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第14講 「F 絶対知」

 

『精神現象学』は、「知の生成」、つまり認識の弁証法的発展をつうじて、
真理に到達する過程を論じているが、
「F絶対知」はその結論部分であり、
真理とは「概念と存在の統一」であるとしている。

『現象学』を読み解くカギは、へーゲルのいう「概念」が
「真にあるべき姿(イデア)」を意味していることを理解することにある。
ヘーゲルは、真理とはたんに事物の真の姿(本質)をとらえるだけではなくて、
その本質を対立・矛盾するものとしてとらえ、
その矛盾を揚棄するものとして事物の真にあるべき姿としての
概念を認識することにあるとする。
そのうえで、主観のうちにとらえた概念を実践することをつうじて現実化し、
事物を合法則的に発展させること、
つまり事物を真にあるべき姿に変革することが真理であるという、
実践的真理観にたっている。
言い換えると、ヘーゲルのいう真理とは理想と現実の統一であり、
ヘーゲルはそれを「概念と存在の統一」としての
「絶対知」であると表現している。
この真理観は、変革の立場にたった真理観として、
科学的社会主義にも継承されねばならない。

ヘーゲルは、この概念の運動は すでにこれまで学んできたところに
現れているという。
すなわち、概念を認識する運動は、
良心が行動することをつうじて善と悪、個人と共同体の対立・矛盾に陥り、
その矛盾を解決する相互承認の「赦し」の世界において
「一人は皆のために、皆は一人のために」という「概念」の認識に
達することを学んだ。
他方概念が外化して、現実となる運動は、キリスト教の三位一体論で学んだ。
われわれは、この概念の二つの運動を一つに結びつけることによって、
「概念と存在の統一」という真理を実現しなければならない。

つまり「絶対知」とは「概念把握する知」(446ページ)である。
したがって永遠の真理である概念は、時空を超えた存在であり、
この概念を取り扱う学問が「論理学」に他ならない。
「論理学」もまた「絶対的他在において純粋に自己を認識する」(27ページ)
のであり、自らを外化して「自然哲学」となり、
自己に回帰して「精神哲学」となる。
こうして「学の体系第1部」が「精神現象学」であるのに対し、
「学の体系第2部」は、「論理学」「自然哲学」「精神哲学」として
構成されることになる。