『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』より
第一〇講 「D 精神」 ③
「信仰の国」の疎外された対立関係
教養の世界における自己疎外的精神は、続いて「現実の国」から「信仰の国」へと向かうことになります。現実の「世界の彼岸には、純粋意識もしくは、思惟の非現実的な世界が、在る」(三〇五ページ)のです。この「彼岸世界の内容は、純粋に考えられたもの」(同)ではありますが、それは現実をイメージした「表象という形」(同)をとっており、現実から完全に切り離された思想(概念)の形をとっていないため、「意識は、現実から出て純粋意識に踏みこんではいる」(同)ものの、「まだ現実という領域と規定態のうちに」(同)とどまっています。
この現実の国の彼岸にある純粋意識として「問題となっているのは宗教」(三〇六ページ)なのですが、その宗教とはキリスト教的=ゲルマン的国家におけるカトリック教会という支配の宗教です。言いかえると、それは現実生活を価値のないものとして「現実から逃避」(同)する宗教であり、後に「E 宗教」で学ぶような「即且対自的に在るような、宗教ではない」(同)のです。
したがって、このカトリック教会における宗教は、真の宗教から「疎外されたもの」(三〇七ページ)であって、「その意識は、この他者(キリスト教的=ゲルマン的国家 ── 高村)との結びつきにおいてのみ、考察されねばならない」(同)のです。この疎外された宗教は、「疎外という規定態に従うから、二重の意識となって分裂する」(同)ことになります。
一つは、神を「自己意識のうちで総括」(同)する理性的な「純粋透見」(同)であり、やがて宗教改革となってあらわれる意識です。この純粋透見は、神は自己のうちにあり「自分自身をそのまま真理である」(同)と確信することにより、カトリック教会という「対象的実在を亡ぼし、それを意識の存在にしてしまう」(同)のです。
もう一つは、国家権力と癒着したカトリック教会を実体的実在として認め、「単純な内面の純粋意識」(三〇八ページ)として承認する「信仰」(三〇七ページ)です。
このように「信仰と純粋透見」(三〇八ページ)とは疎外された意識として対立する関係にありますが、「純粋意識という境位(場)のもの」(同)としても、また「共に教養の現実世界から帰ったもの」(同)としても、「共通」(同)しています。したがって両者には、教養の世界から帰ったものとして「それ自体に自分だけで(即且対自的に)在る」(同)という側面、「現実の世界と関係する」(同)という側面、「共に、純粋意識の内で一方が他方に関係する」(同)という側面の「三つの側面」(同)があることになります。
この三つの側面を「信仰する意識」(同)、つまりカトリック教会の側からみていくことにしましょう。信仰する意識における第一の側面である「それ自体に自分だけで在る」ものとは、三位一体の神にほかなりません。それはまず第一に、「絶対的実在」(同)としての「精神(父)」(同)です。この絶対的実体は「対他存在に移っていき、……現実的な、自己を犠牲にする絶対的実在(子)」(三〇九ページ)に外化します。この子(イエス)という「おとしめられた実体がその初めの単純態に帰ったもの」(同)が、「第三のもの」(同)としての聖霊となります。こういう三位一体の運動において「初めて、実体は精神として表象」(同)されているのです。
次に、第二の側面としてこの三位一体の神が「現実の世界と関係する」側面が、ローマ・カトリック教会です。もし絶対的実体(神)が「初めの単純な実体の形式」(同)のままであれば「自己意識にとっては、いつまでも無縁」(同)のままに止まるでしょうが、「この実体が外化されると、その精神は、自分で現実という契機をもつこと」(同)になり、「信仰する意識は、現実の世界のもの」(同)となります。この現実の世界となった「現存する精神」(三一二ページ)が、カトリック教会にほかなりません。つまり「信仰上の絶対実在は、本質的には、信仰する意識の彼岸に在るような抽象的なものではなく、教団の精神」(三一七ページ)として現実化されているのです。
カトリック教会は、現実生活を「精神なき定在」(三〇九ページ)であって無価値なものにすぎず、「外的な仕方で超えらるべきもの」(同)とします。それに代わって「神に奉仕し、神を讃える従順な態度」(同)、つまり教会を讃え、奉仕することによって、神との一体化を実現すべきだというのです。
しかし教会を媒介とする自己意識と神との一体化は、「直観された現実的統一ではない」(同)ため、「この奉仕は、現在の世界ではその目標を完全には達しえないようなものを、いつまでも、作り出しているにすぎない」(同)のです。したがって信仰する「個々の自己意識にとっては、(教団への奉仕をもってしても ── 高村)純粋思惟の国は、当然いつまでも自分の現実の彼岸」(同)にとどまっており、「そこにえられた現実は、概念把握されていない感覚的現実」(同)にすぎません。信仰する意識にとって、「精神が自分自身(のうち ── 高村)に現在しているという現実」(同)、つまり神の概念は「自分では現われ出てくることがない」(三一〇ページ)のです。
これに対して純粋透見の側から三つの側面をみてみると、まず第一の側面では神の「概念のみが現実的なもの」(同)とされ、神という絶対的「実在を実在としてではなく、絶対的な自己として知る」(同)のです。純粋透見では、神は精神にほかならず、したがって自己自身のうちにあるとする「精神の自己意識」(同)としてとらえられます。つまり、神という絶対実在は、信仰にとっては純粋対象意識であるのに対し、啓蒙にとっては純粋自己意識なのです。したがって純粋透見は、「他なるすべての自立性を、廃棄し」(同)、神の概念は精神であるということが「すべての真理」(同)であるという「自己意識的理性の確信」(同)にたっています。
しかし、神は精神であるという「純粋透見の概念」(同)は、「まだ実現されてはいない」(同)のであって、それは第二の側面として、「現実の世界と関係」し、宗教改革という「実現すべき目的として現われる」(同)ことになります。それが次の「b 啓蒙」「Ⅰ 啓蒙と迷信の戦」で論じられる課題となります。この目的を実現するためには、信仰を批判する純粋透見を広く普及し、これを「一般的なもの」(同)にしなければなりません。この純粋透見を広く世間一般の認識にまでかえる普及の運動が「啓蒙」とよばれるものであり、これが第三の側面となります。
こうして「純粋透見は、すべての意識に向って、お前達すべては、自覚的に、お前達自身が本来(自体的に)ある通りのものに、自分でなれ、すなわち、理性的であれ、と呼びかける精神」(三一一ページ)となっています。
「b 啓蒙」
以上みてきたように、「純粋透見が、概念の力を向けている固有の対象は、信仰」(同)ですが、信仰がまだ「現実という領域……のうちにいる」(三〇五ページ)ところから、「透見は現実の世界にも関係」(三一一ページ)することになります。「というのも、それは、信仰と同じで、現実の世の中から純粋意識に、帰ったもの」(同)だからです。『ラモーの甥』で学んだように、教養の世界とは弁証法的な対立の世界であり、「すべての固定するものが解体する」(同)と同時に、「この世界の定在する全契機が引き裂かれ」(同)た世界でした。
この分裂する意識を一つにまとめ、現実世界の矛盾を理性の力で解決しようとするのが、「啓蒙(透見の普及)」(二八四ページ)にほかなりません。啓蒙とは、純粋透見を広く世界に普及することで、人々の蒙(無知蒙昧)をく運動です。言いかえると、純粋透見は教養の世界から帰ったものとして、「例の崩れ去る相を一般的な像にまとめあげ、すべての人々の透見に、つくりあげ」(三一二ページ)ることで「この世界の混乱を解体」(同)しようとする運動なのです。
キリスト教的=ゲルマン的国家の「本質となっているのは、集団(国家権力と財富)や一定の概念(善、悪)や個人性(君主、貴族、富者、市民)などではなく、現実がその実体と支えをもっているのは」(同)、ローマ・カトリック教会という「現存する精神」(同)なのです。したがって純粋透見は、「信仰に対抗して出てくる限りで、初めて、本来の活動となって現われる」(同)ことになり、それが宗教改革にほかなりません。
啓蒙は「信仰の国」を変革する宗教改革となって現れる
「啓蒙と迷信の戦」(同)とは、ドイツ人ルターとフランス人でありジュネーブで活躍したカルヴァンの宗教改革を意味しています。これまでみてきたように、「信仰と透見は、同じように純粋意識であるが、形式的には対立して」(同)います。信仰にとって神は即ちカトリック教会であり、自己意識の外に「自己意識に端的に対立」(同)するものとして存在しているのに対し、「純粋透見にとっては、本質(神 ── 高村)は自己である」(同)からです。
つまり、純粋透見にとって信仰とは、僧侶やカトリック教会を媒介して行われるものではなく、神を自己のうちにある精神としてとらえるのです。その意味では、啓蒙と信仰とは「互いに、一方が他方を端的に否定するもの」(同)という関係のうちにおかれています。すなわち「純粋透見は、信仰が自分に、つまり理性と真理に、対立したものだと知って」(三一三ページ)おり、信仰とは「迷信、偏見、誤謬が織りまぜられたもの」(同)であって、「この意識の内容は、(封建制権力に ── 高村)組織されて誤謬の国」(同)になっていると主張します。
この誤謬の国を構成するのは、「大衆、僧侶、専制政治」(同)の三つの側面ですが、「これら三つの側面の敵に対し、啓蒙は同じようにかかり合うわけではない」(同)のです。このうちで問題になるのが、僧侶(カトリック教会 ── 高村)と、専制政治(絶対主義国家 ── 高村)です。僧侶階級は、「専制政治と結託」(同)して、「大衆をあざむく悪い意図」(同)をもっており、「大衆は、僧侶階級の欺瞞の犠牲」(同)になっています。他方専制政治は「欺瞞的な僧侶を手段に使って、大衆の愚昧と混乱を利用し、両方を軽蔑しながら支配を安定させ」(同)ようとします。
したがって、蒙を啓く「啓蒙活動の対象」(同)になるのは、愚昧であって欺瞞の犠牲となっている大衆の「単純な素朴な意識」(同)ということになります。純粋透見は、大衆の「誠実な知見とその無邪気な本質を、偏見と誤謬から引き離」(同)し、「悪しき意図の手から、その威力をもぎと」(同)ろうとします。啓蒙が信仰とたたかうには、二つの方法があります。一つは、啓蒙と信仰とは純粋意識という「共通」(三〇八ページ)の場にいる「本質的には同じもの」(三一四ページ)ですから、「抵抗のない雰囲気のなかで、靄が静かに拡がり流れて行く」(同)ように、「無関心な場にこっそりと伝染して行」(同)き、気がついたときには『ラモーの甥』のいうように「がらがらと音をたてて、偶像は地に倒れてしまう」(三一五ページ)というやり方です。
しかし僧侶と専制政治の厚い壁のもとにあっては、支配者のイデオロギーは支配的なイデオロギーですから、この方法は簡単には成功しません。そこで第二の方法として、啓蒙は信仰にたいして公然と宣戦を布告し、「暴力的な戦を挑まざるをえない」(同)ことになります。
この啓蒙の信仰に対する「暴力的な戦」が、ルターやカルヴァンの宗教改革にほかなりません。
宗教改革の本質はたんなる否定性
では、啓蒙の信仰に対する「否定的な態度」(同)には、どういう特徴があるのでしょうか。それは一言でいうと、「純粋透見の本質が絶対的否定性」(同)にあり、たんにカトリック教会に対して否定的に振る舞うだけであって、キリスト教の信仰そのものを否定するものではないところから、「透見にはあらゆる内容がない」(三一六ページ)ということができます。つまり純粋透見とは、理性の力であり、理性とは全世界を覆いつくす「全実在」(三一五ページ)ですから、純粋透見が信仰の「誤謬乃至いつわりと言表するもの」(同)も、理性のとらえる誤謬といつわりにすぎず、何が真理・真実であるかという具体的内容は明らかにしえないのですから、「自分自身以外のものではあり得ない」(同)のです。
したがって、純粋透見の「絶対的否定性」とは、「透見自身が自分の内容となる点に在る」(三一六ページ)という内容のないたんなる否定性にとどまります。結局「啓蒙が誤謬と戦うことの本性は、この誤謬のなかで自己自身と戦いながら、自分が主張することを、弾劾すること」(同)でしかありません。信仰の側からすると、啓蒙は信仰に対して内容のない理不尽な攻撃を加えているとしか思えないのであり、「啓蒙がいつわりであり、非理性、悪しき意図であることを経験する」(同)ことになるのです。
いわば、啓蒙と信仰とは、同じキリスト教への信仰という共通の場にたって、自己のうちに真理の基準をもち、自己の基準にしたがって相手を批判しているにすぎません。例えば、啓蒙は「信仰の絶対的実在だとするものが、信仰自身の意識の存在であり、……意識によって生みだされたもの」(同)にすぎない、と批判します。しかし、考えてみると、信仰が教会のいう神を信じるのに対して、啓蒙は理性の力による神を信頼しています。「信ずる」と「信頼する」という表現のちがいはありますが、どちらも「自己自身の意識の純粋本質」(三一七ページ)を肯定するという点では同じであり、「信頼することは信ずること」(同)にほかなりません。
言いかえると、信頼することも信じることも、自己と、自己が信頼しあるいは信じる対象とが一致すること、つまり「自己としての自己と対象との一致が、意識にとって存在すること」(同)なのです。理性を信頼する透見は、「意識が自らの見透した対象のうちに、自己自身を認識している」(同)のですが、「ほかならぬこの意識こそは、また信仰でもある」(同)のです。すなわち信仰が信じる「絶対実在」(同)は、「意識の彼岸に在るような抽象的なものではなく、教団の精神」(同)という現実的な存在であり、この教団を信じることによって「抽象的実在と自己意識との統一」(同)、つまり「自己と対象との一致」が目ざされることになるからです。
また他面からいえば、純粋透見にとって、信仰の対象は自分にとって「別のもの」(同)ともいえますから、その立場から啓蒙は信仰上の実在を「見知らぬもの」(三一八ページ)と批判します。すなわち啓蒙は「手品師のような僧侶の呪文によって、何か絶対に見知らぬものが、つまり他者が、実在の代りに、意識に押しつけられた」(同)として、「僧侶がだますとか、民衆をいつわる」(同)として信仰を批判します。しかしそういいながら、他方で啓蒙の方も神への信仰を否定するものではなく、「勤行によって、自己自身とその実在とのそういう統一を作り出す」(同)ことを認めるのですから、啓蒙が「見知らぬものだと、自分がいっているものを、そのまま、意識にとり最も固有のもの」(同)であることを認めていることになるのです。これでは、「自分こそ意識的ないつわり」(同)をしていることになるでしょう。
結局啓蒙と信仰とのちがいは、絶対的なものを、理性的な自己の内にある神とするのか、それとも「教団の精神」としての神とするかの違いにすぎず、お互いの批判は、ただお互いのもつ絶対的なものを基準として、相手を批判しあっているにすぎません。そもそも「意識が直接自己自身を確信しているような、実在についての知の場合」(同)、つまり自己自身のうちに真理の基準をもっているような意識の場合には、「いつわりの思想などは全然成り立たない」(同)のです。
もう少し具体的に啓蒙の信仰批判をみてみましょう。
一つには、純粋透見は信仰が対象とする「絶対実在に対し、否定的な態度」(三一九ページ)をとり、「この実在は純粋思惟」(同)にすぎず、実在しないと批判します。それは純粋透見が対象とするものが「感覚的確信という普通の存在する事物」(同)であるところから、あたかも信仰の対象である神も同様の「一片の石、一片の木」(同)から作られた偶像や聖さん式における「パン粉」(同)であるかのようにとらえ、これらの対象は絶対実在ではない、と批判するのです。
しかしこれは「神聖な精神であるものを、現実の移ろい易い物にしてしまい、感覚的確信という、それ自体では空しい見解によって、汚してしまう」(同)ものでしかありません。もともと信仰にとっては、神は絶対実在であると同時に物という「もまた」(同)でもあるのであって、「石その他のようなもの自体があるのではなく、自体であるのは、純粋思惟の実在だけだと、知っている」(同)のです。
二つには、啓蒙は、信仰が神は実在するとする根拠は「偶然の出来事についての偶然の知」(三二〇ページ)にすぎない、と批判します。しかしそもそも「純粋知」(同)というものは、「自分を自分と媒介」(同)する自己媒介であり、信仰はこの「純粋知」ですから、啓蒙がいうような「個別的な史的証拠」(同)を根拠として、神を確信しているのではありません。「信仰の意識は、自分の知を自分自身で媒介する根拠」(同)であり、この自己媒介の「純粋知」によって神の実在を確信しているのです。
考えてみると、そもそも純粋透見も、理性の力という自己自身を根拠として真理を知るという「純粋知」なのに、それを「まだ自覚していない」(同)ところから、信仰の「純粋知」にも気づかず、神の実在の個別的な証拠を求めるという愚をおかしているのです。
三つには、信仰する「意識の絶対実在に対する関係」(三二一ページ)であり、いわゆる「勤行」(同)、つまり喜捨の問題です。勤行とは「個人の特殊性や、その自独存在の自然的な相などを、廃棄する」(同)ことによって、普遍的自己意識に高まり、普遍的な「実在と一つであるという確信」(同)を生みだそうとするものですが、啓蒙は、勤行により神と一体化をめざすことは、「合目的でなく、正しくない」(同)と批判します。
しかし純粋透見が、自分では「すべての意識に向って……理性的であれ、と呼びかけ」(三一一ページ)、自然的自己を「超え高まることが必要であると、主張」(三二二ページ)しておきながら、信仰する意識に対しては、「この高まりを、行果によって証明すべきであるというのは、愚かであり、正しくない」(同)と主張するのは、自己矛盾でしかありません。
宗教改革は「有用性」に光をあてる
このように啓蒙の本質は「絶対的否定性」(三一五ページ)にあり、自分では内容をもたないため、啓蒙の信仰に対する批判は、根拠のない「まずい姿」(三二二ページ)にとどまっていますが、では、こうした「否定的な実在」(同)だけではなく、啓蒙には「肯定的実在」(同)もあるのではないかを検討してみることにしましょう。言いかえると、啓蒙によって「すべての偏見と迷信が追放され」(同)た場合に、「啓蒙が普及させた真理とはどんなものか」(同)という問題です。
一つには、啓蒙が絶対実在としての神を「どんな規定もどんな述語も、付けられえない」(同)「真空」(同)としてとらえたのは、「見識ある生き方」(同)といえます。ここはロベスピエールが人格神を追放して、神を「最高存在」としてとらえたことを意味しています。それがなぜ「見識ある生き方」かといえば、神は無限に豊かな内容をもっているにもかかわらず、これを規定し、あれこれの述語をつけ加えることは、無限態としての神を「有限態」(同)にかえてしまうことになるからです。
二つには、啓蒙の意義は、信仰により「絶対実在の外に排除された……個別性一般が、絶対的なそれ自体に自分で存在するもの」(同)という唯物論の立場を明確にしたことにあります。この啓蒙の立場は、第一部におけるすべての「意識の経験」をつうじて、「感覚的確信」(三二三ページ)こそがいっさいの意識の出発点になるという、意識の「初めの形態につれもどされ」(同)、イギリス経験論が明らかにした「感覚的確信の肯定的真理」(同)を確認することになったのです。
三つには、これが最も大きな肯定的成果といえますが、「個々の実在と絶対的実在の関係」(同)の問題です。啓蒙は、絶対的実在を「空しいもの」(同)としていますので、絶対的実在と個々の実在との関係は「任意に、つくられうる」(同)ことになり、「現実を否定することでもあれば、措定することでもある」(同)ことになります。言いかえると、「感覚的現実」(三二四ページ)は、神とは無関係に自分だけで存在すると考えられると同時に、神との関係においてのみ存在するとも考えられることになります。
したがって「有限なものの自体(神 ── 高村)に対する関係が、肯定でもあれば否定的でもある」(同)ということになり、有限なもの相互の関係も「すべてのものは自体的(自分だけで存在する ── 高村)でもあれば、対他的(他者との関係において存在する ── 高村)でもある」(同)ことになります。言いかえると、すべての有限なものは直接性と媒介性の統一として、他者との関係をもたないものは存在しないのであって、その意味では「すべてのものは(お互いに ── 高村)有用」(同)であって、無駄なものは一つもないということになるのです。 こうして啓蒙は「有用性」という概念に光をあて、次講で論じる産業革命を「有用性」の観点から「啓蒙の真理」(三三一ページ)としてとらえることにつながっていきます。
他方で、啓蒙にとって「全くの御利益そのもの」(三二五ページ)でしかないと思われている「宗教は、それゆえ、あらゆる有用性のなかでは、最も有用なもの」(同)とされることになります。しかしこの「啓蒙の肯定的結果」(同)は、信仰にとっては「戦慄すべきこと」(同)となります。というのも啓蒙のこの見方は、信仰における「第一のもの」(三〇八ページ)である「絶対実在」(三二五ページ)を「最高存在」(同)という「空しいもの」(同)とするだけではなくて、信仰を現世に御利益をもたらすものとして功利主義の見地からとらえるものですから、信仰にとっては「ただもうあさましいこと」(同)でしかないことになるのです。
結局、啓蒙の最大の肯定的成果ともいうべき有用性という「啓蒙自身のこの知恵は、信仰からみれば、当然愚論そのもの」(同)でしかなく、啓蒙の本質は、無限な「絶対的実在については何も知らない」(同)のであって、知っているのは「有限性が真理である」(同)ということだけにすぎない、ということになります。
「信仰の国」の変革から「現実の国」の変革へ
以上みてきたように、「信仰は啓蒙に対し、神の正義」(同)を主張するのに対し、啓蒙は「人間の正義」(同)を主張しますが、結局は「どっちもどっち」という関係にとどまるものでした。しかし信仰と啓蒙の正義の対立において、「啓蒙の正義は、自己意識の正義であるから、啓蒙は、精神の二つの等しい正義が互いに対立したままで、そのどちらも、他方を満足させ得ないという形で、ただ自分の権利をもまた保つというのではなく、絶対的な正義を主張」(同)することになります。
というのも、「B 自己意識」で学んだように、自己意識は、自我自身を意識すると同時に、自我に対立する他者をも「覆う」(一〇九ページ)ものであり、したがって、啓蒙の自己意識も、「ただ自分だけで在るのではなく、自分の反対(信仰 ── 高村)をも侵すから」(三二六ページ)なのです。こうして啓蒙が信仰を攻撃するとき、啓蒙は自己に「固有の原理を使うのではなく、信仰する意識自身が自分でもっている原理を、使う」(同)ことで信仰を攻撃しますから、信仰もこれを否定することができず、啓蒙は信仰に対して絶対的な権利を主張することになるのです。
すなわち信仰する意識は、自分のもっている原理には、対立する二つの契機があることに気づかず、バラバラにとらえているのに対して、啓蒙は、信仰には対立する二つの契機があることに着目し、一方の契機をつかって他方の契機を攻撃します。したがって、「透見は、信ずる意識のうちで、ばらばらになっている契機を、……関係させ、……それらの契機の矛盾を明るみに出す」(三二七ページ)ところに、「透見が信仰に行使する権力の絶対的な権利」(同)があるのです。
もう少し具体的にみていきましょう。
一つには、信仰する意識にとって「絶対実在」(同)とは、「それ自体で存在しているもの」(同)であると同時に、教団への「服従と奉仕」(同)という「自分の行為をつうじて」(同)「この実在を、自分の絶対的実在として」(同)とらえるものでもあります。この二つの矛盾する契機をとらえ、啓蒙は信仰する意識の教団への「服従と奉仕」という「行為の純粋契機」(同)を切り捨ててしまい、「信仰の自体」(同)のみを取りあげて、「それが意識によって生みだされたものにすぎない」(同)と批判するのです。
二つには、啓蒙は信仰する意識の「あがめる対象は石であり、木であり、その他擬人化された有限な規定態」(三二八ページ)にすぎない、と批判します。しかしもともと信仰する意識は、「現実の彼岸とその彼岸の純粋此岸」(同)、つまり天上の世界と現実世界とに「分裂した意識」(同)であって、神は、この二つの世界にまたがって存在すると考えているのですから、「一方では純粋実在であり、他方では普通の感覚的な物である」(同)という矛盾する「もまた」(同)の見方をもっています。ところが、啓蒙は、信仰する意識にとって石や木が神の「規定態」(同)であり、絶対的「実在自身の精神的運動における契機」(同)であるにもかかわらず、それを絶対的実在と無関係な「動かし得ない有限として遊離させ」(同)て批判するのです。
三つには、啓蒙は信仰のいう神の実在性の確信は処女懐胎、イエスの奇跡、イエスの復活昇天などの「偶然な知」(同)に媒介された確信にすぎないと批判します。確かに信仰する意識には、「見知らぬ第三者」(同)としての司祭の媒介によって神の実在性を確信するという「偶然な知」があることを認めているのですが、他方で神の実在性の確信が「自分を他者と、つまり自分自身と、媒介している媒介」(同)、つまり自己媒介による確信であって、「偶然の契機を忘れてしまう」(同)意識でもあります。しかし、啓蒙は、「偶然な知のことだけを考えて、もう一方を忘れ」(同)、信仰する意識の批判をするのです。
四つには、啓蒙は「享楽や所有を投げ出すことが正しいことでなく、合目的でない」(同)と批判します。「正しくない」というのは、信仰する意識が一方で「かたくなに所有を主張し、一層粗野な形で、享楽に身を任せる態度」(同)をとりながら、他方で「現実の犠牲が小さな部分でだけ行われ」(三二九ページ)るにすぎないことを批判しているのです。また「合目的でない」というのは、「所有そのものから解放される」(同)ために「ただひとつの所有を投げ出したり」(同)、「ただひとつの享楽を断念したりすること」(同)は、「一般的なものである目的」(同)実現のために、「個別的なものである実行」(同)で足りるとすることであって、「余りにも単純素朴」(同)だと批判します。しかし啓蒙自身は、自分では享楽や所有を楽しんでいながら、信仰の享楽や所有を批判するのですから、身勝手な批判ということになるでしょう。
ともあれ、「こうして啓蒙は、信仰に対して、抵抗できないほどの権力をふるう」(同)のです。「啓蒙は、信仰のうちに現存している分裂、思想なき或いはむしろ概念なき分裂」(三三〇ページ)、つまり現実とその彼岸という「二重の物差し」(同)のもつ矛盾をとらえて信仰を批判するのです。
「信仰は二重の知覚のなかに生きている。一方は眠れる意識の知覚で、全く概念なき思想のうちにあり、他方は目覚めた意識の知覚で、感覚的現実のなかに生きているだけの、意識の知覚である」(同)。信仰は、啓蒙による「二重の知覚」の矛盾をつかれて、「精神自身のくすんだ織物のうちに崩れて」(同)行き、信仰は純粋意識の「国から追い払われ、この国は掠奪されて」(同)しまうのです。
こうして啓蒙という「目覚めた意識自体」(同)は、信仰の国の「部分すべてを地上の所有物として、地上のために要求し、地上に取りもど」(同)すことになります。これが宗教改革のもたらした結果なのです。結局「啓蒙の光をあてられ」(同)たのは、「精神によって捨てられた有限性だけ」(同)であり、そのため、信仰の求める「有限なものを超え」(同)る無限なものは、「ただの憧憬となり、その真理は空しい彼岸」(同)となってしまったのです。
そこで啓蒙はこの「空しい彼岸」を此岸のものにすべく、有限性のうちに無限を見いだす「有用性」へと向かうことになります。「有用性」とは産業革命のもとでの商品生産であり、この「現実の国」の変革が、次の「啓蒙の真理」(三三一ページ)としてとらえられることになるのです。
* コラム * 史的唯物論と啓蒙思想、宗教改革
史的唯物論は啓蒙思想をどうとらえるか
史的唯物論では、啓蒙思想を三つの点でとらえているように思われます。
一つには、啓蒙思想のもつ階級闘争のイデオロギーとしての性格です。
「封建制の大きな国際的中心はローマ・カトリック教会であった。……そこで、俗界の封建制をそれぞれの国で個別的に首尾よく攻撃できるためには、まえもってその神聖な中心組織であるローマ・カトリック教会を破壊しなければならなかったのである。……ローマ教会の権利主張との闘争を最も直接に利益とする階級はブルジョアジーであった……この当時には封建制に対する闘争はすべて宗教的仮装をつけなければならず、まず第一に教会に鉾先を向けなければならなかった」(エンゲルス「『空想から科学へ』英語版への序論」全集⑲五五三ページ)。
つまり台頭するブルジョアジーの封建制へのたたかいのイデオロギーが啓蒙思想だったのです。「封建制にたいするブルジョアジーの長い闘争は、三つの大決戦で頂点に達し」(同)ました。その第一が一六世紀における「ドイツのプロテスタント宗教改革とよばれているもの」(同)であり、第二が、カルヴァン主義を理論的基礎とする一七世紀のイギリス革命(ピューリタン革命と名誉革命)であり、第三が一八、一九世紀のフランス革命であり、それは「宗教的な外衣をまったくぬぎすてて、あからさまな政治の分野でたたかいぬかれたという点では、最初の蜂起であった」(同五五七ページ)。したがって、ヘーゲルが近世を啓蒙思想と信仰とのたたかいとしてとらえ、そのなかで宗教改革、フランス革命を論じたのは、基本的に正しい時代認識ということができます。
二つには、啓蒙思想は、近世の唯物論として誕生し、唯物論であるがゆえに社会変革の理論となって、必然的に社会主義思想に発展していったということです。中世のスコラ哲学(キリスト教哲学)という観念論への批判として登場した近世哲学は、当然にも唯物論の哲学を中心とするものであり、こうして近世の哲学は、唯物論か観念論かの対立を鮮明にすることになりました。啓蒙思想は、一七、一八世紀のイギリス啓蒙思想にはじまり、一八世紀のフランス啓蒙思想を経て、一八、一九世紀のドイツ啓蒙思想へと発展していきますが、それは唯物論の歴史を示すものでした。
マルクスは、『聖家族』のなかの「フランス唯物論に対する批判的戦闘」(全集②一三〇ページ以下)という論文において、啓蒙思想の歴史を唯物論の歴史としてとらえています。ベーコンに始まる「唯物論はイギリスの生みの息子」(同一三三ページ)であり、ホッブス、ロックのイギリス唯物論は、認識における「経験論」と社会における啓蒙思想の二本柱をその特徴としており、ホッブスはピューリタン革命と、ロックは名誉革命と深いつながりをもっていました。フランス唯物論は、「デカルト物理学からと、イギリス唯物論からとの」(同一三六ページ)二つの源流をもっていましたが、「デカルト派唯物論が本来の自然科学に流れ」(同)こんでいったのに対し、イギリスの啓蒙思想をひきついだフランス啓蒙思想はフランス革命をつうじて「直接に社会主義と共産主義とにそそいで」(同)いくことになります。それを象徴的に示したのが、一七九六年の「バブーフの陰謀」でした(拙著『科学的社会主義の源泉としてのルソー』一五四ページ以下)。
というのも、唯物論の立場にたつことは「人間がその環境によってつくられる」(全集②一三六ページ)ことを認めることになりますが、もしそうであるとすれば、「ひとはその環境を人間的なものにつくっていかなければならない」(同)という変革の立場にたたざるをえないからです。こうしてフランス啓蒙思想は、フランス革命の理論的基礎となります。フランス革命の挫折後、「自由・平等・友愛」の精神を引きついでバブーフの共産主義が登場し、こうして「発展した共産主義も直接にフランス唯物論からはじまった」(同一三七ページ)のです。
このフランス革命の影響をうけて、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルというドイツ啓蒙思想が誕生し、哲学上の革命をなしとげることになります。マルクスは、カント哲学を「フランス革命のドイツ的理論」(全集①九三ページ)とよんでいますが、この規定はヘーゲルにおいて一層妥当するということができるでしょう。
三つには、啓蒙思想は、理性をもって万能の社会批判の武器としたのですが、史的唯物論では、啓蒙思想が武器とする理性には、一面では非合理的な論理や予断・偏見を排除するという積極面をもちながらも、他面では経験にもとづく感覚を軽視することからくる観念論的傾向があるという二面性があることをも指摘しました。
ローマ・カトリック教会のスコラ哲学は、天地創造、処女懐胎、イエスの奇跡、イエスの復活昇天などの非合理を含む観念論哲学であり、したがって啓蒙思想によるキリスト教的=ゲルマン的国家への批判は、理性を武器として展開されました。フランスの啓蒙思想家たちは、「いっさいのものが、理性の審判廷に立って、自分が存在してもよい根拠を立証するか、それができなければ、存在することを断念しなければならない」(全集⑲一八六ページ)と考えたのです。その意味では、ヘーゲルが理性の力としての「純粋透見」(同)というカテゴリーを使用し、「純粋透見が、概念の力を向けている固有の対象」(三一一ページ)を「信仰」(同)とし、啓蒙思想を「透見の普及」(二八四ページ)としてとらえているのは、基本的に正しいということができます。
しかし、理性を感性、知性から切りはなしてとらえると、結局は「なにかの種類の世界創造を認め」(全集㉑二七九ページ)ることになってしまいます。「そしてこの創造は哲学者たちの場合……キリスト教におけるよりもずっとこみいったばかばかしいものになっていることが多い ── 観念論の陣営をつくった」(同)として、エンゲルスはデカルトに始まり、スピノザ、ライプニッツ、ヴォルフなどの「大陸の合理論」は、結局のところ理性にもとづいてさまざまの「世界図式論」を生みだすことによって「一七、一八世紀の大陸の観念論」(拙著『科学的社会主義の哲学史』一八四~一八五ページ)となることを批判したのです。一連の「空想的社会主義者」と呼ばれる人達もその一翼を担っていることはいうまでもありません。
この点でもヘーゲルが、純粋透見は理性の力によって自己のうちにのみ真理の基準をもつものであって、信仰と同じレベルの一面性と限界をもっているとした批判も、理性のもつ二つの側面を正しくとらえたものとして重要な意義をもつものです。
史的唯物論は宗教改革をどうとらえるか
宗教改革は先にみたように、台頭してきたブルジョアジーの封建制に対する最初の決戦でした。
「ブルジョワジーが台頭してきたとき、封建的なカトリック教に対抗してプロテスタント的異端が発展」(全集㉑三〇九ページ)してきますが、その異端もまた「はやくから、ブルジョワ的に穏健なものと、ブルジョワ的異端者たちからもきらわれていた平民的に革命的なものとに分かれて」(同)いました。ドイツでは「革命的なもの」を代表するのが「宗教改革と農民戦争との時代における再洗礼派とトーマス・ミュンツァー」(全集⑲一八八ページ)でした。しかしブルジョアジーは、宗教改革における革命的なものを早々と押しつぶしてしまいます。
宗教改革はドイツにおけるルターのカトリック教会に対する宣戦布告にはじまります。それは下級貴族の反乱から、大農民戦争に発展します。しかしルターは支配者の側にたって大農民戦争に反対し、また「最も利害関係の大きい当事者だった都市市民」(全集⑲五五四ページ)が農民を見殺しにしたため、革命は破れ去ります。マルクスはルターについて、「彼は権威への信仰を打破したが、それは信仰の権威を回復したからであった」(全集①四二二ページ)と批判しました。ルターのしたことは、「外面的な信心」(同)を「内面のもの」(同)とすることでカトリック教会という権威は打破したものの、逆にキリスト教への「信仰の権威を回復」したのみであって、「国民を解放すること」(同四二三ページ)には貢献しなかった、というのです。結局ルターの宗教改革は「絶対君主制に適応した宗教であった。北東ドイツの農民は、ルター派教会に改宗するやいなや、自由人から農奴におとされてしまった」(全集⑲五五四ページ)のです。
他方ジュネーブのカルヴァンは、「宗教改革のブルジョワ的性格を全面に押し出し、教会を共和化し民主化」(全集㉑三一〇ページ)しました。「カルヴァンの宗教改革は、ジュネーブ、オランダ、スコットランドで共和主義者たちの旗じるしとして役だち、オランダをスペインとドイツ帝国とから解放し、また、イギリスでおこなわれていたブルジョワ革命の第二幕(名誉革命 ── 高村)にイデオロギー的衣装を提供」(同)しました。イギリス革命をつうじて支配階級の一構成部分となったブルジョアジーは、かつて「国王や領主とたたかったさいに旗印になった」(全集⑲五五六ページ)宗教が、勤労者を「主人の命令に従順ならせるのに好都合であることを発見」(同)し、この目的のために、「宗教の影響力」(同)を用いたのです。こうして結局のところ宗教改革のもたらしたものは、ルター派のようにブルジョア的な絶対君主制の政治の現状をそのまま肯定するか、それともカルヴァン派のように宗教をブルジョア的イデオロギーに作りかえるかという枠内にとどまりました。
ヘーゲルが「啓蒙と迷信の戦」において、啓蒙の信仰に対するたたかいとしての宗教改革について述べながら、他方で「両者が本質的には同じものであり、純粋透見の信仰に対する関係も同じ場によって、同じ場において起る」(三一四ページ)と述べていることは重要です。つまり啓蒙も信仰もキリスト教への信仰とブルジョア的関係を認めるという意味では「同じ場」におけるたたかいだったところから、「どっちもどっち」のたたかいになり、結局信仰のもつ矛盾につけ入った啓蒙が勝利するものの、宗教改革の結果は、プロテスタントとカトリックの共存するブルジョア社会(資本主義社会)を確立する地ならしにとどまった、ということができるでしょう。
今日では、ヨーロッパのほとんどの資本主義政党がキリスト教と手を結び、プロテスタントとカトリックの対立にもかかわらず、いずれも全体として支配のイデオロギーとなっていることは衆知の事実となっています。ここにもヘーゲルの哲学的洞察力の先見性があらわれているように思われます。
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