● 聴 講(①1:04:06、②20:45、③27:55)

 

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第3講 日本における科学的社会主義の誕生

 

ヨーロッパと同様、日本でも社会主義の運動は、
フランス革命の影響を受けた自由民権家・幸徳秋水と堺利彦の
「平民社」の運動に始まり、ロシア革命とコミンテルンの影響のもとに、
1922年7月堺が委員長となって日本共産党が設立された。

コミンテルンの準備した綱領草案には、
君主制の廃止をはじめとする自由と民主主義が掲げられていたが、
同時に民主主義革命を「一時的手段」としかみない問題をふくんでいた。

それをめぐって、「講座派」と「労農派」との対立が発生。
党幹部・野呂栄太郎を先頭とする「講座派」は、
社会主義とは自由民権運動の発展的継承者であることを強調。

コミンテルンの事実上の決定として発表された
「31年政治テーゼ草案」は、民主主義革命を否定。
日本共産党はこれを押し返して、
民主主義革命をへて社会主義革命へという
二段階革命の「32年テーゼ」を勝ち取る。
これにより、社会主義とは自由と民主主義の
全面的開花であるととらえる見解が決定的となり、
ソ連と一線を画することに。