『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』より

 

 

第一二講 「D 精神」 ⑤

「b おきかえ」

 前回の「 道徳的世界観」では、カントの道徳論を紹介しましたが、今回の「b おきかえ」では、ヘーゲルによるその批判が展開されます。
 カントの道徳的世界観は、道徳性と自然(幸福)、理性と感性、多くの義務と純粋義務という三つの対立の調和を要請するものでしたが、その対立は「矛盾の全巣窟」(三五二ページ)ともいうべきものであって、概念に統一しないという無思想にすぎなかったのです。
 そのため、「一方では、意識自身が(道徳性という ── 高村)その対象を意識的に生み出」(同)しながら、「他方では、意識自身は対象をむしろ自分の外に、自らの彼岸として立てる」(同)にとどまったのです。その意味では、カントの道徳的世界観は、「矛盾の混合主義」(三五九ページ)ということができます。すなわちそれは「一つの契機を固定させ、そこから直ちに他の契機に移り、初めの契機を廃棄するという態度」(三五二ページ)をとりながら、「いま第二の契機を掲げたかと思うと、それをまた置きかえてしまい、むしろその反対を知だとする」(同)のです。
 これがつまり「おきかえ」(同)であり、こうしたおきかえは対立する契機の「どれに対しても真剣でないことを告白している」(同)ようなものといえます。このカントのおきかえを「もっと詳しく考察」(同)してみましょう。
 一つには、カントの第一の要請である道徳性と自然との調和にかんするおきかえです。前講の最後に学んだように、カントは、道徳性と自然とは調和すべきものとしながら、道徳的意識としての純粋義務は「神のみぞ知る」とされ、「その現実は、道徳性と(自然とは ── 高村)調和しない」(三五三ページ)とおきかえられてしまいます。しかしカントは一方で道徳性と自然とは調和しないといいながら、道徳性は行動をつうじて「絶えず前進して行くべきである」(三四七ページ)と主張して自然との調和を求め、またもやおきかえをおこないます。というのも、行動するということは、「内的道徳的目的の実現にほかならない」(三五三ページ)のですから、道徳性と自然との調和の要請は、行動によってたんなる要請にとどまらず、「道徳的目的と現実そのものの調和をつくり出」(同)してしまうからです。「だから行動するときには、目的と現実が適合しないということは、全く真剣には受けとられていない」(同)のです。
 しかし実際には、現実の行動は、「個々の意識の行動」(同)としての多様な義務の履行にすぎず、したがって「その結果も偶然」(同)でしかありません。そこで「またも置きかえ」(同)が行われます。すなわち道徳の目的は「最高善」(三五四ページ)にあり、したがって「純粋義務が唯一で全体的な目的をなしている」(同)のですから、「最高善を認めると」(同)多様な義務の履行にすぎない「道徳的行動は余計であり、全然成り立たない」(同)ことになってしまうのです。
 以上をまとめてみますと、カントは、道徳的意識にとって「道徳性と現実が調和しないということから、出発」(同)しながら、現実の「行動のなかにこそ、この調和が現在している」(同)とおきかえてしまいます。また他方で、道徳的行動は最高善の実現でなければならないとされながら、個別的・偶然的行動ではこの目的は達しえないとのおきかえがなされ、さらに最高善に達するには、偶然的な「道徳的行動の廃棄」(三五五ページ)がなされなければならない、というおきかえとなり、どこまで行っても終わりのない矛盾のうちにおかれるのです。
 二つには、「道徳的意識と、……自然すなわち感性との調和という、第二の要請」(同)にかんするおきかえです。それはつまり、理性的な「目的を純粋なものとして」(同)、「感性の目的を自分のなかで亡ぼ」(同)す要請ということができます。
 しかしここでも感性の廃棄という目的はおきかえられてしまいます。というのも道徳的意識が行動をつうじて現実となってあらわれるとき、感性は行動を起こすための「衝動、傾向」(同)となり、「純粋意識が自らを実現するための道具」(同)となるのであって、その意味では、「感性は、純粋意識と現実の間のちょうど中間にあること」(同)になります。
 そこで、当初の感性の廃棄目的もおきかえられてしまって、衝動である感性は、道徳的意識を完成させるうえで「理性に適っている」(同)とされ、「真剣に受けと」(三五六ページ)るべきものは、「完成に向って進むべきである」(同)とする感性の「中間状態」(同)だということになってきます。
 したがってここにおいて「われわれは最初の要請の内容」(同)としての自然的意識に帰ってくるというおきかえがなされることになります。感性という自然的意識は「幸福」(同)を望むことになってしまうので、「道徳性に関係ない幸福をそれ自体で問題にしている点に、非道徳性」(同)が生じるというおきかえがなされていることになるのです。
 こうして「道徳性は、道徳的意識のうちでは完成されていない」(三五七ページ)ことになり、道徳性そのものは、「聖なる道徳的立法者」(同)という、三つめの要請に向かうことになります。すなわち「不完全な道徳性」(同)のもとでは、「多様な多くの道徳的命令が生ずる」(同)ことになりますが、道徳的意識にとって「大切なのは一つの純粋義務だけ」(同)ですから、多くの義務は「神聖な立法者によって神聖になる」(同)ことになります。
 三つには、「しかしこのことは、それ自身また事態のおきかえにすぎない」(同)のです。というのも、「道徳的意識にとっては、自分自身によって、また自分のなかで神聖であるものだけが、端的に神聖」(同)なものですから、聖なる立法者が自分の外にしか存在しないということを「真剣に受けとる」(同)ことはできないからです。
 結局、「聖なる立法者」を求めることは、自己のうちの神聖なものを否定することになるし、他方で自己のうちに神聖なものとしての純粋義務を認めることは、多様な義務と純粋義務との区別を曖昧にしてしまい、現実的でないことになってしまうのです。
 このようにカントの道徳的要請は、「矛盾のなかをさまよ」(三五八ページ)い、「相対立したいくつかのもまたを継起させるが、それらの自分の思想を総合しないでそのままとし、反対のものをいつも別のものに代らせている」(同)おきかえに終始していることになります。
 その意味では、カントの道徳的世界観は矛盾を揚棄する統一ではなく、「矛盾の混合主義」(三五九ページ)ということができます。「その結果、意識はここで自らの道徳的世界観を捨てて、自らに帰らなければならないこと」(三五八ページ)になります。つまり、意識は「自分が真でないと認めるものを、真であると言表することのこの不真に、嫌気がさして、自分に逃げかえってしまう」(三六〇ページ)のであり、自己意識は、「こういう道徳的世界表象を軽んずる純粋良心」(同)となるのです。
 良心とは、これまでの道徳的意識とは異なり、矛盾する二つの意識ではなく「自己を確信する単一な精神」(同)であって、「表象などに媒介されないで、直接良心的に行動し、この直接態のうちに、自らの真理をもっている」(同)意識なのです。


「c 良心、美しき魂、悪とその赦免」

 絶対至上の独裁権としての良心

 カントの「道徳的世界観の二律背反は、一つの表象のうちに総合」(同)されたのみであって、概念に統一しない「矛盾の混合主義」だったところから、結局おきかえに終始するところになりました。そこでいまや自己意識は、「自らに帰って行き」(三六一ページ)、道徳的意識としての「純粋知であり、純粋義務であるとするものが、自己自身であると知っている」(同)意識となるのです。
 これが良心とよばれる意識であり、この良心こそ、「自らを直接絶対的真理であり存在であると、確信している精神」(同)であり、したがって長い間さまよってきた「B 自己疎外的精神」からやっと回復した「C 自己確信的精神」(三四三ページ)なのです。つまり良心は、自己の内に「絶対的真理」があると確信していますから、「おきかえのもとになっていた、自分自身のなかの分裂を捨て」(三六一ページ)、「廃棄する」(同)精神なのです。
 したがって、「この精神は無媒介の統一にいながら、自己を実現する道徳的実在であり、その行動はそのまま具体的な道徳的形態をとる」(三六二ページ)ことになります。良心にもとづく行動は、「単純な、義務にかなった行動」(同)として、これまでのような「行果のない」(同)道徳的意識とは異なり、「初めて行動らしい道徳的行動」(同)となるのです。
 「良心のうちには、意識があちらこちらと動いて、確信をもてない状態は存在していない」(三六三ページ)のであって、良心は、「道徳的世界観の位置をきめたり、それを置きかえたりすることをすべて断念」(同)します。つまり良心による行動は、「純粋義務とは別のもの」(同)であり、「自分自身で自分の真理をもっている」(同)「自己の信念」(同)なのです。
 「こうしていま、自己は、自己であるが故に法則」(三六四ページ)なのであり、「信念として、義務」(同)なのです。しかしこの法則は、自己にとっての法則であるのみならず、他者にとっても法則である「対他存在」(同)の法則でなければなりません。というのも、道徳とは社会生活を営むうえで、みんなが守るべき社会規範であって、単なる個人的意識ではありませんから、良心の内容は、他人との「共通の場」(同)として「他人によって承認される」(同)ことを「本質的契機」(同)としており、他人の承認によってのみ、「義務であると知ったことは実現されるし、現実となる」(三六五ページ)からです。
 その意味で良心の内容は、先に学んだ「ことそのもの」(同)としての「誠実な意識」(同)であり、「誠実な意識」は良心となって述語から主語に、つまり実体から主体に転化しているのです。言いかえると、社会的実体としての「誠実な意識」は、いまや良心の内容となって、個人と共同体、個と普遍の一体化を生みだす主体としての真理に転化しているのです。こうして良心という意識において「精神とその本来の意識との和解」(四四三ページ)が結ばれることになり、良心という意識は精神にまで高まります。
 以上によって、良心とはその「規定と内容」(三六六ページ)を自己のうちにもつ「自己自身の直接的確信」(同)であることを学びましたが、直接的確信を言いかえると、それは「自然的意識」(同)にほかなりません。したがって良心の「活動圏はいわゆる感性であり」(三六七ページ)、「結局それは、個別人の恣意であり、個別人が無意識的に自然的に在るときの、偶然の姿」(同)にすぎないことになります。
 その意味では良心の「自由は、任意のどんな内容をも、他の内容と同じように、純粋義務と知という一般的な受動的媒体に入れてしまう」(三六八ページ)のです。例えば、良心が「個人の福祉」(同)よりも「公共の福祉」(同)を優先すべきだと考えたとしても、その公共の福祉の「内容は、良心が、自分の自然的な個人性からとり出したもの」(三六九ページ)にすぎないことになります。したがって自己自身を確信する良心は、「絶対至上の独裁権をもつこと」(同)になります。
 しかし先にもみたように、この「絶対至上の独裁権」も対他存在として他人の承認がないと現実の行動規範にはなりえませんが、「行動する良心と、義務としてのこの行動を認める一般的意識」(三七〇ページ)とは、いつも一致するとは限りません。言いかえると、「他人は、この良心が道徳的に善であるか悪であるか」(同)を行動以前に知ることはできないのです。そこで良心としての意識は、自らの行動が良心に基づく信念であることを公にし、「言表」(三七一ページ)することで、他人の承認を得なければならなくなります。いわば良心は、良心における「自己自身の直接的確信」(三七二ページ)を「確信の形式から、断言の形式に移」(同)さなければならないのです。
 「この断言を言表することは、それ自体で、それが特殊であるという形式を廃棄」(同)するのであり、「そのとき言表は自己の必然的な一般性を認めている」(同)のです。この「自らを真であると言表する」(同)ような「断言の形式」によって、良心は「すべての自己から承認され」(同)、現実的規範となることができます。

 良心は「美しき魂」となる

 こうして良心は、絶対至上の独裁権として「内なる声が、神の声」(三七三ページ)と心得る「道徳上の天才」(同)であり、ここに良心は「美しき魂」(三七五ページ)となります。いわば自己意識は自己の内に「誠実な意識」をもつことにより、「自らの最内奥に帰り、あらゆる外面が消え去っている」(三七三ページ)のです。
 しかし反面からすると自己意識は「このような純粋態に純化されたいま、意識はその最も貧しい形態となって」(三七四ページ)います。というのも、もともと意識とは、主観と客観の交互作用としてのみ存在するのに対し、良心は客観としての「実体を解体」(同)し、「自己のなかで崩壊」(同)させてしまうからです。つまり良心にとって「自体存在する実体は、自らの知としての知」(同)という主観のうちに解消されてしまうのです。
 「この意識に欠けているのは、外化の力」(同)、つまり「自分を物とし、存在に耐える力」(同)であり、したがって良心という意識は、「最も貧しい形態」(同)となっています。言いかえると、良心は「内面の輝かしさを、行動と定在で汚しはしないかという不安のなかに、生きており、自分のこころの純粋な姿を保とうとして、現実との触れ合いから逃れ」(同)る「美しき魂」となっているのです。いわば良心のうちにあって、「美しい魂」とは自己の内面にとどまり行動する力をもたない良心なのです。
 「意識は、その契機が透明になり純粋になって、不幸ないわゆる美しき魂」(同)となり、「自らのなかで光を失い、……形を失って消えてしまう」(同)のです。この箇所は、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』のなかの「美しい魂からの告白」からとったものです。

 悪とその赦し

 しかし良心は、行動してこその良心ですから、この「美しき魂」はいつまでも内面にとどまり続けることはできないのであり、現実の行動にうって出ざるをえません。
 良心が行動しようとする場合、美しき魂から抜け出して自らを「特殊な個別者と意識」(同)することになりますが、それはつまり普遍的道徳意識である「一般態」(同)との対立を意識すること、言いかえると、この意識は特殊個人的意識として「悪と認められる」(三七六ページ)ことになります。なぜなら「この意識は、自己内存在であるため一般者と等しくないから」(同)です。つまり良心が現実的行動となってあらわれると、一般と特殊の対立が顕在化するのであり、一般的道徳意識は真にあるべき道徳意識として善であるのに対し、行為者の道徳的意識は「特殊な個別者」の意識として悪にすぎないことが明らかになるのです。しかも良心は、自己の意識が特殊個人的な意識として「悪」であると知りながら、良心にかなった「善」であると「言表する」(同)のですから、「偽善」(同)といわざるをえません。しかし、良心が、「自分の内面の法則と良心に従って行動しているのだと主張」(同)することは、自己の意識の特殊性を認めるものにほかなりませんから、「実際には自分が悪であると告白することになる」(三七六~三七七ページ)に等しいといえます。
 他方、良心の偽善を批判する一般的意識の側をみてみると、この一般的意識が「偽善に向って、悪いとか下劣だとか」(三七七ページ)批判するとき、その基準になっているのは、一般的意識のもつ「自分の法則を引き合いに出している」(同)にすぎませんから、それもまた悪しき意識のいう「自分の内面の法則」と同様の「或る特殊な法則」(同)といわざるをえません。
 したがって、個別的意識も一般的意識もどちらも特殊な法則ということになり、「一般的意識は少しも他方にまさっているわけではなく、むしろ他方を正当化している」(同)ことになります。こうして良心において「個別的意識と一般的意識のこの対立」(三七六ページ)が生じるのは、この良心がまだ現実的な行動になっていないからのことにすぎません。
 というのも美しき魂が「具体的な行動」(三七八ページ)となって現れると、それは個と普遍の対立、悪と善の対立として現れることになりますから、その行動のうちに「義務だと受けとられるような一般的な側面をもっているが、それと同じように、個人が関与し関心をもつような特殊な側面をも、自分でもっている」(同)ことが明らかになるのです。
 「下僕にとっては英雄などはいない」(同)という諺がありますが、この諺は、すべての行動には一般的側面と個別的側面の二つの側面があるにもかかわらず、英雄に仕える下僕は英雄としての一般的側面をみようとせず、その個別的側面のみしかみないことを指摘したもの、ということができます。「美しき魂」が行動する良心となってあらわれますと、行動がもっている特殊な側面と一般的側面の対立は顕在化することになり、ここに悪の意識と善の意識との「互いに承認し合う」(三七九ページ)べき関係の生じる土台があるのです。
 したがって、悪い人が「私がそうなんだ」(同)と告白した場合を考えてみますと、この告白者は自己を否定することで「自分の特殊性を棄てたのであり、その結果相手と連続し、一般者となっている」(三八〇ページ)ということができます。このとき相手方が、この告白を受け入れれば、ここに相互承認が生じることになりますが、そうでないと相手方は一般者としての「精神を捨て、精神を否認する意識となって、現われてくる」(同)ことになります。
 美しき魂は、こういう事態を恐れて「自分自身の知を外化」(同)しようとしないところから、善と悪との「固定した対立の直接態のなかにいる」(同)「空しい無」(同)となっているのです。「かくて美しき魂は、……和解されない直接態のなかで乱れて、……身も世もなくなってしまう」(同)のです。美しき魂が乗りこえられなかった一般的側面と個別的側面との対立を解消し、二つの側面を「真に等しくする」(同)ためには、まず美しい魂は行動することで自分自身を外化し、外化によって顕在化した善と悪、一般と個別の対立を認めたうえでその対立を揚棄し、相互の一面性を承認しあう「赦し」が必要になってくるのです。
 つまり「特殊な自独存在という、悪の一面的な承認されていない定在が砕かれねばならなかったように、他者(評価者)の一面的で承認されていない判断も砕かれねばならない」(三八一ページ)のです。それが「赦し」(同)といわれるものであり、それは「現実的な行動であった他方を自分と等しく」(同)することにより「善悪というきまった思想上の区別と、自分で定める判断と、を棄ててしまう」(同)ことを意味します。
 赦しから生まれる「和ぎという言葉は定在する精神のこと」(同)であり、ここに至ってようやく自己疎外的な意識は疎外を揚棄し、疎外からの回復を現実のものとして、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という「精神の概念が現存」(一一五ページ)するに至ります。言いかえると、良心のもとでの赦しと和らぎによって個人と共同体の概念が実現し、人倫的実体を回復することになる、というのです。

 良心は赦しをつうじて絶対的精神(概念)となる

 ヘーゲルは、赦しによる和らぎによって、良心は絶対的精神になるとしています。すなわち、赦しによる和らぎは、「一般的本質としての自己自身の純粋知を、その反対のなかに、絶対に自分のなかにいる個別性である自己についての純粋知のなかに、直観する。それは相互の承認であり、絶対的精神であるようなものである」(三八一ページ)。
 赦しによる和らぎとは「相互の承認」であるというところに注目してください。第四講の「自己意識」において、「精神の概念」(一一五ページ)は「われわれである我と、我であるわれわれとの両者が一つ」(同)であること、その個人と共同体との一体化は、自己意識が「他の自己意識から承認されたものとしてのみ存在する」(同)ことから生まれることを学びました。いまヘーゲルは、良心の赦しにおいて、この自己意識の相互承認により、「人倫の国」であるわれとわれわれの統一の境位に達した、というのです。
 行動する良心は、自己の行動は主に悪ではあるが、従として善であり、また一般的意識といわれるものも主に善であるが従として悪であり、どちらも一面的であることを認識することによって相互を承認し、赦しあい、ここに行動する良心は「誠実な意識」(三六五ページ)となって「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という個人と共同体の概念が実現され、知の目標とされた概念と存在の統一という絶対的精神に達することを知る、というのです。ここでは直接論じられてはいませんが、第九講で学んだ「現実の国」における「善と悪、国家権力と財富、高貴な意識と下劣な意識」という三つの対立や、「精神的な動物の国」における「ことそのもの」と「だまし」の対立も、良心による和らぎの世界で揚棄され、絶対的精神に至るという意味も含まれているということができるでしょう。
 ヘーゲルは、「知は長い道程を通りぬけ」(二八ページ)て、絶対的精神に到達するのであって、この「知の生成こそ、精神現象学がのべるものである」(同)としていますが、いま知は、その長い道程を通りぬけた良心の和らぎの世界においてようやく絶対的精神に到達することができた、とされます。
 和らぎの世界における個人は、ポリスにおける共同体に埋没していた個人とは異なり、理性的かつ普遍的な個人に生成したもとで、相互承認による「われとわれわれの統一」、つまり個人と共同体とが一体化した、ギリシアのポリスより一段高い絶対的他在のうちに自己を認識する、人倫的世界を形成しているのです。それはより高次の人倫的世界の回復として「自己疎外的精神」から回復した絶対的精神なのです。和らぎの世界において、「和解する『諾』」(三八二ページ)によって「個別と一般」(同)、個人と共同体は統一され、「分裂したこの知は、自己の統一に帰」(同)り、「自らの絶対的反対において、……自己自身を一般的に知る」(同)ことになります。

 『現象学』には「自己疎外的精神」はあっても、
 疎外からの真の回復は存在しない

 こうして「D 精神」は、「A 真の精神」から、「B 自己疎外的精神」をへて、いまやっと「C 自己確信的精神」としての良心の赦しの世界において、精神の最高の段階としての絶対的精神に達した、とされます。
 ヘーゲルが、「D 精神」を人類史としてとらえていることからすると、ヘーゲルの生きた時代を代表するドイツの道徳論をもって人類史の最高の段階とし、絶対的精神とすることも理解できないわけではありませんが、「自己確信的精神」の目標とされていたのが「真の精神」としての「人倫の国」の回復とされていたことからすると、たんに人間の内面の世界の変革を求める道徳論をもって疎外から回復した絶対的精神とすることは納得できない結論と言わなければなりません。
 『現象学』では第一部「意識の経験の学」でも、第二部「精神の現象学」でも、真にあるべき社会は「われとわれわれの統一」という階級のない「人倫の国」であるとされます。したがって変革の意識である理性は、階級社会における疎外からの回復を求めて現実の社会の変革に取り組むという構成になっています。
 しかし第一部の最後が、資本主義の「ことそのもの」にルソーの一般意志を接ぎ木したものが絶対的精神であるという不徹底な変革の意識で終わっているのと同様に、第二部「D 精神」の最後も、資本主義の「有用性」の世界が「啓蒙の真理」とされ、そこに良心の「赦し」をもち込むことによって疎外的精神から回復した絶対的精神とされ、これが結論とされているのです。
 ここにはある意味で論理のすりかえがあります。すなわち「D 精神」でヘーゲルが追求してきたのは、疎外的精神から回復した「人倫の国」の再興という課題でした。「人倫の国」とは、一方で「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という階級のない社会であると同時、他方で「相互承認」の社会でした。いわば階級のない社会であることによって「相互承認」の社会となっているのです。
 ところが「D 精神」の最後において、ヘーゲルは階級のない社会という観点を放棄して、「相互承認」のみを取りあげ、資本主義の「有用性」に良心の赦しによる「相互承認」をつけ加えることによって「人倫の国」が再興され、絶対的精神が実現されるとしているのです。第一部で資本主義を「精神的な動物の国」としてとらえたことは、第二部では全く忘れ去られていることにも注目したいと思います。
 結局『現象学』には、第一部、第二部をつうじて疎外からの回復による「人倫の国」の再興の課題が掲げられながらも、現実の疎外からの真の回復は存在しないのです。そのため『現象学』では、社会を真にあるべき姿に変革する「概念と存在の統一」、言いかえると理想と現実の統一という正しい「知の目標」が掲げられながら、それを実現するには至らず、変革の意識は不徹底に終わったということができるでしょう。
 先にも一言したように、ヘーゲルがカントの『実践理性批判』以上に『判断力批判』を評価しながら『実践理性批判』の道徳論の影響をうけ、社会の現実の変革にではなく、人間の内面的変革としての良心の「赦し」に絶対的精神を見いだしたところに、フランス革命の挫折に心を奪われ、現実の変革の展望を見失った当時のヘーゲルの心情をみる思いがします。
 現にヘーゲルが、一八二一年に出版した『法の哲学』では、良心を「一方、即自かつ対自的に普遍的なものを原理にする可能性であるとともに、他方、普遍的なもの以上におのれ自身の特殊性を原理にして、それを行為によって実現する恣意 ── 悪である可能性でもある」(同三四五ページ)と批判しています。そのうえで、実践的理性にもとづく人倫的世界の実現を、内面的世界の道徳にではなく、客観的世界の「人倫」、つまり国家・社会の変革に求めているのです。
 こういう『現象学』における変革の立場の不徹底さも、ヘーゲルが『現象学』体系を放棄した一因ということができるでしょう。

 

 

* コラム * 史的唯物論と疎外論、道徳論

 Ⅰ 史的唯物論と疎外論

 ヘーゲルの疎外論の発展的継承

 ヘーゲルの「自己疎外的精神」という疎外論は、史的唯物論に大きな影響を与えました。エンゲルスは、ヘーゲルの歴史観について「彼は、歴史のうちに発展を、内的連関を示そうとした最初の人であった」(全集⑬四七六ページ)として、「このような画期的な歴史観は、新しい唯物論的見解の直接の理論的前提であった」(同)とまでいっています。
 ヘーゲルは「D 精神」において、社会の歴史を大きく「真の精神」「自己疎外的精神」「自己確信的精神」という三段階においてとらえていますが、それを弁証法的に表現するならば、人類史を即自(個人と共同体の一体化した社会)、対自(個人と共同体の対立が顕在化した疎外社会)、即対自(その対立を揚棄した統一体の社会)の三段階においてとらえることを意味しており、エンゲルスはこの人類史の弁証法的展開をもって史的唯物論の「直接の理論的前提」と理解したのです。
 すなわち史的唯物論では、個人と共同体の一体化した原始共同体において人間の類本質が形成され、それが生産力の発展により階級社会に突入することによって、個人と共同体が対立する人間の類本質が疎外される社会となり、次いで疎外からの回復により再び個人と共同体とが一体化し、人間解放を実現する社会主義・共産主義社会が実現されるという三段階歴史観が展開されることになるのです。
 それだけではありません。ヘーゲルの疎外論は、科学的社会主義の学説のうちの、社会主義論にも発展的に継承されています。というのも、ヘーゲルの疎外論は、たんに疎外された現実を批判するのみならず、それを揚棄する疎外からの解放という課題を提起した(その課題を解決しえなかったとしても)積極的意義をももっており、マルクス、エンゲルスはそれに学んで、人間解放のカテゴリーをつくり出したのです。科学的社会主義の学説の本質は、「真のヒューマニズムにたった人間解放」にありますが(詳しくは、拙著『世紀の科学的社会主義を考える』一二四ページ以下参照)、人間解放の社会主義・共産主義とは、階級社会における人間の類本質の疎外を前提として、その類本質の疎外からの全面回復を意味しています。
 マルクスは、社会主義・共産主義について、「人間の自己疎外としての私有財産の積極的止揚としての共産主義、それゆえにまた人間による人間のための人間的本質の現実的な獲得としての共産主義」(『経済学・哲学草稿』一三〇ページ)として、疎外から解放された「人間的本質の現実的な獲得」の社会としてとらえています。さらに「この共産主義は完成した自然主義として=人間主義であり、完成した人間主義として=自然主義である」(同)としています。ここにいう自然主義とは、その記述の前に「どの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか」(同一二九ページ)と述べていますので、人間の類本質の開花した自然的人間という意味でしょう。したがって社会主義・共産主義とは類本質の全面回復した自然主義としての真のヒューマニズムとしてとらえられているのです。

 ヘーゲルの疎外論の意義と限界

 さらにマルクスは、『経・哲草稿』のなかで、全体として疎外論がどのような役割を果たし、また、どのような問題を含んでいるのか、その意義と限界を明らかにしています。
 まずその意義について、「現象学が人間の疎外を……しっかりとつかんでいる限り、現象学のなかには批判のあらゆる契機」(同一九八ページ)、すなわち「宗教、国家、市民生活などのような諸領域全体の批判的要素」(同)を含んでいるとしています。
 そして、ヘーゲル『現象学』の「偉大なるもの」(同一九九ページ)は、「運動し産出する原理としての否定性の弁証法」(同)にあり、この弁証法は、人間が労働をつうじて、人間自身と宗教、国家、市民生活などの社会的存在を「自己産出」(同)する「一つの過程としてとらえ、対象化を対象剥離として、外化として、およびこの外化の止揚としてとらえている」(同)と指摘しています。
 つまり人間は、労働をつうじて労働生産物はもとより、人間自身と国家や社会を「対象化」してつくり出しますが、こうして人間がつくり出した「対象化」されたものは、人間から切りはなされて「対象剥離」され、疎外(外化)されたものとなりますが、人間はもう一度「外化の止揚」をすることになり、疎外から解放されることをもって、マルクスは「否定性の弁証法」として述べられているととらえたのです。
 この「否定性の弁証法」は、後に史的唯物論として結実することになり、人類史は、大きく階級のない原始共同体、人間疎外の階級社会、疎外から回復したより高度の階級のない社会としての社会主義・共産主義社会という「否定性の弁証法」の歴史としてとらえられることになります。また「否定性の弁証法」は、実践的には「階級闘争の弁証法」として示され、「人類の全歴史は、(土地を共有していた原始の種族社会が解体してからは)階級闘争の歴史」(全集④五九八ページ)として規定されることになるのです。
 それに続けてマルクスは、「こうして彼が労働の本質をとらえ、対象的な人間を、現実的であるがゆえに真なる人間を、人間自身の労働の成果として概念的に把握している」(『経・哲草稿』一九九ページ)と述べています。つまり労働こそが人間を人間として生み出し、人間の類本質をつくり出すのであって、一方で「人間自身の労働の成果」が人間の類本質の疎外を生み出すとともに、他方で労働をつうじて疎外からの解放も生み出すことを、ヘーゲルはしっかりとらえていたとマルクスは理解したのです。
 ヘーゲルの「否定性の弁証法」と変革の立場は、「理性は、全実在であるという意識の確信である」(一四二ページ)に象徴的に表現されているということができるでしょう。しかしこと資本主義に関する限り、ヘーゲルは産業革命の華麗さに目を奪われて「ことそのもの」「有用性」として肯定的にのみとらえていることは、変革の立場の不徹底さを示すものであり、後年の『法の哲学』と大きく異なるところです。
 『法の哲学』における「市民社会」とは、資本主義社会を意味しています。そこで、資本主義とは「もろもろの欲求のかたまり」(『法の哲学』四一三ページ)である「欲求の体系」(同四二一ページ)であって、「放埒な享楽と悲惨な貧困との光景を示すとともに、このいずれにも共通の肉体的かつ倫理的な頽廃の光景を示す」(同四一六ページ)として、『資本論』なみの鋭い批判を加えているのです。ここにも『現象学』の体系を放棄した一因があったのではないかと考えるものです。
 次にマルクスのヘーゲル疎外論批判は、主として唯物論の観点からなされています。ヘーゲルの疎外論は、自己意識という「意識の疎外」(『経・哲草稿』二〇二ページ)にすぎず、「自己意識の疎外は、人間的本質の現実的な疎外の表現」(同)とみなされていない、との批判です。しかし第四講でも論じたように、ヘーゲルは「主と僕」との階級対立という「人間的本質の現実的な疎外の表現」をしっかりとらえているのみならず、「自己疎外的精神」では、その階級対立を「法状態」としてとらえているのですから、マルクスの批判は資本主義社会の「現実的な疎外の表現」がとらえられていないとの批判として受けとめるべきでしょう。
 この立場にたって、マルクスは人間の類本質が自由な意識と共同社会性にあり、その類本質が資本主義社会においてどのように「現実的な疎外」として表現されるのか、またその疎外からの解放としての社会主義・共産主義とは何かを解明していったのです。こうして、疎外からの人間の類本質の回復による人間解放が、科学的社会主義の最高善として求められることになります。
 またマルクスは同様に疎外からの回復による「人間の本質諸力」(同一九七ページ)の獲得も、「純粋思惟のなかで」(同)の獲得にすぎないと批判しています。ヘーゲルが「自己疎外的精神」からの回復を「現実的な疎外」からの回復ではなく、自己の内面における疎外からの回復としての「道徳性」に求めているところに、それが象徴的に示されています。
 結局マルクスは『現象学』をつうじてヘーゲルの疎外論のもつ弁証法に学びながら、それを唯物論的に徹底させることで、ヘーゲル哲学から脱皮して弁証法的唯物論と史的唯物論という独自の哲学を確立していったということができるでしょう。


 Ⅱ 史的唯物論と道徳論①

 道徳の二面性

 国家とは、一方で国民全体の利益を実現する機関という仮象をもちつつ、他方で搾取する階級の階級支配の機関という本質をもつ、仮象と本質の対立と統一の機関です。この国家の二面性は、国家と同じ上部構造に属する道徳論にも反映し、道徳も一方では抑圧される人民全体の求める普遍的道徳(例えば旧教育基本法)と、他方で国家の本質からくる階級支配のイデオロギーとしての階級道徳(例えば現教育基本法)との対立として現れてきます。
 階級社会においては「道徳もつねに階級道徳」(全集⑳九七ページ)であり、「道徳は、支配階級の支配と利益を正当化するものか、それとも、抑圧される階級……の未来の利益とを代表するものか、そのどちらか」(同)なのです。「支配階級の諸思想は、どの時代でも、支配的諸思想」(『〈新訳〉ドイツ・イデオロギー』五九ページ)ですから、階級社会における支配的道徳は階級支配の道徳であり、人民の道徳は本来は真の道徳であるにもかかわらず、仮象的道徳の地位に引き下げられています。
 資本主義社会における階級支配の道徳は、ブルジョアジーの「支配と利益」を正当化する搾取の自由と国民を分断して支配することを中心とする非人道的道徳ということができます。それは一方で金もうけを最高善とすることによって、非人道的な戦争、軍需産業、原発、環境破壊、劣悪な労働条件を正当化し、金もうけのための「ぺてんと詐欺」(『資本論』⑩七六〇ページ)を公然と認める頽廃と不誠実を許し、他方で競争原理にたって差別、憎しみ、排除を肯定する非人道的道徳です。
 マルクス、エンゲルスは、抑圧される階級、人民の道徳論を正面から論じることはなく、わずかに『反デューリング論』で「階級対立を超越」(全集⑳九八ページ)する「真に人間的な道徳」(同)といい、マルクス起草の「国際労働者協会創立宣言」において、「私人の関係を規制すべき道徳と正義の単純な法則を諸国民の交際の至高の準則として確立」(全集⑯一一ページ)すべきことを指摘するにとどまっています。それでもマルクスは人民の道徳がいかなるものであったかを、一八七一年の「パリ・コミューン」のもとでの「パリがなしとげた変化」(マルクス「フランスにおける内乱」全集⑰三二五ページ)として、次のように紹介しています。
 「第二帝政のみだらなパリは、もはや跡かたもなかった。……もはや死体公示所に一つの死体もなく、夜盗もなく、窃盗もほとんどなくなった。……(遊女たちに)代わって、古代の婦人のように雄々しく、けだかく、献身的な、真のパリの婦人がふたたび表面に姿をあらわした。……パリではすべてが真実であり、ヴェルサイユ(反革命の拠点 ── 高村)ではすべてが偽りであった」(同三二五~三二六ページ)。

 科学的社会主義の道徳論

 もともと哲学は、その出発点において客観世界の真理を探究すると同時に、人間としての生き方の真理としての道徳論を含んでおり、それを代表するのがソクラテスの「徳」論でした。
 したがって科学的社会主義の学説が「全一的な世界観」(レーニン全集⑲三ページ)である以上、その哲学である弁証法的唯物論は道徳論を包摂するものでなければなりません。また他面からいうと、社会的存在であり、共同社会性をその本質の一つとしてもつ人間にとって、他者との関係においていかにより善く生きるかという道徳論は「人間らしい心」を構成する不可欠のものということができます。
 したがってこの二つの側面からして、科学的社会主義の学説は人民の道徳をもたなければならないと思われます。日本共産党第二二回大会で改定された規約五条に「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」と規定されていますが、その内容については第二一回大会で決定された市民道徳の十項目(第一三講コラム参照)を参考にすべきとされています(『前衛』七三五号一三〇ページ)。こうした提案を積極的に受けとめながら、科学的社会主義の道徳論について議論を深めていくことが求められているのではないかと思われます。
 科学的社会主義の学説は「それまでに人類が生みだしたすべての価値ある知識の発展的な継承者であると同時に、歴史とともに進行する不断の進歩と発展を特徴としている」(「日本共産党第一三回臨時大会決定集」『前衛』四〇〇号五〇ページ)。したがって私たちが科学的社会主義の道徳論を考えるにあたっては、道徳にかんする「価値ある知識」としてのカント、ヘーゲルなどの道徳論が考慮されなければなりません。
 カント、ヘーゲルに共通するのは、道徳的意識とは感性(自然的自己)を理性(教養ある自己)に高めることから生まれる「当為」の意識であるとするところにあります。ルソーの「自然に帰れ」という言葉に触発されて、唯物論を自然主義と誤解する人もいますが、唯物論の人間観は、カント、ヘーゲルの人間観と同様に、自然的自己から理性的自己に成長・発展していくことを肯定する弁証法的な人間観なのです。
 こうした理性的道徳論は尊重されるべきものですが、しかし道徳とは人間としてより善く生きる生き方の問題ですから、理性的道徳論の前にまず人間とは何かという人間の本質にもとづく道徳論が論じられなければなりません。
 ここで詳しく論じることはできませんが、人間の本質は、「自由な意識」と「共同社会性」、「自由と民主主義を本質的かつ普遍的価値とする価値意識」の三つということができます(拙著『世紀の科学的社会主義を考える』六七ページ以下参照)。
科学的社会主義の学説の本質は「真のヒューマニズムにたった人間解放の学説」にありますので、科学的社会主義の道徳論は、階級的疎外を否定し、人間の類本質を全面的に開花させるような生き方を基本にする、人間が人間らしく生きるためのヒューマニズムの道徳論、「人間らしい心」をつくる道徳論ということになると思われます。したがってそれは、カント、ヘーゲルのいう理性にもとづく人間の真にあるべき生き方、行動の仕方をいう前に、まず自然的人間という人間そのものを肯定するヒューマニズムにたつことを明確にし、その土台のうえに人間の類本質を開花させる理性的人間の真にあるべき生き方、行動の仕方が論じられなければならないでしょう。
 また科学的社会主義の道徳論は、カントの定言命令のような一般的道徳法則として示され、個々の道徳的行為はその展開として示されるべきであって、個々の行為の「もまた」の集合として示されるべきではないでしょう。後者の場合は、無限の「もまた」の連鎖にとどまり、悪無限となってしまうからです。
 以上を整理してみますと、科学的社会主義の道徳とは、「人間が人間らしく生きるためのヒューマニズムと理性の道徳であり、具体的には、人間の生命の尊厳と自由な精神を尊重すると同時に、一人はみんなのために、みんなは一人のためにという民主的道徳である」と一応規定しうるのではないかと考えるものです。
 日本共産党第二〇回大会決定では、「科学的社会主義の事業は、人間解放の事業」(『前衛』六五一号八一ページ)であり、「理性と人間性」(同)の生かされる活動が求められるとしているのも、基本的には同様の趣旨ということができるでしょう。この一般的道徳法則は、さらに説明と展開を必要としますが、それは次回のコラムに委ねたいと思います。