に退潮期を迎え、その間隙をぬってナポレオンが皇帝に就任した(一八〇四年)時代でした。ヘーゲルは「自由、平等、友愛」を掲げたフランス革命を熱烈に歓迎しますが、その挫折により、一方では変革の展望を見失い、他方では新しい社会主義思想に目が向かないところから、ヘーゲルの関心は現実の変革から内面の変革としての道徳性に向かうことになります。
 次にヘーゲルの時代を哲学的にいうと、フランス革命の強い影響のもとに、ドイツ古典哲学(カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル)が誕生し、哲学の新しい時代が築かれます。ドイツ古典哲学はカントの『純粋理性批判』(一七八一年)、『実践理性批判』(一七八八年)、『判断力批判』(一七九〇年)という「批判三部作」に始まり、その影響のもとにフィヒテの『全知識学の基礎』(一七九四年)、ついでシェリングの『先験的観念論の体系』(一八〇〇年)が登場します。
 ドイツ古典哲学は、全体としてフランス革命が提起した理想と現実の統一という課題を追求した哲学でした。カントは「物自体」としての理想は認識しえないとしたのに対し、フィヒテは「理想から現実を組み立てよう」(ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』二二三ページ、岩波文庫)としました。これに対しシェリングは「現実から理想をつくり出し」(同)、ヘーゲルはフィヒテとシェリングを統一して、現実が理想をつくり出し、理想が現実をつくり変える理想と現実の統一を唱えました。
 ヘーゲルはこれら先人の哲学と格闘しながら、その批判のうえにようやく独自の哲学体系としての『現象学』(一八〇七年)を生みだしていくのです。こういう政治的・哲学的背景が『現象学』のなかにどのように反映されているのか、それはまた『現象学』にどのような内容をもたらしたのかを学んでいくことも、本講座の課題の一つとなっています。

 

三、『精神現象学』とは何か

 以上を前置きとして本題に入っていきます。
 
まず最初に『現象学』は全体として何を論じようとしているのかを説明しておきましょう。一言でいうと、『現象学』とは人間の精神(意識)がさまざまな経験をつうじて、どのように真理に向かって発展していくのかという、その発展過程を主観的精神と客観的精神を重ね合わせながら論じている「意識の経験の学」(五五ページ)であると同時に、精神の「現象学」であるということができます。
 ヘーゲル自身の言葉を借りるならば、「精神の最初の最も単純な現象、直接的意識からはじめて、精神の弁証法を哲学知の立場まで発展させ、この立場の必然性を、こうした進展によって示すという方法をとった」(『小論理学』㊤一三三ページ)ということになります。
 ヘーゲルのいう「精神」とは、自然との対比で用いられる世界の二大要素の一つであり、人間あるいは人間社会の実体をなすものです。ヘーゲルの場合、主観的精神とは個人の精神(意識)を意味しており、客観的精神とは人間の精神活動から生まれた人間社会の精神を意味しています。

 論理的なものと歴史的なもの

 『現象学』は大きく第一部「意識の経験の学」(A意識、B自己意識、C理性)(同)と、第二部「精神の現象学」(D精神、E宗教)、第三部の「絶対知」(F絶対知)とに分かれており、第一部が主観的精神を取り扱っているのに対し、第二部は客観的精神、第三部は主観的精神と客観的精神を統一した絶対的精神を論じています。第三部は全体の総括であり、真理とは「概念と存在の統一」としての「絶対知」であることが明らかにされています。
 重要なことは、ヘーゲルが主観的精神は客観的精神がたどった精神の発展する道程を後追いしてたどっているととらえていることです。いわばエルンスト・ヘッケルの「個体発生は系統発生をくり返す」という反復説(コラムで後述する現在のエボデボ)を主観的精神と客観的精神の関係に適用したものということができます。
 ヘッケルの反復説とは、一人の人間の受精卵から誕生に至る個体発生は、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、人類という生物進化の過程(系統発生)を短縮してくり返すというものです。ヘーゲルは、それを主観的精神の発展と客観的精神の発展との関係に適用したのです。
 エンゲルスは、『現象学』を「精神の ── 発生学および古生物学に対応する ── 学とも言えるもので、さまざまな段階を通過する個人の意識の発展を、人間の意識が歴史的に経験してきた諸段階の短縮された再現としてとらえたものである」(『フォイエルバッハ論』全集㉑二七三ページ)といっています。このヘッケルの反復説は、哲学的には「論理的なものと歴史的なもの」というカテゴリーとしてとらえられます。つまり個人が認識する論理の発展は、人類の歴史的な認識の発展に対応しているとするカテゴリーです。なぜこのような対応関係が成り立つのかといえば、個人の認識も人類の認識もいずれもゼロからスタートしながら、経験を積み重ねることで合法則的な発展(矛盾の揚棄・解決としての発展)が貫かれているために、論理的なものと歴史的なものとの間には一定の対応関係が生じることになるからです。
 『現象学』は、主観的精神および客観的精神が、直接知(最初の知)から出発しながら絶対知(概念と存在の統一)に到達する道程を「論理的なものと歴史的なもの」との関係においてとらえたものということができるでしょう。ヘーゲル自身も「個々人は、内容の上から言っても、一般的精神(客観的精神 ── 高村)の形成過程を通りぬけなければならない。が、その場合それらの過程は、精神によってすでに脱ぎすてられた形態として、すでにできあがって平にされた道の段階として、通りぬけられるのである」(二九ページ)としたうえで、「学は、この形成の運動を詳しくまたその必然の姿において叙述する」(同)ものであるとして、自ら「論理的なものと歴史的なもの」との関係として『現象学』を叙述したと語っています。

 『現象学』の構成と概要

 最初に『現象学』全体の流れをつかむために、その構成と概要について紹介しておきます。
 『現象学』は「目次」自体に示されているように、非常に複雑な構成をとっており、論者によって構成のとらえ方も異なっているのですが、本講座では「序論」「緒論」「第一部(A意識、B自己意識、C理性)」「第二部(D精神、E宗教)」「第三部(F絶対知)」の五つに分けて考察することにします。その理由は第一四講でお話しする予定です。
 「序論」では、個人および人類の認識は「絶対的他在において純粋に自己を認識すること」(二七ページ)により発展していくとの立場にたって、真理は実体ではなく主体であり、理想と現実の統一にあるとする、ヘーゲルの実践的真理観が論じられます。真理は出来上がった実体ではなく、弁証法的な運動をつうじて主体的に生成するという『現象学』全体の序論ともいうべきものです。
 「緒論」は、第一部「意識の経験の学」の序論にあたるもので、個人の意識は経験にもとづく感覚に始まり、知覚、悟性、理性をつうじて概念に至り「概念が対象に、対象が概念に一致する」(六一ページ)、つまり「概念と存在の統一」としての絶対知で終わる道程であること、および知には自らが真であるか否かを吟味する能力が備わっていることが紹介されています。
 第一部では、個人の意識は、客観的事物を対象とする「A 意識」をつうじて、第三者の目で自己自身をみる「B 自己意識」が生まれることがまず論じられます。自己意識により人間は社会的意識をもつに至り、真にあるべき社会を「われわれである我と、我であるわれわれとの両者が一つ」(一一五ページ)としてとらえます。しかし現実の社会は階級社会であって、人間はその苦しみから抜け出すための模索を続けることになります。「C理性」では、意識の最高位が変革の立場にたつ理性にあり、理性の目標となるのは「人倫の国」(二〇七ページ)の回復であることが明らかにされます。理性は「人倫の国」という真にあるべき社会を回復することによって、最終的にはわれとわれわれの統一した絶対的精神となることが論じられます。
 第二部では、人類の歴史はわれとわれわれの統一した「真の精神」に始まり、それが解体して「自己疎外的精神」となり、疎外からの回復を求める歴史を経て、絶対的精神に至る過程が論じられます。
 すなわち、まず「D 精神」では、自己意識の真理とされた「われとわれわれ」(個人と共同体)の統一した「人倫の世界」こそ「真の精神」であり、古代ギリシアのポリス(都市国家)がそれであるとされます。しかし、ヘレニズム・ローマ時代にポリスは崩壊して、階級社会という「自己疎外的精神」となり、ヨーロッパの封建制社会から資本主義社会までその疎外態が継続することになります。その疎外からの回復を求める運動のなかで、宗教改革や産業革命、フランス大革命が起こりますが、フランス革命の結果は「恐怖」政治となってあらわれ、革命は失敗に帰します。そのため精神は、疎外からの回復を人間の内面である「自己確信的精神」としての道徳に求め、良心にもとづく赦しの世界のうちに、個人と共同体の一体化した真にあるべき社会を見いだす過程が論じられます。
 「E 宗教」では、絶対精神の一形態である宗教は民族の精神の歴史を示すものとされ、「自然宗教」「芸術宗教」「啓示宗教」の歴史としてとらえられます。最後の啓示宗教とはキリスト教のことであり、その三位一体論は絶対的精神の運動を示す絶対宗教だとされます。
 第一部、第二部の最後はいずれも絶対的精神としてしめくくられていますが、第三部の「F 絶対知」では、この二つの絶対的精神は、いずれも現実の「表象」の形式を伴っており、この衣を脱ぎすてて純粋知となった精神が「概念と存在の統一」、つまり理想と現実の統一としての「絶対知」、絶対的真理であることが論じられます。

 

四、「序論」①

 「序論」はヘーゲル哲学の独自性を論じる

 『現象学』は、「序論」(一五ページ以下)と「緒論」(五七ページ以下)という二つの長い序文をもつという異例の著作となっています。当初は第一部の序論に相当する「緒論」だけだったものが、第一部から第二部へと書き進めるなかで新たに第一部、第二部全体に通じる「序論」を書き加え、表題も当初の「意識の経験の学」(五五ページ)から「精神現象学」に改められたとされています(四五五ページ以下)。
 では、ヘーゲルは何を言いたくて新しく「序論」を書き加えたのでしょうか。それを一言でいえば、はじめて公にする自己の哲学の独自性を明確にし、ヘーゲル哲学の意義を世に問いたかったためということができるでしょう。エンゲルスは、『フォイエルバッハ論』で「すべての哲学の、とくに近世の哲学の、大きな根本問題は、思考と存在とはどういう関係にあるかという問題」(全集㉑二七八ページ)であり、その一つが「思考と存在との同一性の問題」(同二八〇ページ)だとしています。すなわち、近世哲学は「われわれをとりまいている世界についてのわれわれの思想は、この世界そのものとどんな関係にあるのか」(同)、言いかえるとわれわれの思想(思考)はわれわれをとりまく世界(存在)と同一になり、真理を認識しうるのかという問題を提起したのです。それがフランス革命の影響のもとに登場したドイツ古典哲学の提起した問題でした。
 フランス革命は、ヘーゲルがいうように「思想が精神的現実界を支配すべきもの」(『歴史哲学』下三一一ページ)、言いかえると理想は現実になるべきであると訴えた革命でした。つまり理想(思考)と現実(存在)との統一という意味において、「思考と存在との同一性」の問題を提起し、ドイツ古典哲学はそれを廻って展開されることになります。 
 まずカントは『純粋理性批判』において、現象は認識しうるが「物自体」は認識しえないとして、真にあるべき姿としての理想は認識しえないとします。思考と存在の対立を絶対化して、両者の同一としての真理の認識可能性を否定したのです。
 カント哲学をより観念論的方向に継承したフィヒテは、物自体の認識可能性を否定するにとどまらず、物自体の存在を否定します。すなわち非我である全世界(存在)は自我(思考)によって定立され創造されるものであるとして、カントのいう物自体の存在を否定しました。そして自我は全世界を創造すると主張することにより、理想が現実となる思考と存在との同一性を主張し、真理の認識を肯定したのみならず、その実現による理想と現実の統一(自我=自我)を主張しました。
 これに対してシェリングは、フィヒテと異なり、思考と存在(主観と客観)との区別・対立を前提したうえで、自然が発展して、人間と人間の意識を生みだしたのであり、人間の意識である理想も現実から生まれたものとして現実に転化し、主客の絶対的同一性となると主張しました。ヘーゲルは一八〇一年「フィヒテとシェリングとの哲学体系の相違」(四八〇ページ)を発表してシェリングを擁護します。
 しかしヘーゲルは次第にシェリングとの哲学的立場の相違を自覚するに至り、「序論」で痛烈にシェリングを批判することになります。ヘーゲルは大学時代からシェリングと親交を結び、シェリングの紹介でイェーナ大学の講師となり、イェーナ時代にはシェリングと同居し、同じ大学で教え、共同で「哲学批評雑誌」を編集していたのですが、この『現象学』がシェリングとの訣別の書となって、以後生涯絶交したままとなるのです。他方フィヒテの「自我=自我」の哲学に、ヘーゲルは「概念と存在の統一」という自己の哲学の根本的思想との同一性を見いだし、フィヒテに対して生涯敬意を表明し続けたのです。

 「序論」の根本思想は真理を生成する主体としてとらえることにある

 ヘーゲルのシェリング批判のポイントは「大切なことは、真理を実体としてだけではなく、主観(体)としても理解し、表現するということである」(二三ページ)という「序論」の根本思想に示されています。これはシェリングが主観と客観の直接的同一性をもって真理とする考えを批判したものであり、なるほど真理を主・客の同一性としてとらえること自体は正しいといえるが、しかし主・客の同一性ははじめからできあがった「実体」として存在するのではなく、主観と客観の対立から出発しながら、意識は客観を経験することをつうじて、主客の不等性を次々と乗りこえていき、ついに主・客の絶対的同一性、すなわち理想と現実の統一という「絶対知(絶対的真理)」に到達するという「主体」的な運動をつうじてはじめて生成するものだというのです。言いかえると、真理とは主観と客観の区別・対立のうちに同一を見いだし、さらにその同一のうちに区別を発見し、その区別を乗り越えてより高い同一をめざすという運動を無限に反覆することによって生成する主観と客観の対立物の統一の意識なのです。
 そのことをヘーゲルは「単純なものを二つに引きはな」(同)し、「対立させて二重なもの」(同)とし、この「対立を更に否定する」(同)ことによって得られる主・客の統一だと表現しています。すなわち「真理とは、自己自身が生成することであり、自らの終りを自らの目的として前提し、始まりとし、それが実現され終りに達したときに初めて現実であるような、円環である」(同)。
 ヘーゲルは、この意識の弁証法的発展の過程を第一部「意識の経験の旅」で追いかけ、それを「A 意識」「B 自己意識」「C 理性」として展開しています。「A」は自然の真理を認識しようとする意識であり、「B」は社会の真理を認識しようとする意識です。「C」は「A」「B」を踏まえて、自然と社会とを合法則的に変革しようとする意識です。
 ヘーゲルは、この意識の発展過程を「絶対的他在において純粋に自己を認識すること」(二七ページ)と表現しています。この表現をつうじて、自我は客観を真にあるべき姿に変革すべく自己から客観に、客観から自己へという運動を無限にくり返すことにより、ついに「絶対的他在」である客観を完全に自己のものにつくりかえ、客観のうちに「純粋に自己を認識する」理想と現実の統一という絶対的真理(絶対知)に到達する、という思想を表明しているのです。
 このように真理とは、できあがった実体ではなくて、主体的運動をつうじて生成することを、ヘーゲルは「真理とは実体ではなく主体である」と言い表し、この真理に向かって運動する主体を「精神」ととらえたのです。このヘーゲルの考えは、相対的真理の粒をつみ重ねることで絶対的真理に接近しうるとする科学的社会主義の真理論と重なりあうものということができます。レーニンはエンゲルスの『反デューリング論』に学びながら、科学的社会主義の真理論を「われわれの知識が客観的・絶対的真理に近づく限度は、歴史的に条件づけられている。しかし、この真理の存在は無条件的であり、われわれがそれに近づきつつあることは無条件的である」(「唯物論と経験批判論」レーニン全集⑭一五八ページ)と定式化しています。

 シェリングの「絶対的同一性」への批判

 このヘーゲルのシェリング批判の根底には、同一と区別の統一という弁証法が横たわっています。古代ギリシアの弁証法と同様に、ヘーゲル弁証法も「古い形而上学」(『小論理学』上一三五ページ)への批判から生まれたものでした。「古い形而上学」とは、形式論理学を意味しており、その根本原理はA=Aという同一性の原理(同一律)にあります。AはどこまでいってもAであって、AがやBに変わることはないという固定した物の見方です。これに対しヘーゲルは、同一と区別とを全く切りはなして考えることはできない、すべての同一性はそのうちに区別を含む同一性であるととらえました。
 シェリングは主観と客観の絶対的同一性を主張しますが、主観と客観の同一性という絶対的真理は、一挙に実現しうるものではありません。まず真理の認識は、主観と客観の区別・対立を前提として、その対立のうちに同一を見いだそうとする相対的真理の認識にはじまり、その相対的真理という主・客の一定の同一性のうちにさらに新たな区別を見いだすことにより、その区別を克服することをつうじて、より高度の主・客の同一性に達し、この作業を反覆することで、主・客の絶対的同一性に到達しうる、というのがヘーゲルの主張です。
 したがって、シェリングのいう「絶対者のなかではすべては等しい」(二二ページ)との主張は、同一性が区別を含む同一性であることを見ようとしないものであり、「すべての牛を黒くしてしまう暗闇」(同)としてとらえるものと批判しているのです。
 さらにヘーゲルは、シェリングの認識方法が「知的直観」(二三ページ)によることを批判します。真理とは対立物の統一としての「全体」(二四ページ)であり、「全体とは自らの展開を通じて、自らを完成する実在のことにほかならない」(同)のであって、「絶対者について言わるべきことは、絶対者が本質的には結果であり、終りに至って初めて、自ら真に在る通りのものとなる」(同)というのです。ここにいう「絶対者」とは、ヘーゲルが知の目標とする「絶対知(絶対的真理)」あるいは「絶対的精神」であり、絶対的精神とは「自己を(主体的に運動する ── 高村)精神と心得ている精神」(二七ページ)を意味しています。
 つまり絶対的真理は、主観と客観の同一と区別という「展開を通じて」到達しうる「結果であり、終り」であって、直観によって無媒介的に一挙にとらえうるものではないというのです。絶対的真理に到達するには、「知は長い道程を通りぬけなければならない」(二八ページ)のであって、シェリングのいう「知的直観」なるものは「断言する教条論」(四四ページ)にすぎず、「ピストルからでも発射されるように、いきなり絶対知で始め」(二八ページ)ることは、絶対者をたんに実体としてとらえるものであって、主体であることをみないもの、と批判しています。
 長年の親友をここまで厳しく批判しなくても、と思われますが、論理主義を貫くヘーゲルにとっては妥協できない理論問題だったのでしょう。いずれにしても、これだけ罵倒されればシェリングがこれを機にヘーゲルと絶交したのも、ある意味当然だったといえるかもしれません。

 

 

* コラム * エボデボと脳科学

 ヘッケルの「個体発生は系統発生をくり返す」という反復説は、現在では「エボデボ(進化発生生物学)」(『脳科学の教科書 神経編』四八ページ、理化学研究所脳科学総合研究センター編、岩波ジュニア新書)と呼ばれています。
 エボはエボリューション(進化)、デボはディベロップメント(発達)の略であり、「進化の過程(系統発生)と生物の発達(個体発生)の関係を研究する学問」(同)を意味しています。
 脳の原型がどのようにしてできるのかについても、エボデボの関係でとらえることができます。まずエボの視点、すなわち進化の視点から脊椎動物の脳ができるまでの過程をみていきましょう。「すべての生物は外界からの刺激を受容し、それに対してなんらかの反応を示します」(同四九ページ)。つまり、すべての生物は、外部からの刺激を受けとる受容体をつうじて外部の情報を入力し、適切な運動への出力信号に転換して出力する、入力 ── 受容体 ── 出力という機能をもっています。生物が単細胞から多細胞生物へ、さらに無脊椎動物から脊椎動物へと進化する過程において、生物の受容体はより複雑なものに進化し、脊椎動物において、脳と脊髄からなる「神経系」となります。
 一九六八年、マックリーンは「マックリーンによる脳の三位一体的構造仮説」(同六二ページ)を発表し、当時多くの賛同を得ました。それは、魚類、両生類、爬虫類までの脳は、生きていくのに必要最低限の「爬虫類脳」だけから成り、鳥類、哺乳類になるとその上に情動をつかさどる「哺乳類原脳」が覆いかぶさり、人類になるとさらにその上に理性を制御する「新哺乳類脳」がかぶさるという仮説です。
 しかし現在では、「進化によって新たな脳の領域が付け加わってきたのではなく、基本的な脳の領域は、どの脊椎動物でも共通」(同六三ページ)であり、多様な脳は「それぞれの生物種が、個体の生存のため、種の保存のために、脳の各部位の大きさや形を変化させ」(同)ることにより、進化の過程で枝分かれしてできあがったと考えられています。
 次にデボの視点、すなわち個体発達の観点からみてみましょう。「脳の発達は大きく分けて、①初期発生、②領域化、③細胞分化、④軸索の伸長、⑤樹状突起の発達とシナプス形成、⑥神経回路網の再編、という六つのステップ」(同六四ページ)をたどります。
 ①「初期発生」の神経管は、「魚でもヒトでもすべての脊椎動物で、……原索動物(無脊椎動物 ── 高村)のナメクジウオと非常に似かよったもの」(同六六ページ)となっており、「まるで進化と同じようなプロセス(いわゆるエボデボ ── 高村)が、個体の発生でも起こっている」(同)のです。
 ②脳の「領域化」では、「神経管が体の前後軸にそって変化しはじめ」(同六七ページ)、前方領域が脳に、後方領域が脊髄になります。脳はさらに「前脳」「中脳」「菱脳」の三つに分かれ、前脳はさらに「終脳」「間脳」に、菱脳は「後脳」「髄脳」に分かれます(同)。ここまでは、「魚からヒトまで、すべての脊椎動物で共通」(同)であり、この中枢神経系は、「前から順番に、終脳・間脳・中脳・後脳・髄脳・脊髄という六つの大きな分節(セグメント)に分けられます」(同)。
 脊椎動物の脳の進化をみてみると、六つの分節のうち「終脳だけは進化にともなってどんどんと大きくな」(同六八ページ)り、ヒトの終脳では、そのうちの「大脳皮質が脳全体をすっぽり包むほどまでに大きくなって」(同)いるのです。
 ③「細胞の分化」では、遺伝子の設計図にもとづき、「一〇〇〇種類以上の多様なニューロンやグリア細胞に分化していきます」(同六九ページ)。分化とは「均質なものが異質なものに変化する」(同六八~六九ページ)という普遍の特殊化であり、この変化を逆行させることはできません。しかし人工的なPS細胞やES細胞という多能性幹細胞は、既分化の細胞を未分化な細胞に逆行させるところに、その画期的な発明の意義があるのです。
 ④「軸索の伸長」では、分化したニューロンが「脳の中の適切な場所へと移動して」(同七四ページ)、遺伝子のプログラムにしたがい、「最終目的地へと到着」(同)するのです。そこに到達すると、ニューロンは「軸索と樹状突起という二種類の神経突起を伸ばしはじめます」(同)。
 ⑤「樹状突起の発達とシナプスの形成」(同八〇ページ)により、遺伝子情報にもとづく神経回路が形成されますが、「おもに胎児期に形成されるこの神経回路網はまだまだ未完成でおおまかなネットワーク」(同八四ページ)であり、出生後、脳はさまざまな感覚の入力を刺激として、⑥「神経回路網の再編」(同)をおこない、洗練された精緻なネットワークとして完成されていくことになります。
 以上脳のエボデボをみてきましたが、脳の発生についても、「脳の個体発生は、脳の系統発生を繰り返す」ということができます。したがって、脳のエボデボからしても、脳の働きが哲学的には「歴史的なものと論理的なもの」という関係にあるのは、ある意味で当然といえるかもしれません。
 その意味からも、ヘーゲルが『現象学』を精神のエボデボとして論じたのは、先見性を示したものということができるでしょう 。