『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』より

 

 

第九講 「D 精神」 ②

 「c 法状態」

 「A 真の精神」の最後は「法状態」です。ヘーゲルが「法状態」(二七八ページ)とよんでいるのは、直接的にはギリシアのポリス解体後、ローマ帝国のもとでのローマ法の制定・支配を意味していますが、間接的には「自己疎外的精神」(二八二ページ)としての階級社会を意味しています。
 ローマは紀元前七五三年の建国以来、私法を中心に法体系を整備します。ローマ法は前三~二世紀には征服した諸民族に等しく適用される世界法となり、その成果は東ローマ帝国・ユスティニアヌス一世の『ローマ法大全』として、近代民法の先駆をなすものとなりました。
 ローマ法とは、「単純商品所有者のすべての本質的な法律関係(買い手と売り手、債権者と債務者、契約、債務、等々)を比類なく精密に仕上げ」(全集㉑三〇六ページ)ており、「商品生産社会の最初の世界法」(同)となったのです。その特徴は、成人男性のすべてに平等に権利能力の主体という法人格を認めたところにあり、ヘーゲルはそれを「法状態」とよんだのです。
 このローマ法は、征服した諸民族を統治し支配するうえで、ローマ市民と非市民の区別および重税の押しつけと並ぶ三本柱の一つとして、ローマ帝国の「巨大な平準力」(全集⑲二九四ページ)となりました。「ローマの裁判官たちは、いたるところでローマ法にもとづいてその判決をおこない、その結果、現地民の社会秩序は、ローマの法秩序に一致しないかぎり無効なものとされた」(同)のです。
 ヘーゲルの偉大さは、この「法状態」のうちに「自己疎外的精神」としての階級社会を見いだしたところにあります。ヘーゲルの疎外論は、マルクスの疎外論にも大きな影響を与えることになり、史的唯物論の骨格を形成する重要な概念となっています。「法状態」というのは、単にローマ帝国の時代をとらえたものではなく、奴隷制、封建制、資本主義というすべての階級社会における人間疎外をも視野に入れていることを理解しておく必要があります。

 疎外された人倫的実体

 以上を前提としてテキストをみていくことにしましょう。
 ヘレニズム・ローマ時代における帝国主義的支配をつうじて、ポリスは解体され、これまでのポリスにおける「個人性と(人倫的 ── 高村)実体の生きた直接の統一」(二七八ページ)に代わって、上からの「一般的統一」(同)があらわれます。その国家的統一は、ポリスと異なり「精神のない共同体」(同)として、もはや「人倫的実体ではなくなっており」(同)、個々人は共同体から切り離された「自立存在」(同)となっています。
 「一般者は絶対多数の個人というアトムに分散しており、この死せる精神は平等であり、ここではすべての人々は各人として、人格として認められる」(同)。この分散するアトムとしての個人を一つにまとめて支配する力が、すべての個人は法人格としては平等であり、自立した存在であるとするイデオロギーでした。「これからは、この自我がそれ自体に自分で(対自的に)存在する本質と認められる」(同)ことになりますが、その実体は、「抽象的一般性」(同)としての自己にすぎません。「したがってここでは、人格は、人倫的実体という生命の外に出てきたのであり」(同)、個々人の自立性は、現実の不平等を「断念することによって、生ずる非現実的思想」(同)にすぎなかったのです。
 第四講の「B 自己意識」において、ストア主義はヘレニズム・ローマ時代の帝国主義的支配の「現実から逃れることによって、自立性という意識に行きついた」(二七九ページ)ことを学びましたが、ストア主義において抽象的だった自立性は、「いま現実の世界となった」(二七八ページ)のです。
 「人格の権利は、個人そのものの、一層豊かなまたは一層力強い定在(生活基盤 ── 高村)に、結びついているのでもなければ、一般的な生きた精神に結びついているのでもなく、むしろ、自己の抽象的現実という純粋の一に……結びついている」(二七九ページ)。「ストア主義の抽象的自立性」(同)は、「見たり、聞いたりすることなどの空しさを言い表わしながら、現に自ら見たり、聞いたり」(一二八ページ)するという、「懐疑的混乱」(二七九ページ)を示すものであり、「実際には、自立性と非自立性の矛盾」(同)のあらわれというべきものでした。同様に、法の人格的自立性も、抽象的な所有権の主体としては自立しながらも実際には名前だけの自立性の権利であって、所有とは無縁な被搾取階級という非自立性のうちにあるという、自立性と非自立性の矛盾のうちで、「同様のあまねき混乱」(同)のなかにおかれていたのです。
 ただ懐疑論においては、現実の財産が「仮象と呼ばれ、消極的な価値」(同)しかもっていなかったのに対し、法人格においては「積極的な価値をもっている」(同)とされるところが、異なるだけです。したがって「或る個人を人格と呼ぶのは、軽蔑の言葉」(二八〇ページ)にすぎません。
 ヘーゲルが法の本質を階級支配にあるととらえ、さらに私的所有の法的承認が搾取の自由の承認という「自己疎外的精神」にあることを読みとっているのは卓見というべきものです。近代の社会主義運動は、まず搾取の根源を私的所有に求め、搾取の廃止のために「私的所有の廃止」を掲げたことにも、所有権絶対の思想が搾取の自由と表裏一体となっていることが示されています。
 マルクスは、搾取の廃止のためには、私的所有の廃止という要求をさらに一歩進め、「生産手段の私的所有の廃止」が求められることを解明すると同時に、「生産関係」とは、生産手段の「所有諸関係」(全集⑬六ページ)にほかならないことを明らかにしました。
 こうして「法状態」の社会においては、すべての人は法人格としては平等であるとの支配的イデオロギーのもとに、少数者による多数者の支配という人間疎外の階級社会が展開されることになります。法状態は、一方で多数の人民を「人格的アトム」(二八〇ページ)に分散すると同時に、他方で「自分達には縁のない、が自分達と同じように精神のない、一つの点(ローマ皇帝)に集約」(同)することになります。
 この「世界の主」(同)は「すべての人々と対立」(同)し、「破壊的暴力を敢て」(同)加えます。というのも、世界の主の威力は「精神の団結」(同)にあるのではなく、人々をアトムに分散させていることにあるため、「諸々の人格は、互いにはただ否定し合う」(同)だけであって、「自分達を関係させ、連絡させる」(同)べき相手である「主人に対しても、そういう態度をとる」(同)ことで「破壊的暴力」を許してしまうからです。ここには、被搾取、被抑圧階級の団結の困難さが個々の人間疎外にあるという本質が指摘されていて、注目されるところです。

 「法状態」のもとで個人は社会から疎外される

 疎外された個々人は、「自分が実体のないものであることを経験する」(二八一ページ)ことになり、「この現実から自己に追いかえされた意識は、自分が本質ではないと考えるように」(同)なります。
 中世の封建制社会は、抽象的な法的平等と実質的な身分的不平等の社会でした。これに抗してフランス革命は「自由・平等・友愛」をスローガンにしてたたかわれました。しかもそのブルジョア的な政治的平等の要求は、プロレタリア的な平等の要求に発展していきます。
 「プロレタリアは、ブルジョアジーのことばを楯にとって言う。平等はたんに外見上で、たんに国家の分野で実施されるだけであってはならない、それはまた現実にも、社会的、経済的な分野でも実施されなければならない、と」(全集⑳一一〇ページ)。こうしてフランス革命のなかから生まれたバブーフの「平等のための陰謀」は、社会的、経済的な不平等を解消するために「階級そのものの廃止」(同)という「プロレタリア的な平等」(同)の要求を掲げるに至ります。この意味でもヘーゲルが「法状態」を「自己疎外的精神」としてとらえたのは正しいということができます。
 「ストア的自立性は懐疑論を通りぬけ、不幸な意識において」(二八一ページ)「思惟の絶対的な自立存在」(同)が現実からの逃避にすぎないという真理をみつけましたが、同様にここでは法的人格の自立性と呼ばれるものは「自己意識が一般的に妥当しながらも、自己を疎外するような実在である」(同)という「現実的真理」(同)に気がつくことになるのです。こうしてみてくると、ストア主義、懐疑論、不幸な意識という「自己意識の自由」は、「法状態」における自己疎外的精神という現実を反映した意識にほかならないことが判明します。
 すなわち法的に自立する自己は、社会において「一般的に妥当」していると認められてはいても、社会という現実は人倫性を喪失した「そのまま転倒」(同)した存在であり、したがってこの現実のうちにあって、「自己がその(人倫的 ── 高村)本質を失うこと」(同)が現実的真理だと思い知らされることになります。
 「人倫的世界においては、(共同体と個人が ── 高村)一つであったものは、いま更に展開してはいるものの、自己疎外の形で現われているのである」(同)。人々は、人間は本来社会共同体と一体化して存在する社会的存在という本質をもっているにもかかわらず、法状態のもとでは個人は社会から疎外され、本質を失った「自己疎外の形で現われている」のです。

 

三、「B 自己疎外的精神、教養」

 「B 自己疎外的精神、教養」の概要

 本章では、封建制から資本主義に至るまでの近代、なかでも封建制から資本主義への過渡期の権力である「絶対主義(絶対君主制)」の時代を念頭においています。それは、封建君主とそれを支えるローマ・カトリック教会という二本柱の権力が支配する時代であり、そのもとで、疎外された精神は教養を身につけ啓蒙思想となり、宗教改革から産業革命、フランス革命をつうじて、疎外からの回復を求める時代としてとらえられます。
 つまり、近代とは引き続き「自己疎外的精神」の時代であり、「個的自己」は近代的自我の目覚めにより、「個的自己」から「普遍的自己」への発展を目ざして「教養」をつみ重ねることによって主体的に自己を疎外すると同時に、他方で疎外された「人倫の国」の回復を求めて社会変革に立ち向かうという、二つの意味で「疎外された精神」の時代となるのです。
 最初に指摘しておきたいのは、ヘーゲルのいう「自己疎外的精神」という場合の「疎外」の意味です。もともとは「疎遠になる」という意味なのですが、ヘーゲルはそこに、二つの意味を与えています。一つには、統一されていた単一なものが、二つの極に「区別」され、さらにはこの区別は対立となり二つの極が疎遠になるという意味で使用しています。個人と共同体の一体化した人倫的実体から個人が疎外されるという場合の疎外がそれです。
 もう一つは、生まれたままの自然状態の自己が「教養」をつむことで、「自然的自己」から疎遠になり、「個的自己」から「普遍的自己」に成長・発展することを意味しており、この場合の疎外とは即ち教養をつむことを意味しています。
 前置きはこのぐらいにして、「B 自己疎外的精神、教養」の構成と概要をみていきましょう。本章はテキストの六十ページ分を占めており、『現象学』のなかでも最も分量が多く、それだけヘーゲルが力を注いだ、近代という時代を「疎外的精神」としてとらえた箇所ということができます。まず全体は、大きく「序論」「 自己疎外的精神の世界」「b 啓蒙」「c 絶対的自由と恐怖」の四部分に分かれます。
 「序論」では、法状態とは個人が共同体から排除された自己疎外的精神であること、疎外された精神は「信仰の世界」と「現実の世界」という二つの世界に区別されること、自己意識は共同体から切り離されながら、教養をつむことで自然的自己から疎遠となり、啓蒙思想として二つの世界の変革に立ち向かうことになります。一つには信仰の世界における改革としての宗教改革であり、もう一つには現実の世界における改革としての産業革命とフランス革命ですが、フランス革命の挫折により、「C 自己確信的精神、道徳性」の世界に移行することになります。
「 自己疎外的精神の世界」では、現実の疎外された世界と天上の疎外された信仰の世界との間に対立が生じ、二つの世界は相互に排斥し合っていること、一方の疎外された現実の世界では疎外により「善と悪」「国家権力と財富」「高貴な意識と下劣な意識」の対立と相互移行が生じており、教養はこの現実の世界をつうじて世の中は矛盾だらけであり、この矛盾は解決されることによって疎外から回復すべきであると知ること、他方の疎外された信仰の世界とは、権力と癒着した宗教の世界であること、そこは近代的理性としての「純粋透見」と信仰との対立が生じている疎外された世界であること、純粋透見は疎外からの回復を求めて信仰とたたかう宗教改革に立ちあがること、が論じられます。
 「b 啓蒙」では、純粋透見は「啓蒙」思想となり、その本質は、絶対的否定性にあること、啓蒙思想は国家権力と一体化したカトリック教会とのたたかいである宗教改革をつうじて勝利すること、「啓蒙の真理」は、人と物との関係における理想と現実の統一である「有用なもの」の生産という産業革命として示されること、が論じられます。
「c 絶対的自由と恐怖」では、有用性にみられる人と物との関係における理想と現実の統一が、人と人との関係における理想と現実の統一に発展し、フランス革命として現実化されること、それは「絶対的自由」を求める運動として展開されますが、結局は「恐怖」政治をもたらす結果になったこと、その結果精神は現実の変革から逃れて、「B 自己疎外的精神、教養」から自己の内面の「C 自己確信的精神、道徳性」に向かうこと、が論じられます。


「序論」

 法状態は自己疎外的精神

 復習になりますが、ポリスという「人倫的実体は、(人間のおきてと神々のおきてという ── 高村)対立をもってはいるが、それを単一な意識(人倫的意識 ── 高村)のなかに包んでおり、この意識はそのままその(人倫的現実の ── 高村)本質と一つになって」(二八二ページ)いる悟性的社会でした。
 これに対し、法状態の精神にあっては、世界は「自己意識にとっては異様な直接存在する現実」(同)であり、「意識がそこに自分を認めることのないもの」(同)となっています。つまり自己意識は、いまや社会共同体から排除され、疎遠にされた存在でしかないのです。
 この第一の意味の疎外では、共同体は自己意識に対し、「外から暴力を加え」(同)、自己意識を「解体」(同)しようとします。自己意識は、この暴力に抗し、教養をつみ、自己の自然的「人格を疎外」(同)する第二の疎外によって立ち向かうのです。「なぜならば、直接的にすなわち疎外なしに、それ自体に自分で妥当するような自己には、実体がないからであり、例の荒れ狂う要素のたわむれ」(同)とされるにとどまるからです。
 したがって自己意識は、教養をつむことで自らを外化し、共同体のうちで「自らを支える精神的威力(国家権力と財富)」(同)をもつことによって共同体の一員になると同時に、国家権力と財富などの疎外された対立関係のうちにおかれることになるのです。

 教養としての「純粋透見」は信仰の国と現実の国の変革に向かう

 こうして自己意識は、教養をつうじて共同体と関わるようになり、自己と共同体とは媒介されながらも「互いに疎外し合う」(同)関係におかれることになります。他方で、現実の世界自体が疎外(区別)された世界であるところから、意識も「現実の意識」(同)としての現実の国と、「純粋意識」(同)としての信仰の国とに分裂することになります。「それゆえ、この精神は、……二重の、分裂しまたは対立した世界をつくりあげている」(二八三ページ)。
 しかし近代は、理性の目覚めによる近代的自我の確立する時代であり、現実の国も信仰の国も、ともに理性的意識である「純粋透見へと解体」(同)して行くことになります。「二つの世界は純粋透見へと解体して行く。この純粋透見は、自己自身を把握する自己(近代的自我 ── 高村)として、教養を完成する」(同)。ではこの純粋透見は、どのようにして教養を完成するのかといえば、「すべての対象性を抹殺し、すべての自体存在を対自存在(自立)にかえる」(同)、つまりすべての対象を現にある存在から真にあるべき存在にかえようとすることによって完成するのです。言いかえると、純粋透見とは、近代的自我の自覚のもとに自由な精神で現状を批判し、変革しようとする理性の力です。
 この理性の力を身につけることが、教養(自己形成)となり、教養を身につけた透見は、信仰の国と現実の国の変革に立ち向かうことになります。透見が「信仰に立ち向かうとき、透見は啓蒙(透見の普及)」(二八四ページ)としての宗教改革となってあらわれ、「啓蒙は、この信仰の国においてさえも疎外を完結」(同)して、疎外された宗教の国を疎外から回復して現実の国へ引き戻すのです。他方で透見は現実の世界の変革に立ち向かい、「認識不可能の絶対的実在と有用なものという、自分自身の対象をつくり出」(同)します。「認識不可能の絶対的実在」とは、フランス革命でロベスピエールのかかげた「最高存在」(徳)のことです。彼はキリスト教の三位一体論にもとづく人格神を認めず、「神は最高の本質であるから認識できないものである」(『小論理学』㊦一四ページ)として「最高存在」を祝う徳の政治を唱えました。これに対し「有用なもの」とは、産業革命から生まれた商品生産を意味しており、第一一講のコラムで詳述するように、第七講で学んだ「ことそのもの」とともに初期資本主義の時代における一種の資本主義美化論のあらわれとなっています。
 こうしてこの純粋透見の前に「現実はすべての実体性を失い」(同)、信仰の国も現実の国も「共に崩壊」(同)してしまいます。フランス革命に絶望した精神は、「教養のこの国(フランス)を去って」(同)、疎外からの回復を「別の国、つまり道徳的意識の国(ドイツ)」(同)という内面の世界に求めることになります。

「 自己疎外的精神の世界」

 自己疎外的精神の世界は現実の国と信仰の国に分裂した世界

 ここにいう「自己疎外的精神の世界」とは、「キリスト教的=ゲルマン的国家」(全集①三九七ページ)、とりわけドイツの神聖ローマ帝国とフランスの絶対主義国家を指しています。そこでは国王の支配する「現実の国」としての封建制国家と、ローマ教皇の支配する「信仰の国」としてのローマ・カトリック教会という二つの世界が互いに疎外しあって存在していました。
 「この精神の世界は、分裂して二重の世界となる。その一方は、現実の世界乃至精神の疎外そのものの世界であるが、他方は、精神が第一の世界を超えて高まり、純粋意識という霊気のなかで建てる世界である」(二八四ページ)。第一の世界とは封建制国家という「現実の国」であり、これに対して第二の世界は、「第一の世界の疎外に対立」(同)する「疎外のもう一つの形式」(同)であるカトリック教会という「信仰の国」です。すなわちこの第二の世界は、純粋に三位一体の神を信仰する真の「宗教」(同)としてのキリスト教ではなく、「現実的世界からの逃避であり、即且対自的ではない限りでの信仰」(同)を目的とする、国家権力と癒着した支配のイデオロギーとしてのキリスト教なのです。「キリスト教的=ゲルマン的国家では、宗教の支配は、支配の宗教」(全集①三九七ページ)なのです。

 「現実の国」の疎外された対立関係

 教養の国において、自己意識は「自己の個人格を外化し」(同)、理性を身につけることによって「世界をわがものにしよう」(同)とします。「自己意識は、自己自身を疎外する限りでのみ」(二八五ページ)実在性をもつのであり、この自然的な自己意識を疎外し、「一般者」(同)としての実在性を与えるのが「教養(形成)」(同)にほかなりません。
 「個人が真の本源的自然と実体になるのは、精神が自然的存在を疎外させることによって」(同)であり、それをもたらす教養は、「自分が自体的に(本来)あるものに自分を形成」(同)し、共同体の精神を身につけた普遍的自己になることによって「自然的自己を廃棄する」(同)ものなのです。
 したがって、「個人が教養(自己形成)をもてばもつだけ」(同)社会共同体との一体化を回復し、「一層現実と威力をもつ」(同)ようになります。教養により「自己形成する個人性の運動」(二八六ページ)とは、共同体的自己を回復しつつ、同時に「現実的世界が生成すること」(同)、つまり現実的世界を理性的に変革する運動なのです。こうして「自己意識は教養を通じて現実を支配しよう」(同)とし、共同体という「実体を現実化」(同)していきます。
 疎外された共同体という実体は、対立する「いくつかの契機」(同)から形成されていますので、諸契機の相互媒介の「現実化する運動」(同)が考察されなければなりません。それは自然における、空気、水、火という諸契機の関係と同様のものということができます。
 「空気は純粋に一般的で透明な永続的なものであるが、水はいつも(空気の ── 高村)犠牲になるものであり、火は空気と水を統一するが、この統一はそれらの対立をいつも解消すると共に、その統一を対立に分裂させる」(二八七ページ)。つまり、共同体の「精神的な集団」(同)は、空気としての「それ自体に一般的で、自己自身に等しい精神的なもの」(同)と、水としての「自分だけで存在し、……自己を犠牲」(同)にする精神的なものと、火としての「自己意識として主体」(同)となる精神的なものとに分けられることになります。
 ヘーゲルは、自然におけるこれらの諸契機を社会共同体の諸契機として考察する場合、それは「純粋意識」(同)と「現実的意識」(同)の双方において考察されなければならない、とします。まず共同体の「純粋意識」としてみると、空気に相当する「それ自体に一般的」なものとは「善」(同)であり、水に相当する「自己を犠牲」にする「個別性の意識」(同)は「悪」(同)となります。次に共同体の「現実的意識」としてみると、一般的なものとしての空気に相当するのは「国家権力であり」(二八八ページ)、水に相当する個別的なものは「財富」(同)となります。したがって、国家権力は善に結びつくのに対し、財富は悪に結びつくことになります。しかし現実の意識は、国家権力(善)と財富(悪)という「両方の原理を共に自分でもっており、区別はただ意識の本質のうちに、つまり、自己自身が、実在するものに関係することのうちにだけある」(二九一ページ)のです。自己自身が「国家権力と財富に対し、それぞれ等しいものとして関係」(同)するとき、その意識は「高貴な意識」(二九九ページ)となり、「不等のものとして関係」(二九一ページ)するとき、「下劣な意識」(同)となります。
 こうして疎外された「現実の国」は、善と悪、国家権力と財富、高貴な意識と下劣な意識の三つの疎外された対立する諸契機相互の関係として考察されることになります。

 教養は「現実の国」における疎外からの解放を求める

 「現実の意識は両方の原理を共に自分でもって」(同)いますから、善と悪、国家権力と財富、高貴な意識と下劣な意識という疎外された対立する両極は統一されねばならないことになります。その疎外からの回復を求めるのが教養なのであり、したがって教養は、空気である国家権力と水である財富とを統一する「火」の役割を果たすのです。精神としての教養は、「両極を前提し、両極の定在によって、生みだされる媒語」(二九五ページ)であり、教養は「両極を推理連結」(同)する運動として、各々の極を疎外から回復し「自体的に在る通りのもの」(同)という「現実性を与える」(同)のです。
 「分裂者の言葉こそは、教養の世界全体を完全に語っており、その全体(対立物の統一 ── 高村)が真に現存する精神である」(三〇〇~三〇一ページ)。「教養のこの現実的世界の精神」(三〇一ページ)は、「現実と思想が、絶対に一般的に転倒し疎外した状態」(同)にあること、つまりすべてのものが区別され、対立のうちにあることを学ぶのであり、これが「すなわち純粋教養(形成)」(同)なのです。この教養の「世界において経験されることは、権力や財富の現実的本質も、善悪という定まった概念も、或はまた善悪の意識も、高貴な意識も下劣な意識も共に、真理をもっているものではないということである。そうではなく、これらの契機はすべて、むしろ一方が他方のなかに顛倒して行き、どれもこれもが自己自身の反対であるということである」(同)。
 すなわち、疎外された対立する二つの契機は、いずれも一方だけでは真理ではないのであって、真理ではないからこそ、相互に移行することをつうじて真理は疎外から回復した対立物の統一のうちにこそある、という弁証法の真髄が語られています。「真の精神は、絶対に分離したものを統一することにほかならない」(三〇二ページ)のです。
 さて、ここから、ヘーゲルによる啓蒙思想家・ディドロの名著『ラモーの甥』(岩波文庫)の紹介が始まります。ラモーという人物は実在の音楽家ですが、『ラモーの甥』では、哲学者としてのディドロと無頼なラモーの甥との対話形式で進められ、教養とは弁証法の観点を身につけることだということが示されます。ヘーゲルは、哲学者を「誠実な意識」(同)、ラモーの甥を「分裂した意識」(同)と呼んでいますが、対話の進展をつうじて、哲学者と甥との立場が弁証法的に逆転することに注目しています。
 「誠実な意識は、すべての契機が永続する本質だと受けとり」(同)、一面的に固定したものと受けとるのだから、教養の何たるかを心得ない「教養なき無思想」(同)といわざるをえない。これに対して「分裂した意識」は、すべてのものは対立しているという「絶対的顛倒の意識」(同)であり、この意識を「支配しているのは概念」(同)であって、「これは、誠実(の意識 ── 高村)が、離れたものとして、別々にしておくいくつかの思想を、総合するため、その言葉は精神(エスプリ)に富んでいるのである」(同)。
 哲学者は、固定した形式論理学の立場にたっているのに対し、一見すると無頼な甥はああ言えば、こう言い、チャランポランなように見えながら、すべてのものは対立しているという「絶対的顛倒の意識」にたち、この意識は対立物の統一という弁証法の立場をも展望しているため、哲学者と甥の立場は逆転することになるのです。
 「はっきりとした混乱の語らい(甥 ── 高村)と、真と善を単純に受けとる意識(「哲学者」)の語らいとを、比べて考えるならば、後者は、教養の精神の明け放しで自己意識的な語らい(甥 ── 高村)と比べて、単調なものでしかあり得ない」(三〇三ページ)。さらにラモーの甥は、すべてのものは対立しているという「理性が、自分の行きついた精神的な教養ある意識」(三〇四ページ)の立場から抜け出し、「もっと高い意識をうる」(同)ところまでを展望しているのです。
 甥は「意識が分裂しているのを、自分自身で意識し、自分で表現しているのは、定在や全体の混乱やを、また自分自身を、嘲笑しているからである。同時にそれは、この混乱全体の響きが止むのを、なお聞きとっているのである」(同)。つまり教養とは、「あらゆる事物の空しさ」(同)を知ることにほかなりません。それは、「現実の固定した実在(国家権力と財富)や、判断の立てる固定した規定(善悪、高貴下劣)やが、矛盾」(同)しており、しかも「この矛盾こそは、それらの実在や規定の真理」(同)であることを知ることなのです。
 「かくて自己は、(教養をつむことによって ── 高村)すべての契機が他の契機に対立していることを、一般にすべてのものが顛倒していることを、正しく言い表わすすべを知」(同)ることになります。自己は、「反抗する自己意識である場合だけ」(三〇五ページ)「自分自身が分裂していることを知」(同)り、そして「分裂を知るとき、自己は、そのまま分裂を超えて高まっている」(同)のです。
 結論的にいえば、教養とは『ラモーの甥』にみられるように、疎外された世の中は矛盾だらけだという社会批判の目をもち、かつその矛盾を揚棄して疎外から回復した「人倫の国」の実現をめざすという、弁証法の視点を身につけることを意味しています。第一講で、「序論」の根本思想は、「真理を実体としてだけではなく、主観(体)としても理解し、表現する」(二三ページ)ことにあることを学びました。その意味するところは、真理とは長い道程をたどる自己意識の主体的な運動をつうじてのみ認識しうるというものでしたが、その趣旨は、教養という自己形成においても貫かれています。人間は自然的自己という実体から出発し、教養をつうじて弁証法という真理認識の思惟形式を身につけることによって、実体から主体へと生成することができるのです。
 「真理とは、自己自身が生成することであり、自らの終りを自らの目的として前提し、始まりとし、それが実現され終りに達したときに初めて現実であるような、円環である」(同)。ヘーゲルの実体から主体へ移行するところに真理があるとの考えは、自然的自己から教養ある普遍的自己への移行にも、また疎外された社会から「人倫の国」の復活した社会への移行にも貫かれているということができます。
 最後に一言、マルクスは、エンゲルスへの手紙のなかで、『ラモーの甥』に関するヘーゲルのコメント(テキストの三〇二~三〇五ページ)を長々と引用して、この著作を弁証法の「無類の傑作」(全集二三九ページ)として紹介しています。そればかりかマルクスは、娘のジェニーへの「告白」(全集四九五ページ)のなかで、「好きな著述家」(同)として、ヘーゲルなどと並んでディドロの名前をあげており、『ラモーの甥』がマルクスのお気に入りの一冊だったことを示しています。

 

 

* コラム * 史的唯物論と封建制社会、絶対主義(絶対君主制)

 ヨーロッパ社会の形成

 現在でこそヨーロッパは、世界文明の中心地の一つになっていますが、ギリシア、ローマ時代においては、世界の文明の中心は地中海沿岸地域にあり、現在のヨーロッパはカエサルの『ガリア戦記』にみられるように、ガリアとよばれ、蛮族の住む遅れた文明の地域でした。
 ところが四世紀末、中央アジアのフン族の圧迫により、中央ヨーロッパに住んでいたゲルマン(ジャーマン)民族の西方、南方ヨーロッパへの大移動が始まります。ゲルマン民族は、五世紀から六世紀にかけての民族大移動により、フランク王国、ブルグント王国、ロンバルト王国、東ゴート王国、アングロ・サクソン王国、スェヴィ王国、西ゴート王国などを建国します。
 なかでも五世紀末のフランク王国は、キリスト教に改宗してローマ教皇の支援のもとに大きく発展し、九世紀末には、西フランク王国(フランス)、イタリア王国、東フランク王国(ドイツ)として、現在の西ヨーロッパの主要部分を支配するに至り、ここに地中海文明にとってかわるヨーロッパ文明とヨーロッパ社会が形成されることになります。

 フランク王国による封建制社会の建設

 こうして西ヨーロッパ全体を支配したゲルマン諸国家のもとで、封建制社会が建設されることになります。ゲルマン諸国家は、キリスト教を支配のイデオロギーとし、ローマ・カトリック教会もゲルマン諸国家を利用して勢力の拡大をはかるという相互媒介の関係をもつに至ります。こうして封建制の二大権力は、教皇(ローマ法王)と国王、皇帝だったところから、これらの諸国は「キリスト教的=ゲルマン的国家」と呼ばれ、「キリスト教的=ゲルマン的国家では、宗教の支配は、支配の宗教」(全集①三九七ページ)となっていったのです。
 「中世においてはキリスト教は、封建制が発達するのとちょうど同じ歩調で封建制に照応した宗教となり、この制度に照応した封建的位階制度をもっていた」(全集㉑三〇九ページ)。この支配のイデオロギーとしてのキリスト教哲学が、スコラ哲学と呼ばれるものであり、「神学の侍女」となったスコラ哲学のもとで、哲学は暗黒の時代を迎えることになります。
 したがってヘーゲルが、封建制社会をもって「自己疎外的精神」ととらえ、それを現実の国と信仰の国の二本柱としてとらえたことは、経済的土台を無視している限界はあるものの、「キリスト教的=ゲルマン的国家」の二大勢力の本質をとらえたものということができるでしょう。
 封建制とは、国王と封建領主、封建領主と臣下との間で、封土を分与するのとひきかえに従軍義務を求めるという双務契約的関係を中心とする主従制度を意味しており、上から下に封土を分与することをつうじて、公・侯・伯などの封建的身分制が確立されることになります。
 同様にローマ・カトリック教会も、全ヨーロッパの三分の一を占める土地を所有し、教皇を頂点とし、大司教、司教、修道院長などの封建的位階制度をつくりあげ、全ヨーロッパの教会をその支配下においたのです。教皇は、その土地所有の大きさからしても、また国王の任命権や破門権を有していたことからしても、封建制の最大の権力者であり、一三世紀の最盛期には教皇・イノケンティウス三世は「教皇は太陽、皇帝は月」と豪語して、教皇が皇帝・国王よりも上位にあることを強調しました。教皇の命令の下に組織された各国の騎士から成る十字軍は、教皇の権勢を示すものとなりました。

 封建制社会の経済的基礎

 封建制社会とは、封建的土地所有を基礎とする封建領主と農奴との階級対立の社会です。エンゲルスは「マルク」「ドイツ人の古代史によせて」「フランク時代」(いずれも全集⑲)などの論文、とくに「マルク」をつうじて、封建的土地所有の関係を詳しく分析・解明しています。
 ゲルマン民族の侵略以前のヨーロッパでの土地所有は、「マルク共同体」とよばれる自由民による土地の共同使用でした。そこでは共同使用の耕作地が冬作地・夏作地・休閑地の三つの同じ大きさに分けられ、冬作→夏作→休閑という輪作のおこなわれる「三圃農法」(全集⑲三一六ページ)がとられており、「土地の分配にあたっては、各共同体員の持分が三つの畑のそれぞれに均等に配分されるように配慮がはらわれ」(同)ていました。
 しかしフランク王国の建設により、「マルク制度の基礎が崩れはじめ」(同三一九ページ)、「フランク王たちは、全人民に属する広大な土地、とくに森林を自分のものとし、それを彼らの廷臣や部将、司教や大修道院長に贈与してばらま」(同)き、「貴族や教会の将来の大領地の基礎をつくった」(同)のです。
 「国の内外でのたえまない戦争は、きまって土地の没収に終わり、膨大な数の農民を零落させ」(同)ました。「農民地は領主地に転化され、せいぜいよい場合で、賃租や賦役を代償として用益のため農民に返還された。だが、農民は、自由な土地保有者から、賃租を払い賦役に服する隷農に、それどころか農奴にさえ、変えられてしまった」(同三一九~三二〇ページ)のです。こうして、かつての自由農民は、「マルク共同体」と「三圃農法」の形式は維持しながらも、土地に縛りつけられ、封建領主の保護の名目のもとに、賃租、賦役、貢納という形態の搾取を蒙ることになったのです。

 絶対主義(絶対君主制)

 絶対主義とは、主として近世初頭のヨーロッパにみられる支配形態で、国王、君主が何者にも拘束されない絶対的な権力をもつ政治体制であり、フランス・ルイ一四世の「朕は国家なり」の発言に象徴されています。
 絶対主義国家は、一方で中央集権的な統一国家としての機構をもつ点で、権力の分散を特徴とする封建制国家とは区別されますが、他方で封建的土地所有を認め、身分制的階層秩序を維持し、人民を無権利状態においた点で近代国家とも異なります。
 絶対君主は、王権神授説を唱えて、自らの権力を合理化したのに対し、これに立ち向かったのが、一七、一八世紀の啓蒙思想家たちであり、権力の源を社会契約に求めて王権神授説を批判しました。それを代表するのが、ルソーの人民主権論です。
 したがって、絶対主義(絶対君主制)とは、封建制から資本主義に至る過渡期の権力ということができます。エンゲルスは、それを「諸身分はどこでも廃止されることなく、したがってむしろ身分的(なお封建的な、死滅しつつある封建制の、萌芽的にブルジョワ的な)王制とよばれるべきもの」(全集㉑四〇四ページ)と規定しています。