『ヘーゲル「精神現象学」に学ぶ』より
第一五講 『現象学』から何を学ぶのか
一、科学的社会主義をより豊かにするために
『現象学』から何を学ぶのか
マルクスは、『経・哲草稿』の第三草稿「五」で「ヘーゲル弁証法と哲学一般との批判」(前掲書一八八ページ)と題して、『現象学』にかんし、かなり立ち入った検討を加えています。というのも、マルクスは『現象学』を「ヘーゲル哲学の真の誕生地でありその秘密である」(同一九三ページ)ととらえ、それを乗り越えることで自己の哲学を確立しようとしたためです。
マルクスが『現象学』から学んだ最大のものは疎外論であり、ヘーゲルの疎外論をふまえて史的唯物論を確立し、人間解放の社会主義・共産主義の概念を確立していったこと、および『現象学』における「否定性の弁証法」の意義と疎外論の観念論的限界を批判したことについては、すでに第一二講のコラムで述べてきました。
そのことの意義は高く評価しながらも、では『現象学』から学ぶべきものは疎外論のみかといえば、そうではないでしょう。
私たちは第一講で『現象学』を学ぶ「三つの観点」を次のように提起しました。すなわち第一に、科学的社会主義の学説を完成されたものとしてではなく、より豊かなものに発展させる見地から学ぶ、第二には、『現象学』をヘーゲル哲学の到達点としてではなく、出発点として学ぶ、第三には、いまから二百年以上前の『現象学』を現在の自然科学や社会科学の到達点をふまえてその意義と限界を明らかにする、というものです。
したがって最後に、この観点から科学的社会主義の学説をより豊かな、より深いものにするうえで、『現象学』から疎外論以外に何を学ぶべきかをまとめてみたいと思います。
二、『現象学』の認識論は唯物論的認識論
唯物論的認識論
『現象学』第一部「意識の経験の学」は、個人の意識が経験をつうじて弁証法的に発展し、真理に至る認識の過程を論じています。ヘーゲルは、認識の発展を経験を媒介として「絶対的他在において純粋に自己を認識すること」、つまり自己から、意識の対象となる他在へ、他在から自己への回帰という主体的往復運動としてとらえています。またヘーゲルの認識論は、経験を媒介とする往復運動をつうじて、個人の意識は感覚、知覚、悟性、理性へと弁証法的に発展するものとしてとらえられていますが、それを現代の認知心理学からいうと、経験から生じる心の働きとしての「認知」を大きく「感じる」「知る」「考える」「創造する」としてとらえる唯物論的認識論に対応するものということができます。
第五講のコラムで紹介したように、入口における経験論は出口において唯物論的認識論になることもあれば、観念論的認識論になることもあります。ヘーゲルが経験論として出発しつつ、徹底した唯物論的認識論の立場を貫徹していることは高く評価されるべきであると同時に、これまでのヘーゲルを観念論者としてとらえることの誤りをはっきりと示すものとなっていることを指摘しておきたいと思います。
ヘーゲルの理性は合理主義と合法則的発展の意識
またヘーゲルは、理性を意識の最高の到達点としてとらえると同時に、「理性は、全実在であるという意識の確信である」(一四二ページ)との名言を残しています。ここには、世界は理性によって貫かれた合理的、合法則的存在であるという意味と、理性は世界のすべてを理性にしたがって変革しうるとする、二つの意味が込められており、今日的にみても正しいものということができます。
ヘーゲルが世界を合法則的存在ととらえ、その法則性を認識し、それを揚棄することによって世界を合法則的に発展させうるとした唯物論的認識論の立場は、科学的社会主義の変革の哲学をさらに一歩具体化させ、前進させたものとして高く評価されるべきものです。
ヘーゲル以後の量子力学と宇宙科学の発展により、私たちの宇宙のうちに存在するすべての物質はビッグ・バンによって誕生したことが明らかにされていますので、すべての物質は因果関係のうちにあり、合理的、合法則的であることは科学的に証明されており、世界を混沌とした非合理の世界とする余地はもはや存在しません。
これに対し人間社会の場合には、それぞれの意志をもった個々人が、それぞれの意志で行動しているのですから、一見するとそこには何らの合理性も合法則性も存在しないようにみえます。しかし、社会は建物と同様に構造をもち、土台と上部構造の関係のなかで社会発展の法則が「鉄の必然性をもって作用」(『資本論』①九ページ)していることを解明したのが史的唯物論だったのです。こうして世界は理性に貫かれた合理的、合法則的存在だとするヘーゲルの見解の正しさは、今日では証明済みのものとなっています。
他方変革の意識としての理性についても、社会脳科学をはじめとする脳科学や認知心理学の発展により、外部から入力された情報の処理機関としての脳の働きはかなり解明されてきました。それによると、外部からの情報は、まず感覚野に集められ、言語野を経てさらに大脳連合野(その中でも特に頭頂連合野と前頭連合野)に送られ、そこで最高の意識としての創造的意識、つまり変革の意識としての理性の生まれることが解明されてきています。
こうした脳科学の発展があるにもかかわらず、これまで金子武蔵氏をはじめとする邦訳された『現象学』では、「理性は、全実在であるという意識の確信である」という箇所が、ヘーゲルの唯物論的認識論としての変革の立場を示すものであることを、誰一人明確にしてこなかったのは、不可解というほかはありません。
理性が世界の合法則的発展をとらえる変革の立場であることを理解しないということは、『現象学』の最も太い骨組を理解しないものであって、いわば『現象学』を骨抜きにしてしまうことを意味しています。というのも、理性を合法則的発展という変革の立場を示すものであるととらえることによって、初めて知の目標とされる「概念と存在の統一」の意義も明確になってくるからです。
前回の講義で、これまで誰も概念の意味を正確にとらえず、したがって「絶対知」の意義を理解しなかったとお話ししました。その根本的原因は理性の変革の立場を理解しなかったところにあるといえます。理性を変革の立場とすることは、『現象学』の結論部分ともいうべき「絶対知」における「概念」も、変革の立場を示す「真にあるべき姿」として理解することにつながっているからです。
ここに、科学的社会主義の立場から『現象学』を唯物論的認識論として学ぶ意義があるということができると同時に、『現象学』が「何を人々に訴えようとしたのか」の問いに対しても、曖昧さを残すことなく、明確に回答することができるのです。
対象意識と自己意識
ヘーゲルの唯物論的認識論は、認識の対象を自然とするか社会とするかによって「A 意識」「B 自己意識」と区別した点においても評価しうるものとなっています。ヘーゲルは、意識を大きく客観的実在を意識の対象とする対象意識(ヘーゲルのいう「意識」)と、第三者の目で自己を意識の対象とする自己意識(ヘーゲルのいう「自己意識」)とに区別したうえで、後者の方をより発展した高い意識としてとらえていますが、これは現代の脳科学や認知心理学からしても正しいものということができます。
さらにヘーゲルが「自己意識」を個人としての自己意識と類としての自己意識に区別しているのも、人間らしい心を解明するうえでの先駆的見解ということができます。というのも第七講で学んだように、現在では、個人としての自己意識はメタ認知として、類としての自己意識は社会的二次感情ないし社会脳として、いずれも人間の類本質の一つである「共同社会性」という人間らしい心に結びついていることが明らかにされているからです。
認知心理学では、人間は三、四歳頃までは対象意識しか存在しないのに対し、五歳頃からは第三者の立場でものごとを見たり、考えたりする個人としての自己意識が目覚めることを認め、この自己意識を「メタ認知」とよんでいます。このメタ認知は、対象意識よりも高い意識であり、人間らしい心を形づくる「心の理論」とよばれています。第六講のコラムで学んだように「チンパンジーやオランウータンなどの類人猿では『心の理論』は不完全な形でしかはたらかない」(『知能と心の科学』二二ページ)のです。
他方で第二講のコラムで学んだように、人間は動物と同様に客観的実在としての「物理的環境世界」(『脳科学の教科書 こころ編』一四五~一四六ページ)の中で生活していると同時に、「人間の精神世界の中にのみ抽象的に存在する『象徴的世界(シンボリック・システム)』」(同一四六ページ)としての人間社会において生活しています。
人間に近い動物である類人猿は、社会をもつことなく、物理的環境世界においてのみ生活していますので、対象意識とそこから生まれる喜・怒・哀・楽などの生物的な「一次感情」(同一四二ページ)はもっていても、「社会的二次感情」(同一四五ページ)や社会脳はもっていません。社会脳による人間らしい心の働きは、社会的認知とよばれ、「目つきや表情などから、相手の気持ちや心の内を推測する『表情の認知』という働きに始まり、他人の心の痛みを自分の心の痛みとして感じる『共感』や『同情』、自己の感情、欲望を適切に抑制する『理性的抑制』など」(伊古田前掲書五五ページ)が含まれています。要するに周囲の人々との人間関係を良好に保ち、社会生活を適切に送るための心の働きが、社会的認知なのです。
つまりヒトは、ヒトに特有のメタ認知や社会的二次感情、さらには社会脳をもつことによって、「共同社会性」という人間の類本質を身につけることになるのですが、ヘーゲルはそれを「類としての自己意識」とよんでいるのです。
ヘーゲルが「自己意識に至ると同時に、真理の故郷に入っている」(一〇九ページ)としているのは、人間の類本質の一つが共同社会性にあり、自己意識においてはじめて社会的意識が誕生し、人間としての「真理の故郷に入る」としているのであって、素晴らしい唯物論的認識ということができます。またヘーゲルが、「自己意識の概念」(一一五ページ)こそ「精神の概念」(同)であり、「われわれである我と、我であるわれわれとの両者が一つ」(同)としているのも、個人と共同体の概念を示したものとして高く評価しうるものです。
観念論の特徴
第五講のコラムでも触れましたが、近現代の観念論の特徴は、経験から生じる「感じる」「知る」「考える」「創造する」という相互に媒介された一連の心の働きを分断して、感性を一面的に強調したり、創造性を一面的に強調したりするという、意識の諸形態を固定化し、分断してとらえる形而上学にあります。
脳の働きは弁証法そのものであって、連続性と非連続性との統一としてのみとらえることができます。第一講から第三講のコラムで学んだように、脳科学の発展により脳の構造と機能の解明がすすみ、脳の各部位がもっている機能の独立性、非連続性が証明されてきています。
それと同時に、他方では脳の各部位が有機的連携を保って運動し、一人の人間の一つの心の運動となって現れるという統一性・連続性もまた明らかになってきました。とりわけ社会脳の研究は、いくつかの脳の領域がネットワークをつくることで一つの仕事をしていることを解明しつつあります。こういう脳の各部位、領域の非連続性と連続性の統一をつうじて、「感じる」「知る」「考える」「創造する」という脳の働きもまた、非連続性と連続性の統一として存在しているのです。
しかし近現代のあらゆる種類の観念論は、第五講のコラムで学んだように、この脳の働きにおける唯物論的な非連続性と連続性の統一に対し、観念論的・恣意的な非連続性を一面的に強調することによって、誤った認識におちいっているのです。
結局あらゆる種類の観念論は、創造性をもつ理性を他の意識形態から切り離すことで、意識の創造性を一面的に強調して「なにかの種類の世界創造をみとめ」(全集㉑二七九ページ)たり、あるいは逆に一面的に感性を強調することによって経験に直接由来する感性を超えるものを認めない不可知論やまた創造性を認めない反科学主義の立場にたつのです。
ヘーゲルが、感性から理性までを区別しながらも連続した心の働きとし、理性を変革の意識としてとらえたことは、ヘーゲルの認識論が疑問の余地なく唯物論的認識論であることを証明すると同時に、「感じる」「知る」「考える」「創造する」などの意識の諸形態を連続性と非連続性の統一としてとらえ、あらゆる観念論を打ち破る強力な武器を提供するものとなっていることは高く評価されるべきものといえます。
三、『現象学』における変革の立場
合法則的発展のためにはまず対象の本質を対立・矛盾においてとらえる
『現象学』の変革の立場は、理性において示されることになりますが、では理性が対象を「合法則的に発展させる」とは、具体的に何を意味するのかが問題となりますが、ヘーゲルはそれが弁証法だといっています。弁証法とは、即自 ── 対自 ── 即対自という「公式を外的に空しく適用する」(四一ページ)という形式主義ではなくて、「むしろ対象の生命に身を委ねることを、或は同じことであるが、対象の内的な必然性を自らの前におき、それを言い表わすこと」(四三ページ)であり、それが結果として即自 ── 対自 ── 即対自、つまり対立物の統一になるのだ、というのです。
対象の「合法則的発展」のためには、まず対象となる客観的事物(物)の本質を認識することから始まります。
人間の意識は経験をつうじて前進し、感覚から知覚へと移行します。知覚の対象となる「物」は、「他者との本質的な区別を自分にもって」(八三ページ)おり、その「物」を他者から区別する「単一な規定態」(同)が、その「物の本質」(同)にほかなりません。
したがって物の本質とは、物の偶然的な「非本質的なもの」(同)から区別された、その物の「内なる真の姿」であり、偶然性から区別された物の「内的な必然性」ということができます。重要なことは、物の本質を認識する場合も解釈の立場から認識するのか、それとも変革の立場から認識するのかにあります。
第一四講でも紹介しましたが、エンゲルスは『反デューリング論』のなかで次のように述べています。「われわれが事物を静止した、生命のないものとして、個々別々に、相並び相前後するものとして考察するあいだは、たしかに、それらの事物においてどんな矛盾にもぶつからない、……しかし、われわれが事物をその運動、変化、生命、交互作用において考察するやいなや、事情はまったく違ったものになる。その場合には、われわれはたちまち矛盾におちいる」(全集⑳一二五ページ)。
つまり、物の本質を解釈の立場からとらえるとき、本質は「単一な規定態」にとどまっているのですが、変革の立場からとらえるとき、本質を対立物の統一という対立・矛盾をもったものとしてとらえることができるのです。物の本質を「静止した、生命のないもの」からとらえるときには「どんな矛盾にもぶつからない」のに対し、本質を「運動、変化、生命、交互作用」において考察するやいなや「たちまち矛盾におちいる」のです。
ヘーゲルが、『小論理学』において、「本質は媒介的に定立された概念としての概念」(前掲書㊦九ページ)と呼ぶとき、それは本質の「内的な必然性」を変革の立場からとらえたものということができます。というのも、必然性とは、二つのものの関係において、そうであってそれ以外ではありえない「対立・矛盾」という「媒介的に定立された」関係を意味しているからです。必然性の最も基本的な形式が、上と下、左と右という、或るものとその固有の他者との関係を示す「対立・矛盾」という関係なのです。
この客観的事物における必然性を認識のうちにとらえたものが「法則」と呼ばれるものです。世界のすべてのものが合法則的存在であるということは、「すべてのものは対立している」(『小論理学』㊦三三ページ)ことを意味しており、したがって対立するものを一つの関係のうちにとらえる「対立物の統一」は世界の最も基本的な法則であり、弁証法の基本形式となっているのです。
例えば上と下は自己を中心とした位置関係、左と右は自己を中心とした方向関係における対立物の統一ということができます。したがって、ある物の本質を認識することは、その物の真の姿を「内的な必然性」である対立物の統一として認識することであり、それがヘーゲルのいう「悟性」と呼ばれる意識なのです。
意識が変革の立場から「いかなる経験をするか」(七九ページ)といえば、本質のうちに「現存する矛盾(対立 ── 高村)の展開」(同)を経験することになるのです。「意識が真理をつかむこと」(八二ページ)は、その物の真の姿(本質)を「それ自身において対立した真理をもっている」(同)とつかむことにほかなりません。
対象となる事物を運動、変化、発展においてとらえる弁証法とは、「対象の生命に身を委ね」対象の観察をつうじて対象の真の姿(本質)を対立物の統一として認識することから始まります。これがいわゆる弁証法の「三つの側面」(『小論理学』㊤二四〇ページ)といわれる即自、対自、即対自のうちの、即自から対自への移行にあたる部分であり、ヘーゲルが、教養を身につけるとは、ラモーの甥の見方を身につけることといっているのは、この「対自」の認識を意味しているのです。
本質の対立・矛盾を揚棄するものとして概念をとらえる
しかし、事物の本質を対立物の統一として認識するだけでは、まだ事物の合法則的発展をとらえることにはなりません。人間は対象となる事物を変革しようとする場合、対象の本質がもつ対立・矛盾を法則として認識することをつうじて、その矛盾を揚棄した統一としての対象の真にあるべき姿を法則の発展として認識し、それを目標にかかげた実践をつうじて、対象を合法則的に発展させることが求められます。これがヘーゲルのいう「矛盾の揚棄(アウフヘーベン)」としての発展であり、「即自 ── 対自 ── 即対自」のうちの「対自 ── 即対自」の部分に該当するのです。
「矛盾の揚棄」とは、対象のもつ本質的矛盾を解決する発展だからこそ合法則的発展ということができるのであって、そこには三つの特徴があります。一つは、本質的矛盾がかかえていた消極的部分を廃棄し、二つには矛盾がかかえていた積極的部分を保存し、三つには、矛盾の揚棄により、より高い質をもったものへと発展するというものです。
ヘーゲルにとって、事物の合法則的発展はまず本質から概念へという認識の発展から始まります。ヘーゲルのいう「概念」とは、事物の「真にあるべき姿」、つまりイデアを意味し、ヘーゲルはこれこそギリシア哲学の最大の成果だと理解したのです。ソクラテスに始まり、プラトン、アリストテレスへと発展したイデア論は、アリストテレスのイデア論で最高の立場にたちます。それは「現実に転化する必然性をもった事物の真にあるべき姿」を意味しており、ヘーゲルはそれを「概念」というカテゴリーにおいてとらえました。
ヘーゲルの功績は、本質のもつ対立・矛盾を揚棄するものとして概念をとらえたところにあります。事物の真の姿である本質を揚棄するものとして概念をとらえることにより、その概念はたんなる空想ではなく、唯物論的理想であり、したがって現実に転化する必然性をもった理想になっているとしたのです。つまり概念とは、さまざまなあるべき姿(当為)の真理、つまり当為の真理としての真にあるべき姿であり、本質が解釈の立場にたった真理であるのに対し、概念は変革の立場にたった真理ということができます。
史的唯物論では、ヘーゲルの合法則的発展の見地を生かして、人間の社会構成体の本質における対立・矛盾を、生産力と生産関係の対立・矛盾としてとらえ、その矛盾を揚棄するより質の高い社会構成体に発展することにより、原始共同体 ── 奴隷制 ── 封建制 ── 資本主義 ── 社会主義・共産主義へという人類史を弁証法的唯物論の見地からとらえることを可能にしたのです。
概念の実践が対象の合法則的発展を生みだす
ヘーゲルは、本質の認識をつうじて概念を認識し、この概念を目標にかかげた実践をつうじて、すべての事物を合法則的に発展させることができると考えました。それが知の目標としての「概念が対象に、対象が概念に一致するところ」(六一ページ)としての絶対知にほかならないのです。そこにはいかにして対象のうちに概念を認識するかの問題と、認識した概念をいかにして現実に転化するのかの問題という、概念の二つの運動を区別しながらも、その両者を統一することで、理想と現実の統一を実現することが知の目標とされているのです。
この本質、概念、合法則的発展という三者の弁証法的関係をとらえたヘーゲルの理論は、変革の立場にたつ科学的社会主義の学説にそのまま採用されることによって、その学説をより豊かなものにしていくべきものと思われます。
まず、「概念が対象に一致する」とは、対象としての客観的実在がもつ本質的矛盾を揚棄することによって対象のうちに潜在的に存在していた概念を主観のうちに顕在化して認識することによる「概念と対象の一致」を意味しています。これにより、客観的実在から取り出した概念は、唯物論的な理想であって、けっして観念論的な空想ではない、「真にあるべき姿」であることを示しているのです。
ヘーゲルが、古代ギリシアのイデア論に学んで、唯物論的な理想としての「概念」というカテゴリーを生み出すまでの労苦は想像に余りあります。だからこそヘーゲルは、『エンチクロペディー』の最後をアリストテレスの「思惟の思惟」で飾り、『現象学』においても「精神は本来、認識であるところの運動」(四四八~四四九ページ)であり、「意識の対象を自己意識の対象」(四四九ページ)に、「つまり概念に変える運動である」(同)としているのです。「精神は(概念という ── 高村)自体的に本来ある姿で完結しないうちは、つまり、世界精神として完結しないうちは、自己意識的精神として、自己に完全に達することはできないのである」(同)とする表現にも、「概念」というカテゴリーにかけたヘーゲルの思いが込められているということができるでしょう。
次に、「対象が概念に一致する」とは、主観のうちにとらえられた概念が、実践をつうじて現実に転化し、対象を真にあるべき姿に変革することを意味しています。
この「概念と存在の統一」の立場こそ、世界の合法則発展を生みだす真の変革の立場ということができるでしょう。
概念の認識にかんする『現象学』の重要性
『現象学』では、この概念の二つの運動を統一した「概念と存在の統一」によって、人間は理想を実現しうるのであり、これが知の目標としての「絶対知」だとされるのです。なぜ『現象学』における概念の二つの運動が重要なのかというと、後のヘーゲルの哲学体系『エンチクロペディー』のなかの「論理学」(いわゆる『小論理学』)では、概念をいかにして認識しうるのかという最も重要な問題が曖昧にされていて、その「概念論」はもっぱら「対象が概念に一致する」という概念の外化の側面から論じられているからです(詳しくは拙著『科学的社会主義の哲学史』二五五ページ以下参照)。
ここにはフランス革命をめぐるその時々の情勢がヘーゲルの諸著作に強く反映しているのを見てとることができます。『現象学』の執筆された当時、ナポレオンは破竹の勢いで全ヨーロッパを席巻しつつあり、フランス革命の自由の精神を全ヨーロッパに広げていました。ヘーゲルもその影響のもとに学問の自由を享受し、『現象学』を執筆することができたのです。この自由な精神は、ヘーゲルがベルリン大学の哲学教授に就任した一八一八年当時にもまだ存続し、ヘーゲルはその就任挨拶で「思想の自由な国もまた独立に栄えていく時代がはじまっている」(『小論理学』㊤一四ページ)と意気高らかに宣言しています。
しかし一八一五年ナポレオンが没落し、反動的「ウィーン体制」が確立するもとで、一八一九年「カールスバート決議」が採択され、言論の自由は完全に封殺されてしまいます。危うく弾圧から逃れたヘーゲルは、一八一七年に自由な雰囲気のもとで著した『小論理学』を、二七年の第二版では全面的に書き直してしまい、現在広く普及している第三版に引きつがれることになります。
こうした政治情勢の変化を反映して『小論理学』(第三版)の概念論では、本質から概念への移行がきわめて分かりにくいものとなっているのみならず、「概念は真に最初のもの」(『小論理学』㊦一三〇ページ)とされ、「神は世界を無から創造した」(同)と言われるのは、「このことを宗教的に言いあらわしたものである」(同)として、概念が「真にあるべき姿」であることを故意に押し隠そうとする意図さえ読みとることができます。
それだけにまだ学問の自由が存在した一八〇七年の『現象学』が、概念をいかにして認識するのかという「概念が対象に一致する」側面を明記していることは、貴重な存在ということができるでしょう。ヘーゲルは『現象学』をつうじて理想と現実の統一のためには、当初から二つの概念の運動が必要であるととらえていたにもかかわらず、『小論理学』ではあえて「概念が対象に一致する」側面を曖昧にしているのは、弾圧を免れるための故意の偽装工作と断ぜざるをえないのです。というのもこの側面こそ、唯物論的な理想をいかにして生みだすのかというヘーゲル哲学の「革命的性格」(全集㉑二七一ページ)をもっとも明確に示すものにほかならないからです。
二つの真理
ヘーゲルの変革の立場は、「概念と存在の統一」をつうじて、真理には事実の真理と当為の真理という、二つの真理があることを明らかにしました。これは、これまで弁証法的唯物論において「真理とは客観に一致する認識」としてきた反映論的真理観に反省をせまるものとなっています。すなわち、エンゲルスは『フォイエルバッハ論』において「思考と存在との同一性の問題」(全集㉑二八〇ページ)、つまり真理観の問題を「われわれは現実の世界についてのわれわれの表象と概念のうちに現実の正しい映像をつくりだすことができるのか?」(同)というもっぱら反映論の見地からのみ論じています。
しかし人間は自然や社会を変革する存在ですから、このような反映論的な事実の真理にとどまらず、変革の立場にたって、あるべき姿という当為にも真理があることを認め、その当為の真理を「概念」としてとらえることが重要なのです。
「真理は必ず勝利する」という唯物論的な命題がありますが、この場合の真理は当為の真理を意味しており、当為の真理を目的に掲げるとき、当初は少数派であっても、いずれは当為の真理自体のもつ力によって多数派となり勝利することを意味しています。
現実にも科学的社会主義の学説において、真理は当為の真理の意味でも使用されています。日本共産党第二〇回大会の「中央委員会報告」のなかで、「歴史にたいする前衛党の責任」(『前衛』六五一号四一ページ)について論及し、それは「社会進歩の促進のために、真理をかかげてたたかうこと」(同)にあるとされていますが、これは「真理の実現のためにたたかう」との趣旨ですから、この場合の真理が当為の真理を意味していることは言うまでもありません。哲学的には明確にされてこなかったものの、科学的社会主義のいう真理には事実の真理と同時に当為の真理があることを事実上認めてきたということができるでしょう。
真理とは、広義において「客観に一致する認識」ということができますが、そこには客観の「現にある姿の真理」と「真にあるべき姿としての真理」という二つの真理があり、前者が「本質」、後者が「概念」としてとらえられるのです。両者の関係は、事実の真理としての本質を対立・矛盾においてとらえ、その矛盾を揚棄するものとして当為の真理としての概念がとらえられる、という関係にあることは既に述べたところです。
当為の真理をとらえた実践をつうじて、客観的事物は合法則的に発展し、客観的事実は真にあるべき姿に変革されることになります。
但しヘーゲルが、真理をたんに認識の問題にとどめず、合法則的発展まで含めた実践的真理を主張していることは問題だといわざるをえません。というのも、真理とはあくまでも認識の問題であり、認識論の一形態というべきであって、認識は客観の「現にある姿」及び「あるべき姿」に完全に一致することによって「思考と存在との同一性」に到達しうるという問題だからです。ヘーゲルのいう実践的真理、つまり、当為の真理を実現する「概念と存在の統一」までを真理とすることは、あまりにも真理の定義を広げすぎることになるでしょう。
変革の立場からみた宗教改革とフランス革命
ヘーゲルが変革の立場から近代を切りひらく啓蒙思想を取りあげ、封建制に対するブルジョアジーの「三つの大決戦」(全集⑲五五三ページ)のうち、宗教改革とフランス革命の二つをとりあげたのは、正しい問題意識ということができます。
『現象学』においては、そのどちらについても、封建制を変革する運動であったにもかかわらず、積極的に評価されていません。すなわち宗教改革については、カトリックもプロテスタントもどちらも問題があるという態度であり、フランス革命については絶対的自由を掲げながらも結果として恐怖政治をもたらしたのみとされています。
しかし後年、ヘーゲルは『歴史哲学』を「一八三〇―三一年度においてはじめて中世と近世とをやや立ち入って取扱うように」(前掲書㊤一四ページ)講義し、このなかで宗教改革とフランス革命の評価を大きく転換しています。一八三〇年が「七月革命」の年であることはいうまでもありません。
まず宗教改革については、「中世期の終りに現われたあの曙光(ルネッサンス ── 高村)に引き続いて昇って来て、すべてのものの上に照り輝やき、すべてのものを浄化するところの太陽」(同㊦二六六ページ)であり、「ここからわれわれは自由を自覚した精神の時期に這入る」(同)と位置づけています。
次いでフランス革命については、「人間はここにはじめて、思想が精神的現実界を支配すべきものだということを認識する段階にまでも達した」(同三一一ページ)のであり、「その意味で、これは輝かしい日の出であった」(同)としています。
こうした評価の転換の背景には、フランス人民がウィーン体制のもとで復活したブルボン王朝を再び打ち倒し、ウィーン体制に破綻をもたらした一八三〇年の「七月革命」がありました。この「七月革命」が序章となって、一八四八年の「二月革命」により、ウィーン体制はついに崩壊することになります。ヘーゲルはこの「七月革命」にフランス革命の精神が継承・発展されていることを見いだし、「こうして遂に戦争と大混乱の四十年(一七八九―一八三〇年)の後に、老いた心もこの混乱の終結と平和とに再会する悦びをもつことができた」(同三一七ページ)とその心情を表しています。
ヘーゲルは宗教改革に始まり、フランス革命を貫いた「自由の精神の旗」(同二七三ページ)という変革の旗印を「七月革命」に見いだすことによって、二つの革命に対し消極的評価しか加えなかった『現象学』の限界をみてとり、その体系を捨て去ったということができるでしょう。
変革の立場からみた資本主義と産業革命
一八世紀後半から一九世紀のはじめにかけて、イギリスで始まった産業革命により、マニュファクチュアから機械制大工業に移行し資本主義が確立することになります。この産業革命はやがてヨーロッパ全土に広がりますが、ようやく一八七一年になって近代統一国家となった遅れたドイツでは、『現象学』の時代にはまだ産業革命前の状態であり、資本主義の矛盾もまだあまり顕在化していませんでした。マルクスの『資本論』はイギリス経済の分析を基にした著作ですが、「序言(初版への)」のなかで、「ドイツでは事態はまだそんなに悪くなっていないということで楽天的に安心したりするならば、私は彼にこう呼びかけなければならない、“ おまえのことを言っているのだぞ!” と」(『資本論』①九ページ)といっているほどです。それに加え当時はまだマルクスによる資本主義的な搾取の秘密は未解明であり、当時のブルジョア経済学は、「資本主義的秩序を社会的生産の歴史的に一時的な発展段階ととらえないで、反対に、社会的生産の絶対的で究極的な姿態」(同一八ページ)ととらえていました。
こうした事情を反映して、『現象学』では、資本主義を予定調和の社会とする資本主義美化論を展開しています。すなわち一方では「B 自己意識」において「主と僕」という階級的観点をもち込み、労働をつうじて主と僕の関係が逆転するという弁証法を論じながら、他方「C 理性」では、資本主義を「精神的な動物の国」としてとらえながらも、「ことそのもの」を過大に評価し、資本主義に一般意志を接ぎ木すれば階級のない「真にあるべき社会」が実現されるかのように論じています。また「D 精神」の「自己疎外的精神」では資本主義における現実の人間疎外をみようとせず、産業革命の産物としての商品生産を「有用性」ととらえ「啓蒙の真理」とするベンサム流の功利主義の立場にたっています。
しかしヘーゲルの変革の立場からすると、資本主義をも階級的観点から批判することは可能だったはずであり、現に後年の『法の哲学』では、この観点から資本主義を厳しく批判しています。こうした資本主義美化論をとったため、「自己疎外的精神」からの回復は、資本主義を乗り越える現実的な疎外からの回復にではなく、道徳の世界における良心的「赦し」という観念論的疎外からの回復にとどまっています。『現象学』が理性にもとづく変革の立場を高らかに宣言しながら、資本主義の改革を正面から論じることなく、竜頭蛇尾に終わった感があることは、否定できない事実です。またそのことが『現象学』における論理の展開を不明瞭なものとし、結果として『現象学』の分かりにくさをも生みだしているのです。結局のところ『現象学』には自己疎外的精神は存在しても、疎外から回復した絶対的精神は存在しない結果となっています。こういう変革の立場の不徹底さも、『現象学』体系放棄の一因ということができるでしょう。
真にあるべき社会とその実現
このようにヘーゲルの変革の立場には不徹底な側面がありますが、それにもかかわらず疎外からの回復を論じた真にあるべき社会、つまり個人と社会共同体とが一体化した真にあるべき姿(概念)には見るべきものがあります。
まずヘーゲルは、共同社会性を論じた「B 自己意識」において、「自己意識の概念」(一一五ページ)は「精神の概念」(同)であり、それは「二つの自己意識の対立が、完全に自由であり、独立でありながらも、両者が、すなわち、われわれである我と、我であるわれわれとの両者は一つ」(同)となる「一人はみんなのために、みんなは一人のために」の社会であるとしています。これは、ルソーの一般意志(人民の真にあるべき意志)を統治原理とする治者と被治者の同一性の実現という理念を、より展開した形において示した階級のない社会ということができます。
次いで「D 精神」において、真にあるべき社会は、個人と共同体、個と普遍とが一体化した人倫的実体であると規定されます。人倫的実体とは、先の「精神の概念」を現実化した社会ということになるでしょう。しかしヘーゲルは、ギリシアのポリスに人倫的実体を見いだしながら、そこにおける「個別的な個人性」(二六八ページ)は、まだ共同体のうちに埋没してしまっているとして、疎外社会の「法状態」のもとで、社会から疎外された個々人は一個の人格となり、教養を身につけることによって、自然的人間から人間の真にあるべき姿(概念)に向かって前進していく存在としてとらえています。
いわば、ヘーゲルにとって「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という真にあるべき社会を建設していくためには、たんに社会体制を問題にするのみならず、それにふさわしい人間集団が生み出されなくてはならないと考えたのでしょう。ここに注目したのがマルクスの『経・哲草稿』であり、ヘーゲルの偉大なところは「人間の自己産出を一つの過程」(前掲書一九九ページ)としてとらえたところにあると考えたのです。
ヘーゲルは、人間は教養をつむことによって、自然的人間から「社会的人間」へ、感性的人間から「理性的人間」へ、特殊個人的人間から「普遍的人間」へと「自己産出」するものとしてとらえました。つまり、人間とは、社会的人間としては「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という精神を身につけ、理性的人間としてはラモーの甥のような弁証法的ものの見方を身につけ、普遍的人間としては生き方の概念である道徳的意識を身につけることによって、真にあるべき人間になると考えたのです。
ヘーゲルが、真にあるべき社会とは、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という社会の概念が掲げられるにとどまらず、こうした概念を身につけた人間集団が存在しなければならないと考えた背景には、フランス革命の恐怖政治の経験があったものと思われます。
フランス革命は、ルソーの「一般意志」という社会の概念が掲げられながら、「絶対に自由な自己意識は、自分の実在する姿が、実在自身の概念とは、全く別のもの」(三四〇ページ)となってしまったのですが、ヘーゲルはその原因を革命をおし進める人民の未熟さに求めたのです。
『法の哲学』では、この点を明確に指摘して「国民というものは、君主を抜きにして解されたり、まさに君主とこそ必然的かつ直接的に関連している全体の分節的組織を抜きにして解されたりする場合は、定形のない塊り」(前掲書五三三ページ)にすぎないのであり、国民主権の思想は「国民についてのめちゃな表象に基づく混乱した思想の一つ」(同)としています。もちろんこの見解は批判されるべきものですが、ヘーゲルはフランス革命における恐怖政治をつうじて適切な導き手をもたない限り、人民は「定形のない塊り」として暴走する可能性があると指摘していることには一面の真理があります。
同様の考えは、人民主権論を唱えたルソーにもあります。ルソーは「一般意志は、つねに正しいが、それを導く判断は、つねに啓蒙されているわけではない」(『社会契約論』六一ページ)として人民の「導き手」が必要であるとしたうえで、国民においても「成熟の時期があり、国民を(一般意志にもとづく ── 高村)法に従わせるには、この時期を待たねばならない」(同六九ページ)のであって、もし人民が成熟する以前に革命を起こせば、「仕事は失敗に終る」(同)としています。
しかし第一一講のコラムでも一言したように、人民主権の思想の根底には、人民の多数が一般意志を身につけ行動することへの信頼が存在しており、その信頼は共同社会性という人間の類本質を認めることに由来する正しいものといわなければなりません。この確信を現実に転化するためには、人民の導き手が求められることになります。現代社会にみられるように、大手マスコミが政府の広報機関に変えられようとするなかで、人民の意識を成熟させ、一般意志にまで高めるには、人民の進むべき道を示す導き手の存在が不可欠となります。その導き手の理論が「プロレタリアート執権」にほかなりません。
科学的社会主義の政党は、そのときどきの政治情勢のもとで政局全体を転換させる根本的、本質的矛盾をとらえ、それを打開する真にあるべき姿(概念)を人民の前に提示し、その概念のもとに人民が団結し、人民が政治的経験を蓄積することをつうじて、革命運動を前進させるのです。これが科学的社会主義の政党の主導性のもとに人民を団結させる「プロレタリアート執権」なのです。
こうして人民は革命をつうじて成熟し、社会的・理性的・普遍的人民となって「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という共同体の理念を自分自身のものとしながら、主体的に真にあるべき社会主義を建設していくことができるのです。
『現象学』は「何を人々に訴えようとしたのか」
訳者の樫山氏は、『現象学』は「何を人々に訴えようとしたか」(四六三ページ)という問題提起をしています。『現象学』とは、それほど難解な哲学書であることを示す言葉であると同時に、この問いは樫山氏自身が明確な回答をもっていないことをも明らかにしています。しかもそれは、樫山氏に限らず、これまで誰一人として、理性とは変革の意志であり、かつ概念とは「真にあるべき姿」であることを理解しなかったことにより、『現象学』が何を訴えようとしているのかを理解しえなかったといっていいでしょう。理性と概念の意義を明確にとらえる立場にたつとき、『現象学』が人々に訴えようとしたものは、次のとおりであることが明確になります。
すなわち「『現象学』とはいかにして真理を認識し、実現するのか、言いかえるといかにして理想を現実化し理想と現実の統一を実現するかを論じた書である。そのためにはまず事物の本質を対立・矛盾の形式において認識することにはじまり、次いでその対立・矛盾を解決する概念を認識しなければならない。そのうえで概念を目的にかかげた実践によって事物を合法則的に発展させることができるのであり、これが知の目標とする理想と現実の統一、つまり概念と存在の統一としての真理である」。
この点をはじめて明確にしたところに、科学的社会主義の立場にたって『現象学』を学ぶ本書の意義があるということができるでしょう。これまで科学的社会主義の立場から『現象学』を読み解こうとしたものとして、ルカーチの『若きヘーゲル』があります。しかしルカーチもまた、理性を変革の意識、概念を「真にあるべき姿」として理解しなかったために、「絶対知」の意義をつかみ取ることができませんでした。そのために、『現象学』全体をマルクスが強調した疎外論の観点からのみとらえ、『現象学』の結論部分である「絶対知」が「概念と存在の統一」であり、理想と現実の統一であることを明確に理解しえなかったのです。
このことは、『現象学』を弁証法的唯物論の観点から学ぶことは重要ですが、それだけにとどまらず、理性を変革的意識、概念を「真にあるべき姿」として理解するところまで進まなければ、『現象学』が「人々に何を訴えようとしたのか」を真に理解することはできないことを強調しておきたいと思います。
四、『現象学』の道徳、宗教から何を学ぶべきか
上部構造の二面性
ヘーゲルは『現象学』の第二部「客観的精神」において、道徳と宗教について哲学的に論じています。
科学的社会主義の学説は、その構成部分の一つとして、弁証法的唯物論と史的唯物論という哲学をもっています。なぜその哲学が弁証法的唯物論と史的唯物論なのかといえば、それが人類史上最高の哲学であり、それ以外に絶対的真理に接近する方法は存在しないからです(拙著『科学的社会主義の哲学史』三八二ページ以下参照)。その意味で科学的社会主義の学説は「正しいので全能」(レーニン全集⑲三ページ)であり、世界のすべてのものを対象にしうる「全一的な世界観」(同)ということができます。
ということになれば、道徳や宗教が、人類が生みだした客観的精神として現に存在し、かつ社会的にも一定の影響力をもつ社会的意識である以上、道徳や宗教をどうとらえるのかは、「全一的な世界観」としての科学的社会主義にとっても無視できない課題になっていると思われます。そもそも哲学は誕生した直後から、人間がいかに生きるべきかという生き方の真理、つまり道徳論を自己のうちに含んでいました。その開祖が古代ギリシアのソクラテスであり、「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」(プラトン全集①一三三ページ、岩波書店)という有名なセリフを残しています。
それだけではなく、現代日本の人間疎外社会において、人間としてより善く生きるという真の道徳論は支配階級によって意識的に排除されており、真の道徳論をもたないこと自体が人間疎外の一形態となっています。それだけに疎外からの解放を求める科学的社会主義は階級闘争の一形態としても真の道徳論をもたなければならないと思われます。ヘーゲルの良心による「赦し」の世界をもって疎外からの回復ととらえる議論に学ぶべきものは見いだせませんが、かといってヘーゲルが『現象学』で強調した道徳論の意義を軽視するのは、それ以上に大きな誤りということができます。
しかしこれまで史的唯物論では、道徳や宗教は上部構造に属する社会的意識であり、その本質は支配階級のイデオロギーであると規定されるにとどまり、それ以上に研究の対象とされることはなかったというのが、偽らざるところでしょう。つまり道徳に関しては、政府・自民党が押しつける特定の価値観をもった国家道徳に反対し、宗教に関しては、信教の自由は尊重しつつ、良心的・民主的宗教人とは現実の一致する課題で共闘するという以上のものにはなっていなかった、といっても過言ではありません。
ヘーゲルが道徳、宗教の問題を哲学的課題として正面から論じていることは、「全一的な世界観」としての史的唯物論にとって反省をせまるものとなっています。思うに、道徳や宗教は全体として支配階級のイデオロギーであり、但し例外もあるという平板なとらえ方は、すべてのものは対立しているとする弁証法の見地からしても問題があると思われます。
かつて史的唯物論の国家論を研究している際に、「国家の本質は階級支配の機関」としてとらえるだけでいいのか、という疑問が生じました。というのも、確かに国家の本質は支配階級の利益擁護と被支配階級の抑圧にあるということができますが、同時に国家には福祉、年金、教育など被支配階級の利益につながる機能も存在しており、これを支配階級の直接的利益としてとらえることには無理があるからです。
さらに哲学的にみるならば、本質と現象とは切り離すことのできない一対のカテゴリーであって、本質のない現象も存在しないと同時に、現象のない本質も存在しないのであり、それをとらえてヘーゲルは、「本質は現象しなければならない」(『小論理学』㊦五五ページ)と述べています。したがって、国家も本質と現象の統一としてとらえ、本質と現象の関係を明確にしなければならないとの問題意識が生じてきました。そこで科学的社会主義の国家論をあらためて学ぶなかで、国家の端緒と国家の本質とは区別すべきであり、その区別が国家の本質と現象の区別と統一につながることに気がついたのです(拙著『人間解放の哲学』七九ページ以下参照)。
エンゲルスの『家族、私有財産および国家の起原』(全集㉑)は、「まだ国家というものを知らない一つの社会の組織」(同九八ページ)を論じたものですが、そこでは、その共同体が存続するために必要な共同の利益は、構成員のなかから選出され、いつでも解任されうる部族評議会の協議によって処理されていました。しかし階級分化につれて、この共同の利益の処理部門は支配階級によって独占され、独自の機関にまで高められたのが国家の起原とされています。したがって国家は、生まれながらに共同の利益を処理するという機能をもたざるをえなかったのであり、そのなかから次第に階級支配の機能の側面が比重を高め、それがやがて国家の本質に転化し、生まれたばかりの国家を変質させていくことになるのです。
国家の本質が、当初の共同の利益実現から階級支配の機関へと転化していく過程は、一方では搾取・支配階級の利益を擁護・発展させる部門と「公的強力」(同一六九ページ)の部門とを強化・拡大していく過程であると同時に、他方では、人民全体の共同の利益を擁護する部門を名目だけのものにとどめ、形式化し、弱体化していく過程だということができます。それでも国家は、共同の利益を実現するという国家の一部門を、すっかりなくしてしまうことはできません。なぜならそうなると、国家の階級支配の機関という本質がむき出しになってしまい、国家の存在意義を人民に示すことができなくなってしまって、自ら存立することができなくなるからです。こうして国家は、本質と現象という二つの側面が相対立する関係にある機関になっているのです。
国家とは、階級支配の機関という本質をもちつつも、共同の利益実現という現象(仮象)をもつ、本質と現象の対立・矛盾する二面性のある機関であるというべきものです。国家は政治と法を手中にすることによって上部構造の中心に位置し、政治も法も、この本質と現象の対立する二面性をもつのであり、この二面性は同じ上部構造に属する道徳や宗教にも反映することになります。
したがって道徳も宗教も、全体として階級支配のイデオロギーという本質をもちながらも、同時に「人間らしい心」につながる人民の共同の利益を実現する人民の道徳、人民の宗教という現象をともなっているというべきであり、科学的社会主義の果たすべき役割は、一方で人間が類本質としてもっている「人間らしい心」をつくる人民の道徳を人民の前に提示し、他方で世界観を異にする人民の宗教を認めつつ、人民の宗教と科学的社会主義との接点を求めることにあるということができるでしょう。
人民の道徳と人民の宗教
では人民の道徳とは何でしょうか。そもそも道徳とは、人間としての真にあるべき生き方(生き方の概念)を問題にするものです。ヘーゲルがいうように、人間には生き方の概念としての良心があり、良心に反する生き方は心に疚しさ、後悔、呵責の念をもたらし、反道徳的行為であることを教えてくれることは厳たる事実です。
人間はなぜ良心をもっているのか、良心の唯物論的根拠はどこにあるのかといえば、それは人間が生まれながらにもっている人間の類本質に由来する心の働きということができます。人間は、階級社会のもとで現象的には人間疎外の状況にありますが、それでも人間が人間である限り人間の類本質はそのDNAのなかに組み込まれているのであって、それが良心として現れ出るのです。
したがって、科学的社会主義の示す人民の道徳とは、人間の類本質を開花させる「人間が人間らしく生きるためのヒューマニズムと理性の道徳であり、具体的には、人間の生命の尊厳と自由な精神を尊重すると同時に、一人はみんなのために、みんなは一人のためにという民主的道徳」と一応の規定をしておきました。
では人民の宗教とは何でしょうか。宗教とは、人間には人間によって解決しえない苦しみや悩みが存在するとして、人間を超える絶対者(神、仏)の力を借りて解決しようとする社会的意識ということができるでしょう。いわゆる「苦しいときの、神だのみ」です。仏教では、人間の根源的苦悩を「四苦(生苦、死苦、老苦、病苦)」としてとらえており、この四苦に、愛するものと別れる苦しみ(愛別離苦 あいべつりく)、怨み憎しむ者に会う苦しみ(怨憎会苦 おんぞうえく)、欲しいものを手に入れることができない苦しみ(求不得苦 ぐふとつく)、心身を形成する物質的、精神的現象から苦しみが盛んになること(五陰盛苦 ごおんじょうく)を加えたものが「四苦八苦」と呼ばれており、すべての人間はこの「四苦八苦」から逃れることはできない、としています。
これに対し、科学的社会主義では、人間の苦悩の根源には、階級社会のもとで人間が自らつくり出した政治、経済、文化、社会そのものが人間に敵対する存在に転化している、いわゆる人間疎外の状況が存在しており、人間疎外からの人間解放により、苦悩を解決しようとします。つまり人間が生みだしたものは、人間の手によって解決しうるのであって、人間の観念の産物にすぎない絶対者の力を借りる必要はないし、絶対者も存在しないと考えます。
しかし、科学的社会主義の立場からしても階級社会が存続する限り、人間疎外と人間的苦悩から逃れることはできませんから、最終的には宗教を必要としない社会をめざすとしても、当面の問題としては、人民の宗教が存在することは認めないわけにはいきません。
その場合の人民の宗教とは、支配階級のイデオロギーとしての宗教に対立する宗教であると同時に、人民を欺き信仰に名を借りて人民からの収奪をもくろむエセ宗教からも区別されなければなりません。つまり人民の宗教とは、絶対者を信仰しつつも、人民の苦悩の根源が政治、経済、社会にあることを否定せず、人民の苦悩を解決するために、人民に寄り添い、人間としていかに生きるべきかを模索する宗教といえるのではないでしょうか。そういう、人民の苦悩の根源を現実のなかに求めようとする姿勢が、良心的・民主的宗教人を「真のヒューマニズムにたった人間解放の学説」としての科学的社会主義に対して共感をよせ、接近させることにもなっているのです。
いわば科学的社会主義と人民の宗教とは、唯物論と観念論という世界観における対立は含みながらも、人間としてより善く生きるヒューマニズムの課題を追求するという点において、共通の土台にたっているということができます。たんに現実の課題で一致するというよそよそしい関係ではなく、科学的社会主義と人民の宗教の本質的部分での共通点を確認し合うことが、両者の間のより深いところでの信頼関係を構築し、宗教人との間に統一戦線を結成する道筋をつけることになるのではないかと考えるものです。
それはともかく、本講座で提起した道徳と宗教の二つの側面と、人民の道徳、宗教論は、あくまで科学的社会主義の立場からする一つの問題提起にすぎません。この問題提起を契機として、科学的社会主義における道徳、宗教論が一層深まり、発展することを期待して止まないことを、最後に一言つけ加えておきたいと思います。他にも『現象学』から学ぶべきものは多々あると思われますが、とりあえず以上をもってまとめとさせていただきます。
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